藤丸立香との生活 一年生編   作:猫とふりかけ

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藤丸立香との生活【14】
今回はとあるキャラクターが登場。
視線の調査に乗り出すタチエと藤丸と葵。
その視線の正体とは!?
ぜひお楽しみください!



藤丸立香との生活【14】

冷たい緑茶が机に置かれ、湯呑みに手を伸ばす。

ひんやりとした感触が掌に広がり、口に含めば渋みと冷たさが喉を駆け抜けていった。

 

この時代に冷蔵庫はない。それでも、我が家には冷凍室がある。

冬に父が小屋いっぱいに雪を詰め、母が魔術で長持ちさせるのだ。魔術師として優秀な母なら造作もない。

食べ物は夏でも傷みにくく、薬師の私にはありがたい限りだった。

……部屋を涼しくする魔術はないけれど。小さい頃に聞いたら、母は「そんな便利なのがあったら、とっくに使ってるわよ」と笑っていた。

 

お茶を飲みながら、私は近況を両親に報告する。

友人のこと、そして――くノ一には珍しい保健委員の活動のことも。

 

「……え? 男子しかいない委員会?」

父の湯呑みを飲む手が空中で止まり、目が見開かれる。

 

「大丈夫か!? 何か変なことされてないか!? 食堂の隅で口説かれたり、廊下で壁ドンされたり、夕暮れ時に……!」

 

「父さん、落ち着いて」

 

「落ち着けるか! 男は狼だぞ! しかも委員会の中に娘がひとり……これは囲い込みの計画かもしれん……」

 

「……そんな計画ないから」

 

母が苦笑しながら父の肩を軽く叩く。

「あなたは心配症ね。大丈夫よ、みんな優しいわ。ね、タチエ」

 

「うん。小野寺先輩も日比谷先輩も、善法寺くんも、全員優しいし」

 

「……優しい男ほど危ないんだぞ……!」

父は腕を組み、真剣な顔で天井を見つめる。

「よし、夏休み明けは私が学校まで送り届ける。それと昼休みの巡回も――」

 

「やめて」

 

私は母にそっと耳打ちする。

「父さんって、しつこいぐらい心配性だよね」

 

母はくすりと笑う。

「そうね。でも、それはね⸺大事な一人娘だからよ」

 

「そんなもんかな?」

 

「ええ。あなたが親になれば、きっとわかるわ。だって、お父さんの子だもの」

 

「……もしかして、私も将来こんなふうに?」

 

「ええ、きっと」

 

父「おい、今の“こんなふうに”ってどういう意味だ」

 

そうして、穏やかに午後は過ぎていった。

 

夏休み一日目。

夜明けとともに目を覚まし、まずは準備体操と柔軟だ。忍びにとって、頭も体も柔らかくなければならない。足を広げて腰を落としたとき、廊下を通った父が足を止めた。

「お前……一段と柔らかくなったな」

「え? そう?」

「ああ」

その声に、少し誇らしさが混じっていた。

 

柔軟を終えると、父と並んで居間へ向かう。湯気の立つ味噌汁、炊きたての白飯――三人分の器を並べると、父の「いただきます」に続いて私と母も声を揃える。箸が進む音が心地よく響き、久しぶりの朝食に胸の奥がじんわり温まった。

 

食後は水汲みへ。鍛えた腕で、水桶二つを軽々と持ち上げる。あの頃の私とは違う。冷たい井戸水が指先からひじまで流れ、夏の朝を知らせてくれる。

 

戻れば洗濯だ。大きなタライに服を入れ、足でふみふみと踏みしめる。水の冷たさに思わず頬が緩んだ。干した洗濯物は、今日の陽気ならすぐ乾くだろう。

 

自室は母が掃除してくれていたようで、軽く箒を掃く程度で済んだ。そのあとは自主勉。山本シナ先生の授業ノートを見返し、図書室や父の部屋から借りた医学書・漢方書を読みふける。

 

あ、そうそう。自由研究も忘れずに。夜までに時間はある。ゆっくりと過ごすとしよう。

 

「さて、始めますか」

 

