「俺、高専の教師になるわ」
悟がそう言い出したのは、唐突……と言うわけでもなかった。酸葉の思惑、上層部の介入による灰原と七海への等級違いの任務の斡旋、傑の連れてきた双子の姉妹。そうした事件が重なって、悟も単純な呪術師としての強さとは違う、組織立ったものの勢力だとか、権力だとか、そういったことを考えはじめていた。
「硝子は卒業したら高専の校医になんだろ?」
「大学は行くつもりだけどね」
「じゃあ四人で高専で働こうぜ。な」
世那は報告書を書きながら「パス」と答えた。寝転がって漫画を読んでいる傑も「私もパスで」と世那に続く。
「なんでだよ! 世那説明上手いし教師向いてるじゃん! 傑も呪術界変えたいって言ってただろ、俺と一緒にやろうぜ」
「教師とかガラじゃねーよ」
「私は私でやりたいことがあるからね」
聞けば、傑は高専とはまた別に中立の組織を作りたいのだという。
高専はあくまでもその名の通り15歳からの青少年に門戸が開かれた場所だ。15歳にもなれば、突発的に術師として目覚めるレアケースを除けば、最低限度の自衛ができていることがほとんどだ。戦う術までは持たずとも、呪霊を刺激せずにその場をやり過ごす程度は普通にこなせる。その裏で、まだ十にも満たない少年少女が視えることの危険性を知らずに呪霊と接触し死亡する、はたまた周囲から迫害を受ける、などといったことは珍しくない。
なので、傑は高専入学前の年齢の子どもを主な対象とした施設を作りたいのだと言う。その考えにはつい先日任務終わりに連れ帰った双子の姉妹のことも関係しているのだろう。閉鎖的な村で、視えるがゆえに檻の中に閉じ込められていた幼い少女。正義感の強い傑がそうした考えに至るのもおかしくはない。
「悟が内側から変えるなら、私は外側からアプローチするさ。君が高専の教師になるならもちろん協力しよう。私のやりたいことに、高専との連携は必要不可欠だからね」
その言葉に悟は納得したようだった。違う道を選びながらも同じ目的を持って前を進むことを選択した傑の意思は好ましいものだったのだろう。
「で、世那は?」
そしてまた自身に矛先が向けられる。世那は書き終えた報告書を端に寄せ、そのまま仰向けに寝転がった。
「なんもしねーよ。ウチはやりたいようにやる。高専所属の呪術師としてほどほどにやってくよ」
「えー……」
「悟がなんか手伝って欲しいっつーなら暇な時ぐらいは手ェ貸してやるよ。それでいいだろ」
悟は頬を膨らませてぶすくれていたが、世那が取り合わないので渋々諦めたようだった。なお、この時の会話を言質にことあるごとに高専に呼ばれる羽目になるのはこれから数年後の話である。
高専の教師になると言い出してから、悟は口調の矯正をはじめた。以前傑に注意されたのもあったのだろう。急に「僕」と言い出し柔らかい語調で話すようになった悟に、高専の人間はみな鳥肌の立った腕をさすっていた。
これに焦りを覚えたのは世那である。
世那とて自身の粗雑な言動が好まれないことを重々承知している。しかし悟という世那を遥かに上回るクソ言動の主が居たため、相対的になんとかマシに見えていた。悟が傑から注意を受けた当時には口調を直さなかったので、それに余裕ぶっこいていたのである。
「わっ……わた、わたし、は! 卒業までに喋り方を直し、ます……!」
真っ赤になってブルブル震えながら言うので、その宣言を受けた親友三人は大笑いした。
「に、に、似合わね〜!!」
「元はと言えば! 悟! アンタが! ウチっ……わたしを! 裏切るからだろ!」
「別に裏切ってないけど〜? 僕は反省したんですぅ」
「がっ……ぎっ……ぐっ……」
「がぎぐげご? 急に日本語の勉強はじめてどうしたの?」
「ブチのめす!!」
教室を飛び出した二人と入れ替わるように夜蛾がやって来た。
「……アイツらは何をやってるんだ?」
「はーあ、笑った笑った。くだらないことですよ」
「反省したとかよく言うよ。悟はアレだから、やっと外面を覚えただけだからね。むしろ前よりタチ悪くなった」
「夏油に似たんでしょ」
「いやいや、あの煙に巻くやり方は硝子譲りだろ」
「……は? どこが?」
こちらもこちらで喧嘩の予感を察知した夜蛾は問答無用で教育的指導を下した。一年のころは硝子も問題児ながら面倒事は一目散にズラかるタイプだったというのに、いつのまに喧嘩を買うようになってしまったのか。問題児集団ゆえに特例で卒業までずっと彼らの担任にさせられている男は、深い皺の寄った眉間を揉んだ。
