「加乃舌さん? いい人だよね。ね、七海!」
「なにを見てそう言っているんですか。……まあ、面倒見はいいほうだと思いますよ。懐に入れた人には甘いところがありますし」
「五条さんとか夏油さんとも良い勝負するのに、なんで特級にならないんだろ」
「……アナタちゃんと授業受けてますか? 術師の等級は呪術の基礎でしょう。加乃舌さんは「単独での国家転覆が可能」という特級術師の条件を満たしていない。だから一級なんですよ」
「街ひとつくらいは壊せそうだけどね」
「単独で安定して特級案件がこなせる唯一の一級術師ですから、実力は相当なものですよ」
「っていうか、どうしていきなり?」
話を振られた女子生徒────
「ええと……その。私と同じ術式の先輩が居ると聞いたので」
「へえ、そうなんだ! もし良かったら今度見てもらえるように声かけとこうか?」
雲母坂はイエスともノーとも言わずに笑って首を傾けた。「じゃあ、まだ荷解きがあるのでこれで……」とその場を後にする。
「良い子そうだね」
「はあ……加乃舌さんとの相性は悪そうですが」
「そうかなあ?」
七海は面倒なことにならないといいな、と思った。その考えが頭に浮かんだ時点で運命は決まったものだということはこの数年で身に染みているが、それには見ないふりをして。
木の葉の揺れる音。気温は決して寒くはないものの、ここに来るまでにかなり歩いたので夜風が涼しく感じる。ベンチに腰掛ければ、自然と目は空を捉えた。都会の中ではそうお目にかかれない星空。呪術高専も木々の奥まった場所にそびえているが、建物の屋根から見える先に広がるのは東京の夜景だ。
このハイキングコースは24時間年中無休で開放されている。しかし夜中に山を登る命知らずはそう居ないので、この場には世那たち四人だけだ。
北海道では春だというのにまだ雪が積もっていて、現地で上着を買い足す羽目になった。それでも手足が冷えやすい硝子は、体温の高い悟にぴったりくっついて離れなかった。自身のポケットに手を捩じ込まれた悟が「つめた!!!」と叫んだのはいま思い出しても笑えてくる。
一面に咲くネモフィラ畑を見たり。牧場で乳搾りをして。四人で貸切の温泉旅館の大浴場で泳いだ。各地の遊園地や動物園、水族館も散々巡った。悟は京都生まれなので京都観光には頼りになるかと思われたが、現地人ほど観光地に行かない現象が発生しており、世那たちと変わらない視点で楽しんでいた。そのかわり家を抜け出してよく行っていたという娯楽施設に案内されて遊び倒した。
沖縄にも行った。北海道の冬の気配が残る寒さとはうって変わって、日中は暑いくらいだった。またジンベエザメを見に行った。過去の記憶をなぞるように。大きな水槽で泳ぐ彼は、ちょうど自分たちと同じくらいの年齢らしい。
失ったものばかりを数えるようなことはしないが、それでもふとした瞬間に思い出すものはある。誰かを救うためにという高尚な目的はない。しかしいざ救いたいものができたとき、実行できるだけの強さが必要だ。道を振り返ったときはいつもそう思う。後悔と絶望を積み上げて自分という人間が形成されていくのだ。
「明日でもう終わりかあ。楽しかったな」
高台の転落防止柵に腕を乗せて、悟が言った。山を降りてホテルに戻ったら、あとはチェックアウトの時間までのんびりして東京に帰る。
世那はこのあとしばらくは実家に滞在するつもりだ。少ししたら高専の近くに家を借りて、寮の荷物を移動させようと思っている。硝子と傑も似たようなものだ。悟は本家に行って、正式に当主を継ぐらしい。手続きや形式ばかりのあれこれがたくさん待っているのだと嫌そうな顔で言っていた。
