藤丸立香との生活 一年生編   作:猫とふりかけ

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藤丸立香との生活【2】

「わぁ……綺麗」

 

冬の夜空はいつ見ても美しい。まるで、無限の宇宙の一部になったような気分になる。空に無数の星が瞬き、それぞれに語りかけるようだった。

 

それから、星を見て、思い出した。マシュと藤丸と一緒に、南極の夜空を見上げていたことを。

 

カルデアは南極の場所に位置する。普段は分厚い灰色の雲に覆われているが、晴れ渡ると満点の星空が見れた。

 

『マシュ、タチエ、星が見えるよ』

『先輩、タチエさん、綺麗ですね』

 

晴れた空の下、私とマシュと藤丸と並んで見た時間。あの夜は私にとって特別なものだった。かけがえのない大切な思い出。

 

現在のベテルギウスを見ながら、そっと呟いた。

 

「お父さん、あれがベテルギウスだよ」

「どれだ?」

「ほら、あそこだよ」

 

指差した先は、シリウスほど強くはないが、赤く脈打つように輝く星があった。マシュがかつて教えてくれた、私が初めて見つけた星。

 

父は目を凝らし、ようやくそれを見つけたのか、嬉しそうに笑った。

 

「ああ……それか、赤く光ってるな」

「そう、冬の大三角形の一つで、オリオン座の肩の一つなんだよ」

「冬の大三角形?」

「シリウス、プロキオン、さっき見つけたベテルギウスの三つ構成された星座のことだよ」

「タチエは星に詳しいなぁ」

 

父は感心したように笑いながら、頭を撫でる。私はその隣でそっと目を細めた。この星の知識はマシュから教えてもらったものだ。彼女は昔から博識だった。

 

「私が見つけた星……マシュが教えてくれたの」  

 

そういった瞬間、懐かしさにキュと締めつけられる

 

けれど⸺⸺

 

それでも、私は変わった。

それでも、星は変わらない。

 

あの頃と変わらず、星はあそこにある。

 

私は前世の幼い佐藤タチエの頃には、星は肉眼で見たことがなかった。

カルデアの空は常に灰色で、外は猛吹雪。星は写真や映像でしか知らなかった。それでも、今も信じている。

 

「雲の向こうには、必ず星がある」

 

目に見えなくとも、そこにあると信じていた。

 

幼い頃はよく『星に願いを』を歌っていた。分厚い灰色の雲の向こうにある輝く星に願いを込めて。

いつの日か外の世界が見れますようにと。いつかは世界中を見て回りたい。

 

あの頃の私は、星に願えば夢が叶うと信じていた。そう信じて、走り続けてきた。

 

悲しい日もあったけど、でも、そのたびに私は星を見上げる。

 

雲の向こうにある星を私はいつも見ていた。

 

『いつかまた、会いましょう』

 

主治医の香苗先生はそう微笑みながら、頬を撫で、別れたあの日。

その言葉だけを胸に、日々を生き抜いた。失敗して落ち込んだ日も、孤独を感じた夜も……。香苗先生からもらった言葉を思い出を灯火にして。

 

今の幸せを噛み締めつつも、やはり胸の奥にはぽっかりと穴が開いた寂しさが残る。手にそっと胸に当て呟いた。  

 

 

「会いたい……」

 

 

ゴーン。静かな夜に鐘の音が聞こえる。鐘の音が寂しさを和らげるようだった。風に乗って香ばしい蕎麦の香りが鼻をくすぐる。

 

こんな夜もあの人もどこかでお茶を飲んでいるかもしれない。

 

すると、ぐぅ〜と腹の虫が鳴った。思わず苦笑いをする。深夜なのに、お腹が空いてしょうがない。

 

「タチエ、あなた、蕎麦ができたわよ〜。」

「あ、はーい」と返事をしながら、私は父と一緒に家に戻る。

 

父と私は温かい我が家へ戻ると、ちょうど蕎麦が出来上がっていた。家族全員で箸を持ち、蕎麦を啜る。つるんとした蕎麦の喉越しと、温かい出汁がじんわりと冷えた体に染み込む。この時間が一番好きだ。

 

家族が思い思い過ごす居間を後にし、私はお茶を入れるために、台所へ向かった。

 

ふと、昔を思い出しながら、私は急須に手を伸ばした。

 

湯気がゆらゆらと立ち上る鉄瓶。

 

