8月。茹るような暑さに、蝉の鳴き声。
あの日もこんな夏だった。そういえば、日付も近い。
「傑。世那。任務だ」
場所はある関東の街。「窓」が残穢を確認。調査と、可能であれば祓除まで。
繁忙期にさしかかった呪術界に夏休みは無い。学業が免除される代わりに任務が詰め込まれ、繁忙期明けに雀の涙ほどの休日が確保されている程度だ。
だから、きっと今年は会いに行けないと思っていた。
夜蛾から任務の書類を受け取って、眺めながら廊下を歩く。世那はそれを熱心に読み込んでいるようにも思えるが、その実視線は残穢が確認されたという場所に釘付けだった。
「世那の地元なんだって? 案内よろしく」
「ん……そうだな」
世那は三級に昇格したばかり。防御向きの術式なのが災いしてか実力に反して昇格のペースは遅いが、夜蛾からは順当に行けばそのうち一級術師になれると激励の言葉を贈られている。
「……何かあった?」
「なにが?」
「考え込んでるみたいだったから」
「べつにー?」
傑の足が止まる。数歩経ってそれに気が付いた世那が振り返った。
「「思ってることはちゃんと言え」。君がよく口酸っぱく言ってるだろう。私達にはそう言うくせに、君は違うのかい?」
それは世那の口癖とも言っていい。強がって何も言わない悟、弱味を見せたくないと隠す傑、わかったフリして触れない硝子。ちょっとしたいざこざが起きるたびに彼女はそのお決まりの言葉を言って、無理矢理にでも腹を割って話をさせたがった。
世那はポリポリと後頭部を掻いた。困ったときによくやる癖だ。彼女は書類を雑に畳んで仕舞って、右手で傑の左手を取った。確かめるように繋ぎ止められる。ゆっくり歩き出すので、傑もそれに合わせる。
四ヶ月も経てばたった三人しか居ない同級生のこともある程度分かってくる。世那がこうして人と接触することを好むのは、人肌恋しいとか、寂しいとか、確かめたいとか、そういう理由なのだろうということを傑はなんとなく察していた。
繋がれた手を胸くらいの高さに掲げたまま、世那が呟く。
「もうすぐ友達の命日なんだ。それを思い出して、ちょっと。今年は墓参り行けないって思ってたから……」
「……じゃあ、任務が終わったら行こうか」
「付き合ってくれる?」
「いいよ」
するりと手が離れる。「じゃ、またあとで」。世那はそう言って女子寮のほうへ向かって行った。傑も一旦自室に戻って任務のための準備を整えることにした。
連れられたのはなんの変哲もない住宅街の一角だった。二人を下ろした補助監督は「このあと別の人をピックアップしてくるので、終わったら高専のほうにかけてください。加乃舌さん、帳はお願いしますね」と言って去って行った。術師が繁忙だと補助監督も大変そうだ。
残穢は見当たらない。世那は自分の目に自信がないので傑にも確認したが、彼もそれらしい痕跡は見当たらないと言った。
「とりあえず巡回してみようか」
「そだね」
「このあたりは知ってる場所?」
「通学路だったな」
歩道もなく車二台並ぶこともできないくらいの道幅なので、二人は端に寄って一列になって歩いた。土地勘のある世那が前を歩く。とは言え、残穢が見つけられないなら土地勘も何もないのだが。
すこし歩いたところで大きめの道に出た。ちゃんと歩道もある。等間隔に並んだ木は桜だろうか。この時期は葉が生い茂って地面に毛虫もよく落ちているので、自然と木の陰を避けて太陽の下を歩くことになった。
「このまま行くと中学校。夏休みだし、下校時間も……過ぎてるけど、まあ様子は見といて損はないな」
「ああ」
学校には呪いが集まりやすい。それにこの一帯の地域の子どもも集まるわけだから、目的の呪霊の残穢も見つけられるかもしれない。
「世那の母校? ちょっと興味あるね」
「そうだけど、なんも面白くねーぞ」
「君だって私の中学時代は気になるだろう?」
「……確かに!」
「そんな顔しても教えないけどね」
「ハア? ケチ」
「アハハ」
脇腹をつついた勢いで世那が傑の腕に腕を絡めた。遠慮なく抱きついてきたりするので傑は健全な男子高校生として思うところがないでもなかったのだが、四ヶ月経った今では何も思わなくなっていた。慣れって怖い。
向かいからブレザーに身を包んだ女子中学生が歩いてくる。うっすら残穢が付いていて、世那と傑は横目でアイコンタクトを取った。
「あ! 加乃舌のお姉さん!」
こちからから声をかける前に女子中学生が走ってくる。世那は傑から離れて一歩前に進み、少し腰を曲げ、「久しぶり」と女子中学生の頭を撫でる。彼女は顔を赤らめてはにかんだあと、世那と傑をチラチラ見比べた。
「ね、ねえ、あのお兄さんすごいイケメンだね。付き合ってるの?」
(へえ……)
これは完全に世那にほの字だ。傑は面白いものを見た、と目を細くした。
