蝉のうるさい夏の日だった。空の青がどこまでも続くように澄み渡る、暑い夏の日だった。
「オマエなんか嫌いだ!」
「こっちこそ! バーカバーカ!」
よくある子どもの喧嘩。そのはずだった。
同級生で、幼馴染で、親友で。色んなことで喧嘩になって、喧嘩は最終的に勝負になって、終わったらまたやろうと笑って。中学生になって思春期を迎えた子どもには、そんな仲の良い男女は恰好の的だった。
「オマエら付き合ってんの?」
その言葉に反発して、盛大に喧嘩した。
アイツとはそういうのじゃない。男女が並んでるだけで、イコール恋愛なんて短絡的な考えに結びつけるのが嫌になる。
少女は喧嘩の後に落ち込んだ。明日になったら謝ろう。嫌いなんて言ってごめん、これからも仲良くしよう、そう言うつもりだった。
少年の抱えた負の感情に這い寄って来た人ならざるものに、死を贈られることさえなければ。
2005年4月。
「オマエは呪術高専に何をしに来た」
少女────
対する男、夜蛾正道も側頭部に二本線の入った刈り上げで、その目つきは鋭い。
呪術高専。人間の負の感情から生まれる「呪霊」を祓うための「呪術師」を育成する高等専門学校である。世那をスカウトした補助監督の男が、部屋の隅で肩身の狭そうに縮こまっていた。
「「呪術高専に来てくださって嬉しいです、ありがとうございます、よろしくお願いします」の間違いだろ」
と、世那は堂々と言い放った。
「ウチは別に通わなくても良かったぜ。好き勝手に呪霊狩んのも楽しいしな。アンタらが「それは困るんで呪術師になって高専通ってください」って頭下げてきたから言う通りにしてやったんだろうが。そう言うンなら今からでも帰って好きにさせてもらうけど?」
夜蛾は世那の顔を見て考える。
紛れもなく「イカれている」。事前の調査では一般家庭出身で、生まれつき呪霊が視認できていたという。めぼしい呪霊を見つけ次第祓っていたところを「窓」に目撃され、補助監督との接触に至る。
「……いいだろう。ようこそ呪術高専へ」
「へっ、最初から素直にそう言えよ」
なお、教育的指導が下されたことは言うまでもない。
ガラリ、と教室の扉を開ける。そこには既に人が居た。
お団子頭の男子と、ボブヘアの女子。四つ並べられた机にひとつ間隔を開けて座っているあたり、心理的な壁があることが容易に見て取れる。
世那は少し迷ったあと、二人の間に座った。
「頭、大丈夫?」
右側の男子生徒の発言に、左側の女子生徒が吹き出した。
「……喧嘩なら買うけど?」
「あ。ええと、今のは言葉のあやで……」
「先生に殴られただけ。大丈夫」
「入学早々殴られるって何したの」
「先生に生意気な口聞くなってさ」
「治してあげよっか?」
「いいよ、大したモンじゃない」
クスクス笑っていた女子は「ウケんね」と目尻に溜まった涙を拭った。
「私、家入硝子。よろしく」
「……加乃舌世那。そっちは?」
「夏油傑だ」
その後、勢いよく扉を開け放った新たな男子生徒の頭にできた大きなたんこぶを見て、三人でゲラゲラ笑った。
どうやら退屈はしなさそうだ。
「オマエ達もそろそろ新生活に慣れて来たころだろう。今から任務に行くぞ」
夜蛾の言葉に悟が「やっとかよ」と言った。
入学してからこの二週間。衝突もそれなりにあるものの、クラスメイト同士の仲は悪くないように思う。
座学にも飽き飽きしてきたので夜蛾の運転する車に嬉々として乗り込んだ。何故か硝子が助手席で、残りの三人が後部座席に座る。
「狭いんだけど! 硝子、アンタ一番小さいんだからウチと交代しろ!」
「知らなーい」
「オマエのケツがデカすぎんだよ」
「悟、仮にも女の子に「ケツがデカい」は言わない方がいい」
「コイツのどこが「女の子」なんだよ」
「それ言うなら傑もケツデカいって」
「なんだって?」
「そうじゃなきゃそんなダルダルのズボンにしないっしょ」
