桜が舞い散るなか、私は両親に見送られながら、忍術学園を歩を進めた。
暖かい春の日差しに目を細め、背伸びをする。あぜ道にはオオイヌノフグリやたんぽぽが咲いていた。私は花を見ながら、今までの出来事を振り返る。
令和という現代から転生し、この世界に生まれて十一年が経つ。
五歳の春、高熱を出したことで、前世の記憶が蘇った。背中の汗の気持ち悪さと苦しかったのを覚えている。寝込んでいる間はカルデアの頃の記憶が走馬灯のように流れ込んできた。いつも優しいマシュ、暖かい眼差しのロマニさん、溌剌としたダ・ヴィンチちゃん、ホームズさんの鋭い推理、そして、いつも無茶ばかりする藤丸を治療してきた。
熱も下がり、カルデアの皆を思い出した朝は涙が止まらなかった。
それから私は前世の記憶を抱えながら生きている。
最初は慣れなかったが、住めば都。この世界の生活にはすっかり馴染んでしまった。それでも、ふとした瞬間、スマホの画面を眺めていた日々を思い出すことがある。
私の両親は変わり者で、世間には無頓着だった。人とはあまり関わらず、深い森の奥でひっそりと暮らしている。理由を聞いてもはぐらかされるばかりだったが、幼いながらも『きっと何かあるのだろう』と感じていた。
ある日、母が見知らぬ男と話しているのを見たことがある。その男は明らかに日本人ではなく、母と同じ西洋の顔立ちをしていた。彼女は懐かしむような、それでいて警戒するような目で男を見ていた。
母はイギリス人だ。彼女は客人に出すときは必ずカップを温めてから、注いでいた。それが、彼女のこだわりだった。私は耳を強化して、聞いてみると「あなたが来るなんて……」と母が言い、瞳が揺らいでいた。それから、母は誰にも聞こえないように、結界を張り、それ以上は聞けなかった。
(あの人は……誰?)
知り合いなのかと気になって問い詰めたが、母はただ『気のせいよ』と笑うだけだった。そのときの母の微笑みは、私の知るどの笑顔とも違っていた。まるで、何かを隠す為の仮面のように。それは、まるで薄氷のように脆く、不安を覆い隠すものだった。
その後、私は何度か男の姿を見かけるようになる。
母は魔術師であり、父は薬師であったが、父にはとある秘密があった。それは⸺⸺
「精霊さん!」
フサフサの木の葉が生えており、手足が木の枝という奇妙な生き物。精霊さんはいつも気まぐれでイタズラが大好きだ。
父の家系は薬師であったが、同時に精霊使いの家系でもあった。
精霊さんとは仲良しだ。精霊に木の実を投げると精霊さんは木の枝でキャッチしてくれた。たまに木の葉を降らせて遊ぶこともある。
精霊さんはよく私について来た。
「うわぁ!」
私が崖から落ちそうになったときに木が生え、クッションにして私を助けたことがある。
「ごめんね……精霊さん」
「キュキュ〜」
私は幼い頃から、母に魔術を叩き込まれた。最初に教わったのは、魔術師の生き方だった。
「魔術師は目的の為に冷徹であれ。感傷に流されるな。犠牲を厭うな」
私は知っている。魔術師というのは、性格が悪いのが普通だ。むしろ、それがデフォルトである。だから、母の教えはある意味、間違いではない。
母の教えに従えば人を傷つけることも厭わない魔術師になる。だが、それができなかった。
人を傷つける魔術より人を癒やす魔術がいい。
母は宝石魔術の使い手で、魔術工房ではよく宝石をカットしていた。魔力を込めすぎると爆発する。その危険を知っているからか、
母は私が手伝いを申し出るたびに『もう少し待ってね』と優しく微笑んでいた。
それでも、私は母の手ほどきで宝石魔術を学び始めた。宝石は念が宿しやすく、血や魔力を込めるのにうってつけの媒体だ。
しかし、それよりも私にとって特別な才能があった。
それは治癒魔術と薬学だ。
治癒魔術は文字通り傷を癒やす魔術である。私の場合、霊体と肉体の結びつきを強化し、生命そのものを繋ぎ止める技術だ。
薬学は調薬中に魔力を込めることで、即効性のある治療薬ができる。しかし、材料と時間がかかる為、大量に消費ができない。
宝石は敵を一撃で仕留めることが出来る攻撃型。治癒魔術は傷を癒やす防御型
私はかつて、カルデアという組織に所属していた。カルデアとは魔術と科学が融合した機関で、未来を観測し、人類を守ることを目的としている。そこでは魔術師と一般の技術者が共に働き、私は魔術を医療に応用していた。
現在の私は町に出るときは薬を売る傍らで怪我人の治療を頼まれている。今では、顔馴染みも増えた。
午前は父から薬学と読み書きやそろばんを学び、午後は母から魔術の手ほどきを受ける。夜はお茶を飲みながら、予習をしっかりとして、休日は趣味の植物を育てたり、歌を歌ったり、バイオリンの演奏をして過ごした。
⸺⸺しかし、それは突然崩れ去った。
転機が訪れたのは7歳の頃。私は父の言いつけで遠くの森へ薬草つみに出かけていた。
夢中になって薬草を探していたそのとき、背後に得体のしれない気配を感じた。
(……誰か、いる?)
