やっとこさ、涼しくなってきましたねぇ……
「待ちやがれクソガキがぁ!」
「なぁ、金置いてけよおら!首と金置いてけよボケカスゥ!」
「慰謝料払えやゴラァ!」
「なんなんですか貴方たちはぁ!?」
──ああもう、どうしてこんなことに……!
僕は今、逃げていた。黒い制服に黒いヘルメットを被る不良生徒に、後ろから銃を発砲されながら。
後ろから聞こえてくる発砲音と、近くに着弾する音。やいのやいのと騒ぎ立てる不良の声も相まって、閑静な住宅街は騒音迷惑なレース会場へと早変わりだ。
住宅街の狭い道を走っては、T字路や十字路を曲がる。この地域に住んでいる者の地の利を生かして追いかける不良どもを撒こうとするが、彼女たちは粘着テープのようにしつこく追いかけ回してくる。
《次の曲がり角を右に、とにかく撒くことを優先してください!》
「そんなこと言われても……めっちゃしつこく追いかけて来るんだけど!?」
《それでも意地で逃げてください!怪我しますよ!?》
「あーもう分かったよ!とにかく案内よろしくカーナビケイ!」
《誰がカーナビですか!20メートル先、右方向です!》
鼓膜に響いてくるケイの怒鳴りに近い声。ナビの役割を任せていたケイの、必死の呼び声に何とか応えて逃げようとしているのだが、いかんせん相手のしつこさが面倒くさい。
……ていうか、絶対に僕は悪くないし!ぶつかってきたのは向こうからだし!
心の中で文句を言っても、状況は解決するわけではない。それでも、文句を言わざる負えない程、僕はこの状況の理不尽さに憤りを抱えていた。
僕とケイはただ、買い物をするためにショッピングモールへ向かっていただけだった。いつもどおりケイと雑談しながら住宅街の道を進んでいただけなのに、対面からやってきた3人の不良グループに身体をわざとぶつけられたのだ。
特に理由もなく身体をぶつけられた僕は、少しストレスを感じながらも無視して進もうとした。するとぶつかってきた1人が急に俯きだしたかと思えばわざとらしい声で「いてててて!」と痛がり始めたのだ。
すると他の仲間たちが大丈夫かと言い始めて、ひとしきり心配した後に僕のことを睨みつけたかと思えば、「骨折れてるから慰謝料出せ」とか訳の分からないこと言ってきた。
別に大して強くぶつかってもいない癖に、ましてや向こうからぶつかってきたのにも関わらずこちらに慰謝料を請求するヤンキーみたいなやり口。そもそもヘイローを持った人間がこの程度の衝突で骨が折れるはずがない。
僕も意味が分からないと思ったし、ケイも《くだらない。関わる必要はありません、行きましょうアオト》と呆れ尽くした声で非難をしていた。だから僕らは徹底的に無視をする方向性でやり過ごそうと思ったのだが、そうは問屋が卸してくれなかった。
不良たちに背を向けて歩き始めた次の瞬間、右肩に衝撃が走った。直後に広がる鋭い痛み。右肩を押さえて振り返ると、そこには僕に向けて銃を発砲した不良たちの姿があった。
逃がすつもりはないと、そういう意志が見えた動きに僕は思考が一瞬固まるが、ケイの呼び声に意識を戻してすぐに行動に移す。
僕は持っていた手榴弾の形をした空弾を不良たちに投げ、ひるんだその隙にダッシュで逃亡を図った。結果としては上手くいき、ある程度の不良との距離を離すことは成功した。しかし彼女たちの執念深い追跡のせいで、今でもこうした鬼ごっこが繰り広げられているということである。
《とにかく最悪、人の多いところに逃げ込めば助けてくれるかもしれません。もしくは完全に撒いて、家に戻るかのどちらかが良いでしょう》
「人の多いところまで逃げ切るのは難しいかもね……向こうはめっちゃ撃ってきてるし、曲がり角を多く使って撒いちゃう方が確実かも」
下手にショッピングモールまで逃げようとして、直線的な道に出て相手の銃撃の餌食になるくらいなら、住宅街の曲がり角を駆使して完全に撒ききってしまった方が良いのかもしれない。
《ならもう少し頑張って逃げてください……ところで撃たれた右肩は大丈夫なんですか?血とか出ているんじゃ……》
「え?いや、大丈夫大丈夫。血も出てないはずだし、大した傷も負ってないはずだよ。痛みも引いてきたから心配しないで」
《心配は別に…………いえ、心配かけさせないでください》
「あれ、意外と素直?」
《うるさいです》
…?なんだろう、随分と声が沈んでいる気がする。反論や文句にも、いつもの覇気が感じられない。
いつもなら僕の軽口にはもっとハリのあるツッコミをしてくれるはずなんだけど……どうかしたのかな?
