ロコモーティブ事件簿   作:はまっち

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ロバート中尉(1)

「…………ちょっと待ってくれ。いったん整理しよう」

 質素な執務室。暗く淀んだ窓の闇。タバコの煙と蒸気の煙。濛々と靄かかる部屋の中、ロバート・ウーダン中尉は頭を抱えていた。

 

「まず、まずだ。ここはケンブリッジ郊外……だいぶ片田舎に近い、軍の駐屯地なわけだ」

 故に、外部からの侵入は先ず不可能。近頃巷を騒がせるアイルランド人も、革命を目指す活動家も。はたまた首都ロンドンを騒がせる殺人鬼であっても、触れることの出来ない聖域。

「……で、この執務室はウィリアム・オックス大尉の私室だ。自営農民(ヨーマン)上がりの英才らしく、金庫も部屋も戸締まりが得意な輩だな……」

 部屋の主はウィリアム大尉。サフォーク連隊第4義勇ライフル大隊を指揮する、新進気鋭にして熱意ある愛国者――義勇兵(ボランティア)の筆頭。

 そうして、軍内部の過激な王党派青年将校たちの中枢メンバー。そう記憶している。

「今は国際標準時(グリニッジ時間)で20時過ぎ。ウィリアム大尉や他の大隊長連中に参謀たち、それに連隊長のパーシヴァル将軍らは皆まとめてセント・エドマンズベリー市長の私邸で会合……晩餐会をお楽しみ。ここ2時間の間は誰一人兵舎に入る理由もないし、入った形跡もない」

 ぶつぶつと一人で呟きつつ、眉間にシワを寄せる。建物のどこからか漏れ出す蒸気で靄がかり、外の有毒なスモッグとタバコの煙とを合わせて痛くなる目頭を指で押さえる。

「……第一、軍事機密を孕んだ執務室に忍び込むのは無理な話だ。憲兵分遣隊の少尉どのはワインを嗜んでいるから別として、有望な士官候補生のニック軍曹どのと麾下の憲兵たちが巡回しているんだから」

 そう言って、ロバートは自らの装束を――軽い蒸気鎧で身を包み、黒い革の骸套(コート)で闇に隠れる姿をまじまじと見つめる。

 白い手袋に納められるは、最新型の連発式ピストル。バーミンガムの銃火器メーカーから秘密裏に取得した、軍に配備されるどころか未だ市場に出回ってすらない自動回転式拳銃(オートマチック・リボルバー)

 どこからどう見ても、物盗りか――或いは、スパイか。壁1枚隔てた部屋の外で警邏する憲兵に見つかれば逮捕どころではないだろう状況で、男は一つため息をついた。

「そして、俺はロバート・ウーダン。階級は中尉……ってことにしているんだったかな。陸軍大臣の直接のご命令で動く諜報部員……というタテマエにしていた覚えがある」

 現実に直面したくないというように、無理矢理笑顔を作り。

 そうして手袋をはめた指先でそっと執務机の引き出しを開け、その中に何も無いことを再確認。

 空振りか、別の場所にあるか。悩む暇など無く、思考を巡らせる。

「縁もゆかりも無いサフォークの片田舎まで来たのはただ一つ。ウィリアム大尉の隠し持つクーデター計画書を探し当て、ヤツを軍法会議と処刑場に引きずり出すこと」

 

 …………のはずだったんだが。

 

 小さくつぶやき。部屋の片隅で倒れている――胸を軍用の制式銃剣で突き刺されている、一人の年老いた将校に目を落とした。

 質素な執務室に不釣り合いな、おびただしい量の血をあたかも赤く黒い絨毯とばかりに広げるその人間は、どこを触れるまでもなくその生命が永久に失われたことを如実に示す。

 どうみても青年と呼べる年齢ではない老士官を眺め、ため息混じりに煙たい天井を仰いだ。

 

「うん、まあ……まただよな」

 