森に入るときは気のせいだと思っていた。途端に小鳥のさえずりが止む。
ゾクリと背筋が凍る。首筋に冷たい汗が伝う。
「お嬢ちゃん、こんなところでなにをしているんだい?」
低く、ねっとりとした声が耳を打つ。
目の前に立っていたのは、見るからに荒くれ者の男だった。
ボロボロの衣服に、腰には刃こぼれした刀。
ギラついた目が、獲物を狙う獣のように私を舐めまわしている。男の口元が歪む。奥歯で舌を転がしながら、ゆっくりと一歩踏み出してきた。
(……山賊!?)
一歩、また一歩と男がにじり寄る。喉がカラカラに乾く。足が動かない。次の瞬間、私は無我夢中で石を投げた。
「ちっ!」
⸺⸺逃げなきゃ!
恐怖に駆られ、体が勝手に動いた。
母の言葉がよぎる。魔術師は冷徹であれ。それができればこんなに怖くはないのに……。
丘を超えた瞬間、視界が真っ赤に染まる。
焼けた大地、横たわる兵士達。
空を裂く悲鳴。
轟音とともに火を吹く大砲。
無数の矢が影を落とし、次々と地に刺さる。
誰かが叫ぶ。誰かが倒れる。
「あ」
瀕死の兵士と目が合い、そして、兵士の目から光が失われる。
「せっ、精霊さん!」
私の声に応じ、精霊さんが震えるように宙を舞う。
次の瞬間、木々がうねり、壁を作る。
パァン!
木の壁が弾け、銃弾が飛び散る。
体が震える、息が苦しい。
逃げなきゃ。
ここにいたら、死ぬ⸺⸺。
怯える私に蔓を伸ばして、足に巻きつけると力強く引きずるように戦場から引き剥がした。
「あっ……ありがとう」
「キュキュー!」
呼吸が乱れ、心臓が激しく脈を打つ。冷や汗が全身を伝い、体を冷やす。私はしばらくは呆然と座り込んでいた。
山賊の気配が迫ってきていることに気づいて、慌てて立ち上がり、急いでその場から離れる。私の気持ちを感じ取ったのか精霊さんは周りを周回しながら見守っていた。
幸い山賊に出くわすことはなかったが、あの光景が頭から離れない。両親は私の様子を見て、心配していたが、私はなんてことないように振る舞った。
「疲れたから寝るね」
そう言って自室に戻った。
せんべい布団にくるまる。
目を閉じる。
なのに、瞼の裏に焼きついて離れない。
血にまれた兵士。苦悶の表情。
鼻の奥にこびりついた鉄と煙の匂い。銃声。
「……っ!」
体を起こす。息が浅い。
深呼吸。ゆっくり吸って、吐く。
瞼にこびりついた赤。焼けた鉄の匂い。心臓の鼓動だけが、戦場の余韻を響かせる。
目を閉じるたびにあの光景が濁流のように押し寄せる
焼けた鉄の匂いは消えず、耳鳴りのように銃声が響く。
忘れたい筈なのに、眠れない。
冷徹であれば、私はこんなにも苦しむことはないのに。
戦場で見慣れていた筈の私が、どうしてここまで怯える?
前世では医療スタッフだった。
サーヴァントやマスターである藤丸を治療するために戦場へ派遣されることが多かった。
前世では報告書をまとめる側だった。けれど、戦場で仲のいい茨木童子が私の中で息を引き取ることもあった。
それでも、私はやるべきことを優先して、前へ進めた。
でも、今世の私は……ただの少女だ。
皮膚が、戦場の熱を感じる。
耳が悲鳴を拾ってしまう。
心が、逃げようとしている。
……こんなの私じゃない。
なのに起き上がるのも億劫だ。
食事の味がしない。
両親が心配して、話しかけてくるのも、どこか遠くの出来事みたいに聞こえる。
戦場の亡霊がついて回る感覚に怯える日々。
前世の私はPTSDに苦しむ兵士の話を聞いても他人事だった。
自分には関係ない。そう思ってきた。
でも、まさか。まさか私が⸺⸺
戦場にいた頃は心を殺していた筈なのに。
どうして今になって、こんなにも苦しむの?