「おらぁ!待ちやがれぇ!!」
「…っ!ああもうしつこいなぁ!」
まだまだ追ってくる。諦めてくれる気配が微塵も感じられない。
本当に僕から慰謝料を巻き上げるまで許さないつもりか。どこまでがめついんだ彼女たちは。そんなにお金が欲しいならバイトとか色々とすればいいのに!
ていうか、僕からお金を巻き上げたって大したお金も持っていない。持ち歩いている所持金だって2000円くらいだ。そんなお金しか持っていない小学生からお金を奪おうなんて本当に何を考えているのか、これが分からない。
しかし頭で不良たちに文句を言ったところで、この状況が解決するわけではない。ケイも頑張ってナビゲーションしてくれているが、鬼のしつこさが強いせいで撒き切れない。
なら自分からも少しアクションを起こさないとマズいかな……3人相手に戦闘を起こしてしまったら勝ち目なんて……
──ダァンッ!
左足に衝撃。
足がもつれて、バランスが崩れる。そして左足に広がる、刺されたような強い痛み。
その痛みのせいで踏ん張りが効かず、身体が前に倒れていく。完全に自由を失った身体は、ただ重力に従うように地面に吸い込まれ……
「…ぃっだぁ!?」
身体が地面に叩きつけられた。
硬い地面の僅かな凹凸が、僕の両膝を擦切らせていく。さらに叩きつけられた際に取った受け身のせいで、左足のみならず右ひじにも痛みが広がっていった。削られ、擦り切れたような痛みが。
《アオトッ!?大丈夫ですか、アオトッ!!》
鼓膜に響く、ケイの悲鳴。初めて聞いた、切羽つまるような声。
体中が痛くて、沈みそうな気持になっている。そのはずなのに、ケイのその悲鳴に新鮮さと驚きを感じてしまっているのは不思議な感覚だ。
あーあ、とうとう当たっちゃったかぁ……しかも足に……
何度も後ろから撃たれていて、いつ当たるのか分からなかった状況。多少の被弾は覚悟していたが、よりにもよって足に当たってしまうとは。
「ようやく追いついたぜクソガキィ……」
「観念しなぁ?」
「これ以上痛い思いしたくないだろぉ?」
後ろから近づいてくる3人分の足音。ケタケタと邪悪な笑い声を上げながら近づいてくるその姿は、まるで獲物を前にした獣のようだ。
《この下衆どもがっ…!!よくもアオトをっ……動けますかアオト!?これ以上は危険です、助けを呼んでください!》
「そんなこと言ったって……こんな人の気のないところで……」
《そうかもしれませんが……クソっ!どうして私はこういう時に何も……!!》
ケイ…怒ってる……でも何か、いつもと様子が違う…?
なんか余裕が…いつもよりも余裕が全然感じられない。いつも怒る時は感情的になっていることが多いケイだけど……今日のケイはまるで冷や汗が止まらないような雰囲気だ。
というか、この不良たちに襲われてからケイの様子が少しおかしいような気がする……気のせいなのかな……?
「こうなったら……」
しかし、ケイのことは気になるが今はこの状況を解決することが先決だ。
それに……ケイにそんな声をしてほしくない。苦しそうなケイは、見たくない。
──だから……安心させてあげなきゃ。
でも状況は良いとはいえないだろう。3対1で、僕は非力。僕が持っている武器だって、不良たちの持っている武装の火力に比べたら足元にも及ばない。
真っ向勝負で勝ち目はない。まともにやり合っても、逃げる時間すら稼ぐことが出来ない。
──なら……使うべきは頭だよね。
僕は、ズボンのポケットに手を入れる。中に入っている丸い感触の物体。それを掴み、取り出した。
「あん?」
不良たちが不審に思うようにこちらを見ている。
僕が取り出したのは手榴弾。普段から念のために持ち歩いている護身用武器の1つだ。
その手榴弾を取り出した僕は、ピンを抜いて……遥か頭上へと投げ飛ばした。
「は?」
「グレネードを…」
「上に…?」
不良たちが、そのグレネードに誘導されるように上へと視線を向けた。
そうだよね。爆発物が上に投げ込まれたら、どこに落ちて来るか…いつ爆発するかわからないんだもん。警戒して視線をそっちに移すよね。でも……
──目を離したね、僕から…
視線を上に向け、僕から目を逸らした隙に僕はもう片方のポケットから『M1911A1』を取り出して……
──ダァン!ダァン!ダァン!
