今回は幽霊調査する夢主の話です。
お楽しみいただければ、幸いです。
では、どうぞ!
戦いが終わり、街の周辺を探索していた私たちは、徐々に静まり返った瓦礫の中を歩いていた。
「今の……なんだったんだろう……」
藤丸さんがぽつりと呟く。私も答えに詰まった。
「……わかりません。この時代どころか、私たちの時代にも存在しない異形でした。あれが“原因”……もしくは、それに近い何かである可能性は高いですが……」
マシュさんが淡々と推測を口にする。その時、通信機から聞き慣れた声が響いた。
『やっと繋がった! もしもし、こちらカルデア管制室! 聞こえるかい!?』
「こちら、Aチーム所属、マシュ・キリエライトです。現在、特異点Fへのレイシフトに成功しました。同伴者は藤丸立香、佐藤タチエ、二名。全員、心身共に問題ありません。マスター適性およびレイシフト適性、いずれも良好。藤丸立香を正式な調査員として登録願います」
『……やっぱり、藤丸くんもタチエも巻き込まれていたか。コフィンを通さずによく意味消失に耐えたね。それは素直に嬉しいよ。……あと、マシュ、君が無事なのも喜ばしいんだけど──その格好は何!? 露出度が高すぎる! そんな子に育てた覚えはないぞ!?』
「……これは“変身”した結果です。制服では先輩を守れなかったので」
『へ、変身……!? ちょっと待ってマシュ、頭でも打ったのかい?』
「ドクター、落ち着いてください。まずはマシュさんの状態を確認してください」
ピシャリと告げると、ロマニさんの口調が変わった。
『……ふむ、マシュの状態を確認……おおっ!? 身体能力、魔術回路……異常上昇!? これはもう人間というより……』
「はい、サーヴァントです。私はある英霊と融合したことで命を繋ぎました。詳しい経緯は不明ですが、カルデアが用意していたサーヴァントが爆発に巻き込まれ、マスターを失う直前、私に契約を持ちかけてきたのです。“力を託す代わりに、この特異点を破壊してほしい”と」
『英霊との融合……“デミ・サーヴァント”か。六番目の実験だったね……ついに成功したのか。じゃあ、君の中に英霊の意識は……?』
マシュは一瞬、目を伏せた。
「いえ。彼は能力を渡した直後に、完全に消滅しました。真名も、クラスも、私には告げずに。……だから、私自身も、自分が誰の力を借りているのか、正確には分かっていないのです」
『そうか……でも、それはむしろ都合がいい。召喚した英霊が協力的とは限らないからね。信頼できる君がサーヴァントになったことで、こちらも動きやすくなる』
ロマニさんは一呼吸おいて、言葉を続けた。
『藤丸くん、タチエ。現在、君たち二人だけがこの特異点へのレイシフトに成功している。そしてすまない、何の説明もないまま、こんな事態に巻き込んでしまった。混乱していると思うが、安心してほしい。君たちには強力な武器がある。マシュ・キリエライト──人類最強の武器が、君たちの味方だ』
「……“最強”はちょっと大げさでは。あとで怒られるのは私です」
「大丈夫だよマシュ! 責められたときは、俺が全力で言い訳するから!」
『ハハ……いい関係だね。でも藤丸くん、覚えておいてほしい。サーヴァントは頼もしい存在であると同時に、非常に繊細な存在でもある。』
「……はい。“マスターがいなければ存在できない”、ですよね。魔力供給の契約が必須」
私の言葉にロマニさんは続けた。
『その通り。現在の解析結果では、マシュは君のサーヴァントとして成立している。君が最初に契約した英霊が、彼女だということになる』
「俺が……マシュの、マスター……」
『うん。戸惑うのも無理はないけれど、今は君たちの絆が何よりの戦力になる。……っと、シバの出力が不安定だ。通信が切れそうだ。三人とも、今から二キロ先に零脈の集中地点がある。そこまでたどり着けば、通信も安定するはずだ。無茶はするなよ、いいね?』
「了解しました。移動します」
そうして、通信はプツリと途切れた。
「助かります、先輩……正直、私……怖くて……」
「キュ、フォウ。キャーウ!」
そのタイミングで、またもや肩に乗ってきたフォウくん。……この子、一体いつの間に?