空には夏の星座たちが輝いている。目の前には夏の大三角形と北斗七星がはっきりと見えた。紙にさらさらと観察しながら、星座の位置を書き加える。解説も忘れずにね。それから、他の星座も書き加えた。

 

夏の星座といえば、やはり目を引くのはさそり座やこと座、わし座、はくちょう座だ。

南の空低くに横たわるさそり座は、真紅に輝くアンタレスを中心に、長い尾と毒針を持つ独特な形を描く。こと座には青白く瞬くベガが輝き、その西側にはわし座のアルタイル、北に目を向ければはくちょう座のデネブが翼を広げるように光っている。

 

星図にこれらを描き加えながら、私はそれぞれの星の明るさや位置関係を簡潔に記した。

空気は澄み、虫の声だけが夜を満たしている。星々はまるで、遠い昔から変わらずこの場所を見下ろしているかのようだった。

 

⸺さて、この続きを描きながら、私は一つの考えに至った。

星座はただの光の点ではない。それぞれに伝説や物語が宿り、人々の願いや恐れを映している。

この夏の夜空も、きっと誰かの物語の舞台になるのだろう。

 

「どうだ?進んでるか?」

 

「父さん」

 

いつの間にか、父が横に立っていた。彼は星々を見ながら、呟いた。

 

「夏の星座ってなにがあるんだ?」

 

「うーん……いっぱいあるよ。たとえば、こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ。この三つを結ぶと夏の大三角になるの」

 

父は腕を組んで夜空を見上げる。

 

「おお、あれがそうか。……ほかには?」

 

「南の空にはさそり座が見えるよ。真ん中あたりに赤く光ってるのがアンタレス」

 

「ほぉ、あれか……本当に赤いな」

 

「あと、東のほうにはや座とか、へび座、それから、いるか座も小さいけど可愛い形をしてる」

 

父は星図を覗き込みながら、口元を緩めた。

 

「なるほどな。こうして聞くと、夜空って賑やかなんだな」

 

「うん。ひとつひとつに物語があるから、知れば知るほど面白いんだよ」

 

私はそう言いながら、星図に新しい星座を描き加えた。星の光と父の横顔が、夏の夜に溶けていくようだった。

 

「なあ、タチエ。こと座はどんな物語があるんだ?」

 

「それはね……音楽の名手オルフェウスの竪琴のお話だよ」

 

父は目を細めて、私の言葉を待った。

 

「オルフェウスは、竪琴の音色で動物や木々さえも魅了できるほど上手だったの。でも、愛する妻エウリュディケが亡くなってしまって……悲しみに暮れたオルフェウスは、冥界まで迎えに行ったんだ」

 

「冥界か……また大きな話だな」

 

「うん。竪琴を弾きながら神々や冥界の王をも魅了して、エウリュディケを返してもらえることになったんだけど……」

 

「けど?」

 

「『地上に出るまで決して振り返ってはならない』って条件があったの。でも出口まであと少しってところで、彼は心配になって振り返っちゃったの」

 

父は小さく息を呑んだ。

 

「……それで?」

 

「その瞬間、エウリュディケは霧のように消えてしまったんだって。悲しみに暮れたオルフェウスは、最後まで竪琴を手放さず、やがてその竪琴が空に上がってこと座になった……そういうお話」

 

父は空を見上げ、ベガの光をじっと見つめた。

「……なるほど。悲しいけど、いい話だな」

 

私は黙って頷き、竪琴の形を星図に描き入れた。夜空は相変わらず静かで、虫の声だけが私たちの間を流れていた。

 

星座の観察を終えた後に私は別の紙に星座の物語を書いた。こと座、さそり座、はくちょう座、たくさんの物語と伝承を綴った。そうして、眠気がくるまで私は物語に思いを馳せた。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

「タチエ! あなたの友人が来ているわよ」

 

「わかった!」

 

母の声に返事をして、私は玄関へ向かった。

開け放たれた扉からは夏の熱気がむわっと流れ込み、その向こうに額に汗を浮かべた藤丸と葵が立っていた。

 

「遠いところからありがとうね。さあ、入って」

 

二人を中へ招き、冷水を差し出す。葵はグラスを掴むや否や、一気に喉へ流し込んだ。

 