相変わらずあの戦場に苦しめられている。視界が、匂いが、あの感覚が、私を決して離してくれない。死、そのものがじわじわと私を蝕んでいく。
夕焼けが血を連想させる。
夜の静寂が、銃声と悲鳴を蘇らせる。
食事をするたび、鉄の味が口の中に広がる。
⸺⸺戦場が、怪物のように私を食らおうとしている。
(どうしたらいいの……)
常にそんなことを考えていた。
それでも、両親は何も言わず、ただそばにいてくれた。
母が作ってくれた温かいお茶とお粥。
一口味わう。
「……美味しい」
久しぶりに感じる味。
温かく、私の凍えた心を少しだけ暖めてくれた。
お茶ははちみつのように甘い。
(漢方茶か……)
私は飲んで気づいた。漢方茶は体調が悪いと甘く感じるらしい。
恐らく父が配合してくれたのだろう。
改めて両親の存在のありがたみを感じる。
最初は外に怯え、ろくに出られなかったが、このままでは駄目だと思い、私は外へ出る決心をした。
春の暖かい日差し、庭に咲いている花の匂い。爽やかな若草の香り。小鳥のさえずり。お茶会で飲む、ハーブティーはささくれた心を柔らかくしてくれる。
夜は月の光が慰めるように優しく照らしてくれた。
朝の木漏れ日は明日への希望の光でもあった。
全てが愛おしく、美しく見えた。
それから、少しずつ、私は外に出られるようになった。
陽の光を浴び、バイオリンを弾く。
アヴェ・マリアの旋律が、静かに部屋に広がる。
指先を震えながらも、弦を抑える。
⸺⸺音が、私を現実へ引き戻す。
戦場の怪物が消えるわけじゃない。
でも、この音がある限り、私はきっと戻ってこられる。
たまに前世の頃から好きだった曲を歌ったりした。
「桜ひらひら♪舞い降りて落ちて♪揺れる想いのたけを♪抱きしめた♪」
特にいきものがかりの曲がお気に入りだ。両親は私の歌を褒めてくれた。
けれど、指が弦に触れた瞬間、銃声のように響いた。
指先がかすかに痙攣し、弦を押さえられなくなる。
怪物は消えない。でも、私はもう逃げない。戦場の記憶と共に生きていく。それが、私の選んだ道だから。
今日は久しぶりにガーデニングを楽しんだ。
山から取ってきたリンドウを、庭の片隅に植える。紫色の小さな花が、そよ風に揺れていた。土をならしながら、私は深く息を吸い込んだ。土の匂いと、ほのかに花の香りが混じる。⸺⸺それだけで
、心が落ち着いていく。
庭には薬草や漢方に使う草花が並び、中にはトリカブトのような扱いに注意が必要なのもある。でも、それも含めて植物はいい。季節が巡るたび、精一杯花を咲かせたり、実をつけたりする。
冬苺も、そんな植物の一つだ。甘酸っぱくて、小さい実は、母がデザートに添えてくれる。だから私は冬苺が好きだ。でも、食べられるのはまだ先の話。冬になるのが楽しみ⸺⸺。
「早く冬にならないかなぁ」
ふと、そんな言葉がこぼれた。
「おいおい、いきなり冬は気が早いだろ」
不意にかけられた声に、振り向く。父だった。
私の方へ歩み寄ると、それにつられるように、小さな影がひらりと舞い降りてくる。
「キュキュ!」
「精霊さん」
胸に飛び込んできた小さな存在をそっと抱きしめる。
ふわりと香る草の匂い。たまに金木犀の香りを纏うこともあるこの精霊さんは、私が辛いときも、側に離れず寄り添ってくれた。
心の支え⸺⸺両親と同じ、大切な存在だ。
私は、そっと目を細める。そして、ふといたずら心が湧いてきた。
(よしよし、今日も嫌がるまで抱きついてやろう)
そう思った瞬間、父の大きな手が私の頭をくしゃりと撫でる。
「タチエ、精霊さんが嫌がるまで抱きつくんじゃないぞ。おもちゃじゃないんだから」
「大丈夫、しないよ」
⸺⸺たぶん
そんな言葉を付け足しながら、私は精霊さんをぎゅと抱きしめた。
数日後、久しぶりに外へ出るとーー。
薬を売る傍ら、いつも通り怪我の手当をしていた。
すると、膝を擦りむいて泣いている子供を見つける。
「痛かったね。でも、もう大丈夫だよ」
そっと薬を塗ると、子供は涙を拭いながら小さく頷いた。
その隣で、母親が心配そうに私を見つめる。
「タチエちゃん、大丈夫? しばらく来ないから、みんなで心配してたのよ」
すると、近くにいた老人が口を開いた。
「そうじゃよ。タチエちゃんが全然来んから、皆で話しておったんじゃ」
それに続いて、若者や子供までもが、次々と声をかけてくる。
「体調悪かったの?」
「無理しないでね」
「会えてよかった!」
「皆さん……ご心配をおかけしました」
私には、心配してくれる人がいる。
それだけで、胸が温かくなった。
「はい、これ。食べて元気出してね」
心配してくれた夫婦が、饅頭を手渡してくれる。
家に帰り、お茶と一緒にそれを口にする。
ふと、思う。
(私にできることは、何だろう……?)