じんわりと温まる手のひらに、冬の冷えた空気が和らぐのを感じる。鉄瓶の底から「コトコト」と小さく沸き立つ音が聞こえ、しばらくすると「シュンシュン」と静かにお湯が沸く。

 

湯呑みにお湯を入れて、ちょうどいい温度になるまで、一分間待つ。温度は高いほど渋みや苦味が増し、低いほど旨味が出る。

 

パラリ

 

乾いた茶葉が、淡く香る。煎茶のすっきりした青い香り。深く息を吸い込み、心を落ち着かせた。

 

お湯を注ぐと、茶葉がゆっくりと開き、淡い黄緑が広がる。

 

三十秒。

 

急須の蓋をそっと押さえながら、湯呑みに均等に注ぐ。

 

トク、トク……。

 

注がれる音が心地よく響く。

最後の一滴まで、丁寧に。

 

湯呑みの中には、透き通る淡い緑。湯気の中に優しい茶葉の香りが漂い、鼻孔をくすぐる。

 

茶柱が立った。今日は、きっといいことがある。

 

お盆を持って、お茶を両親のもとへ運ぶ。

 

「お茶出来たよ〜」

「ありがとう、タチエ」 

「助かるわ」

 

両親が湯呑みを手に取り、一口飲む。

私もそっと口をつけた。

 

じんわりと広がる甘みと、後から追いかけてくるほのかな渋み。舌の上に滑るまろやかな味わいに、思わず目を細めた。

 

「……美味しい」

 

心の奥から染み渡る、いつもの味だった。

 

この温かい空間にいると、心が自然に落ち着く。お茶を飲みながら、父は言う

 

「タチエの淹れる、お茶は美味いな」

 

そこへ母も父に同意するように言葉を添えた。

 

「タチエの淹れるお茶は本当に美味しいわね」

「えへへ……そうかな?」    

 

家族と過ごすこの温かい時間は、かつてのカルデアのひとときを思い出させる。

 

お茶を飲みながら、カルデアの懐かしい思い出が蘇る。

 

おやつの時間になると、私はサーヴァントやスタッフに紅茶や緑茶を淹れていた。

 

そんな私が、ふと思い出したことがある。初めてコーヒーを淹れたときのことだ。

 

それはお茶とは違う繊細さを持つ飲み物だった。温度、お湯を入れる力加減、タイミング。それら、すべては私が努力した証だ。

 

初めは不味くて、飲めたものではなかった。けれど、どうしても美味しいコーヒーを皆に飲ませたくて、ひたすらに試行錯誤する日々。

 

私はコーヒーを淹れた。最初に飲んでもらった人はエドモン・ダンテスさんだった。彼は決して悪い人ではない。けれど、その鋭い眼差しとどこか張り詰めた雰囲気に、私はいつも緊張してしまう。

 

マシュがいないとろくに会話もできない状態だった。鋭い目つきで見られたときは心臓が跳ねる。コーヒーを淹れるたびプレッシャーで潰れそうになった。

 

なんとか淹れて、コーヒーを渡したときは僅かだけど、目を見開いていた。

 

『ほう、コーヒーも始めたのか……。』 

『あ、はい!コーヒーにも興味があって……!』

 

しどろもどろになりながらもなんとか受け答えはできた、筈……。

そして、エドモンさんは無言でコーヒーを受け取り、席へ戻った。

 

静かにカップを傾けて、ゆっくりと飲む彼を私はこっそりと見つめる。苦い顔をされるかもしれない。何か言われるかもしれない。

緊張で息が詰まりそうだった。

 

だが、おやつの時間が終わる頃、カップを返される。そのとき、彼は珍しく目を細めて、微笑んで言った。

 

 

『悪くない、また頼む』

 

その言葉が、なによりも嬉しかった。

 

『は、はい!』

 

エドモンさんの言葉を思い出し、私はふっと微笑んだ。懐かしい気持ちが胸に広がる。あの日のことを思い出して、思わずニンマリとしてしまう。

 

 

「タチエ?」

「あっ、何でもないよ。お父さん」

 

父は怪訝な顔をしていた。それから、嬉しそうにする私を見て、父は不思議そうな顔して首を傾げる。私は顔を上げると、窓の向こうには夜空が広がっていた。

 

私の好きな星、すばる(プレアデス星団)は、今日も変わらずに輝いている。この星の輝きは、目に焼きついて離れない。私にとってこの星は希望の道標でもあるから。

 

お茶が冷める前にもう一口飲んだ。

 

◆◇◆

 

