反転術式は負のエネルギーを掛け合わせることで正のエネルギーを生み出し、自己の回復や生得術式の幅を広げるのに大いに役立つ高等技術である。ただセンスによるところが大きいので、習得の難易度は高い。硝子曰く「ひゅーっとやってひょいっ、ひゅーひょいっ」とのことだが、世那も死の淵で呪力の核心に触れるまではさっぱりであった。術式反転についてはまだ試行錯誤中である。
呪力とはヘソの下、丹田のあたりから生み出すものだ。「腹の底から湧き上がるような怒り」みたいな表現があるが、まさにそれに近い。反転術式は腹の底から生み出した呪力を、脳に送り込んで制御、変換することで正のエネルギーを生み出すのだ。生得術式が肉体に刻まれるのか脳に刻まれるのか、どちらか片方に刻まれているのが呪具のようにもう片方にも馴染んでいくのかは諸説あるとして、脳は呪力と深い関係があることには違いない。
脳に送った呪力をどう正のエネルギーに変換するかだが、こればかりは感覚としか言いようがない。世那としては電動ミキサーでかき混ぜるような感覚に近い。負の呪力の衝突で起きるものなので、反転術式を扱う際はわりと勢いが大事な気がしている。とりあえずは、脳に呪力を通してこねくり回すことが反転術式習得の第一歩ではないかと思う。
「……あくまで個人的見解だけど」
「想像の百倍はまともで驚きました」
恒例になりつつある傑との特訓の最中に反転術式の話になった。せっかくならばと一年の灰原と七海にも声をかけたところ、興味があるとのことだったのでこうして反転術式説明会を開いていた。場所はもちろんなんちゃって体育館と化している世那の部屋である。
スカウトで一般家庭から呪術界に足を踏み入れた七海にとって、この業界は悪い意味で驚きの連続であった。その中でも世那は、まあ、相対的に言えばマシ、という程度である。比較対象は五条悟だ。
世那は口が悪く、妙に距離が近く、戦いのスリルが好きで、若干ネットにかぶれていて、人を論破することに精を出すような人間だ。だが言っていることは常に筋が通っているし、同じく理屈っぽいところのある七海は多少彼女に通ずるものを感じることもあった。ああなりたいとはまったくもって思わないが。
「うーん。要するに、脳で呪力を変換するってことですよね?」
「そうだな」
灰原はうんうん唸りながら呪力をこねていた。何か指の先で掴めそうなのに掴めない、もどかしい感じがあるらしい。
「あとは経験だよな。黒閃打つか死にかけるかしないと無理じゃねーかな。灰原って完全に感覚型だし」
「ひゅーひょい! ひゅーひょい!」
「聞いてないみたいですよ」
「なんだかんだ死にかけたことないんだよなあ」
「呪霊操術持ってるとどうしてもな。二年全員集まって傑が死にかけるの見届けるか。ホントに死にそうになったら硝子に治してもらって、万一呪霊が出たらウチら三人ならまあ祓えるだろうし」
「ええ……それはそれでなんかヤだな……」
あぐらをかいた傑の足を世那が枕にして転がっている。この距離のおかしさにもだいぶ慣れた気がする。はじめ悟の距離感の近さを鬱陶しいと思っていた七海だったが、世那と接してすぐ彼女がすべての元凶であることに気が付いた。この先輩四人組は世那を発端として全員距離感が狂いまくっているのである。七海は灰原がそれに毒されないかが目下の心配だ。
「いやー、アンタらと任務は初めてだな」
「頑張ります!」
「はあ……」
前を歩く世那の後ろを七海と灰原がついて行く。世那としても自分が引率役の合同任務は初めてだ。とはいえ今回はあくまで万一のためのお守りであり、何事もなければ仕事は一年生の二人に任せる。
任務は調査と、可能ならば祓除まで。ふつう調査は補助監督や低級の術師がやるべき仕事だが、繁忙期となるとそこまで手が回らないため、最初から最後まで全部丸投げになることも珍しくない。
場所は関東のある田舎。その周辺地域で、最近行方不明者が多いのだという。
まずは聞き込みからですね、と灰原が元気よく腕を掲げた。
「何を考えてるのか知らないが、やめたほうがいい」
「さあ……知らないな……」
「わからないほうがいいこともある」
住民たちのほとんどが「知らない」とシラを切るか、「やめたほうがいい」と言った。間違いなく何かがある。
「良くないな。周辺住民の周知のもので扱いがアレなら、かなり負の感情を集めてるぞ」
「詳しい話を聞けたらいいのですが……」
夏。田舎。田んぼ道。次に聞き込みに行く予定の家はこの道の直線上。辺鄙な場所では家と家の間隔が非常に大きい。暑さで滲む汗を手の甲で拭った。