「あ——」
⸺⸺遠い記憶が蘇る
視界が暗転する。
赤黒い血が地面を染める。嗅ぎなれた筈の鉄の匂いが鼻を刺す。
兵士の叫びと銃声が鼓膜を震わせる。
呼吸が乱れる。
手が震える。
大丈夫。
ゆっくりと吸って吐いて、深呼吸をする。
たまに、こうやって記憶がフラッシュバックすることがあるが、深呼吸をして、お茶を飲んだり、日光浴をすることで落ち着かせている。
手の震えが止まらないけど、効果的だ。
お茶を一口飲む。
まろやかな甘さと、お茶のぬくもりが心を静めていく。
ようやく落ち着けて、私はふぅと息をついた。
饅頭を一口齧るとまた一人考え込む。
(私は確か……お茶やお菓子を作るのが得意。だから……)
思考がまとまりきらないまま、ぼんやりと考え続ける。すると、一つの答えが浮かんできた。
(お茶屋でも……始めるか?)
私がお茶を飲んで落ち着いたように、他の人に安らぎを与えられるかもしれない。美味しいお茶菓子もセットで出して、提供すれば、
いろんな人に喜んでくれるかもしれない。けれど、何か違う気がする。
そして、また、ある提案がまた一つ思い浮かぶ。
(バイオリンが得意だから…… 音楽家にでもなるか?)
音楽で人を癒やすことができれば、心に病を持った人の心にゆとりを持たせることができるかもしれない。
それもまた道の一つだ。けれど……。
生計を立てるのは難しそうだ。
それに、戦場での記憶があるからこそ、癒やしの音楽を届けたいと思うけれど、演奏するだけで十分なのか……?
(父の跡を継ぐのもありだな)
父の跡を継いで、薬を売るついでに、傷を治す。これもまた、将来の選択肢の一つだ。けれど、薬を調薬するのは好きだけど、病に苦しむ人のサポートはどれほど難しいかはよく知っている。父はそれで苦労をしているのも。
私には荷が重い。
「どうした?タチエ?悩みごとか?」
「お父さん」
そこへ、父がやってきた。私は思い切って、父に悩みを打ち明けることにした。すると、彼も一緒に悩んでくれた。
「うーん。将来か……タチエにはまだ早いんじゃないか?」
「でも、考えたら、キリがなくて……」
「将来の進路ねぇ……」
父は腕を組み、しばし考え込む。
やがて、ふと顔を上げた。
「タチエ、お茶屋をやるなら、どんなお茶を出したい?」
「え?えーと……美味しいお茶と、お菓子も一緒に。和菓子もいいけど、南蛮菓子も出したいな」
「南蛮菓子か……いいな」
話しているうちにアイデアが膨らんでいく。お茶屋を開いて、お茶だけじゃなくて、カステラやタルトを提供する。お菓子なら後から学べばいいし、南蛮菓子なら客人に喜ばれそうだ。
「お茶の種類を選べるようにしたいな。緑茶、玄米茶、紅茶、それから……ハーブティーもいいかも!」
「おっ!それは面白いな!」
次々に浮かんでくるアイデア。
話しているうちにワクワクしてきた。
なんだか、前世の文化祭を思い出す。クラスの皆でメニューを決めて、試行錯誤しながら作り上げた、あの喫茶店のことを。
(あのときも、皆で考えて、作って、楽しかったな……)
お茶屋も同じように、人が集まり、温かい空間になったら、素敵かもしれない。
「タチエ、お前、いい顔しているぞ」
「え?」
「悩んでいた筈なのに今は楽しそうだ。」
そう言われて思わず頬を触る。
確かに、少しだけ、晴れやかな気持ちだった。
けれど、何か違う気がする。私の求めてる答えはこれじゃない。
私は考える。戦場での記憶があるからこそ、ただの癒しではなくもっと直接、誰かを助けたいのでは?