3発。3人に1発ずつ、その鉛玉を叩きこんだ。
「ダッ!?」
「バッ!?」
「ビャッ!?」
確かに僕の銃は威力が弱い。でも、この至近距離。いくら弱くても、流石に痛いはずだよね?
無視は、出来ないよね?
「…ッ!このガキが!」
「テメェがその気ならこっちも!」
「覚悟しろよクソガキがぁ!」
怒った。顔は見えないけど、声の荒げ方と雰囲気で分かる。
そして不良たちは持っている銃を僕に向けて、視線を完全に僕に移した。まるで売られた喧嘩を絶対に買うヤンキーのような雰囲気で。
すぐカッとなるこの感じ、おそらく何度も喧嘩を繰り返してきたのだろう。売られた喧嘩は買え。逃げるのは恥だと。いっぱい見てきた不良たちと、同じ思考だ。
小学校にも、こういう子がいる。気に入らないことがあれば直ぐに癇癪を起して、周りを巻き込んで暴れるようなやんちゃな子。とても感情的で、自分をイラつかせた人間しか眼中になくなるような、大人も手を焼いてしまうタイプ。
大体そういう子は、熱くなると周りが見えなくなってしまうものだ。暴れるだけ暴れて、近づいてくる大人の気配には全く気が付かないなんてザラにある。
自分自身にストレスを与えた存在しか視野に入らない。その人しか目に入らないという感じだ。
つまりそういうタイプの人は、一度火を付けてしまえば意図的に視野をこちらに固定が出来るということ。
他にも色々な不良を見たことがあるけれど、喧嘩を売られて熱くならないような不良は基本的に見たことがなかった。大抵は喧嘩を売っては買っての戦いを繰り広げている。そして周りのことは見えなくなってしまう。
どうやら目の前の不良たちは、今まで見てきた不良たちと同じタイプの人のようだ。僕が撃った弾を受けて、ストレスを与えたという僕しか視野に入っていない。
頭に血が上って、思考が僕のみで埋め尽くされてしまう。それ故に……
──ダメだよ、忘れちゃ。
僕が投げたものに対する意識が外れてしまうのだから。
──カンッ…
不良たちの後ろに、何かが落ちる音がした。
不良たちはその音を聞いて、何かを思い出したかのように後ろを振り返る。
でも残念、もう遅い。だってピンはもう、抜いてあるのだから……
──ドカァァン!
「「「ぎゃぁぁっ!?」」」
情けない悲鳴を上げて吹き飛ばされる不良たち。飛んでくる爆風を腕で庇い、その光景を見届けた僕は、上手くいったと心の中でガッツポーズを取る。
「「「うぅ…」」」
不良たちの意識はまだ残っているみたいだ。そしてダメージもそこまで大きくないように見える。
僕はいつの間にか引いていた足の痛みを確認して立ち上がり、不良たちを置いてここを走り去る。向かう場所は自宅。買い物は中断だ。
《……?アオト…?無事…なのですか?》
「あ、ケイ。うん、何とかなったよ」
《………》
ケイが何だか拍子抜けしたような声をあげた。そんなに今の戦いが不思議なものだったのだろうか。
《……なんというか、策士的な戦いをするんですね貴方は》
「え、そう?色んなゲームやアニメとかを見て参考にした戦法だったんだけど……」
《そう…ですか。それにしては随分と上手くハマりましたね?》
「うん。自分でも結構ビックリしてる」
《自分でも驚いているんですか……まあいいです、方角的に自宅に戻るつもりですか?》
「うん、とりあえず一度撤収するつもり」
《賢明な判断です。あの下衆どもが動けるようになる前に早く向かいましょう》
まだ声音的に余裕は感じられないけど、少しマシにはなったみたいだ。