 つまりこれは。

 

「……なんでまた、密室で人死んでんの?」

 

 密室殺人だ。

 

 

 

 

「…………情報を整理しよう」

 

 ロバートは軍靴を静かに打ち鳴らし、執務室の中を歩き回る。

 窓は1つ。鍵は閉ざされており、そもそも兵舎の三階という高所であるが故に外部からの侵入は困難だろう。

 壁の両側には作戦書類を収めた本棚が所狭しと並び、たった一つの窓を背にする形で執務机が置かれている。よくある典型的な将校の執務室と言って間違いない。

 床は絨毯のひとつも敷かず、壁には彫刻や装飾のひとつもない。質実剛健、大英帝国の軍人であることを頑として譲らず、副官か誰かと“交流”を深める用途には一切向かない内装。

 天井は低く、揺れるランタン以外には――少なくとも、ロバートが屋根裏を通じてこの部屋に潜り込む際に即席で切り出した人一人分程度の穴しか見当たらない。

 一見すると――一見しなくとも真面目腐った、浮ついた話を一切聞かない青年将校に相応しい執務室である。

 

「……これさえなければ、来年の春には少佐だっただろうけど」

 

 その部屋の中央、板目の目立つ床のど真ん中に、それはある。

 白く変わりつつある短い髪に、閉じられた皺だらけのまぶた。首筋をくまなく覆う糜爛(びらん)した赤黒い疱疹が老人病の典型に罹患していることを示し、ごつごつと大きく骨ばった頭蓋と耳元から顎先にかけての薄い擦り傷は、彼が軍人であることを示している。

 苦悶の表情一つ無く眠るかのように真一文字へ結ばれた口元からは赤黒い血が流れ、仰向けの胴体のちょうど心臓部を貫くように陸軍の制式銃剣が貫かれる。

 下士官兵にしか支給されない、軍用ライフルに取り付ける用のスパイク型銃剣だ。

 

 ロバートは膝を折ってしゃがみ込むと、無駄だと反芻しながらも老将校の首元に白手袋の指をあてがう。果たして当然のことながら、脈はない。冷たく固まった筋肉から指を離し、胸元から溢れる赤黒く変色した夥しい量の血に触れないように注意しながら、ふむと一つ。

 

「被害者はマクファーレン中佐。スコットランドグラスゴーの騎士の生まれ。エジプトへの出征歴あり、彼のオラービー・パシャの軍勢との戦闘において殊勲勲章を受章。現在ではこのサフォーク連隊の参謀の一人で……あの王政廃止議論で有名な自由党の最過激派、サー・チャールズ・ディルケの支持者の一人だったね」

 

 頭の中で情報を羅列しつつ、慣れた手つきで本棚の人事部を引っ張り出す。重力に従って周囲の幾つかの小説や詩集が落ちてきたところ、ロバートの手がそれらを受け止め本棚へと返した。

 整理整頓は出来ていないようだけど。小さくぼやきながら第4義勇ライフル大隊と書かれた表紙をめくり、その最末尾。大隊の人事簿のいち大隊長風情のウィリアム大尉が本来保有しているはずのない、連隊幹部たちの顔写真とメモ書き交じりの簡単な経歴に目を通し、事前情報と相違がないことを確認した。

 

「マクファーレン中佐は今日一日中、神経痛により軍務遂行が出来ない状態だった。軍医の診断では神経痛の発作……ということだったっけ」

 死体の首筋の帯状疱疹に触れ、びらんと潰瘍を併発した重度の皮膚疾患を眺める。水痘の再活性化により神経が過剰に昂ることで発症する神経性の疾患は、鎮痛剤を服用してもまんじりとすら出来ず、麻酔を打っても痛みに呻き苦しむ事しかできない。まさに拷問か生き地獄に等しい非伝染性の病の跡を眺めた。