迷いはまだある。でも、お茶屋をやってみたい⸺⸺そう思えたなら、きっと意味がある。
だって、無意味なことなんて、この世のなかにはないんだから。
これをヒントにまた一つゆっくりと悩みを解消していこう。
私はあのとき自身に納得して、考えたものの、考えれば悩み続けるのが、人の性。
答えのない日々のなか、寝る間も惜しみながら、思案に耽る。
悩み続ける私に町から帰ってきた父が妙に興奮気味にこう言った。
「タチエ、忍術学園を知っているか?」
⸺⸺忍者の育成場
そう聞いて私は目を見開いた。
心臓が跳ねるように脈を打つ。
長い間、暗い穴の中を彷徨っていた気がする。けれど、ようやく蜘蛛の糸を掴めたように思えた。
「それ、どこから聞いたの!?」
「え、ああ。町で忍者が活躍しているって聞いて……。それで、気になって調べてみたんだ。そしたら忍術学園があるって……。どうした?」
忍術学園⸺⸺忍者の学校
忍者は城に仕える者。忍術は戦に関わることが多いが、調薬技術にも長けている。忍者……戦に関わる者。でも、彼らは戦うだけじゃない。薬草の知識を持ち、独自の医療技術を持つ……それなら私の力を活かせるかもしれない。
そうだ⸺⸺私は「ただの薬を作るだけ」ではなく、もっと直接、人を助けたいのではないか?
今の医療や調薬では限界を感じる。父は多くの人を薬で癒やしてきた。けれど、重い病人には申し訳程度の処方しかできずに、亡くなることも珍しくはなかった。
何もできなかった。あのとき、私の手の中には、ただ冷たい薬瓶があるだけだった。必死に調薬しても、傷ついた人の命は救えなかった。悔しさで涙が溢れた。その悔しさを二度と味わいたくない。
忍術学園に行けば、戦場で生きる力を学べる。
医療だけでなく、戦う術も身につけられる。
それは、私の持つ力を最大限に活かす道ではないだろうか⸺⸺。
(悩んでいる暇はない。
どんな手段持ち得ても成し遂げないと……!これなら、いける……!)
この道しかないという確信が、心の奥に熱を持って広がる。
「お父さん、お母さん。
私、忍術学園に行く」
言葉にすると、まるで未来そのものが確定したようだった。
父は驚いたように目を丸くし、母は小さく息を呑んだ。
しばらくの沈黙が流れた後、父がポツリと呟く。
「……本気か?」
「本気だよ」
「忍者の修行は厳しいぞ」
私は深呼吸をして、続ける。
「覚悟はできてる」
するとそこへ母も父に同意したように口を開いた。
「それだけじゃないわ。貴方、魔術はどうするの?後継者がいないと困るわ」
「それは続けるよ。学費も、城に就職できれば払える。だから……」
私は頭に深々と下げる。わずかだが、手が震えたが、やると決めたことだ。
しばらくの沈黙後に父は静かに言った。
「顔を上げろ」
私は恐る恐る顔を上げる。正直に言うと怖い。だって、前世の頃からわがままなんて言ったことなかったから。もしかすると、これが最初で最後のわがままなのかもしれない。
すると、父は厳しそうだったが、
どこか寂しげだった。そして、彼は静かに呟いた。
「お前が、わがままを言うなんて珍しいこともあるもんだな……
お前は昔からわがままを言わない子だった。どこか子供らしくなく、大人びていた……」
「あ」
私は心当たりがある。前世の記憶を思い出してから、私は子供らしく振る舞うことが難しくなった。
「幼いお前は昔から、何に対しても無表情で感情が薄かった。でも、始めて、笑ったときは嬉しかったな……」
父はどこか懐かしむように目元を押さえた。母は心配そうに私の手を握る。
「本当に魔術師としての修行と忍者の両立は本当にできるの?」
「それでもやるよ。できることは全部やる」
母と視線が合う。張り詰めた沈黙が続く。次の瞬間、彼女は小さくため息を吐いて、言う
「……そこまで言うのなら行ってもいいわよ」
「本当?」
「ええ」
私は心の中でガッツポーズをした。まさか、通るとは思ってもいなかったからだ。飛び跳ねたくなるほど喜びで満ちていた。
「でも、問題がある。魔術師であることを隠さなきゃいけない」
「「え?」」
私の言葉に父と母は聞き返した。
「……え?」
私は思わず戸惑いの一声を発した。そして、沈黙後、二人は「あちゃー」と言っていた。父は今思い出したように呟いた。
「……すまん。忘れてた」
「私も……」
「えぇ……」
不安はよぎるが、悩んでいる暇はない。
入学まで、あと二年。やるべきことは決まっている。
最初は腕力と体力をつけること。
「はぁ……!はぁ……!」
森の中を駆け回る。木の根が絡まる不安定な地面を踏みしめながら、必死に足を動かす。息が切れ、肺が焼けるように痛い。足元の土がぐしゃりと音を立てる。
風が肌を切るように冷たい。それでも走り続ける。
最初は思うように動けずに転ぶことがあった。でも、走る距離は少しずつ伸びている。
「んしょ……!んしょ……!」
家に帰ると次は腕力を鍛える。
寝室で重い布団を持ち上げることから始めた。
最初は腕が震え、すぐに力尽きた。でも、諦めずに続けるうちに、布団から水の入った桶へと負荷を上げていく。初めは桶一つで、腕がガクガクだったが、やがて、井戸を往復しながら、桶二つを持てるようになった。
「タチエ?大丈夫?無理しないでね……。心配よ」
「大丈夫だよ!お母さん」