「ふぅ……暑すぎて干からびるかと思ったよ」

 

「葵、藤丸も、来てくれてありがとう。さて……揃ったね」

 

私はビシッと背筋を伸ばし、大きな声で宣言した。

 

「これより! 謎の視線の調査会議を始める! 気をつけ!」

 

葵は真面目に姿勢を正し、藤丸は苦笑しながらもつきあってくれる。

 

「礼!」

 

【よろしくお願いします!】

 

三人で同時に頭を下げた。

⸺その瞬間、頭の中でどこかの魔法使いの声が響いた気がした。

「お辞儀をするのだ! ポッター!」

いや、きっと物語の読みすぎだ。

 

「それで?視線の主をどうやって捕まえるの?」

 

葵はコテンと首を傾げながら、聞いた。

 

「うーん。魔術で罠をしかけるとか?」

 

「できるの?」 

 

「一応はね」

 

「いや、その前に警戒されて、来なくなるよ」

 

藤丸は真剣に意見を述べる。言われてみれば、視線の主はかなり警戒心が強い。罠を張っても気づかれる可能性がある。なら……どうすれば……?

 

「あっそうだ!囮作戦で行こう!」

 

「と、言うと……?」

 

藤丸が眉をひそめる。

葵はフンスッと鼻息を荒くし、グッと人差し指を突き出した。

 

「つまり! タチエが何も知らないふりして外を歩く! そこを視線の主が現れるのを私と藤丸で見張る!」

 

「えぇ……それ、私が一番危なくない?」

 

「大丈夫大丈夫! ちゃんと距離を取って見張るから。ね、藤丸?」

 

「……まあ、尾行は得意じゃないけど、やるしかないか」

 

「ほらね!」

 

葵は妙に自信満々だ。

なんとなく、この顔はもう計画が頭の中で全部完成してる顔だ。

――たぶん私だけが、不安要素でいっぱいなだけ。

 

囮作戦が実行されたのは、夜になってからだった。葵は親に私の家に泊まり込みをすると伝えてあるらしい。藤丸もいてくれるから、母は張り切ってご馳走を用意してくれた。珍しく豆腐料理を振る舞っていた。

 

夜九時。蝉と蛙の合唱が絶え間なく続く中、作戦は静かに始まった。

私は何事もないふりをして、いつもの鍛錬を装い動き出す。

葵と藤丸はそれぞれ待機位置へ。特に葵は、視線が最も強く感じられる方角から少し外れた木陰に身を潜めていた。

――「いつでも行ける」と、彼女は小さく親指を立てて見せていた。

 

私は地面を強く踏みしめ、駆け出す。

その瞬間――ザザッ、と草むらが揺れた。

まさか、視線の主か……!?

 

息を呑み、身構えた私の前に現れたのは⸺もふもふの毛並みを揺らす、一匹の狸だった。

 

「……なんだ、たぬき蕎麦じゃないか。おいで」

 

差し出した手に、狸はトテテと近づく。

ふわりとした毛並みを撫でると、つい頬が緩んだ――が、すぐにハッと我に返る。

いけない、今は作戦の最中だ。鍛錬を続けるふりをしなければ……。

 

狸を草むらへ返し、私は再び呼吸を整えた。

夜の湿った空気が、肌にまとわりつく。蝉と蛙の声は相変わらずうるさいのに、不思議とその向こう側にある“何か”の気配だけが浮き彫りになる。

 

足を止めると、草の匂いと土の湿り気が濃く鼻をついた。

耳を澄ませば――微かな葉擦れ。

いや、風は吹いていない。なら、これは……。

 

視線が背中をなぞる。

動きたいのに、足が一瞬すくむ。

気配は近い。さっきの狸の足音とは違う、もっと重く、慎重な足取り。

 

私は、鍛錬の動作を装いながら、ゆっくりと振り返る準備をした。

暗闇の中で、何かが息を潜めている⸺。

 

私は動きを止めず、鍛錬の型を続けながら、影との距離を測る。

――あと三歩。

そこまで来れば、藤丸も葵も一斉に動ける。

 

(……今!)

