帳を下ろし、未だ不可解な踊りを続ける呪霊に目を向ける。分類するなら仮想怨霊になるのだろうか。世那はすこし近付いてみた。
視認しているだけですさまじい情報量だ。精神汚染系の能力なのだろう。結界を織り交ぜて呪力で脳を守っていなければ確実に呑まれていた。
「近付きすぎると危ないな。コレを試すのにもちょうどいいか」
実践投入するのは今回が初めてだ。こんな状況だというのに世那はすこしワクワクしている。ごめん七海、でも絶対祓うから、と言い訳をした。
右手を天に掲げる。
反転術式を会得してから、術式反転についてずっと考えていた。前後が入れ替わっただけの単語だが、その中身はまったく違う。自己回復手段である反転術式に対し、術式反転は正の呪力を利用し生得術式に反対の効果をもたらすものだ。順転が収束の「蒼」、反転が発散の「赫」である悟の能力は非常にわかりやすい。
では防壁呪術はどうだろう。絶対的な防御力を持つ壁。それの反対。世那はうんうん頭を悩ませた。術式は解釈次第。世那がありえると思えばその通りになるし、ないと思えばないものである。要は無理矢理納得できる理論を捻り出せばいいのだ。それが難しいから悩んでいたのだが。
「術式反転「
矛盾という言葉がある。「どんな盾も貫く矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を売る商人が、客に「その矛で盾を突いたらどうなるのか」と聞かれ、答えに困窮したという故事成語である。
その言葉の意味は別にどうでもいい。大事なのは、「どんな矛も防ぐ盾」の対になるものは「どんな盾も貫く矛」であるということだ。絶対的な防御を誇るこの盾を反転させたものは、絶対的な攻撃力を誇る矛であるべきなのだ。
呪力は馬鹿にならないほど消費する。どれだけ絞り出したとしても、今の世那では一日に一本が限界だろう。そして、防壁の硬さを捨て去ったがゆえにありえないほどに脆い。おそらく、横から攻撃を受けたり、角度や速さが足りなかったり、天候など環境次第ではあっというまに崩れる。しかし、その破壊力は段違い。正面から受ければまず無事では居られまい。
右手に生成されたその槍は、勢いよく射出され。白い怪物を貫きながら崩れていく。
ぐんと減った呪力に暑さとはまた別種の汗を流しながら、世那は満足気に笑った。試行錯誤のすえに己の期待した通りの結果を得られたのである。
七海の呼吸が目に見えて穏やかになった。灰原がふと田んぼ道の方向へ目を向ければ、下りていた帳が消えていくのが見えた。世那はくねくねの祓除に成功したのだ。
ほっとしたら目の奥があつくなってきて、灰原はズズと鼻を啜った。
「七海ぃ、よかったあ……」
「まだ解決はしてねーよ」
「あ、加乃舌さん!」
戻ってきた世那の目はガン開きで興奮気味だった。わー、愉しかったんだろうなあ。灰原はそう思ったが口には出さなかった。
「一旦戻ンぞ」
最低でもあと三体のくねくねは場所がわからない。その場からほとんど動かないので聞き込みをすればある程度絞れるだろう。場所によっては住民の避難などもする必要がある。これは補助監督の仕事なので世那たちはひとまず帰って情報を共有せねばならない。
世那は七海を軽々と抱え、足早に歩いて行った。彼女とほとんど身長の変わらない男であり、灰原でさえ持ち上げるのはそこそこ苦労する相手なのに。すごいなあ。純粋にそう思いながら、灰原は世那の後を追った。
「へえ、あれが」
「ちゃんと呪力で守らないと飲まれっからな」
「七海じゃあるまいし、その程度はね」
木の上から白く踊るその呪霊を見やる。推定一級相当の仮想怨霊「くねくね」だ。あれから聞き込みや調査、住民の避難などを経て、ようやく残り三体の居場所が特定できた。