「そうでした。フォウさんも、いてくれたんですね。応援……ありがとうございます」
マシュが小さく微笑む。
「先輩と一緒にレイシフトしたようです。あっ、ドクターへの報告、忘れてました……」
「キュ、フォウ!」
フォウくんは軽やかに私の肩を行き来しながら、ピョンとマシュの頭にも飛び乗る。
「……ドクターなんて、気にするな、って言ってるようだね」
「そうですね。フォウさんのことは、また落ち着いてから報告しましょう」
私たちは、魔力の安定ポイントを目指して歩き出した。焦げたアスファルトの上に、私たちの足音とフォウくんの軽い跳ねる音が重なっていく。
「このまま東へ向かえば、通信と魔力の安定地点に出ます。廃墟ですが、キャンプにはちょうど良いはずです」
マシュが先導し、端末を確認しながら歩いていく。
「……ここも、元は誰かの“日常”だったんだね」
藤丸さんが呟く。私は空を仰ぎ見ながら答えた。
「けれど、もう誰もいない。だからこそ……今、私たちが歩くこの一歩一歩に、意味があるんだと思います」
「……タチエさん、かっこいいです」
「そうでしょう? ……なんて冗談です。私たちが、自分の足で前に進むこと。それだけが、この街にできる最大の“慰め”かもしれませんね」
「フォウ」
肩の上で、フォウくんが小さく鼻を鳴らした。まるで「うんうん」と言うように。
少し歩くと、廃校のような建物が見えてきた。中央に広い中庭があり、崩れた壁の隙間から風が吹き抜けていた。
「ここが、座標地点に最も近い安全地帯です」
マシュの言葉にうなずき、私は地面に結界を展開する。
「“セーフゾーン・マーカー”展開……よし。最低限の防御は張りました。ここをベースにできます」
「ありがとう、タチエさん。……本当に、君がいてくれて助かる」
藤丸さんの言葉が、胸にじんわり染みる。
「……お役に立てたなら、何よりです。でも、これからが本当の始まりですよ」
「はい。ドクターとも再接続できたら、今後の方針を確認しましょう」
「フォウ!」
フォウくんが元気よく鳴いた。どこか誇らしげに、私たちの周りをくるくると駆け回る。
私は、もう一度空を見上げる。
赤く濁った空の彼方に、きっと私たちの未来がある。
それを取り戻すために、今ここにいる。
(あきらめない。絶対に)
私たちは拠点づくりに取りかかった。
焼け焦げた街の片隅に、ほんの小さな灯りをともすように――。
◆◇◆
「小町……小町……」
薄暗い書庫の中で、私はページをめくり続けていた。
三十年前の古文書から、ごく最近の記録まで。どれも目を通したはずなのに、それらしい名前は見つからない。
乾いたため息が、静けさに満ちた書庫に溶けていく。
窓の外には、朱に染まりかけた空。刻一刻と、約束の時間が近づいていた。
それなのに、小町さんの情報はひとつも出てこない。たったひとつ、ほんの断片でもあればよかったのに……。
「……仕方ない。行きますか」
私は手元の書物を、ひとつひとつ丁寧に積み直していく。
卒業生の名簿を見れば、何か残っていると思ったのだが、小町という名はどこにもなかった。
その名前に、私はどれほどの希望を託していたのだろう。だが記録には、「小」の字すら見当たらない。
それにしても、三十年も前に、くのたまの卒業生がいたとは……。
彼女たちは今、どこかの城に仕えているのだろうか。それとも、誰かと婚約して平穏な日々を過ごしているのか。
「……でも、くノ一に女の夢は難しいか……」
くノ一は、城主に仕えるための影。戦うための武器。
そのために、万が一に備えて堕胎薬も用意されている。
けれど、それを使いすぎれば、命だけでなく、女としての未来すら奪いかねない。
ホオズキで作る薬は、子宮を強く揺さぶる。妊婦に使えば、命は落ちる。