しばらく時間が経ち、私達は初日の出を見るために山に登ることにした。一歩、一歩、確実に前へ進んだ。冷たい空気が肺に満ち、冬の澄んだ気配が肌を刺す。暗い森のなか、現代とは違い街灯がない。家族以外は誰もおらず、まるで、山を貸し切ったようだった。

 

「タ、タチエ……。もう少しゆっくり登らないか……。お父さん達追いつけないよ……」

 

父は荒い息を吐き出しながら、足を進めた。気がつくと母は見えなくなっていた。私の方は……?まだ余裕がある。前の私ならきっと父のように息を切らして、へばっていただろう。けれど、今は山道すら軽々といける。木の根や落ち葉すら障害物をものともせずに、歩けるようになっていた。

 

(私……いつの間にか強くなっていたんだ)

 

自分の成長に喜びが湧き、胸が高鳴った。たった小さな一歩だけれど、その一歩が大きな第一歩だ。私はやっとスタート地点から立った。

 

それから、父が来るまで私は待っていた。後ろを振り返るとあと少しで日が昇る。父は息を切らしながら、言葉を紡いだ。

 

「タ、タチエ……。逞しくなったな……」

 

気づけば、私は父よりも先に歩いていた。それがなんだか嬉しくて、ちょっと気恥ずかしかった。そんな私を気にしてないのか、父は息を整えていた。

 

父は笑いながら、私に歩み寄ってくる。少し待っていると母も後から来ていた。変わらず、落ち着いた雰囲気を持っている。二人を見て、ほっとした。

 

長い一年が終わり、新たな一年が始まる。今日まで、私は歩いてきた。辛い日に弱音を吐いたことは数知れず。けれど、負けないで踏ん張ってきた。

 

⸺⸺ケセラセラ

 

辛いときにこの呪文を唱えて、今まで頑張ってきた。まるで、魔法の言葉みたいに。

 

うまくいかない日、なにもかもが嫌になった日、涙が零れそうになった日。

 

それでも、この言葉を思い出すたびに、私は前を向くことができた。

 

試験で頭が真っ白になった日もこれを唱えて、試験に臨んだ。

 

「なるようになる」

 

この言葉と曲が、どれほど私を支えてくれたことだろう。

 

 

これからの私は、音楽とともにどんな逆境も乗り越えてみせる。

 

 

後ろを振り向くと山の谷間から太陽が顔を出し、空が白み始めた。

金色の光を放ちながら、空は桃色から青色へ変わりゆく。

 

ああ、なんて暖かいのだろうか。

夜の静けさを名残惜しく感じる一方で、陽の光の温かさが体に染み渡る。まるで、新しい世界に踏み出したような気分だった。

太陽の光を浴びながら、未来を考えているうちに、ふと忍者という道が頭をよぎった

 

(忍者になろう)  

 

ふと、心の中でその言葉が浮かんだ。

寒い冬を乗り越え、春が来れば、私は忍術学園に入学する。

忍者の授業はどんなものだろう?

 

手裏剣の投げ方、苦無や火器の扱い方、忍術の授業……。

 

または、隠密行動や情報収集の方法など……。

 

私はかつて、忍者だった人々とともに過ごしたことがある。

 

カルデアでは忍者のサーヴァントも召喚されていたので、彼らとはそれなりの交流があった。

 

彼らはこう語った。

 

忍者はときに変装し、各地を歩いた。望月千代女さんは巫女として活動しながら、情報収集をしていた。彼女曰く巫女の姿をして、いろんな村に祈祷をしながら忍務をしてきたらしい。

 

それを実践するのはまた別の話。   

 

ちゃんと授業についていけるだろうか?

体力がもつのだろうか?そんな不安がよぎる。  

 

カルデアの頃は体力が無くて、最終的にサーヴァントに抱えてもらうと言う方法で移動してきた。

 

体力にはある程度、自信はあるが、実際にやるのとは別の問題。

 

それでも、やるしかない。

 

自分の体で学び、技を身につける⸺⸺それこそが、私にとって「成長」の証だ。

 

私は太陽に向かって手を伸ばした。夢へ、未来へ、理想の自分へ。

掴みきれずに、手は空を切る。

 

それでも⸺⸺

 

「いつか、本当に掴めると信じて」

 

こうして、両親と初日の出を見ることができた。私にとって嬉しいことだ。この時代は両親といられるかわからない。だから、きっとこれは、幸せなことだと思った。私は手を合わせて、次のように願い事を言う。

 

「これからも、一緒にいられますように」

 

