世間が長期休暇に入る時期というのは、ほぼイコールで呪術界の繁忙期だ。休みが明けることに対する仕事や学校への忌避感。逆に、休みによりさらに忙しくなるサービス業。そうした状況下の時、人々の負の感情は増幅しやすい。
「ウチの昇格ってこれ目当てじゃねーだろうな」
2006年1月。加乃舌世那、二級術師に昇格。
今日も今日とて任務である。
「実際そうなんじゃない? 昇格してから目に見えて任務増えたよね」
「つれェ〜」
「がんば」
「アンタも一緒に任務だよ」
硝子を引っ張りながら歩く。年明けの浮かれた街の喧騒は、土日の比ではない。
場所は都内の大型商業施設。一般人から多く「工事の音がうるさい」と苦情が寄せられているが、実際には工事の予定は入っていない。同時期から関係者専用の倉庫に向かったのを最後に行方不明者が数人。補助監督が施設の外側から残穢を確認した。
「硝子と任務、なんか久しぶりだな」
「等級的にね」
世那も硝子もこれまで単独任務ができない者同士だったため、それぞれ他の二級以上の術師と組むことが多かった。硝子の場合は回復役として待機することも多々ある。必然的に一緒に任務に行くことがあまりなかったのだ。
「でもさア、硝子をただの回復手段として腐らせとくのも勿体ねーよな」
「えー、オマエ本当私を前に立たせるの好きだよな」
「反転術式で他人治すのと呪霊ブッ倒すのと、どっちが楽って話よ」
「……そりゃあ……正直呪霊倒すほうが楽だよ。治すのって結構神経使うから」
「そーゆーこと。硝子が戦闘も回復もできれば、ずっと医務室に縛り付けられることもない」
他人を治せるのは硝子一人だ。だから、彼女はしょっちゅう呼び出される。昼夜を問わず治療を頼まれるのに辟易としているのはよく知っている。「回復してくれるから大丈夫」「大したことないけど一応治してもらおう」という輩も増えた。本当に治さなければならない患者に限って、ほとんど手遅れか、もはや術師としては生きていけない状態でやって来る。ままならない話だ。
戦闘も回復もできるなら、戦闘任務を盾に回復役から逃げることもできる。人手不足の呪術界だ。戦える人間は放っておかない。任務の移動時間を使ってサボるのも余裕だ。
「助けられる奴だけ助けときゃいーんだよ。アンタに甘えちゃってんだよな」
「ま、それに応えちゃう硝子も硝子か」と世那は溜め息を吐いた。
硝子とて、別に人を救いたいという高尚な志を持っているわけではない。たまたま反転術式が他人にも使えて、たまたま関係者に見つかって、いいように使われる道しかなかったから惰性でレールの上を走っているだけ。
大事な人のことは助けてやりたいと思うが、その他大勢まで無条件に誰彼構わず救いの手を差し伸べてやりたいとは思わない。そのままくたばればよかったのにと思うような奴だって何人も居た。だからと言って、目の前で救えなかったさまを見せつけられることさえどうでもいいと思えるほど冷淡にもなりきれないけれども。
「私を危険な目に遭わせて失いたくないんだろ」
「ええー? 硝子、呪力尽きない限り死なねーじゃん。心配する必要ある?」
反転術式は通常の倍の呪力を消費する。しかも、他人を治すのは自己治療とは勝手が違うためその呪力消費量は馬鹿にならない。火力面においては悟や傑の前では霞むとはいえ、硝子もなかなか化け物だ。
「高専卒業するまでにさア、二人であのクズ男どもに一泡吹かせてやんね?」
世那は歯を見せていたずらっぽく笑って、「ウチらならイケっから」と自信満々に言い放った。
硝子が強くなれると本気で信じているのだ。
「勘弁してよ。アイツらとやり合うの、組み手でも嫌なんだから」
だが。硝子はまだ、そこまで己を信じられない。
目的地に近付くとカンカン音が聞こえてきた。それは数分鳴り続けたかと思えばしばらく止まって、また少しだけ鳴って、静かになって。なるほど確かに、これは工事音と言われるだけある。
「こんなんで営業してんだもんなー」
「この時期サービス業は休めないよね」
建物内には一般人が大勢居る。帳は下ろせない。呪霊が居ると思われる倉庫内で任務を完結させなければならない。
補助監督が既に話を通してくれているらしいので、当然の顔をして従業員用の扉に入る。
従業員専用エレベーターに乗り込んだ。行き先は四階。近年は表示義務があるとかなんとかで見かけることは減ったが、一般客用のエレベーターには四階の表示がない。四という数字が死を連想するからという理由だ。こうしたまじないのようなものは探せば至る所で見つけられる。病院やホテルには四のつく部屋番号がない、とか。