「たしか……午後からは多少回復したと聞いたけど。結局晩餐に馳せ参じるほどの痛み知らずではなかったと見える」

「死亡時刻は……筋肉の強張りと血の色から考えて、ざっと■時間前。そのころ俺は……他の連隊幹部たちと一緒に、セント・エドマンズベリー市長の私邸で最初の一杯を味わっていたところか」

 

 そう零し、スモッグでぼやけた兵舎の窓を眺める。ロンドンの町中と違ってガス燈の少ない夜闇の向こうに、今も宴会の続く市長邸がある。

 その距離はおよそ、徒歩10分といったところか。自動車でもなければ、「宴会を途中退席しなかった」というアリバイを崩すには至らない。

 はたまた――ロバートが骸套の下に着込んでいる、蒸気じかけの鍼士服(テイラード)でもなければ。神聖なる水蒸気によって稼働する外部駆動装備、浄気機関(カフリンクス)と共に用いる沸魔師でもなければ。

 

「……となると。俺を除くと、容疑者は3名」

 

 その前後、晩餐会の会場で見かけなかった者は3名。当然ながら、マクファーレン中佐はその中にいない。

 人事簿をめくり、義勇ライフル大隊の長でもある青年将校……真っ赤な軍服を着ていなければ大学を出たばかりの知識人(インテリ)にしか見えない、眼鏡の若者の写真を凝視する。

 

「まず1人目。ウィリアム・オックス大尉。ウエストサフォークの自営農民(ヨーマン)出身。ケンブリッジ大学在学中に王党派結社に所属していた経歴あり。大学卒業後義勇兵(ボランティア)に志願。現在軍内部の王党派秘密結社(パーティー)の中枢として活動していると報告あり。出征の経験は無し」

 

 ぺらりとページをめくり、続ける。

 

「晩餐会では最初の音頭取りを担当。確かにその思想的立ち位置は別として…………今の農家が立たされている経済不況も別として。曲がりなりにもセント・エドマンズベリー近郊の地主層(ジェントルマン)だから当然と言えるかな」

 新大陸から大量に流入する自由市場経済の波が小麦の価格をたったの30年で半分以下にまで引き下げ、小作農を大量に雇っていた古い地主に貴族たちは大打撃を受けた。その結果、更に儲かる重工業のために大量のヒトが工場に食べられていったのだが――――。

 とはいえ。彼は仮にも、”ミスター”と公に呼ばれる立場の人間だ。

「……確か。晩餐会の開始直後、兵舎留守役の憲兵少尉を呼びにいったね。手にはコルヘイタ・ポートの1881年。大方、”憲兵隊の初陣、エジプト出征から十何年の節目”とでも言ったのかな」

 あるいは、戦争の女神チルダースに乾杯。なのだろうか。

 いずれにせよ。南アフリカにもエジプトにも戦争を振りまき続けた”倹約家”、当時の陸軍大臣の人気は限りなく低い。

 ――その幾つもの戦いで、武勲を挙げた勇敢なる兵士たち以外からは。

 

「帰ってきたのはおよそ30分後。そこからは連隊長のパーシヴァル将軍たちと歓談……と言ったところだねぇ」

 

 ジョン・パーシヴァル将軍。北アイルランド生まれ。エジプト出征の際はあのヴィクトリア十字章の英雄を生むに至った”大きな塚の戦い”へと旅立つ第一大隊を見送り、代わりに派遣された南アフリカで小競り合いすらせずに帰ってきた老将軍。

 北アイルランドといえば、大英帝国政府よりもアルスターに忠誠を誓う王党派(ロイヤリスト)の根城だ。女王陛下の藩屏として即位50周年記念式典を守り抜いたロンドン警視庁(スコットランドヤード)特別部のメルヴィル長官も、大英帝国の人間ならば誰もが知る彼の有名なロイヤル・マロウズ連隊の叩き上げ将軍、バークレー大佐も。皆悉くアイルランド生まれ。