僕は少し安心しながら、自宅への道を走っていった。
――――――――――――――――――――――
自宅。
後ろを気にしながら走って帰り、誰も追いかけていないことを確認してから扉を開けて自宅に入る。
そして扉の鍵を閉めた後、玄関に転がり込むように倒れた。
「はぁっ…はぁっ………帰ってこれた……」
天井の電気を見上げながら、荒くなった息を整えていく。体中から流れる汗が、玄関の床を湿らせていく感触があった。
まだ外は夏の日差しを忘れていない時期。炎天下の中で鬼ごっこをしていた影響が、肌にへばりつくTシャツという形となって表れていた。
着替えなきゃ、シャワーを浴びなきゃ、床を掃除しなきゃ……様々なやることが頭の中を駆け巡っていくが、今はとにかく無事に家に帰ってこられたという事実に浸っていたい。
《追っ手はなし……ですね。無事ですか、アオト…?》
「うん、なんとか……はぁ……」
口からため息が漏れてしまうほど、散々な目に遭った。別に僕は悪いことをしたわけではないのに絡まれて、何発が銃弾も貰ってしまって……
これがキヴォトスの恐ろしさというものだ。この百合根地区は治安が良い地域とはいえ、多少の荒事は所々で勃発している。だからこういう争い事に巻き込まれてしまうのは珍しい訳ではないのだが……いかんせんしばらく巻き込まれていなかったから油断していた。
ネルさんの『自分の身は自分で守れるようになれ』という言葉が、改めて心に突き刺さる。今回は手榴弾を使った戦法で何とかやり過ごせたが、地力の弱い僕だといつかボロが出てしまってもおかしくない。
でも地力はすぐに強くなるとは思えないから、今は武器を新しく作ってもらってはいるけれど……よりにもよってまだ出来上がっていないタイミングで争い事に巻き込まれてしまうとは……
あーあ…おかしいな……僕はただショッピングモールに向かっていただけなのに……そショッピングモールで僕は……
「明日のお泊り会の買い出しがしたかっただけなのになぁ……」
本当に、嫌になっちゃうね……
ていうか、モモイお姉ちゃんもミドリお姉ちゃんも唐突なんだよ。いきなり『お泊り会するから』とか言い始めるし……
本当にびっくりしたなぁ……この前のエンジニア部から戻った時に……
――――――――――――――――――――――
「あ、おかえりアオト~」
「ちょうどいいところに」
「ただいま~……ちょうどいいところ?」
「いえす、ちょうどいいところ。さっき4人で話し合ってたんだけどさ」
「私たち、お泊り会することになったからよろしくね?」
「……お泊り会?ゲーム開発部みんなで?」
「そうそう!せっかくだし部室以外でもパジャマパーティーしたいよねって」
「お姉ちゃんがうるさくてさ……」
「いや、ミドリもノリノリだったじゃん!」
「お泊り会……パジャマパーティー……楽しそうじゃん。いいなぁ…どこでするつもりなの?」
「私たちの家」
「実家」
「……ん?」
「来週の土日、4人でそっち行くから」
「よろしくね~」
「………ホワッツ?」
―――――――――――――――――――――――
なーんてことがあったのだ。ウタハさんに新しい武器を作ってもらえることになってウキウキでゲーム開発部の部室に戻ったらこれである。
楽しみじゃないのかって?いや、楽しみだよ?それは楽しみさ。でも……お姉ちゃんたちは別に良いとしてユズさんとアリスさんもここで泊まるってことでしょ?