防壁の展開されたグラウンド。夜蛾立ち会いのもと、世那たち四人の全力の戦闘が認められた。そこには灰原と七海、そして伊地知が見学に赴いていた。
「五条さんと夏油さん、加乃舌さんと家入さんの二対二だっけ?」
「家入さんはどこまで戦えるんでしょうね。交流会も明らかに手抜きでしたし」
灰原は等級違いの任務の際に瀕死の重傷を負ったのだが、死に際の土壇場で反転術式を習得して元気に呪術師を続けている。顔に傷は残ってしまったものの、これはこれでカッコいいと素直に言うものだから、七海はもう心配を通り越して笑ってしまった。術式を持たない灰原が反転術式を使えるようになったのは素直にいいことだ。いつかの時に反転術式説明会を開いてくれた世那には、少しだけ感謝している。
「夜蛾先生! 合図をお願いします!」
世那がそう言って手を振る。笛を持っていないので、夜蛾は大声で「はじめ!」と言った。
戦いが開始してすぐ、場は悟対世那と傑対硝子の構図になった。
悟と世那は初っ端から領域勝負に入ったが、やはりと言うべきか悟の領域は数秒と経たずに押し返された。予想はしていながらもまさか本当にここまであっさり押されると思っていなかったのだろう。悟は慌てて落花の情を使用し、騙し騙し必中攻撃をいなしながらの戦闘となった。
対して傑と硝子は呪霊も入れての肉弾戦になっていた。誰もが傑に分のある勝負だと思っていたが、想像以上に硝子が善戦している。というか、押してすらいる。
「うわ、すごっ。人の身体ってあんなに曲がるの?」
「女性のほうが柔軟性はあると言いますが……」
「というか、家入さん、怖いね。どこから動くのか全然わかんない」
戦闘の際、多くの場合は「自分が相手の立場ならこうする」と考えて動くだろう。つまり、シュミレーションする相手の動きは、どうやっても自分の想像の範疇を超えない。硝子はそこをやすやすと飛び越えてくるのである。
回し蹴りを放ったらありえない角度の上体逸らしで躱されるのである。これには傑も仰天した。人間が曲がっていい角度ではない。身体の柔軟性には男女差があると言っても、まさかここまで柔らかいとは。女性にしては筋肉のしっかりついた世那にはできない芸当だ。
そのうえ、彼女の構えは構えではない。一見隙だらけにさえ見えるその立ち姿は、灰原の言ったようにどこから動くのかわからないのだ。普通戦う者の構え方は身を屈めて拳を胸元に掲げたりして、どこに力が入っていて、向かっていけばどう動くつもりなのかがある程度予測がつく。硝子にはそれがないのである。弛緩と緊張。筋収縮による瞬発力を利用した攻撃。これは人体を知り尽くし研究した彼女ゆえのスタイルである。
硝子の反転術式アウトプットは手持ちの呪霊には痛い。となれば、呪霊の領域展開を狙うか、傑自身の肉弾戦をメインに据えるかの二択である。
傑が次の手をどうすべきか考えながら動いていると、世那の領域が割れた。中から現れた彼女の消耗具合を見るに、領域内で悟の技を食らったのだろう。
「ハア!? 普通領域展開後は術式使えねーだろーがッ!!」
「治したんだよバァカ!!」
「二人とも、口調戻ってるよ……」
呆気にとられた隙に硝子が二人のほうへ飛び出した。すかさず世那に反転術式を施す。
世那の呪力量は有限。領域展開もこのあと一回でもできるかわからない。ならばコストを食う反転術式は硝子が補う。
硝子は呪力出力こそ並だが、総量は多い部類だ。そして詰め込んだ医学知識により、呪力消費を極限まで抑えて効率的に反転術式を行使する。
「傑、もしかして結構ヤバめ?」
「正直ちょっと見くびってたね」
回復役と盾役。かつて継戦能力最強と称したことがあったが、それをまざまざと実感させられる。
自然と二人の立ち位置が逆転する。
反転術式で脳を無理矢理回復させた悟は、再び領域を展開した。生得術式のない硝子にはまず回避できないだろう。
「「簡易領域」」
「マッッ……ジか!」
と、思っていたが。おそらく世那が教えたのだろう。シン・陰流のそれとは違う独自の簡易領域。それは確実に悟の術式を無効化する。
無量空処の必中効果は対象に無限回の作業を強制させること。普段悟がオートで展開している基本の無下限ではない。