母の心配そうな視線を感じながらも、私は必死に鍛錬を続ける。魔術を使えば簡単だ。でも、魔術に頼らずに鍛えることに意味があるのだから。
次は知識を蓄えること。
父の調薬の仕事を手伝いながら、
薬学の知識を身につけた。
「これはどんな効果がある?」
「組み合わせたら危険なものは?」「調薬中に気をつけることは?」
一つひとつ、質問し、メモを取り頭に叩き込む。
それから、判断力や素早さを養うこと。
薬学の知識は判断力と素早さが求められる。材料を瞬時に見極め、秤を置く手を止めない。それから、手早く調薬していく。一瞬の迷いが大きなミスへと繋がる世界だ。
最初は焦って、ケアレスミスが多かったが、次第に感覚が掴めてきて、手際よ薬を作れるようになっていく。
「よし!」
父に出来た薬を見てもらう。父はジッと薬を見て、頷いた。
「いい出来だ。次は手際よくやってみろ」
「うん!」
それから、走るのに慣れてきたら、風呂敷に荷物を入れて、走り出す。いざ、というときに動けるためだ。呼吸が荒くなり、汗が滲む。でも、止まるわけにはいかない。そう思うと、自然と足が動いた。
休日に筋トレも実施した。スクワット、腕立て伏せ、シットアップなど回数を重ねる。最初は嫌になりそうになり、上手く動けなくて、涙が出そうになった。けれど、諦めずに続けていく。次第に筋肉がついていき、楽になってきた。
とはいえ、無理しすぎるのも体に毒だ。趣味のバイオリンを演奏したり、歌を歌ったり、植物の世話をしたりして、心を癒やした。ときおり、戦争の過去がフラッシュバックするが、こんなことで私はめげない。私にはやり遂げなくちゃいけないから
「よいしょ……!」
いつものように日課の水汲みで、私はあることに気づいた。
(あれ?なんだろう……。少し軽い)
桶二つ分を持っても軽く感じる。それどころか、往復で家から井戸まで楽々と行けるようになった。今では水汲みなんて朝飯前だ。
「あれ?小さくなった?」
「違うわ。タチエが大きくなったのよ。凄いわ……。なんか最近、逞しくなったわね……」
服が小さく感じるようになり、なんだか、少しだけ筋肉質になった気がする。それを見た母は私の成長ぶりに驚いていた。
次にいつも通りに薬を調薬して、父に提出した。
「終わったよ」
「え?タチエ、速くなったな……まあ、大事なのは質だが……」
父は鍋から匙で掬い、匂いや質を慎重に確かめた。すると、一瞬、目を見開いた。そして、笑っていた。
「タチエ、素早さだけじゃなくて、質も良くなったな。合格だ」
父は満足気に頷いた。そして、父は記念にとしっかりと瓶詰めして、後に売り物にしていた。ちなみに私の作った薬は後に効き目がいいと町の人には好評だった。
たまに町に出かけて、父が薬を売る傍らでまた、膝を擦りむいた子供を治療していたときに横にいた夫婦は感心したように話しかける。
「タチエちゃん、一段と怪我の治療が速くなったねぇ」
すると横にいる腰を痛めた老人が言葉に乗っかった。
「タチエちゃんは最近、成長したのう。別人みたいじゃ」
老人や夫婦にそう言われ、思わず笑ってしまう。
「ありがとうございます」
店仕舞いをしていると、父が話しかけてきた。
「お前が調薬した薬は町の人には好評だな。すごいぞ!」
「え?そう?嬉しいな」
父に認められるのは、やっぱり嬉しい。喜びに胸が高鳴る。あと一年、頑張ろうと思った。
忍者は夜に活動することがある。
だから、夜には鍛えなければならない。でも、両親に見つかれば……。それでも、私は行くと決めた。
走る際はなるべく足音を消している。ここで強くならなくてはならない。大切な人を守る為に。
季節は秋。夜の山道を駆ける。ヒュウと風が吹き抜け、木々のざわめきが囁き声に聞こえた。カサリと落ち葉を踏みしめるたびに背中がゾクリとする。
夜の森は冷たく湿った空気が肌に張りつくようで、足元から這い上がる冷気に身が震えた。
「落ち着いて……これは訓練なんだから……」
自身に言い聞かせる。深く息を吸い込み、ゆっくりと吐いた。
だが、心臓の鼓動は早いままだ。
次の瞬間、バサッ
何かが突然、目の前で飛び立った。
「ひぇっ!」
反射的に身を竦める。しかし、それがただの鳥だと気づいて、私は胸をなでおろした。
(大丈夫。私は薬茂タチエ。
これから忍者になるんだから、
しっかりしないと……)
ガサガサッ。
草むらが動いた。
「ひっ!」
思わず後退る。
心臓がうるさいほどバクバクと鳴る。鹿かあるいは猿か。
もしかすると、猪や熊なのかもしれない……。
息を呑んだ。冷たい汗が背中を伝い、喉が詰まるような感覚がする。
そして、次の瞬間、草むらから何かが飛び出す⸺⸺
出てきたのは狸だった。
まん丸の黒い目をこちらへ向けてちょこんと座っている。私は動物が大好きだ。前世の頃はフォウ君とよく遊んでいた。『フォウ!フォウ!』と鳴く姿が可愛くて、つい構いたくなって、モフモフの白い毛並みを撫でたものだ。
「狸ちゃん〜おいで〜」と私はそっと手を差し出した。狸の黒い目がじっとこちらを見つめた。しばらくにらめっこしたが、結局逃げられてしまった。
やはり、動物は可愛いものだ。いつ見ても癒やされる。なんと言ってもあのモフモフがいい。
暗い森の中にポツンと一人取り残される。まだ、心臓が鳴っていた。
(私、怖がってる?)