しかしこれらがかえって人々の不安を煽ることもある。存在しない階数に停止するエレベーターの怪談なんてのは、誰しも一度は耳にするだろう。
エレベーターが四階で停止する。奇襲を考慮し防壁を張った。
四階は倉庫になっているとのことだった。中は壁による隔たりのない大きなワンフロアになっていて、棚が等間隔に並んでいる。床に物が散乱してずいぶん荒らされている。においもひどい。
「……この感じ、生きてる人は居なさそうだね」
硝子の言葉に頷く。これは腐った血肉のにおいだ。
エレベーターから降りて慎重に中の様子を伺う。右手側からカンカン鳴る音が聞こえる。棚を壁代わりにして身を隠しながら音の方向へ向かう。
そこだけ広めのスペースができていた。全身にまばらに手の生えた呪霊が、太い釘とハンマーで死体を穿ち続けている。これがあの音の正体のようだ。
「いくぞ」
硝子にそう言って、世那は構えた。
「防壁「
呪霊の真横に発生点を指定して防壁を生成する。弱い呪霊ならこれで一発なのだが、やはりそうはいかないらしい。
こちらに気が付いた呪霊が、あまりメリハリのない頭部をぐりんと回転させた。
空中に釘が固定され、ハンマーを打ち付けて飛ばしてきた。建物にあまり被害は出せない。防壁を張って受け止める。
「はっ!?」
だが。向かってきた釘は防壁を貫いた。
咄嗟に間にもう一枚防壁を張るも、それで止まるものでもなかった。突き抜けてきた釘が世那の左の鎖骨近くに刺さる。避けるのがもう少し遅かったら喉を貫かれていた。
「ぐぅ……!」
(マジでか、悟の「蒼」も弾く防壁を破った!?)
確かに防壁は面の攻撃に比べれば点の攻撃に弱い。圧縮された一点突破ならば可能性はある。しかし並大抵の威力じゃビクともしないこれを破ってくるか。
「加乃舌!」
「まだいい!」
釘は今抜くと血が出る。硝子の治療を拒否して呪霊に向かって走る。
呪霊は再び空中に固定した釘をカンカン打ち付けていた。
(もしあれが「衝撃を溜めて放出する」ものなら、あのまま打たせ続けるのはヤバい!)
「防壁「
拳に防壁を纏わせて殴る。再び釘を飛ばしてきたが、こちらは難なく防げた。仮説はおそらく正しい。ならば、溜める前に叩く。
カカカカカカカッ、とものすごいスピードで音が鳴った。
無数に腕の生えた呪霊。その腕すべてにハンマーが握られ、順番に釘を打つ。
「ッ、そりゃチートだろ!」
一瞬の硬直が命取りだった。冷や汗が流れる。もう左半身は捨てだ。脇腹に釘が刺さり、柱に叩きつけられる。ダバ、と口から血が流れた。
(しくった。相性悪ィな)
防壁呪術は攻撃の決定打に欠ける。薄々感じてはいたが、ことここに至ってそれを痛感した。
右手の人差し指を立てて呪霊に向ける。
「”石穿てど砕けず”」
結界術は術式を構築し詠唱することで成立する技術だ。世那の防壁呪術は、術式の構築と詠唱を無視できる。
「”刃振るえど通さず”」
それはつまり、詠唱による底上げができるということでもある。
「”此処に在りて侵させず”」
堅牢な結界が呪霊を阻んだ。
「行け」
「任せろ」
前に出た硝子が、手をひらりと振った。正の呪力が弾ける。
呪霊が消滅した。
思えば最初から世那は硝子の強さを疑っていなかった。
初任務のあの日、彼女は確かにこう言った。
「反転術式のアウトプットなんて対呪霊兵器だろ。触ったら勝ちなんだから」
触ったら? たしかに当時の硝子は、触らなければ反転術式を流し込めなかった。だが使い続ければ慣れるというもの。今やよっぽど繊細な怪我を前にでもしなければ、呪力の放出もお手のものだ。
生得術式のない硝子に特別な技は使えない。呪力に物を言わせたゴリ押し。だが呪霊を前にした反転術式ならば、それが通る。
当たれば勝ちだ。
戦うのは、怖い。悟や世那のように、戦うことに楽しさを見出せるほど、硝子は酔狂な人間ではない。
けれども。
(大事な親友が傷付くのを見てるだけなのは、もっと怖いから)
硝子は柱に背を預ける世那のもとへ駆け寄った。
「さすが。呪霊相手なら最強だな」
「そういうのいいから。早く抜くよ」
釘を引っ張る。なるべく血が出ないように抜いたそばから治していく。
「ねえ、加乃舌」
「んー?」
「オマエの提案、乗ってやるよ」
「なにが?」
期待を隠しきれない獰猛な笑みに、硝子も思わず笑う。わかってるくせに。
「卒業までに、あのクズ共に一杯食らわせてやろう」
「よっしゃ。言ったな?」
ぱしんと手を合わせて繋ぐ。
男二人の預かり知らぬところで、女二人のささやかな挑戦が始まった。