だからこそ、私は慎重に、何度も悩みながら調薬する。副作用を抑える工夫もしてきた。
それでも、限界はある。
夢を見るのは、本来自由なはずだった。
でも、くノ一という運命の中では、それは命よりも重い罪とされる。
ホオズキの赤い実――それは、命を絶つ印。
調薬のたびに漂う、薬草と血の匂いが、いまも記憶の奥にこびりついている。
「いつか……私も旦那さんをもつ日がくるのかな」
窓から差し込む光が、儚く床を照らしている。
その光が、胸をやさしく、それでも確かに締めつけた。
夕風がそっと髪をなでていく。夏の始まりを告げる、涼やかな風。
私は、ふと空を見上げた。
……茜色の雲が、どこまでも、どこまでも流れていく。
(それだけじゃない。お腹の子供も……犠牲になる)
子供を持つなんてことはできない。そんなことはとうにわかりきっている。それでも――夢を、見てしまう。
もし、結婚することができるならば。我が子を抱くことさえ許されるのなら。それでも、夢くらい見てもいいじゃないか。
けれど、夢は夢のまま、指の隙間から零れ落ちていく。
どれほど強く握りしめても、残るのは温もりではなく、虚しさだけだ。
「……はぁ」
ため息とともに、私は机の端に残された一冊の古びた冊子に目をやった。
さっきは見落としたのだろうか。革表紙は色あせ、今にも崩れそうなほど弱っている。
ページの端をそっとめくると、淡い墨の香りがふわりと立ちのぼった。
「……本当に行かないと」
最後の一冊をしまい終えると静かに書庫を後にした。誰もいない静かな廊下をギシリと音を立てて歩を進める。そして、目的の縁側に辿り着いた。今日はお茶会しない予定なので、お茶は用意していない。
まあ、軽く報告するだけだから、必要ないだろう。藤丸が来るまで気長に待つとするか。数分待ってみれば、それらしい影が近づいてきた。
濡羽色の髪に青い瞳の彼が。黒い忍者装束を着て、息を切らして走ってくる。辿り着いたときには息が上がっていた。しばらくして、藤丸は息を整えると笑顔で言う。
「ごめんごめん、待たせた?」
「藤丸、そんなに慌てなくてもいいんですよ。お疲れ様です」
「お疲れ、さっそく報告するね」
「はい」
藤丸は私の隣に座り、報告を始める。せめて、彼の口からなにか情報があるといいのだけれど……。
「職員室の書類を見たり、先生たちに聞いてみたのだけど……」
「はい」
なんだろう、ドキドキする。まるで、受験の結果を見るときを思い出すような気持ちだ。高鳴る鼓動を抑えながら、私は藤丸の口から調査報告を待っていた。
「……ごめんね。先生たちに聞いても知らないみたいだし、職員室の書類にも小町さんの情報はなかったんだ」
「そっちもですか……」
「そっちも?」
「実は私も保健委員の仕事の傍らに小野寺先輩にも聞いたんですが、『小町というくのたまはいない』って言いますし、書庫でくのたまの卒業名簿を確認したんですが、すみません……三十年前から最近のものまで見たんですが、小町の「小」の字すら見つからなくて……」
「そっか……うーん。忍術学園が駄目なら外で聞き込みするしかないか……タチエ、聞込みできる?俺は事務の仕事があるから、手が離せないんだ。」
「任せてください!聞込みなら大丈夫です」
「ありがとう。助かるよ」
「いえ、藤丸も仕事頑張ってください」
「ありがとう……でも、引き続きこっちでも聞込みや書類を探してみるよ。もしかすると、見落としているかもしれないし」
「はい、お互いに頑張りましょう!」
こうして、私たちは引き続き調査を続行することになった。少しでも早く小町さんの想い人をみつかると信じて。そして、小町さんが成仏できるように頑張らなければ!
