ぐ、と布地を引っ張る。しかし体勢もあってかうまくいかない。
「伊地知、手伝ってくれるか?」
「ヒェッ、アッ、エッ、無理です!」
「……まあきみじゃ力不足か。悟か傑呼んで来てくれ」
無理だと言ったのは力が足りないからではない。いや、伊地知にパワーがないのは事実だが。
今回の任務は潜入。一般社会の闇オークションにて呪物が出品されるという情報を入手した。裏社会を一般と表現するのもおかしな話だが、要するに呪術界とは関係のない場所で呪術に関連する物の出現が予想されたのである。そのオークションでは以前から時折呪物が流出することがあったらしく、今回の情報で呪詛師の介入の疑いが濃厚になった。
第一優先は呪物の回収。呪詛師の捕獲はできる範囲で。
闇オークション、それも潜入してうまいこと呪物を回収するとなれば、それ相応の準備が必要だ。となればやるしかない。変装を。
そんなわけで世那は男装することにした。世那も今や呪術界ではそれなりに名の知られた存在なのだ。……というのは建前で、本音は単純に面白そうだからである。
世那は筋肉質で長身で男勝りではあるものの、誰がどう見ても女性だ。その最たる理由は彼女の服を押し上げる豊満な胸部である。それを封印するべく固めな素材の専用の布で潰そうとしているのであった。だがホックとファスナーの二段構えのサラシは自力で装着するには難易度が高かった。
付き合わされる伊地知としてはたまったものではない。出発予定時刻になっても来ないと思ったら上半身裸で服と格闘しているのだ。なんのためにわざわざ部屋の扉をノックしたのか考えてほしい。裸なのに入室許可を出すな。
伊地知に呼ばれた悟は非常に面倒そうにしていたが、世那が変装していると聞いて嬉々としてやって来た。
「何、前閉められないの?」
「頼む」
悟は世那の前に立ち、両側から布を強く引っ張ってホックをかけた。外側の布も引っ張ってファスナーを引き上げる。同級生の女子の裸を前に淡々としすぎている。世那が風呂上がりに裸で歩き回るタイプであるがゆえに見慣れていることを伊地知は知らない。
ようやっと胸を抑えることに成功した世那は用意していた服を手に取る。服装の規定はないらしいが、こういう場ではそれなりの格好をするものだ。ただ胸はともかく尻はどうにもできないので誤魔化しのきく袴を履いた。着ている途中で気になったのか悟が帯を奪い、結局最後まで着付けを手伝ってもらうことになってしまった。さすが由緒ある御三家の出身。手慣れている。
「うん。いいんじゃない? 男前じゃん」
ちょこんと纏められる程度の長さになっている世那の髪でも、解いて後頭部に撫で付けるようにセットすれば長さもさして気にならない。念のため少し掘りが深くなるようにだけメイクもして、元より顔立ちが中性的なのもあって見事な出来栄えになっていた。横に並ぶ伊地知が世那より小柄で細っこいのもいい引き立て役として機能してくれるだろう。
「よし。待たせたな、伊地知。行こう」
「ア、ハイ……」
「お土産よろしく〜」
悟の声援を背後に高専を出た。なお、任務先は都内なので期待しているような土産は得られないだろう。
オークション会場は表向き個人の美術展としてカモフラージュされているらしく、現場にはご丁寧に看板まであった。
伊地知がチケットを二人分出して受け付けに渡す。チケットの入手にはそれなりの条件があるようだったが、そこは冥冥がなんとかしてくれたらしい。彼女は呪術規定に抵触しない範囲ならばある程度グレーなこともやってくれる。あとは金額次第。今回のオークションで呪物を真っ当に競り落とすことはできる限りしない方向でというお達しがあったので、何があったかはお察し、というヤツである。
世那の付き人という役でスーツを着た伊地知はビクビクしながら周囲をキョロキョロ見渡している。こんなのでも元は術師志望だったのだから驚きだ。高専在学中は呪力操作の訓練や自衛手段を増やすことも兼ねて、補助監督志望でもある程度は任務に行くことにはなっている。もちろん等級が低く、同行者がいる場合に限る。今回はあくまで呪物回収がメインのため彼の同行も許可されたのだ。
建物の中はそれこそ本当に何らかの展覧会のようだった。ただ、実際の物品は展示されていない。写真と説明文だけが等間隔で飾られている。各所に点在しているスタッフに声をかけ、希望金額を伝え、最終的に一番高い値を提案した人に売却する形になるらしい。客同士の揉め事を回避するために誰に売ったかは秘密で、物品のやり取りは別室で行うそうだ。