 

足を踏み込むと同時に、私は小さく指笛を鳴らした。

澄んだ音が夜気を裂く。

 

その瞬間、茂みから藤丸が飛び出した。

木刀を構え、影の進路を塞ぐ。

反対側からは葵が低く滑り込み、地面に撒いていた小石袋を一気に投げ広げた。

小石が夜の闇に散らばり、乾いた音を立てる。

 

私は影に向かって、縄を投げつけて、相手を縛り上げた。

……それにしても、力が強い!

強化魔術で、抑えるのが精一杯とか、相手は人外のそれだ。

輪郭は揺れたままで、瞳らしきものすら見えないのに、確かに視線を感じる。

 

藤丸が低く構えたまま声を発する。

「……誰だ!」

 

返事はない。

代わりに、空気がひやりと冷たくなった。

まるで、夜そのものが凝縮して押し寄せてくるような圧迫感。

 

葵が小声で囁く。

「タチエ、こいつ……人間じゃないかも」

 

私は唇を固く結び、影から目を逸らさずにゆっくりと前へ出た。

作戦は成功――だが、この相手が何者なのかは、これから確かめなければならない。

 

最初は縄を振りほどこうと暴れていた影だったが、

痺れ薬の効果がじわじわと回り、やがて動きが鈍くなる。

 

私は冷ややかに告げた。

「無駄だよ。縄には痺れ薬が染み込ませてある」

 

影がわずかに震えた。

反応はあったが、声はない。

その沈黙が逆に、背筋を撫でるような不気味さを残す。

 

「……じゃあ、見せてもらおうか」

葵が腰の提灯を開き、夜闇を切り裂くように光を放った。

 

光が影を包む。

黒い輪郭が滲み、徐々に溶けていく――

代わりに現れたのは、切れ長の瞳に艶やかな黒髪、凛とした立ち姿の女性。

 

「……虞美人先輩?」

思わず口に出た私の声に、藤丸も葵も目を見開く。

 

女はゆっくりと視線をこちらに向け、薄く笑んだ。

「全く……こんな回りくどいことするとは思わなかったわ」

 

その声音は、冷たさと余裕を同時に孕んでいた。

まるで、捕まったことすら予定のうちだと言わんばかりに。

 

「なんで……虞美人先輩がここに?」

 

「虞美人って……本で読んだことがある。確か、不老不死の仙女で、項羽の武将の愛人……」

 

「人間風情が私の前で呼び捨てなんて、いい度胸ね」

低く響く声と鋭い視線に、葵は一瞬だけ肩をすくめた。

だがすぐに、彼女は真っ直ぐな目で虞美人先輩を見返す。

 

「それで?あなたはなぜ、タチエや藤丸さんを見ていたの?」

 

「それは……」

 

「あ、心配だから?」

藤丸の何気ない言葉に、虞美人先輩は一瞬きょとんとした後、鼻で笑った。

 

「は?違うわよ。たまたま日本に寄って、たまたまこの土地に来たら、たまたまタチエがいて、それで……」

 

「それで?心配だからでしょ?特にタチエとか」

葵は小首を傾げ、にやりと笑う。

「タチエと藤丸さん、お人好しだからね〜。まあ、大方、後について行ったら藤丸さんがいて、それで、見てたんでしょ?」

 

「ちっ、違うわよ!べっ、別に、心配とか……変な虫がつかないかとか……したけわけじゃないから!ってなに言わすのよ!」

 

「いや、私、一言も変な虫とか言ってないけど……」

 

「っていうか!さっさっと縄外しなさいよ!さっきから痺れるんだけど!」

 

「あ、はいはい」

 

藤丸が縄を解くと、虞美人先輩は肩を軽く回し、ふんと鼻を鳴らした。

夜の湿った風が、四人の間をすり抜けていく――緊張と、ほんの少しの笑いを残して。

 

縄が外れると、虞美人先輩はゆっくり立ち上がり、肩を軽く回した。

「……まったく、人間相手にこんな真似をされるとは思わなかったわ」

 

「それはこっちの台詞です」

私が眉をひそめると、虞美人先輩はふっと目を逸らした。

 