「……なるほどね。それで、私たちに頼んできたわけか」
「人数が多いほうが聞き込みも捗りますしね」
リンは私をじっと見て、目を細める。
忍術学園の近くの城下町に集まったのは、リン、葵、メイのいつもの顔ぶれだ。
彼女たちにはお昼をご馳走する代わりに、小町さんの聞き込みをお願いした。しかもデザート込み。さらに、書庫の掃除まで引き受けるという報酬つきだ。
人でごった返す城下町で一人きりで聞き込みをするのは骨が折れる――そんな理由もある。
掃除とデザート込みの昼食代。これだけあればやる気も出るだろう。
物で釣っているみたいで少し複雑だが、背に腹は代えられない。
「というわけで、さっそくお願いします」
「私、一度やってみたかったんだ。聞き込み」葵が目を輝かせる。
「探偵みたいで、ちょっとワクワクするね」メイも笑った。
「仕方なくよ。後でデザート込みで奢るのならいいわよ」リンはツンと顎を上げる。
「本当にありがとう」
「ま、報酬もあるし、いいわ」
リンはなんやかんや言いつつも、しっかり付き合ってくれる。
「何にしようかしら……あんみつ、団子……迷うわね」と言っているあたり、本気で奢らせる気らしい。まあ、依頼に報酬はつきもの。需要と供給ってやつだ。
「じゃ、開始!」
四人はそれぞれ反対方向へと散っていった。
私も人混みの中へ足を踏み出す。賑わいは私の馴染みの町よりも活気があり、香ばしい焼き団子の匂いや、威勢のいい呼び声が四方から飛び込んでくる。
まずは、人の集まりそうな場所を探すことにした。
城下町の中心――大きな井戸端では、数人の女性たちが桶を手に水を汲み、洗濯や野菜の話に花を咲かせていた。こういう場所は噂話や人の名前がよく飛び交う。
(よし、ここからだな)
軽く会釈して近づき、にこやかに声をかける。
「こんにちは。お水、重そうですね。お手伝いします」
「あら、まあ、ありがとうねえ」
「若いのに気が利く子だこと」
桶を受け取りながら、さりげなく切り出す。
「実は、人を探していまして……『小町』さんという女性をご存知ありませんか?」
女性たちは顔を見合わせた。
「小町……?」
「うーん、この辺りじゃ聞かない名前だねえ」
「昔の人かい?」
「はい、三十年以上前に……この近くにいたかもしれない方で」
すると、一人の女性が「あら」と声を上げた。
「なら、ここから西にある蕎麦屋に聞くといいわよ」
「蕎麦屋、ですか?」
別の女性も頷く。
「そうそう、あそこは人の出入りが多いから、何か知ってるかもしれないわ」
「ありがとうございます」
桶を家まで運んだ私は、教えられた道順をたどって西の蕎麦屋へ向かった。
昼時の店は湯気と出汁の香りに包まれ、大勢の客で賑わっている。――と、その店先に、見覚えのある三人組がいた。
「……え?」
そこにはリン、葵、そしてメイの姿。思わず間の抜けた声が出る。
彼女たちもこちらに気づき、少し驚いた顔をした。
「えーと……みんなはどうしてここに?」
「私はここに情報が集まるって聞いたから」リン。
「うん、私も」葵。
「……」メイは目を逸らした。
「なるほどね……」
リンがポンッと私の肩を叩き、にやりと笑う。
「で? 情報あるから、報酬として蕎麦奢ってほしいんだけど?」
苦笑しながら、私は答えた。
「……わかったよ。食べながら話そう」
席に着くまでに数分。
それぞれメニューを眺め、葵とメイはざる蕎麦、リンは天ぷら蕎麦。……リン、しっかり高めのやつ頼んでるな。私は鴨そばにした。
運ばれた蕎麦に舌鼓を打ちながら、リンがまず口を開く。
「染物屋の店主や客に聞いてみたけど、小町って人は知らないみたいね」
次は葵。
「私もだよ。知ってる人はいなかった」
最後にメイ。
「……私も、ごめん」
「いや、いいよ。ありがとう」
小さくため息が漏れたとき、あんみつが運ばれてきた。
「あれ? 頼んだの誰?」
「私」リンが即答する。
「はいよ、あんみつ一つね」