 独立派に寝返ることのない王党派は、イングランドのみならずアイルランドの各地に根付いている。ましてや、戦果を挙げることもなくイースト・アングリアの片田舎の連隊司令官という閑職に追いやられたような人間など。押せばいつでも靡くと示しているようなものだ。

「……まあ、そこは後々問いただせば良いか。女王大権を求める過激な騎士党(キャヴァリアー)から見れば、当然許されざる存在……うん。動機は十分だろう」

 

 肩をすくめ、次のページへ。2人目の容疑者の名を口に出す。

 

「2人目はスペンサー市長。スコットランドのボーダーズ出身。元軍人で、階級は大尉……王立陸軍大学の卒業年次はマクファーレン中佐と同じか。1881年のエジプト出征で戦傷し、除隊。現在はセント・エドマンズベリー市長として活動中。保守党のバルフォア元首相と親交があり、自由統一党のジョセフ・チェンバレンとも仲良しこよし……流石は政治家様」

 

 文民であるから当然人事簿に記載がない代わり、ウィリアム大尉が同じ保守派のよしみで収集したのだろう写真とメモ書きを眺めつつ、形代時計(トゥールビヨン)をちらりと見た。

 

「元ハイランド軽歩兵連隊として”大きな塚の戦い”に参加。自由統一党の重鎮ベルパー卿の指名により、名誉ある紳士に。そうして市長か。……奇しくもヴィクトリア十字章の英雄、エドワーズ中尉と同じキャリアだな」

 

 既に軍人を退役しているが故か、若干肥満が目立つようになってきた老人の顔写真から目を逸らす。

 

「晩餐会では開会のあいさつを担当。まあホストだから当然か。晩餐会ではそれ以後、常識あるホストとして途中退席の気配はなかったけれど…………晩餐会の開会直前、秘書に耳打ちされてグリーンキング醸造所長との立ち話を切り上げていたはずだ」

 この小さな田舎町の経済を担うのは、兵舎に住まう軍人たちとイギリス3位のシェアを誇る老舗、グリーンキングのビールだけ。1881年に新たに創設されたサフォーク連隊をもてなすためわざわざ同年のコルヘイタ・ポートワインを手配した市長(ホスト)ともあろうものが、市の経済を担うグリーンキング醸造所との話を切り上げてまで席を立った。その事実は大きい。

「動機は……エジプト出征でも共に戦い、血を流した長年の戦友の政治的変節ぶりに愛想を尽かしたか」

 

 まあ、わからないけれど。ロバートは鼻を鳴らして、次のページをめくる。

 

「3人目はニック軍曹。ロンドンのウェストミンスター生まれ。代々近衛兵を輩出する軍人一家のメソジスト。サンドハーストの王立陸軍大学を卒業後、士官候補生としてサフォーク連隊に配属。当然ながら実戦経験は無し……よくあるエリートコースのお坊ちゃんってところかな」

 

 幼さの残る青年の顔を無感情に眺めつつ、人事簿を手に持ったままこつりと軍靴を打ち鳴らす。少し鼻につく死体の臭いに顔を顰めることもなく、慣れた風だとばかりにふむと首をひねった。

 

「■時間前といえば……いや、晩餐会が始まってからそれ以降ずっと、憲兵隊はこの兵舎の警衛をしている。憲兵少尉と隊付の下士官たちは兵舎の食堂でワインに興じていたけれど……」

 

 執務室に忍び込む前。黒い骸套で身体を夜闇に隠しつつ、ちらりと窓の外から見えた兵舎の中。何人もの中年の男たちがワインと安いジンを呷り、この平和な片田舎の駐屯地を留守にしないという任務だけを忠実に守っていた。

 人事簿を見ずとも顔と名前を一致させたロバートは、もう一つ首をかしげる。

 果たして、このメソジストの青年はどうだったか。酒も飲まずタバコも吸わない、禁欲極まりない宗派であるところの彼は、大人しく酒に浸っていただろうか。

 