「別に、大した理由はないのよ。ただ……散歩してただけ」

 

「夜の九時に、茂みから視線送りながら?」

葵がじと目を向ける。

 

「……偶然よ」

 

藤丸が口を開く。

「それ、本当は……タチエのことが気になったんじゃ?」

 

「はぁ? 何を根拠に⸺」

 

「ほら、気になる子を遠くから見守るやつでしょ?」

葵が追い打ちをかけるように、口元をにやつかせた。

 

「違うって言ってるでしょ! 私はただ……」

虞美人先輩は一瞬言葉を切り、唇を噛む。

「……あなた達、隙だらけなのよ。もし本当に危ない奴が来たらどうするの?」

 

私は目を瞬かせる。

それは、心配している証拠では……?と考えた瞬間、彼女はわざとそっぽを向いた。

 

「べ、別に……心配とかじゃないわ。ただ……私の知り合いが無様にやられるのを見たくないだけ」

 

「それを世間では“心配”って言うんですけどね〜」

葵が笑うと、虞美人先輩は頬をわずかに赤くして、夜空を睨みつけた。

 

「……もういいでしょ。さっさと帰るわよ。夜風が冷える」

 

そう言いながらも、歩き出した彼女は、しっかり私たちの少し前を歩いていた。

その背中が、何となく守ってくれているように見えて――私は小さく笑ってしまった。

 

「えーと……知り合いの虞美人です」

 

「こんな破廉恥の……ひっ!」

 

ギロリ——音が聞こえそうなほど鋭い視線が父を貫く。

父は肩をすくめ、母の背後に半ば隠れるようにして、間の抜けた悲鳴を上げた。

 

「先輩……あまり父を怖がらせないでください」

 

「フンッ」

 

ぷいっと顔を背け、長い髪を肩越しに払う虞美人先輩。

やれやれ、二千歳児の相手は本当に骨が折れる。

 

そのとき、母が穏やかな笑みを浮かべたまま口を開く。

その瞳は、獲物を逃さない鷹のように鋭い。

 

「あなた……吸血鬼ね?」

 

「あんな奴らと一緒にされるなんて、心外だわ」

 

「吸血鬼……?」

父は小声で繰り返し、私と母の間で視線を泳がせる。

 

「違うと言ってるでしょう。血に飢えた下等生物と一緒にしないでくれる?」

唇の端をわずかに吊り上げ、挑むように母を見返す虞美人先輩。

 

「じゃあ……何者なの?」

母は笑顔のまま一歩も引かず、さらに問いを重ねた。

 

「……ただの通りすがりよ」

 

「嘘ですね」

私が割り込むと、虞美人先輩は眉間に皺を寄せ、睨みつけてくる。

 

「あなたねぇ、人のプライバシーに土足で踏み込むのが趣味なの?」

 

「趣味じゃありません。だって、先輩がここまで来る理由なんてひとつしかないでしょう?」

 

短い沈黙が落ちる。

父がごくりと唾を飲む音がやけに響き、ついにはお茶を持つ手まで震えていた。

 

「……心配、だからでしょ?」

 

視線をそらし、窓の外に目をやる虞美人先輩。

その仕草は、心を覗かれたくない子供のようだ。

 

「……フン。あんたにだけは絶対言わない」

 

「父さん、母さん。虞美人先輩は——真祖です」

 

「まあ……」

母はわずかに目を見開き、それから興味深そうに先輩を見つめた。

まるで珍しい宝石を鑑定するかのように。

 

「聞いたことはあるけど、実物を見るのは初めてね」

 

「か、母さん? その“真祖”って……」

父は椅子をわずかに引き、私の隣へじりじりと移動する。

 

「人間でも吸血鬼でもない、吸血鬼の始祖のような存在。普通の吸血鬼よりもずっと強くて、長く生きていて——」

 

「ちょっと待ちなさい」

遮るように虞美人先輩が声を上げ、腕を組む。

その横顔には、わずかな誇りと苛立ちが混ざっていた。

 

「そうやって他人の正体をベラベラ説明しないで」

 

「でも父さん、混乱してますから」

「混乱してていいのよ」

「えぇ……」

 