「オマエら、静かにしろ」
喧嘩の気配を感じ取った夜蛾の声に場が静まった。誰だって鉄拳制裁は勘弁である。
溜め息をひとつついて、夜蛾は任務の概要について話しはじめる。
場所は東京の隅にある廃校。心霊スポットと化しており呪いが集まりやすく、定期的に巡回している。とはいえ比較的最近様子を見に行ってめぼしい呪霊は祓ったので、今回は本当に新入生の小手調べ、といったところだ。
「なんだよザコ相手かよ。つまんねー」
「そっか。五条は経験者だもんね」
新入生四人のうち、悟以外の三人が一般家庭の出身だ。
呪術界御三家については世那も座学で知った。禪院、加茂、五条の三家からなる呪術界の大御所だ。
悟は五条家の生まれで、相伝の無下限呪術と六眼という特殊な瞳を持った麒麟児である。幼いころから任務の経験があり、入学時点で術師の最高ランクである一級を冠していることからその実力は折り紙付き。将来的には分類として特別枠にあたる特級術師になるだろうとさえ言われている。
「他三人は初めての任務だ。文句を言うな」
「とは言っても、私達も呪霊を祓った経験ならありますよ」
内心では面白くないと思っているのだろう。傑も遠回しにザコ相手は勘弁だと宣った。数ある術式の中でも珍しい部類に入る呪霊操術の持ち主だ。こちらは入学時点で二級。単独での任務が許される等級である。悟とは違い任務経験などの下積みがない一般家庭出身の中では、最高クラスと言えるだろう。
なお、世那と硝子は四級である。二人とも能力が前線向きではないというのもあるが、一般上がりの新米は普通四級スタートだ。悟と傑が規格外なだけで。
「ま、今回はあくまでも小手調べだ。実力のほどがわからんようではこちらも教えようがないからな」
世那は手持ち無沙汰になって、両隣に居る二人の手を握って戯れていた。
「オイ、勝手に触んなよ」
「んー? うん」
「聞いてねえだろ」
「んー」
彼女は手ぶらでやることがない時、とりあえず誰かに触れる癖がある。最初のころは跳ね除けたりしていたのだが、何度言っても聞かないので悟は諦めつつある。害はないし。傑と硝子はもう慣れて何も言わなくなった。
廃校前に降り立つ。校門は開け放たれ、窓ガラスは割られ、グラウンドの隅は雑草で生い茂っていた。校門から入り口までの道に雑草がほとんど生えていないことから、ここを訪れる人間の多さがよくわかる。
「「闇より出でて闇より黒く その穢れを禊ぎ祓え」……。俺はここで待っている。ないとは思うが、何かあればすぐ呼ぶように」
「誰に言ってんだよ」
学校全体を囲むように帳が下ろされた。四人揃って校舎内に入る。普通は上履きに履き替えるところだが、内部もところどころ荒らされているため普通に外履きのまま上がり込んだ。
「戦力的に私と悟は別れた方がいいかな。二人はどうする?」
「んじゃ夏油に付いてく」
「そ。よろしく、悟」
「足引っ張んじゃねえぞ」
「私達は特別棟のほうを回るよ。HR棟は任せた。終わったら体育館前で集まろう」
「指図すんなっての」
スタスタ歩き出す悟の後ろをついていく。なんだかんだ言いながら傑の言う通りにしているのだから素直じゃない。
校舎は一般的な教室と職員室のあるHR棟と、理科室や音楽室などの特別教室がある特別棟に別れており、このふたつは渡り廊下で繋がっている。すこし離れた位置に体育館とプールがあるが、こちらは当然一階からしか行けない。
悟は階段を登ってぐるりと周囲を見渡し、また階段を登りはじめた。それで一体何がわかるのかと疑問だったが、六眼か、とすぐ合点がいった。
五条家に受け継がれるその特異体質は、呪力の流れを詳細に読み取ることができるらしい。おそらく視るだけで呪霊が居るかどうかわかるのだろう。便利だ。
「居るな」
そう呟くと、悟の指先に強烈な呪力が発生した。
「”位相” “黄昏” “智慧の瞳”」
(呪詞!)