これには世那と伊地知も焦った。
元は呪物を購入した人物に接触し、交渉なり奪い取るなりして回収する予定だったのだ。経験のない二人には、オークションというものは舞台上で司会が仰々しく商品を紹介し、観客が「100万!」「200万!」とか言っているようなイメージしかなかったのである。完全に予想外の展開だった。なぜオークションの流れを事前に説明してくれなかったのか。呪術界そういうところだぞ、と脳内で恨み言を吐く。
「どうしますか、加乃舌さん」
「あえて高値を提案して、別室に案内されたら支払わず奪うか?」
「闇オークションといえど、運営側はあくまで非術師ですよ。あまり強引な手段は……」
「……なら、今のうちにこっそり盗み出すか」
というか、もうそれしかない。
まずは目当ての呪物が何かを探る。これはすぐ検討がついた。説明文にも「呪いの仮面」と書かれている。人間の骨だか皮膚だかで作られたもので、被った人間の不審死が相次いでいるとかなんとか。
「あからさまですね。欲しがる人、居るんでしょうか」
「世の中には物好きも多いからな」
いわくつきのものを集めるのが趣味のコレクターさえいるほどだ。たいがいは「ちょっと動く呪いの人形」くらいのもので、呪物としての価値はそこまでないことがほとんど。しかし呪霊を呼び寄せることに変わりはないし、そうしたコレクターは質より量を集めていて、たくさん呪いをひっさげていることもままある。どんなにしょぼい呪物でも、世間のために回収しなければならないのだ。
オークションの終了まであと三時間。その後三十分で集計をして商品の受け渡しになる。
こっそり盗み出すとは言ってもどうするかと考えていると、伊地知が袖を軽く引っ張って、促すように視線を流した。
視線の先に居たのは一組の客とスタッフ。金額の提案をしているのか、なにか話しているようだ。
「いやあ。それにしても暑いですな。こんな日には冷たいロマネ・コンティでも味わいたいものだ」
「はは、贅沢ですねえ。ですが、ちょうどいい。用意がありますよ」
そう言ってスタッフ専用の扉へ消えていくのが見えた。
「……へえ。アレか、「ステーキ定食弱火でじっくり」みたいな」
「秘密の合言葉ですね」
世那は伊地知に目を向けた。それを受けて彼はなにか悟ったのか硬直し、否定するようにちいさく首を振った。蛇に睨まれた蛙のようである。
「いまのわたしはどう見てもお偉いさん。そしてきみは従者だ。なぜ主であるわたしがいちいち声をかけねばならないんだ? きみはわたしの威を借りたように堂々とすればいい」
行け。
無慈悲にそう言われ、伊地知は肩を落としながら近くのスタッフに声をかけた。
「あのぉ……すみません……」
脇腹を小突く。もっとシャッキリしろ。震える哀れな少年の喉から「ヒィ」と絞り出すようなか細い悲鳴が漏れた。
「きょ、今日は暑いですね。こんな日には、冷たいロマネ・コンティでも味わいたいものです」
「……それはそれは。贅沢ですね。ですが、ちょうど用意がありますよ」
スタッフは丁寧な動作で関係者専用の扉を開ける。促されるまま入室すると、扉が閉まるのと同時に二人の首に刃物が当てられた。
「申し訳ありませんね。合言葉は限られたお客様に、それぞれ別のものをお伝えしているのです」
つまり、同じ合言葉を使う人間が現れたらどちらかは騙りということだ。
「はは。その可能性を考えなかったとでも?」
次の瞬間、スタッフの男は気絶して地に伏していた。横を見ると伊地知が拘束していた相手の首を必死におさえ、なんとか意識を刈れたらしい。最底辺ではあるが伊地知も呪術師の端くれだ。術師と非術師の間の差はそれだけ大きいのである。とはいえそれにしても時間がかかっていたが。
「これ……呪術規定に抵触しませんよね……?」
「呪術規定9条は「非術師に呪術を用いて危害を加えてはならない」、だ。呪術は使っていないからノーカン」
「屁理屈だ……」
「なんとでも言え。バックヤードに入りさえすればあとはこっちのものだ」
世那はスタッフの男の身ぐるみを剥がし、伊地知に渡した。
「へ?」
「きみは今からスタッフだ」
着替えてスタッフになりすませということである。伊地知は本気で泣きたくなってきた。3年生にはこんな先輩しか居ない。