 答えは、恐らく否である。

 

 今も執務室の前から、隔てた扉の向こうから。規則正しい吐息と、疲れによってかふらつくブーツの足踏む音が時折聞こえる。

 イギリス政府の極秘の諜報機関で鍛えられた聴力によって正確にその位置を把握できるロバートは、呼吸の浅さと微かに聞こえる音の高さから若者のソレであると認識できる。

 

「ただ……守衛という名目でいつでも幾らでもこの密室に入ろうと思えば入れる立場とはいえ、動機が少し弱いか――――ん?」

 

 こつりと足を鳴らし、執務机の最上部におかれた手紙に目を通す。イギリス中の王党派政治家や将校たちへと当てた便箋の中に、たった一つ封が開けられた便箋を見つける。

 差出人の名はなく、消印もない。あくまでこの机に紛れ込ませることだけが目的と見える手紙を防穢手巾(ポケットチーフ)で摘まんで、中身の何の変哲もない日常会話の文字列を読み解く。

 その中で多用されるニックという名と、二人の共通の友人であるらしいオルテガの氏名。それに肌触りの異なる紙質を見て、本棚で見かけたジュール・ヴェルヌの冒険小説を一瞥した。

 

「なるほど……古典的な不可視インクとヴィジュネル暗号。解読法は例のブラジルの……ジャンガダ事件と同じっぽいか」

 

 手触りだけで隠された文字列を読み解き、暗号であることを把握。稀代の数学者、チャールズ・バベッジ卿とフリードリヒ・カシスキーが考案した頻度解析手法を用いつつ、手紙のうちから「大尉、本日の夜。パーティーを抜け出して、いつもの執務室で会いましょう」と解読する。

 

「……殺人を犯す動機ではないけど、アリバイが崩れる理由にはなるかな」

 

 ふうんと鼻を鳴らし、これまで呟いた動機とタイムラインに思いを巡らせる。

 事前情報では執務机の中にあるはずのクーデター計画書がこの場から失われていることも含めて――

 

「時系列を考えるに……スペンサー市長の退席、晩餐会の開会、ウィリアム大尉の退席、そこから憲兵少尉たちの酒盛り、そうしてニック軍曹と”大尉”殿との密会……と続く。そこから多少時間が経って、俺が死体の第一発見者になる」

 

 わざとらしく首肯し、ふと。「大尉とは誰のことだろうね」と呟いた。

 

「まあ普通に考えると、現役将校のウィリアム大尉。ただ義勇兵のウィリアム大尉と憲兵のニック軍曹ではあまりに部署が異なりすぎるし…………我が国では退役将校も含め、その除隊時の階級で呼ばれることも多い。そう考えると退役軍人のスペンサー市長……元大尉も考えられる」

 だけど。

「スペンサー市長はまず無いかな。市長が席を立ったときはまだ、憲兵少尉たちは酒を持ってこられていない。ニック軍曹がひっそりと密会するには人の目がありすぎるし…………殺人を犯した場合、当然後から入ってくるだろうニック軍曹に見つかる」

「……となると。ありうるのは、ウィリアム大尉。殺人事件の下手人も」

 ただなぁ。ふと零し、ロバートは死体の胸元に突き立てられた銃剣を見た。

「だけど、凶器の銃剣は下士官兵にしか配備されないものだ。士官さまは常にサーベルを持つものだから」

 多数いる兵士たちから……或いは武器庫から銃剣を盗み出せば話は別だが。

 自問自答しつつ、推理を重ねる。

「憲兵はサーベルを佩刀出来る。保持することは当然構わないが、軍務中、大っぴらに銃剣を腰に差さなくても咎められない立場の人間だ。況や現地人を威嚇するための営門警備ではなく、屋外ではなく。兵舎の一部屋の前に長時間立ち続けるならば銃剣はおろかライフルを持っていなくても不思議ではないか」