「おい、悟! それは────」
身体が引き寄せられるような強烈な力。世那は慌てて術式を行使して防御した。
「術式順転「蒼」」
呪霊は祓われた。HR棟三階の半分ごと。
「バッッ……カ!! やりすぎだ!!」
「はァ〜? 別によくね? どうせ解体に金かけらんなくて放置されてんだろ? いっそ更地にしちまったほうがエコじゃん」
「だからって余計に一般人の恐怖を煽るようなことしたら本末転倒だろって話!」
「あーあー聞こえねー」
それより良いの、と悟は世那の後ろを指差した。
「まだ呪霊居るけど?」
振り返ると確かに呪霊が居た。世那は怒りのまま拳を振り上げる。
「防壁「
一見空振りしたように思われた拳は、しかし呪霊に攻撃を通した。
防壁呪術。非常に硬い壁を生み出すことのできる、防御特化の術式だ。術式の範囲にこれといった制限は無いが、遠いほど目算がズレる可能性があるため、実質目視できる範囲が術式を行使できる範囲になる。
世那は拳に防壁を纏わせて殴ったのである。堅さがあるのでただ呪力を込めて殴るより威力も高く、手も傷付かない。
「防壁呪術って後方支援特化の術式じゃなかったっけ? ……まあいいや。四級のわりにはやるじゃん」
体育館行こうぜ、と言う悟の言葉に頷き、崩壊した壁から飛び降りた。
「オマエ、術式の割に脳筋だな……」
大抵の攻撃は守れるからこその脳筋とも言える。
体育館前に到着したが、傑と硝子はまだ来ていない。あの二人は悟のように索敵の手段を持たないので、教室をひとつひとつ見て回っているのだろう。
「体育館には呪霊居そうか?」
「いんや。でもプールのほうにデケェのが居る」
「先に祓っちゃう?」
「んー……傑欲しがりそうだし待とうぜ」
つまり、そこそこ強そうなやつということだ。
少し待つと二人がやって来た。悟がプールに呪霊が居ると告げ、四人揃って向かうことになった。
プール場に行くとまるで出迎えるように呪霊が姿を現した。ヘドロの塊のような姿をしている。プールそのものがビオトープと化していたため、飛び跳ねる水もかなり酷い。世那は防御する方法のない傑と硝子の前に防壁を張った。
「うへえ。汚ねえな」
「傑ぅ、アレ取り込むの?」
「…………」
世那に問われた傑も非常に微妙な顔をしていた。
防壁を纏って殴ってみるが、身体が流動体なせいか効いている様子が無い。弱点である頭部の位置さえ常に動いている。傑が念のため取り込もうとして失敗しているのを見るに、三級以上であることは確定だ。二級術師の傑は自身より二級以下の四級呪霊なら無条件で取り込める。
「物理攻撃は通らないっぽい」
「やっぱ「蒼」で更地にするしかなくね?」
「できれば取り込みたいな」
無茶を言う。
「硝子」
世那が後方で待機している硝子に目を向けた。
「…………え、めっちゃ嫌な予感する」
「アレに反転流し込んで。頭部はウチが閉じ込める」
家入硝子は使い手の少ない反転術式使いであり、その中でも更に珍しい反転術式のアウトプットができる術師だ。負の属性を持つ呪力に更にマイナスを重ねることで正の呪力を生み出し、人間には回復、呪霊にはダメージを与えることのできる高等技術。現在術師に反転術式のアウトプットが行える者は硝子以外居らず、夜蛾や悟でさえ反転術式を使えないと言えば、その難易度の高さがわかるだろう。