「つまり……あれか? ドラキュラの親玉——」

 

「誰がそんな胡散臭い怪物よ!」

ピシャリと叩きつけられた声に、父はビクリと身をすくめ、危うくお茶をこぼしそうになる。

 

「まあまあ、落ち着きなさいな」

母は湯飲みを持ち上げ、湯気とともにゆったりとお茶をすすった。

その口元には、どこか楽しげな笑みが浮かんでいる。

 

「それにしても……タチエのことになると、あなたずいぶん饒舌なのね」

 

「はっ!? そんな——」

慌てて口を閉じた虞美人先輩。耳の先まで赤くなっている。

 

「母さん、からかわないでください!」

「だって、見ていて面白いんだもの。ねぇ、お父さん?」

 

「え? あ、あぁ……(ここは黙っておこう)」

父はお茶をすすってごまかしたが、湯飲みの中の液面がわずかに揺れていた。

 

「そ、それとこれとは関係ない!」

ぷいっと窓の外を見る虞美人先輩。その背中が“話題終了”と告げていた。

 

母は「ふふん」と満足げに笑みを浮かべ、湯飲みを置く。

その瞳は、まだ次の一手を考えている人のものだった。

 

母は湯飲みを軽く回し、香りを楽しむように鼻先で息を吸い込んだ。

そして、ふと何気ない調子で言う。

 

「……それで、タチエのどこがそんなに心配なの?」

 

「はぁ!? 何を——!」

 

椅子がわずかにきしむほど、虞美人先輩は身を乗り出した。

だが、母はまったく動じない。むしろ、茶葉の沈む様子を眺めながら、にこやかに続けた。

 

「だって、通りすがりなんでしょう? なら、わざわざ日本まで来て、家まで押しかけるなんて……ねぇ?」

 

「……別に。目について……それだけよ」

 

「ふぅん」

母はあえて興味なさそうに相槌を打つ。その“軽さ”が、かえって圧になる。

 

「第一、あんたたちにとやかく言われる筋合いはないわ」

 

「そうかしら?」

母はゆっくりと目を細め、茶をひと口すする。

その仕草はまるで、「すべてお見通し」と告げるかのようだ。

 

「真祖だろうと、二千歳だろうと……人の心までは隠せないのよ」

 

「っ……!」

 

虞美人先輩の肩がわずかに揺れる。

視線が泳ぎ、一瞬だけ私のほうに向いたが、すぐに窓の外へと逸らされた。

 

「母さん!」

私は慌てて割って入る。「先輩をからかうのはやめてください!」

 

「からかってなんかいないわ。ただ、正直になるって大事よ、って話」

 

「……あーもう、うるさい!」

虞美人先輩は椅子から勢いよく立ち上がる。

長い髪がふわりと舞い、背中越しに低く呟いた。

 

「……心配してるなんて、一言も言ってない」

 

その言葉とは裏腹に、去り際の背中はほんの少しだけ、軽くなっているように見えた。

 

母は小さく息を吐き、湯飲みを卓上に戻す。

 

「ふふ……可愛いじゃない」

 

「母さん……」

私は呆れ混じりのため息をついたが、父は父で——

 

「え、可愛いって……どこが……?」

と小声で首を傾げ、またしても母の肘鉄を食らっていた。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

こんにちわ、皆さん。元気ですか?

俺は――元気じゃありません。え?理由?それは目の前に……。

 

「ふん、出がらしね、このお茶」

 

……なぜだか真祖の虞美人さんが、勝手にうちの居間でお茶を啜っているんです!

よりによって妻もタチエも留守のときに!普通に怖いって!!

 

でも、断ったら……何をされるかわからないじゃないですか!

落ち着け、薬茂雪丸。俺は魔術師の旦那だ。こんなことでビビってる場合じゃない。そうだ、大丈――。

 

ギロリ。

 

「ひぇっ!」

 

「ちょっと……なんでそんなに怖がるのよ。まだ、何もしてないわよ?」

 

まだ、って言った!それが怖いんだってば!!