世那は傑に並ぶほどの長身で言動も男勝りだ。かと言って女性的な部分もないわけではなく、プライベートでスカートを履いたりもしている。どちらかと言えば、節々に男っぽさが滲む感じというか。たとえば女子校なら王子様ポジションを獲得しているタイプだろうと傑は思う。女子の初恋を奪う女子、みたいな。
もし世那が「そうだよ」と言えば悪ノリしてやろうと思ったし、「違うよ」と言えばやはり悪ノリしてやろうと傑は算段を立てていた。
「……傑とは友達。気になっても、あんまりそう言うこと言わないほうがいいぞ。ウチにもコイツにも迷惑」
「え……あ……」
想定していなかった返答に傑は無言で固まった。それ以上に女子中学生はショックを受けたようで、うつむいてちいさく「ご、ごめん、なさい」と言った。
「傑にも」
「ごめんなさい……」
「いや、いいよ。気にしないで。……世那」
「……ごめん、言い過ぎた」
「あ、だ、大丈夫」
気まずい雰囲気になったので、傑は仕方なく世那の代わりに切り出した。
「いきなりごめんね。最近周りでおかしなこととかなかった?」
「おかしなこと? ……ですか?」
少女は考え込み、チラリと世那の顔を見て、言った。
「枸杞さんのお母さんが、最近……その。精神的? な、病気? みたいで。よく一人でブツブツ言ってて、怖くて、学校でもちょっと……噂になってる。ぐらい、かな?」
「クコ……さん? 世那、知ってる?」
「……知ってる」
「あの。お姉さん。ごめんなさい。お姉さんは悪くないから……」
「いいよ、大丈夫。ウチもごめん」
「うん……」
少女は視線をうろつかせ、逃げるように走り去って行った。
世那はしばらくしゃがみこんだままでいたが、重い腰を上げるようにゆっくりと立ち上がった。
「……あの子、弟の同級生」
「弟いるんだ」
「上に兄貴と、下に弟がいる」
「道理で」
「失礼なこと考えただろ」
「まさか」
へらりと笑った彼女の表情はどこか浮かない。「こっち」と前方向を指差し、傑の手を引いた。
「悪かったな。あんま好きじゃないんだ。その……仲良いだけで「付き合ってる」とか言われンの」
「あー、まあ、わかるよ」
傑も世那や硝子と付き合っている扱いをされるのは、なんだか違うように思う。一度や二度なら少し前に企んでいたように悪ノリして思わせぶりなことも嬉々としてできるが、本気に取られてしつこく言われるまで行くのは面倒だ。
「……枸杞さんの家はこっから五分ぐらいだから」
ぎゅ、と握る手に力が入る。冷たい汗の滲むその手は、まるで何かに縋るようだった。
歩を進めるごとに残穢がちらちら目に付くようになった。やがてそれは濃厚になっていき、ある一軒家の前に到着すると、もはや誤魔化しようのないほどべったりと呪いで浸されていた。
「…………」
「世那」
世那は目を閉じて深呼吸した。数回それを繰り返すと、瞼が震えて持ち上がる。
「大丈夫。行ける」
インターホンを鳴らす。うるさいはずの蝉の声は遠く、家の中から微かに聞こえる客人を迎えるための支度をする音が、やけに耳につく。
「まあ、世那ちゃん!」
「ひ、さしぶり」
「やだあ、大きくなって! べっぴんさんじゃない! 後ろの子はお友達?」
「う、ん、そう、ありがとう」
その声色は明るい。声だけ聞けば、誰も彼女の異常を疑わないだろう。
だが。
(────もう、長くない)
もはや呪いを視認できない一般人にも明らかだ。
やつれた顔、くっきり浮かぶ隈、くすんだ肌。目はギラギラ輝いているが、ここではないどこかを見ているようだ。極め付けに全身にべったり残穢が付着している。
「そう、世那ちゃん、晶と仲良かったでしょう? 最近しばらく会ってなかったわよね? ほら、晶! 早く顔見せてあげなさいよ! 世那ちゃん来てくれたわよ!」
呪いの気配が、這い寄ってくる。
傑は思わず世那の腰に手を回し、身体がくっつくほど寄り添った。彼女が倒れそうだと感じたのか、己の恐怖のあまり縋ったのかさえ判別がつかなかった。
現れた呪霊は女性────枸杞の腰ほどの身の丈で、全身が痩せ、腹だけが不自然に膨らんだ身体をしていた。ちゃちなホラー作品に出てくる、幼児のめちゃくちゃな落書きのような気味悪さ。
「じゃ じゃま する す すルな モ もうす す ぐ すぐなンだ ぼ ぼくの の ぼくのごはん ごごはんに テ だ だす す すなな」
「晶ったら。仲良しの世那ちゃんが来てくれてそんなに嬉しいの? ねえ世那ちゃん。これからちょうどご飯にするから、食べていかない? お友達も一緒でいいわよ」
「……世那」
傑が掠れた声で囁くように言った。カラカラの喉からかろうじて搾り出したような。軽く顎を引いて頷く。
「ごめん、晶のお母さん。これから用事があるからご飯はいい。久しぶりに会えてよかった。また来るから」
「そうなの? 仕方ないわね。まあ晶、落ち込まないの。ごめんなさいねえ、ぜひまた来てちょうだい」
ギィ。バタン。カチ、と鍵のかかる音まで聞き届け、ようやく、額に流れる汗を拭うことができた。