「……君たちと会えてなかったら、私は今頃なにをしていたのかな」
横に座った傑がぽつりとこぼした。悟から少し離れたところで煙草をふかしている硝子が、「急にどうしたの」と言った。
「この四年間、一人じゃどうしようもないことばかりだったから。みんなに会えて良かったなって。それだけ」
世那がぐいと肩を組むと、そっと背中に手が添えられる。
「そんなのコッチのセリフだろ? わたしだってきみたちが親友でよかったって思ってるよ」
「なに、夏油。おセンチになっちゃってさ。言っても私らずっと高専所属なわけだし、これからも変わんないよ」
硝子が世那とは反対側に座って、同じくぐいと傑のほうに身体を押し付ける。そのじゃれあいを見ていた悟が背後から三人まとめて抱き込んだ。
「僕だってさ、別に一人でも寂しくなんてなかったのに、みんな急に「花」から「人」になるんだもん。オマエたちのせいで僕寂しんぼになっちゃったからね、責任取ってよ」
「バカ五条」
ペチ、と硝子の弱いデコピンが当たった。
「私達が「人」になったんじゃない。オマエがなったんだ」
悟が目をぱちぱちと瞬かせて、へにゃりと情けなく笑った。こんな彼の顔は他の誰も見たことがないだろう。
「……ありがとう。僕を「人」にしてくれて」
高専に入学したばかりのころは、まだ悟は世那たちと己の間に線を引いていたはずだ。それが明確に消え去ったのは二年の交流会の時だったか。世那が、傑が、そして硝子が。力尽くで白線を超えてきたから。同じ視点に立ったから。
少しの沈黙が落ちる。空気感に堪えかねたのか、悟が身体で三人を揺さぶりながら元気よく声を張った。
「旅行は明日で終わりだけどさあ、一年あるんだしいっぱい遊ぼうよ。僕まだやりたいこと山ほどあるよ〜? 年末になったらみんなで集まって酒盛りしよう。僕も世那も二十歳になるでしょ」
「傑はまだだろ」
「べつにいいよ、普通に飲んでるし」
「コイツ……」
「五条と加乃舌は律儀に二十歳まで待ってるのか? 真面目だな」
「こういうのは我慢して解禁された時の快感を楽しむものなんだ」
「十八禁は我慢できなかったのに〜?」
「悟も横で見てただろうが。というかアダルトサイトの「十八歳以上ですか?」に「いいえ」を押す人間はこの世に居ないだろ」
「君ら何やってんの……」
「いやいや傑。確かに世那はエロゲーをやってたし僕も横で見てたけど、エロとは名ばかりの鬱ゲーだったよ。最高だったね」
「そういう問題じゃなくてさあ……」
雰囲気が結局いつもの調子に戻る。きっとこれから先もずっとこんな感じなのだろうな、とその場の誰もが思った。
「じゃ、また今度」
傑がそう言って手を振って電車に乗り込んだ。悟はそのまま五条家に行くと言うので早々に別れ、東京に着いたところで硝子も別のホームから実家に向かった。世那は傑の姿を見送り、自身も反対車線の電車に乗った。
旅行の間に桜は散っていて、帰路を歩く道は緑が生い茂っていた。久しぶりに取り出す実家の鍵には、古びたラバーのキーホルダーが付けられていた。よく鍵を落として失くしていたので、晶が余ったものをくれたのだ。おそらく当人は在庫処分くらいの気持ちだっただろうが、これが彼が世那に残した数少ないもののうちのひとつになっている。
まだ卒業というわけでもないのに妙に感傷に浸るのは、人肌恋しいせいだろうか。ここ数週間は旅行のために寝る時でさえそばに誰かが居るような状況だったから。
鍵を差し込んで扉を開ける。両親が帰宅する時間ではないからだろう。不思議そうな顔をした兄が顔を出し、世那を見て気の抜けたように笑った。
どこかふわついた心地のまま、帰ってきたのだな、と思う。
「なンだ、オメーかよ。おかえり」
「……ただいま」