 

「ま、まだ何もしてないって……これからするってことですか?」

 

「はぁ?何を想像してるのよ。私はただお茶を飲みに来ただけ」

 

……いや、その仕草がどう見ても暗殺前の最後の一服にしか見えない俺の小心者メンタル。

 

「そ、そうなんですか……よかった……」

(いや待て、“よかった”で済むのか?真祖だぞ?)

 

「……そんなに私が怖いの?」

 

「い、いえ!怖いなんてとんでもないです!むしろ大歓迎です!はい!」

反射的に深々とお辞儀。訪問販売に断れず契約しそうな主婦みたいな動きだ。

 

「……大げさね。そんな畏まられると、逆にやりにくいわ」

 

(やばい、絶対からかわれてる……!)

 

「それにしても……この家、落ち着くわね」

 

……狩場を見定める肉食獣みたいな視線はやめてくれませんか。

 

「あの、虞美人さん?君って……棺桶で寝てるのかい?」

 

「しないわよ」――ギロリ。

 

「ひ、ひぇ……そ、そんな怒らなくても……」

でもつい聞いてしまう。

 

「じゃ、じゃあ……十字架とかニンニクは……」

 

「効かないわね」――ジロリ。

 

……初耳だ。真祖にはニンニクも十字架も通じない――重要だからメモ。

 

そのとき、赤い瞳がまっすぐ俺を射抜いた。

 

「お前……タチエの正体を知った上で、一緒に暮らしているの?」

 

胸の奥が、ズキリと痛んだ。

その言葉は、過去に何度も自分に向かって投げかけた疑問とまったく同じだったからだ。

 

……あの日、妻のニクスから打ち明けられた真実。

血は繋がっていない。生まれも、存在の成り立ちも、他の子とは違う――そんな衝撃的な事実。

 

正直、最初は受け止めきれなかった。

台所で味噌汁をかき混ぜながら「どうしてよりによって俺の家に?」なんて、どうしようもないことを考えた。

夜中、眠る娘の寝顔を見ながら「明日も同じ笑顔でいてくれるだろうか」と、答えのない不安に押しつぶされそうになった。

 

けれど――。

あの子が泣いたときに背中をさすった温もりも、笑ったときの眩しさも、手を引いて歩いた道のりも、全部が俺にとってかけがえのない宝物になっていた。

血なんて関係ない。あの子は俺の娘だ。そうとしか思えなくなっていた。

 

だから俺は、迷わず答えた。

 

「……知ってます」

 

「血が繋がらないのに?」

 

蝉の声が遠くで鳴いている。

額から流れた汗が顎を伝う。

それでも視線は逸らさなかった。

 

「それでも、俺の娘です。俺の……大事な、愛娘なんです」

 

この瞬間、自分の中の迷いはすべて消えていた。

誰に何を言われても、俺はこの答えを曲げない――それが父としての覚悟だからだ。だって、娘と過ごした時間はどの上等な宝石よりも価値があるんだから。

 

その瞬間、虞美人さんの口元が――ほんの僅か、緩んだ気がした。

 

「ただいま〜」

 

……!タチエが帰ってきた!天使だ!助かった!

玄関から現れた彼女に、心の中で全力で手を振る。

 

「あれ?虞美人先輩、いたんですか?」

 

「なによ、いちゃ悪い?」

 

「いいえ、どうぞどうぞ、満喫していってください」

 

「え……タ、タチエ?」

 

タチエ、今なんて言った!?父さんはそんな子に育てた覚えはないぞ!?

台所に消えていく娘を必死に目で追う俺。待って!置いてかないで!

 

こうして恐怖のお茶会は、妻が帰ってくるまで続いた……。

 

(誰か、俺を助けてくれー!!)

 




虞美人

たまたま日本に来て、たまたま近畿地方に通りかかってきたところをタチエを発見。監視ことストーカーをしてたところ藤丸を見つけた。そのまま夜は城下町を昼は藤丸やタチエの観察をしていた。
先生たちとタチエのくのたまの先輩たちや忍たまの先輩たちは気づいていたが、学園長の命令により見ないふりをし続けていた。
なお、学園長は虞美人は無害だとわかっていたのか、あえて放置した。
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