一本の長い廊下。その両側に扉が点在している。中は無機質な白さでありながら、築年数のせいか床や壁が剥げている。
この部屋のどこかに目的の呪物があるはず。人の気配のない部屋を開けようとしてみたが、当然と言うべきか鍵がかかっていた。
「ブチ壊すか?」
「やめてください……」
スタッフの服に身を包んだ伊地知がげんなりとした様子で言った。
付近に呪力は感じられない。呪物が近ければさすがに勘付くはずだ。とりあえず周囲に意識を向けながら手当たり次第に進んでみる。
ある扉の取手がガチャリと鳴ったと思うと、中から二人組の男女とスタッフらしき人物が出てきた。先ほど合言葉を言っていたのを盗み聞きした相手だ。再び小突いて伊地知を促すと、彼は向かいから歩いてくるスタッフに「すみませぇん……」と声をかけた。
「こちらのお客様が「呪いの仮面」を見たいと言うのでご案内しようと思ったのですが、場所を忘れてしまいまして……」
「それなら突き当たりを左ですよ」
「ありがとうございます」
教えてもらった部屋に進もうとすれば、スタッフが「あっ」と声を上げた。
「ほら、鍵。今ここ閉めるのに使ったから渡しておきます。キーボックスに戻しておいてくださいね」
「ああ……はい、わかりました……」
伊地知の顔に「関係者じゃないことがバレたかと思って焦った」と書いてあるさまがよく見える。世那はスタッフからの追及を逃れるために気の短い客を装って「早くしろ」と苛立たしげに急かした。
鍵を開けて部屋に入ると、中央に「呪いの仮面」が置かれた台座があった。近付こうとする伊地知を腕を横に出して止める。
「回収しないんですか?」
「どう見ても罠だろ」
それなりの大きさの室内の中央にぽつんと呪物があるこの状態。ゲームならまず罠を疑うべき場面である。
「せいかぁい」
背後から声。振り返れば、細身の男が伊地知を拘束して首に手を回していた。
(気付けなかった……身を隠す術式か?)
「んー……キミ老け顔だけど肌のハリはいいねえ、見た目より若いのかな? 呪術高専の子?」
そう言いながら顔を掴んで肌をさすった。伊地知は不快感を顔に浮かべて身を捩る。
「困るなあ。ここ金払いいいんだよ」
「伊地知を離せ」
「えー。離してほしくばこの件からは手を引け、さもなくば殺す、的な〜?」
ぐ、と男の手に力が入る。
「……何か勘違いしているようだが、これは交渉でもお願いでもない。命令だ」
男は正面から防壁をぶつけられ体勢を崩した。彼の手の内から伊地知を奪い取り、片手で「呪いの仮面」を掴んだ。瞬間、ブザーが鳴り出す。
「逃げるぞ」
伊地知に仮面を持たせたうえで抱き上げる。呪詛師の男も捕縛したいところだが、そうするには手が足りないし状況も逼迫している。元の依頼どおり呪物回収優先だ。
バックヤード内がバタバタしはじめた。ひとまず鍵を使って適当な部屋に入ると、世那はするりと帯を解いた。
「加乃舌さん!?」
「上着脱いでこれ羽織っておけ。わたしは制服に着替える」
脱いだ服を伊地知に押し付け、世那は素早く制服に着替えた。もちろん胸の押さえも外して。ノリでやった変装がここで活きるとは。
着物を上着がわりに羽織った伊地知の姿は、そういうファッションですと言えば通せそうな感じだ。念のため伊地知の眼鏡を外しておく。人の顔において眼鏡のもたらす情報量は多い。取られた伊地知はギュッと眉を寄せて目が見えにくそうな顔をしていたが。これで先ほどまでの大柄な袴の男とその付き人は居なくなった。
人目を避けながら移動し、窓から飛び降りて脱出した。伊地知が怯えるので抱えて行けば彼は声にならない悲鳴を上げながら一瞬だけ意識を飛ばしたようだった。貧弱すぎる。
「あれ。加乃舌が男装してるって聞いてたから、ちょっと楽しみにしてたのに」
「もう一回変装したんだ。呪詛師に見つかったからな」
「なんだ、残念」
高専に戻ると共有の休憩所で硝子がだらけていた。
「世那〜お土産は?」
「東京ばなな」
「えー。東京ばななって正直微妙じゃない? いや、美味しいんだけどさ、僕は焼きショコラ派かなあ」
悟が文句を垂れながらやってきたが、机の上に置いた東京ばななをちゃっかり半分ほど持って出て行った。土産だけを目的に来たらしい。
世那は「呪いの仮面」の処理を伊地知に押し付け、後日しっかりと件の呪詛師を捕縛したのであった。