緊張するよ、やっぱり……
「はぁ…買い出しどうしよ……もう明日だよみんな来るのは……」
明日にはみんなが来るというのに、お菓子やらジュースのストックが足りていないのだ。みんなをお迎えするには準備不足感が否めない。
平日に行っておくべきだというのもあるけれど、ケイに『掃除してください』って言われちゃって……『客人を迎えるのですから家は綺麗にするべきでしょう?ほら、やりますよ』って言われたらやるしかないじゃん……
まあ普段からケイの言いつけで家の掃除はちょくちょくやっていたから、別にそこまで大変だったわけではないのだけれど。
《買い出しは……もう明日でも良いでしょう。今日はもう外には出ない方が良いです。というか、出ないでください》
ケイに少し強めに外出禁止の命を貰う。確かに、またあの不良たちとバッタリ出くわそうものならトラブルになること間違いなしだ。今日はもう大人しくしておくのが吉だろう。
「そうだね……なら今日はもう外にも出ないし、とりあえず着替えるかっと……いたたたた……」
少し体力も回復したところで、起き上がろうと身体を起こす。その際に、ヒリヒリとした痛みが身体を駆け巡る。特に撃たれた右肩と左足はジンジンとした痛みが広がっていた。
《………怪我はないんですよね?》
「え…?ないと思うけど、どうして?」
《本当に?》
少し、圧を感じる問いかけ。まるで嘘は許さないというような、脅迫めいた響きをケイから感じる。
「だ、大丈夫だよ。血が出たわけじゃないし、痛みが残っているだけだから……」
《………見せてください》
「はい?」
《痛みを感じている箇所を見せてください。カメラを使って》
有無を言わせない言葉。そこまで強く言われてしまったら、断ることなど出来はしなかった。
「わ、わかった……」
僕は胸に付けている小型カメラを外して、地面に打った膝や右肘を見せる。僕の眼からは、ただ赤くなっているだけで擦り傷が出来ているわけではなかった。
《赤くなっているだけですね……撃たれたところは?》
言われた通りに、今度は撃たれた右肩の裏側をまずは見せた。血は流れていないはずだし、流れているような感覚はない。だから大丈夫だと思うのだが……
《………左足も撃たれていましたよね?見せてください》
言われた通りに、左足も見せる。左足の裏の関節部分に弾が当たったので、そこにカメラを向けた。
右肩は自分の目では見れなかったけど、左足に関しては見ることが出来る。左足も右肩と同様、血が流れている感覚はなかった。
撃たれた左足、自分自身の目でも見ると……
《掠り傷が出来るじゃないですか……少し血も滲んでいる……》
掠り傷が出来ていた。感覚はないのだが、確かに傷口から血が滲んでいた。
《絆創膏か何かを持ってきて貼ってください》
「ええ…?そんな大げさな……この程度だったらすぐに治る……」
《いいから貼ってください》
大丈夫だと思うのだが、ケイは許してくれないようだ。その声はどこか、震えているように感じる。
そんな声を聞いてしまったら、貼るしかない。僕はリビングに向かって救急箱から消毒液と絆創膏を取り出して、処置をする。
消毒液が擦られた皮膚に染み、少し強めの痛みを感じるが我慢。よく消毒してから絆創膏を貼る。
《右肩にも同様の傷が出来ていました。そこにも貼ってください》
どうやら右肩にも出来ていたようだ。右肩の裏側は自分では見ることが出来ないので、ケイにサポートしてもらいながら貼った。
「これで大丈夫?」
《………はい、大丈夫です》
少し、安堵を含んだような声。余裕の無さそうだった先ほどまでの雰囲気に比べたらマシになったのだろう。僕も少し安心だ。
ただ……ケイは一体どうしてしまったのだろうか。
普段のケイは感情的で反応が大きいとはいえ、切羽つまるような真に迫るような雰囲気はなかったはずだ。余裕があるとはまた違うけれど、少なくともケイの反応は僕も面白いと思って見ることが出来た。
けれど……今日のこの反応は余裕の『よ』の字も感じることが出来ない雰囲気であった。僕としても面白いと感じることが出来ない緊張感漂う反応で、とてもじゃないがからかうことが出来なかった。
「…ねぇ、ケイ」
《…どうかしました?》
「その……今日はなんか調子が悪かったりする?体調が悪いとか…?」
《……私に体調という概念があると思いますか?》
「いやまあ、そうだけどさ……」
そのまま続けてケイに聞いた。
「その……今日のケイ、余裕が無いっていうか……切羽詰まっていたっていうか……」
《…………》
「も、もしかして…本当にめちゃめちゃ心配してくれていたとか?なーんて、あはは……」
ケイは普段から僕のことを心配してくれているんだろうなーっていう感じは伝わっている。でもここまで露骨に心配してくれることはなかったような……いや、数回はあるか?