音に怯えている自分が未熟に思え、悔しさが込み上げた。
そんな自分を振り払うように、思いっきり駆け出した。
それから、慣れてきて、木々のざわめき、風の音、
地面を踏みしめる感覚、体に染み込んでいく。耳を澄ませばよく聞こえる。
それでも、夜の山は怖い。
何かの視線を感じるのは気のせいか、それとも本当に……?
何もない⸺⸺筈なのに、次の瞬間、すぐ耳元で微かな気配が……。
静寂の中、背筋が這い上がるような冷たい視線を感じた。
振り向いても、そこには何もない。
あれ以来また狸に会えたが、逃げられてしまった。あのときは鹿や猿かもしれない。でも、本当に怖かった。幼い頃、父が話してくれた"夜の森には何かがいる"という言葉を思い出した。
最後にもう一度振り返ると……。
夜の訓練に加え、川を渡る訓練も始めた。
流れが速いなか、慎重に緩やかな場所を踏みしめる。川の水は肌に刺さるように冷たい。ときには流されて、岩にぶつけそうになったり、突然、足を攣った。鋭い痛みがふくらはぎを襲い、水中でバランスを崩す。冷たい水が喉を塞いだ⸺⸺。試行錯誤しながら、一歩、一歩、慎重に歩を進める。
(絶対にやり遂げてやる!)
そう自分に言い聞かせながら、何度も何度も挑戦した。
⸺⸺5週間後。
「やった!」
ようやく岸辺に辿り着いたときは思わず声を上げた。冷えた体を震えるなか、喜びがこみ上げる。ジンジンと手足が暖かくなる。喜びが胸を満たし、体の奥から熱が湧き上がるようだった。
「ふふふ!ふふっ!」
言葉にできなくて、思わず笑ってしまう。一人の達成感だが、それでも、確実に成長している。
秋の川はまだ良かった。だが、冬の川は厳しかった。それでも、私は家で真冬に真水を浴びている。
(もう少しだけ耐えてみよう)
だから、もう少し長く耐えられるように体を鍛えたが……。
……案の定、風邪を引いた
体が熱くなり、頭がボーッとする。でも、私は笑った。
それでもやめない。歩みを止めない。
忍者になる為に。
◆◇◆
時刻は戌の刻。空はオレンジ色と藍色の空が二つに別れている。夜の帳が降りようとしていた。藍色の空には星が瞬いている。父が灯明皿に火を灯すと、部屋の闇が揺らめいていた。
「……何を考えているんだ、タチエ」
「ごめんなさい、お父さん……」
父は呆れて、ため息を吐いた。
「馬鹿者!鍛錬をするのはいいが、命を落としては意味がないだろう!」
彼は怒鳴るように叱りつける。
「もし……もしだ……お前を失ったら、俺達はどうしたらいい?」
父は手を震わせながら、言葉を振り絞っていた。
「無事だったから良かったけど……」
母は涙ぐみながら、言う。涙を拭う手は振るえていた。ずしりと言葉の重みがのしかかる。母を泣かせたことに罪悪感が湧く。
心の中のアスクレピオスさんが冷静に告げる。『次はない』
当然だ。これはゲームではない。リセットも復活もない。ただ、一度きりの終わりがあるだけだ。
座卓の上の花瓶を見る。そこには庭で摘んだスミレの花が咲いていた。花はめいいっぱい咲かせて、あっという間に枯れていく。それは命も同じだ。
スミレの花が、あの日の記憶を呼び起こした。
【それは、かつてカルデアでの戦いの出来事だった】
かつて、私は藤丸を庇って大怪我をしたことがある。治療中のときにナイチンゲールさんは言った。
『私達、英霊は何度でも、召喚されます。けれど、貴方の命は一つだけ。』
そして、彼女は私の手を握り、静かにこう言った。
『どうか、命は大切に』
病室を抜け出したときにマシュや藤丸が自己嫌悪に陥っていて、他のサーヴァントが慰めていたのを見た。他のサーヴァントにも叱られた、無謀と勇気を履き違えるなと。
それなのに、なぜ今まで忘れていたのだろう。
自分の愚かしさに、拳を握る。