その時、メイがそば屋の男性に声をかけた。
「あの、すみません」
「ん? なんだい?」
「このお店、情報が集まると聞いたんですが……」
「ああ、たくさん人が集まるからね。自然と耳にも入るよ」
「小町さんという人を探しているんですが、ご存知ありませんか?」
男性は顎に手を当て、少し申し訳なさそうに首を振った。
「すまないねぇ、知らないんだ。でも……」
「でも?」
「ここから東に古くからあるお茶屋があってね。そこの店主なら何か知ってるかもしれないよ」
「ありがとうございます」
「いいってことさ」
男性が去ったあと、私たちは顔を見合わせる。
「聞いた?」
「聞いたわ」とリンは頷いた
小さく頷き合い、次の目的地――お茶屋へ向かう決意を固めた。
「あ」
「タチエちゃん?」
振り向くと、そこには善法寺くん――そして、その隣に見覚えのある顔があった。
鋭い目つきに精悍な顔立ち。後に用具委員長となり、武闘派忍たまとして名を馳せる少年、食満留三郎だ。
彼はこちらを一瞥し、善法寺くんに尋ねる。
「……知り合いか?」
「うん、前に話しただろ? タチエちゃんだよ」
「で、その後ろの三人は?」
「リンよ」
「同じく葵だよ」
「……メイ」
「よろしくね、リンちゃん、葵ちゃん、メイちゃん」
善法寺くんはにこやかに笑い、軽く会釈をした。
リンが小首をかしげる。
「で、あなたたち? タチエの知り合いみたいだけど」
私は慌てて口を挟む。
「ほら、この子が私の委員会仲間、保健委員の善法寺伊作くん。そして、こっちは用具委員の食満留三郎くん」
「なるほど、知ってるんだな」
「善法寺くんから話を聞いてたからね」私は肩をすくめる。
「それで、四人してお茶屋に?」
「実は……かくかくしかじか――」
疑問を口にした善法寺くんに私は一通り事情を話すと、二人は顔を見合わせ、うなずいた。
「……なるほどな。小町、か」
「知ってるの?」リンが食満くんを見やる。
「いや、知らねぇ」
「そっか……」
私の肩ががくんと落ちる。
その様子に善法寺くんがすぐフォローを入れた。
「でも、ここならわかる人がいるかもしれない。聞いてみる価値はあるよ」
「……そうだよね」
少しだけ力を取り戻し、私はうなずいた。
「いらっしゃいませ。お決まりかしら?」
「すみません、お茶をいただく前に、少しお聞きしたいことがありまして……」
「なにかしら」
「三十年前以上前、この辺りで『小町さん』と呼ばれてたいた女性は知りませんか?」
「小町さんって言う人は知らないけど……あ、おばあちゃんならなにか知っているかも」
「本当ですか!」
「ええ、でも、おばあちゃん体調崩して今はいないの。ごめんなさい」
「そうですか……じゃあ、改めまして、伺います」
「そう、待ってるわね」
数日後――。
東の通りの端にあるお茶屋を、私たちは再び訪れた。
あの日と同じように暖簾がゆらゆらと揺れ、茶葉の香ばしい匂いが漂っている。
「いらっしゃい、待ってたわ」
店主の女性が笑顔で迎えてくれる。
「おばあちゃんも、あなたたちに会うのを楽しみにしていたの」
案内されたのは、奥の座敷。
障子を開けると、陽の光がやわらかく差し込む中、白髪をきちんとまとめたおばあちゃんが座っていた。
皺だらけの手で湯飲みを包み、にこやかに私たちを見つめる。
「まあまあ……遠いところをようこそ」
その声は、どこか春の日向のように温かい。
私が用件を告げると、おばあちゃんは少し目を細め、懐かしむように息を吐いた。
「小町さん……ああ、あの子のことね」
静かに語り始めた声が、時を巻き戻していく。
「昔ね、この町にとてもきれいな娘がいたの。黒髪は絹糸のようで、笑えば町中が明るくなるような子。
母親とふたりで暮らしていたけれど、母親が病で亡くなってからは、町の和傘職人の家に身を寄せていたわ」
おばあちゃんの目が、遠い過去を見つめるように細められる。
「傘職人の若旦那は、あの子を心から大事に思っていた。でもね、その人にはすでに婚約者がいたの。