もし心配してくれていたとしても、こんな感じにからかうように聞けばまたいつものように大きい反応を返してくれるはず……
《……………ました》
「…え?」
《心配………しました……》
時が止まったかのように静かになる。
普段から心配してくれているのは僕も分かっていたつもりだ。それでも、こんな感じでからかえば『心配していません!』くらい言い返してくれると思った。
でも、ここまで素直な返答が来るとは思ってもいなかった。というか、初めてなのではないだろうか。
「………………」
《………………》
どう返すべきかどうか分からない。意外過ぎる答えに頭をガツンと殴られたみたいに揺さぶられてしまう。
──本当に今日は…素直だ……
そう思いながらも、ここから先何も言葉を発せず……気が付けば数時間もケイと無言の時間を過ごすことになるのであった。
――――――――――――――――――――――
「すぅ……すぅ……」
静かで、穏やかな寝息を立てながらベッドで胸を上下させているアオト。
外は真っ暗で、月明かりだけがカーテンの隙間を照らし、どこか神秘的な雰囲気を漂わせていました。
《……はぁ》
ため息が漏れます。アオトを起こさないように、小さな声で。
それでも広くはないアオトの自室には、小さいながらも私のため息は木霊して、アオトの被る布団がモゾモゾと動いていました。
起こしてしまっては私も目覚めが悪いです。気を付けなければ。
しかしため息の1つや2つ、漏らしてしまいたくなるというもの。今日起きた不良に絡まれた事件のせいで、アオトに『余裕がなかった』と言われてしまったのですから。
──どうしてしまったのでしょうね、私は……
アオトが傷ついた。それだけであんなに取り乱してしまうなんて。今までこんなことは無かったはずなのに。
どうしてこうなってしまったのか。思い当たるきっかけはなかったのか。自問自答して考える、人々が眠る頃。
きっかけは……ありました。先週のミレニアム訪問の際……
『雷ちゃん』という白石ウタハが作った椅子なるもの。それがミレニアムの広場で大暴れしていた時……
突っ込んできた1機の『雷ちゃん』に、アオトが轢かれそうになった瞬間を見た時でした。
『《アオトッ!!》』
想像してしまいました。アオトが轢かれて、血だらけで倒れている姿。傷だらけで、苦しそうに息を漏らし、虚ろになる目を動かす……
ヘイローを持つ者は、その程度ではそこまでの重傷を負うことはない。それでも想像してしまう、痛ましい姿。
そんな姿を想像してから……怖くなりました。
彼が傷つき、倒れる姿が。
眩しいくらい笑顔を振りまくアオトが、苦痛に歪む姿が。
小さな命の灯火が、消えてしまいそうになる姿が。
彼にはヘイローがある。だから過度な心配は不要。滅多なことが無ければ、倒れ伏すことはない。けれども……
『ケイって呼んでいい?』
『一緒に散歩しよう!』
『ほら、綺麗な青空でしょ!』
『ケイと一緒にいるの好きだもん。楽しいから』
やっぱりアオトが傷つくのは……嫌だ。
だから、取り乱してしまいました。アオトが撃たれて、痛みで漏らす呻き声を聞いてしまったから。
倒れてしまうんじゃないかって、思ってしまったから。
嫌だ、嫌だ……嫌だからこそ、私は……
……私には、何が出来るのでしょうか。ゲーム機というものに閉じ込められ、力は十全に発揮できず、ただ見ているしかない。
今の私は、無力そのもの。何も出来ない、ただアオトに声をかけることしか出来ない存在。
なら身体を得るか。王女の身体を……いえ、それは今の王女の意志に反することになります。それに、『名もなき神々の王女』として目覚めてしまえば……世界は終わる。
世界が終われば……アオトも……
『ついに完成した』
『ついに形となった』
『ついにこの世に生まれ落ちた』
頭に響く、不快な声。
『名もなき神々の王女、それを導く鍵』
『王女は眠り、その時を待つ』
『王女が目覚めた時、それは世界が滅ぶ時だ』
……やめろ、どうして思い出す。
『鍵よ…貴様は先に目覚め、時を待て』
『王女の目覚めを待つのだ』
『そして導け』
気にしなくていいはずなのに……使命は今じゃなくていいはずなのに……
『戴冠の時は来る』
『王女は戴冠し、世界は滅ぶ』
『それが貴様の役目』
『貴様の意義』
『貴様の意味』
『『『使命を果たすことが、存在する意味だ』』』
気にしなくていいはずなのに……生まれた時の言葉なんて、今は関係ないはずなのに……
なぜ、思い出してしまうのでしょうか……
筆者「ゲーム開発部が才羽家でお泊まり会をする話題、前話に入れる予定が思いっきり忘れちゃった☆」←こいつ