泣きそうになるのを必死に堪えて、唇を噛みしめる。
『だから、未熟なのよ』
あのときのナイチンゲールさんが言った言葉が、今も胸を突き刺すように響く。
視線を落とすが、涙が頬を伝う。二人と父の言葉が心に染み込んでいく。
それから、しばらく泣いて、小さくなった灯明皿を見る。まるで、儚い命のように思えた。
「私、忍者としても、医療者としても、まだまだ足りない……」
震える唇でようやく言葉を吐き出した。母は「生きててよかった」と私の背中を優しく撫でる。
すると父は怒りもせずに、悲しむこともなく、ただ黙っていた。
その顔は少しだけ、寂しげな顔をしていた。
「……確かにお前は医療者として、忍者として、半人前だ」
今度は父の言葉が心に深く突き刺さる。
喉が詰まるような感覚。視界が滲む。沈黙する私に母はギュ、と手
を握ってくれた。
「だが、間違いに気づけて、よかったじゃないか」
父は静かに言う。
「タチエ、人は間違いをする。けれども、その分、恥や悔しさを糧にして成長するんだ」
父は真剣に私に何か伝えようとしている。
「だから、タチエ、たくさん恥をかけ、たくさん泣け、たくさん挫折しろ」
「お父さん……」
「その悔しさを糧に強く生きろ、それが若者の特権だ」
「大丈夫。貴方は強い子。やればできるわ」
すると、父は私に力強く問いかける。
「大事なのは、そこで終わらないことだ。タチエ、お前はどうする?」
カルデアの戦場に立つあの頃を思い出し、私も意思を強く答えた。
「私は生きたいと叫ぶ人を救いたい……!だから、自分の命も他人の命も軽んじない!」
私はもう負けない。諦めない。
それから、無茶な訓練はもうしない。自分にも優しくしなければ、他人にも優しくできないから。私の答えに父はようやく笑う。
「それでこそ、我が娘だ。これからも昇進していけ」
両親の励ましの言葉で私の背中押す。……そうか。私は二人の優しさに支えられてきたんだ。私が死んだら、二人の優しさが無駄になる。
無茶をしたあの日、アスクレピオスさんは聴診器を手に私の心臓の音を聞かせた。そして、静かに告げた。
『この心臓の音を忘れるな』
深く息を吸い、そっと胸に手を添えた。確かに鼓動がある。私は生きている……。それは、決して当たり前ではないものだった。
私はこの命の重みと両親とカルデアの言葉を胸に忘れられないように刻みつける。
窓を見れば、すっかり夜になっていた。月の光は孤独な私を寄り添うように照らしていた。暗い闇の外は冬の星座が空に輝いている。いつの間にか、灯明の火はあと少しで燃え尽きそうだった。椿油はほとんど残っていない。新しいのに帰る必要がありそうだ。
悔しさと恥を胸に刻み、私の中の命の火は燃え続ける。
父は「体調には気をつけろ」と「無茶な訓練はしないこと」とこんこんと説経を続けてから、退出した。両親は私にしばらく休むように言われて、寝ることにした。しかし、自己嫌悪で眠れないでいた。
外では虫の鳴き声がしない。ただ、微かに風が障子を揺らしていた。
静かな夜が続くなか、母が湯呑みを差し出す。その温かさが、冷えた心と体をじんわりと温めた。
「お茶温かいでしょ?」母は穏やかに言う。私はこくりと頷いた。
「命って大事なんだってわかっていたつもりだった。けれど、それを忘れてしまうこともあるんだよね……」私は呟くように口を開いた。
母は私を黙ってジッと見ている。そして、クスリと笑う。
「そうね。でも、大事なのはその間違いをどう活かすかが重要なのよ」
私は温かい湯呑みをギュと包み込む。
私は命を軽んじない。
どんなときでも、忘れない。
けれど、もし……助けられなかったら……?また、無茶をするかもしれない。
いや、私はもう迷わない。仲間を守る忍者になる。命の重みを知る者として⸺⸺仲間を守る忍者になる。