豊かな農耕地のため更地は勘弁とのことで、こうして一度祓除に成功した案内役の世那に傑が付いてきたのである。世那の術式反転「砕槍」では更地になるし、一日に三体も祓えない。その点傑ならば安全圏に立ったまま呪霊操術でなんとかなるだろう、というわけだ。
サラッと七海を侮辱した傑の発言をスルーして、世那はくねくねに目を向ける。傑が一級相当の呪霊を出して向かわせた。
呪霊操術は呪霊の呼び出しにのみ呪力を消費する。基本的には呪霊自身が持つ呪力で大抵のことは成せる、極めてエコでレアな術式である。
「おっ……と。さすがに補強しないとキツいね」
くねくね自身は無抵抗だ。しかし向かわせた呪霊が飲まれかけたようで、傑は手を前に突き出して呪力で補強した。ただ無抵抗なおかげであっけなく捕まる。
能力はやっかいとはいえ対処さえできればそう難しくない相手だ。ネット上で有名になった都市伝説系の呪霊はそういうものが多い。たいていはエピソードとして弱点も記されているし、なによりそういう呪霊は負の感情を集めても「畏れ」はない。所詮娯楽として消費される存在。根源的な人間の恐怖には劣るのだ。
くねくねを捕まえて運んでくる呪霊を薄目に見ながら、傑はそれを呪霊玉にした。
いつものように結界を張ってあげようとしたが、その前に傑自身が呪霊玉に結界を張った。
「で……きた?」
「すげー、できてる、できてるぞ!」
呪霊玉に合わせた無理のないサイズ感。傑は己が張った結界に包まれた呪霊玉をしげしげと眺め、ごくりと飲み込んだ。見開いた目にじわと涙が滲んだのが見えて、世那は笑顔で傑に飛びついた。
「やったじゃん! さすが!」
傑にそこそこ結界術の才能があるとはいえ、正直もう少しかかると思っていた。この数ヶ月日夜努力した甲斐があったというものだ。
それから。残りの二体も難なく取り込めた。黒い個体が親玉だったのか、取り込んだあとに「こいつが一番強いね」とこぼしていた。ただ、戦闘に使えるかというと微妙らしい。その場からは動けないし、あの精神攻撃は無差別なのだという。
もしかするとまだくねくねが存在するかもしれないが、これ以上はキリがない。また発見報告があり次第になるだろう。
高専に帰還して医務室に寄ると、ちょうど七海が目覚めたところだったらしい。起きたばかりなのだろうか。身体を起こしたままの状態でぼんやり虚空を見つめていた。
「起きたか。硝子呼ぶわ」
そう言うとぼんやりとしたままの七海がこちらを見た。世那は硝子に電話口で七海が起きたことを伝える。ちょうど任務が終わって帰るところだったらしい。
「……私は……」
「丸一日寝てたよ。呪霊は祓った。灰原は今日も元気に任務行ってる」
「……そうですか」
端的に告げれば、七海は礼を言って頭を下げた。
「七海は全体的にセンスねーよな。もっと呪力操作磨けよ、もうすぐ交流会あんだし」
「目覚めてすぐそれですか……」
たっぷり寝ていたというのに、彼はもう疲れたようにため息を吐いた。
夏の繁忙期も終わりが見えた今日このごろ、もうすぐ京都姉妹校交流会がある。呪術高専は京都と東京の二校。出られるのは二年と三年のみで、経験のない一年と卒業間近の四年は基本不参加。年に一回の交流会の場で互いを知り切磋琢磨し、活躍次第では昇級の打診も受けられるイベント。……というのは建前で、実際のところは犬猿の仲である両校の潰し合いだ。去年の一年で唯一治療に引っ張り出された硝子がそう言っていた。
ただ、現在東京校には三年生が居ない。去年は元気に交流会に出ていたはずなのだが、この一年で殉職なり引退なりしたらしい。おかげで七海と灰原が引っ張り出されることになった。京都校に比べると人数不利ではあるものの、悟と傑が居るので多少の人数差には目を瞑られている。
「加乃舌さん」
「ンだァ?」
七海はもう一度世那に頭を下げた。
「……よろしくお願いします」
瞬きをひとつ。ク、と喉を鳴らす。
「いいぜ、そういうのは嫌いじゃねーよ」
頭を撫でると、「やめてください」と無慈悲に払われてしまった。残念だ。