つまり、触れられるのである。そして、この領域内で悟に触れた相手は術式対象から除外される。領域展開を行なっている時点ですでに術者は「術式を使用している」という判定になるため、押し合いで術式が相殺されていない限り術式による他の能力は使えない。そもそも普通は領域を展開しきったほうがそのまま勝つのだ。そこから粘るほうがおかしい。
簡易領域で悟に接近するまでの時間を稼いだ硝子は、悟に掴みかかった。ちょうど簡易領域も剥がれ落ちる。
もともと帳を下ろす才能も無かった。三年間の努力でほんの数秒の簡易領域。それも、「展開中は攻撃ができない」などの細かい縛りを入れてやっと。その場しのぎ。だがそれで充分なのだ。
硝子の握られた拳が迷いなく鳩尾に入る。掴まれた腕を引き剥がそうとするが、上手い具合に身体に触れられ続けている。らちがあかない。悟は膝を上げて硝子の肘を本来とは逆の方向に曲げた。骨の折れる嫌な音に、ありえないひしゃげかたをした腕。やり過ぎたかもしれないと思わず焦る。
「間抜け」
それでも硝子は触れた手を離さなかった。再び握られた拳が悟の脳を揺さぶる。
そして、ついに限界を迎えたらしい硝子の身体がふっと離れた。無量空処を受けた彼女が完全に静止したのを見て、領域を解除する。
ほとんど同じタイミングで勝敗が決したのだろう。世那が傑を転がしていた。
「悟、一杯食わされたか」
ニヤけた笑みで世那がそう言った。
相手が硝子とあって無意識のうちに手心を加えていたのも否定できない。しかし、それを言い訳にするのは格好がつかないので、悟は素直に頷いた。
「ここまでできるとは思わなかった」
悟に触れて攻撃を与えられる術師はそれほどまでレベルの高い存在なのだ。最低でも簡易領域ができることが求められる。一級術師の中で何人が簡易領域、または領域展開ができるだろう。
生得術式がなく、もともと結界術の才能にも乏しかったあの硝子がだ。
「僕の見てないトコで努力してんじゃないよ」
「理不尽言うな。硝子はこのために死ぬ気で頑張って来たんだから」
「やめろ、恥ずかしい」
いまだぼんやりとしているようだが、硝子がのっそりと起き上がった。折れた腕がみるみる治っていく。
「……オマエらにだけ先は行かせないよ。私も居るだろ、この馬鹿どもめ」
そうこぼした硝子に、三人は顔を見合わせてクスクス笑った。
「硝子も馬鹿だなあ。僕ら最初から置いて行ってなんてないだろ」
「……ハ、どうだか」
「いや、でも本当にビックリした。敵ながら硝子の身体がどうなってるのか心配になったね」
傑がそう言うと硝子が座ったまま足を180度に開き、上半身をぴったりと地面にくっつけた。この時点で十分にすごい。が、そこから更に下半身を持ち上げ、顔の横にひっくり返るような形で足が着いた。
「エ!? キモ!! キモすぎ!!」
「…………す、ごいね」
「硝子がドン引きされてる光景って新鮮だな」
思わず写真を撮った。
「家入さん! 家入さーん!!」
やや遠くのほうから灰原の叫ぶような声が聞こえた。そういえばギャラリーが居たのだ。そちらに目を向けると、灰原は両手で顔を隠し、七海と伊地知、夜蛾は後ろを向いていた。
「パンツ! 見えてます!!」
「あ」
硝子の制服はスカートである。いくらタイツを履いているとは言え、このポーズは明らかに開脚して見せびらかす形になっていた。硝子はぐっと下半身に力を入れ、頭を足の間にくぐらせて上半身を起こす形で立ち上がった。
「キモ!!!」
「……………、」
まったく力の籠っていないパンチが悟の腹を襲った。
自分だけはまともなつもりでいたのだが、この三人の距離感に完全に毒されているのかもしれない。
硝子は「やってらんね〜」と息を吐き、ポケットからくしゃくしゃに折れた煙草を取り出した。
硝子も胸を張って三人の横に並べるようになってほしい。そんな気持ちです。硝子的には強くなって並びたいというよりシンプルに一発殴って目にもの見せてやりたいという感じかもしれない。
パワーバランスとしては
五条とオリ主→領域ではまず五条が負けるが、最終的には呪力切れでオリ主が負ける。
夏油とオリ主、夏油と五条→いい勝負。勝ったり負けたりする。
硝子→三人には最終負けるが、わりと一矢報いる。灰原や七海とはいい勝負になりそう。
ぐらいの想定です。