「私前線張るタイプじゃないんだけど」
「何言ってんの。反転術式のアウトプットなんて対呪霊兵器だろ。触ったら勝ちなんだから」
攻撃は全部ウチが防ぐ。世那がそう言えば、硝子はぎゅうと眉を寄せ、絞り出すように答えた。
「ヤバくなったらちゃんと守ってよ」
「当然!」
同時に走り出し、世那が防壁の足場を作って呪霊へのルートを確保する。
黒いヘドロに硝子の指先が触れた。
「…………ッ……!!」
「防壁!」
呪霊の肉体が弾け飛ぶ。想像通り、呪霊は弱点を硝子の手から最も離れた場所へ移動させていた。反転術式をモロに受けるのをギリギリのところで避けた呪霊の頭部が飛び出し、世那はそれを防壁で閉じ込めた。
衝撃で投げ出された硝子を傑が受け止める。世那も遅れて転がるようにプールサイドに戻った。
「い、生きた心地しねえ〜……」
「意外だな。硝子、思ったより戦えるじゃないか」
「柄じゃないよ、こんなの」
「傑、早くして。抑えんのキツい」
「はいはい」
防壁の中でぐねぐね動く感覚があって非常に気持ち悪い。
傑が手をかざすとヘドロ呪霊は黒い玉と化した。それを見届けて防壁を解除する。
大きく開けられた傑の口に呪霊玉が飲み込まれる。嚥下する様子に世那は「オエッ」と舌を出す。
「飲み込むとこ初めて見たけど、呪霊玉デカくない? よく喉通るね」
「そう? 大きさはあんまり気にしたことなかったな」
だって喉を通る呪霊玉の形がわかるレベルなのだ。プチトマトサイズの固形物の丸呑みも相当キツいのに、軽く握れるサイズ感の呪霊玉なんてそもそも身体が拒絶反応を起こして飲み込むまでいかなさそうだ。
炎を扱う術式の持ち主は自然と炎に耐性を付けているように、呪霊操術の術者も呪霊玉を飲み込めるよう適応しているのだろうか。それとも実はやわらかいとか。
「……悟はどこに?」
言われて見渡すと、彼はマンホールの蓋を開けて何やらゴソゴソしていた。
「五条何してんの?」
「見てろよ。たぶん出てくるから」
マンホールの中にはバルブがあった。排水バルブだ。
数分待つと水が抜け、底に沈んでいたものが現れる。
「うお……」
「死体か。とっくに白骨化しているね」
「どころかもうほぼ呪物だな」
「これが呪霊のもとなの?」
「引き寄せてたことは間違いねえな。世那、回収しろ」
「へーへー」
防壁を上手く使って触れずに回収する。硝子が目ざとく「女の子の骨だね」と言う。
「わかるんだ」
「大きさと骨盤の感じからして」
夜蛾の元に戻ると、「遅かったな」と言われた。
「デケェのが居たんだよ。二級いくかどうかぐらいの。ありゃ前の巡回で見落とされてんな。節穴だろ」
「呪物らしきものも回収しました」
「回収したのはウチな」
「そうか。よくやった。……ところで」
夜蛾の親指が半壊した校舎を指す。
「あれは悟だな?」
「決め付けるのは良く無いと思いまーす!」
「悟です」
「世那ァ!!」
当然、悟には教育的指導が下された。
加乃舌 世那
1989年12月26日生
185cmぐらい
関東出身
好きな食べ物:チキン南蛮、チョコがけポテチ(複数の味がするものが好き)
嫌いな食べ物:軟骨、ホルモン(飲み込むタイミングがわからないから)
趣味・特技:ゲーム、ネットサーフィン
ストレス:察してちゃん
生得術式:防壁呪術