「ん?」
「灰原、どうかしましたか?」
「見てアレ、なんか呪霊っぽいの居る!」
灰原が指を差したほうに目を向ける。田んぼの中央で白い何かが蠢いていた。世那はその存在を認めた瞬間硬直したが、すぐにハッとして二人の首根っこを掴んだ。
「見るな!!」
ドサリと二人の身体が地面に落ちる。灰原はよくわかっていない顔で、尻もちをついたまま世那を見上げた。
「アレは「くねくね」だ。もう少し離れるぞ」
「くね……?」
「向こうからアクションを起こしてくるタイプじゃない。説明はあとで……七海?」
呆然とした七海の目は見開かれ焦点が合っていない。口が開いたり閉じたりして、顔色が悪い。
「七海、アンタ……呪われたな!」
「えっ? 七海!?」
「とりあえず来た道戻れ!」
世那は七海を抱えて走った。灰原が並走しながら「七海!」と不安そうに呼びかけている。
「オマエたち……まさか……見たのか! アレを!」
全速力で戻ってきた世那たちに、先ほどまで話を聞いていた住民の男が声を荒げた。
「今まで何人呪われた!」
息を荒げながら世那が聞く。
「いや、違う。今まで何人放った!」
男は突然のことに狼狽えながらも答えた。
「俺の知っている限りでは、三人……」
世那は舌打ちして、また少し離れたところにある古びたバス停のベンチに七海を寝かせた。住民の男は心配そうについてくるそぶりを見せたが、「アンタも呪われたくなきゃ逃げな」と言うと素直に去って行った。
「あの、加乃舌さん、七海は……」
「このままじゃ半呪霊化する」
ヒュ、とちいさく息をのむ音が聞こえた。
くねくね。それは二、三年ほど前からインターネット上でにわかに話題になっている怪談だ。
それは田んぼや川の向こうに見える黒または白のくねくね動く存在であり、認知すれば精神に異常をきたすと言われている。くねくねを認知した兄が同種の存在になってしまい、こうなってしまってはもうほとぼりが冷めたあと野に放すしかないだろう、と祖母が言った、という話が残されている。
「元はネット上の創作のはずだが……まァ、こういうのは卵が先か鶏が先かっつー話だな。最近じゃ珍しくもねーけど」
「すごい詳しいですね」
「掲示板とかけっこう見るし。人がレスバしてんの眺めンのおもしれーぞ」
「れすば……?」
掲示板のことはともかくとして。世那は話を続ける。
「アイツの言ったことが本当なら、くねくねはオリジナルと被呪者合わせて最低でも四体は居る」
「……!」
「このままだと倍々ゲームで被害者が増えてくぞ」
「七海は戻るんですか?」
「さっきのヤツを祓えれば、なんとかなるとは思う。……灰原、アイツを見た時どうした?」
「えっ……と、見た瞬間ヤバい! とは思いましたけど、こう、頑張って抵抗しました」
「術師ならある程度呪力で防御すりゃダメージは抑えられるだろうな」
呪言も耳と脳を呪力で守ればある程度防げるように、くねくねの攻撃も呪力で対処可能だ。七海は結界も苦手だし、こういった器用な芸当は得意じゃない。だから呪われてしまったのだろう。
「まず間違いなく術式を持ってる。正直悟呼ぶのが確実なんだが……それじゃ間に合わねーな」
認識した相手の精神に作用し、同種にする術式。怪談のエピソードを考えれば、その場から動かないこと、自分から直接攻撃をしないことが能力の底上げになっているのだろう。ここら一帯の負の感情を溜め込みまくっているのもある。視界の端に入るくらいなら非術師でも問題はない。見なかったことにして放置すれば対策したことにはなる。根本的解決にはならないが。
大元の話ではたしか数日で呪霊化するのだったか。具体的な時間はわからない。ただ悠長にはしていられないだろう。今現在も七海は真っ青な顔で苦しみに喘いでいる。
「灰原。七海のこと見てろ。万が一の時は……覚悟しとけよ」
万が一。それは、もし七海が呪霊化した場合だ。あまり考えたくはないが、予断は許されない。灰原は泣きそうに表情を歪め、しかし、返事はしなかった。友達が助かるという可能性を捨てたくはなかったから。
「ウチはアイツを祓ってくる。高専には一級相当の呪霊が推定四体居るって伝えといて」
「でも先輩……!」
世那は等級としては二級の術師だ。一級の呪霊相手ではタダでは済まないはず。そんな考えが顔に出ている灰原に、世那は口の端を上げて笑った。
「大丈夫。ウチ、最強だし」
反転術式、脳で呪力を練ってるのか腹で練った呪力を脳で変換してるのか、いまだによくわかりません。このシリーズでは後者を採用しています。