「手紙の暗号文に使い古された小説のトリックを使っていることを考えるに、ニック軍曹とウィリアム大尉は特務の人間ではない。俺と同じ特務の……諜報機関の人間ならば、こんなありきたりな手法と、複合表を部屋に置いたままにしておくようなヘマは犯さない」

「……かといって、あまり知られてはならない情報を共有する仲であることは確か。例えば、新進気鋭の士官候補生をつかまえて、王党派秘密結社の同志としている……とか」

 うん。ロバートは意を得たりというように頷き、結論づける。

 

「ウィリアム大尉とニック軍曹による共犯。これに間違いない。この部屋の外に誰も警衛が立っていないタイミングで、二人の密談を偶然にも見てしまったマクファーレン中佐を、ウィリアム大尉の命でニック軍曹が刺殺した……これならば動機も、凶器も、頷ける」

 

 となると。真実を確信したロバートの脳裏に、自身の任務のことが思い返される。

 

 

 ロバートは軍人ではない。当然刑事でもなければ、探偵でもない。ただ一介の、スパイである。

 

 この国を内と外から揺るがそうとする活動家を罠にはめ、刑場に送り込むのが仕事である。

 

 

「……罪を被ってもらうとすると、二人同時ではないほうがいい。この場合なら……当然ウィリアム大尉だけだ。同じ王党派でも若い士官候補生のほうがよほど揺さぶりをかけやすく、御しやすい」

 なにより、これからの大英帝国を担う若者だ。過激主義にどっぷり浸かった将校殿よりよほど、首を括らせるには惜しい。

 呟きながら、浄気機関(カフリンクス)を起動。懐から取り出した名吹(キャラバッシュ)をふかせ、この部屋を煙で充満させる。必要な情報を必要な時に出せるよう、現場を謎めいた霧と靄とで満たしていく。

 一寸先も見えなくするまでは至らないが……人影が見えるならば十分。

 沸魔師のシンボルでもある漆黒の骸套を宙に浮かせるようワイヤーで括り、もう一端を自身がこの部屋に入ってきた時に用いた屋根裏の穴へと投げ込んだ。

 

「後は……そうだ。凶器。これが銃だと、妥当な事件性があって適切だよね」

 

 何も殺人事件を解決するつもりはない。

 「殺人事件があった」ことで拘束し、その政治的陰謀を自供させなければならない。

 そのためには――

「この部屋からクーデター書類を持ち去った人間を……ニック軍曹を、決定的なタイミングで取り押さえなくてはならない。そうだね」

 ぽつりと零し。指紋のつかない白手袋でもって、その胸に突き刺さった銃剣を引き抜く。

 ぬらりと赤黒い血で濡れた銃剣を一瞥し、腐臭にも似た匂いを撒き散らすその死体を見おろした。

 

「…………なんどあっても慣れないね。死体の腐る匂いは」

 

 ――――待て。死体は、こんなに早く腐るものだったか。

 

 

 頭の中で何かが警句を発すると同時。

 

 

 閉鎖された扉が轟音とともに叩き壊され、ライフルを手にした複数の兵士たちが執務室へと押し入ってきた。

 

「強行退魔局だ! 中にいる者は動かず、大人しくしてください!」

 その筆頭となるのは赤毛の若者。カストディアンヘルメットに骸套を着込んだ、沸魔師の青年である。

 軍の兵士たちとともに……つい先ほど写真で見つけた顔とともに、煙の充満する執務室の中で拳銃を構える。

「ああ、レストレード君。見てくれ。今しがた事件の真相がわかったんだ。解決したんだよ。この殺人の犯人は――――」

 

 見知った顔に声をかけたロバートの頭へ、レストレードと呼ばれた沸魔師の青年は聖釘発射銃(ネイルピストル)の銃床で殴りつけることだけを返答とする。

 

 

「御用だ! ロバート・ウーダン中尉!!」

 

 

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