それを知っていた小町さんは、何も言わず、むしろ笑って身を引いたのよ。……自分の体が長くないことを、知っていたから」
胸がぎゅっと締めつけられる。
おばあちゃんは小さくうなずき、続けた。
「春先のことだったわ。あの子は桃色の着物を着て、桜の木の下に立っていた。
……その姿を見たのが最後。翌日からは、もう誰も姿を見なかった」
語り終えたおばあちゃんは、湯飲みをそっと置き、微笑んだ。
「きっと、あの子は――あの春の景色の中で、眠るように逝ったのだと思うわ」
私は言葉を失った。
けれど、心の奥底では、確信していた。
(……和傘職人の旦那に、この話を伝えれば)
小町さんが長年抱えていた想いは、ようやく届く。
そしてきっと――成仏できるはずだ。
お茶屋を後にした私は、胸の奥が熱くなるのを感じながら城下の通りを歩いていた。
目指すのは――和傘の店。
暖簾をくぐると、紙と竹の香りが鼻をくすぐる。
奥で作業をしていた老人が顔を上げ、私たちに気づくと少し驚いたように目を見開いた。
「おや、珍しい客人だね」
老人の声は落ち着いていたが、その奥にかすかな緊張が滲んでいた。
「……今日は、小町さんのことで、お話があって来ました」
その名を聞いた瞬間、老人の手が止まり、張りかけていた和紙がわずかにたわむ。
私は深く息を吸い、数日前にお茶屋でおばあちゃんから聞いた話を、言葉を選びながら伝えた。
――小町さんの生い立ち。
――和傘職人の家に身を寄せていたこと。
――そして、自ら身を引いた理由と、最後に桜の下で見た姿。
老人はじっと黙って聞いていたが、語り終える頃には、目の奥に光が滲んでいた。
「……そうか……あの子は……」
震える声で、老人はかすれた笑みを浮かべる。
「私は、ずっと……何も知らずに、ただ見送ってしまった。愚かだったよ」
本来ならここで小町さんの気持ちを伝えて終わる予定だが、私はどうしても、彼に小町さんをひと目でもいいから会わせたくなった。
「おじいさん、小町さんに会いたいですか?」
私の問いに、老人ははっと顔を上げた。
驚きと戸惑いが入り混じった表情のまま、しばし口を開けずにいたが、やがて小さく息を吐く。
「……叶うものなら、もう一度……たとえ一瞬でも……」
その声は、若い頃の恋心をそのまま封じ込めたように、真っ直ぐだった。
「ちょっと、待って。そんなことができるの?」リンは私を見て言う。
「できるよ。そのために用意もしてきたんだ」
「あ、わかった!」声を上げたのは葵だった。
「魔法を使うんだね!」
「は?魔法?」
葵の言葉にリンは怪訝そうに眉をひそめた。
「魔法ってなによ?」
「魔法というより、魔術だけどね」
私はあらかじめ用意した術式が書かれた紙を風呂敷から取りた出した。
「なによ、それ」
「小町さんに会うためのものだよ」
私はおじいさんの前にひいた。魔法陣のような術式は墨とほんの少しだけの血が混ざっている。
私は魔法陣の前に立ち、呪文を唱えた。
すると、術式の線がじわりと赤く光を帯び、淡い桜色の光が部屋いっぱいに広がっていった。
障子越しに春風のような温かい空気が流れ込み、外で咲くはずのない花びらがひらひらと舞い込んでくる。
「……な、なんだ……?」おじいさんは目を見開き、思わず後ずさった。
リンは呆気にとられたように口を開け、葵は期待に満ちた瞳で魔法陣を見つめている。メイはその様子に目を見開いていた。
光の中に、ゆっくりと輪郭が形作られていく。
それは――薄桃色の着物をまとい、黒髪をきちんと結い上げた、若い女性の姿。
淡い笑みを浮かべたその瞳が、まっすぐに老人を見つめた。
「……小町……?」
老人の声は震え、手が伸びかけては止まる。
「お久しぶりです」
女性の声は春の霞のように柔らかく、しかし確かにここに響いていた。
おじいさんの頬を、光の花びらがそっとかすめる――それは、まるで小町さんの指先が触れたかのようだった。