私が静かに呟くと両親は微笑みながら、頷いていた。父は笑い、母は手に口元を押さえて、目を潤ませていた。私より多くの新年を迎えたのか、何か思うことがあるのだろう。しばらくは初日の出を鑑賞する。初日の出を見たあとは三人肩を並べて降りていった。

 

朝ぼらけの風を感じながら、カサリと落ち葉を踏みつける。植物は朝露に濡れて、太陽の光に反射していた。どこからかキジバトの声が聞こえる。

 

見る物すべてが新鮮に映り、ようやく新たな一年を迎えた気がする。山を下る足取りは羽のように軽かった。

 

しばらくして、家の前に辿り着いた。引き戸に手をかけて、いつものようにこう言う。

 

「ただいま!」

 

「おかえり」

 

両親の暖かな声が返ってきた。

 

私は微笑みながら、暖かな家の中へ足を踏み入れた。新たな一年が始まる。私はこの道を進んで行くのだ。

 

◆◇◆

 

 まだ寒さの残る二月。

障子越しの光が畳に淡く滲んでいた。部屋の中央には湯気の立つ紅茶のカップ。漂う香りが、鼻をくすぐる。

 

父が外国の商人から譲り受けたというダージリンの茶葉は、評判どおり、豊かな香りを放っていた。口に含めるとほのかな渋みと甘みがじんわり広がる。

 

「……美味しい」

 

思わずこぼれた言葉に、向かいに座る母が微笑んだ。

 

「外の世界には、まだまだ美味しいお茶があるわよ」

 

母の優しい声に、私はそっと目を細める。

 

静かで穏やかな時間。だけど——それが永遠に続かないことは、わかっていた。

 

忍術学園への編入が、もうすぐそこまで迫っている。

 

「ねぇ、お母さん」

 

「なに?」

 

「私達って、魔術師だよね?」

 

「ええ、そうよ」

 

母は手元の編み物を続けながら、穏やかに答える。細い指先が器用に針を操り、淡い青の毛糸がふわりと揺れた。その優雅な仕草が、少しだけ胸を締めつける。

 

「魔術師は……。異端だよね?」

 

「まあ……。そうなるわね」

 

私は目を伏せながら、母に恐る恐る聞いた。

 

 

「もし、もしもだよ? 忍術学園の皆にバレたら、どうなるの?」

 

紅茶のカップをそっと見つめる。表面に揺れる自分の顔。

 

人は、特殊な力を恐れる。忍者も例外ではない。

 

……果心居士のように。

 

魔術と忍術を併せ持った者は、ときに重宝され、ときに排除された。豊臣秀吉に幻術を披露したものの、怒りを買い最後は磔にされている。

 

「そうね……。怖がられるかもしれないわ。でも、興味を持たれる可能性もある」

 

「……そっか」

 

カステラを小さくちぎって口に運ぶ。甘い。だけど、心のざわつきは消えない。

 

忍術学園の生徒たち。彼らが魔術を知ったら、どうするだろう?

 

前世で見た『忍たま乱太郎』の登場人物の性格の行動パターンを想像しながら、考察する。

 

——乱太郎は、優しい。でも、周囲に流されやすい。

——きり丸は、現実的。利益になると思えば、受け入れるかもしれない。

——しんべヱは……。純粋で、好奇心旺盛で——。

 

五年生、六年生は、もっと厄介だ。

 

立花仙蔵と潮江文次郎は鋭い。嘘はすぐに見抜かれる。

食満留三郎は正義感が強い。隠しごとがあると疑われれば、危険かもしれない。

善法寺伊作は優しいけれど……。

 

そして——教師陣。

 

プロの忍者である彼らに警戒されれば、排除される可能性だってある。

 

特に、土井先生。

 

彼は優しい。でも、生徒を守るためなら——。

 

心臓が、ぎゅっと縮こまる。考えすぎだろうか。

……それでも、不安は消えない。

 

最悪のシナリオを想像する。

もし、排除されるとわかったら、私は逃げるしかなくって、誰も信用できないままひとり孤独に死んでいくかもしれない。

 

恐ろしいシナリオにさぁと血の気が引く。震えを押えるために紅茶を飲む。

 

「ねぇ、お母さん。皆と仲良くなるには、どうしたらいいかな?」

「うーん、そうね。まずは見た目から気をつけることかしら」

「見た目?」

「清潔感のある人って、それだけで安心するでしょ?」

「……確かに」

 

私は顎に手を当て、うんうんと頷いた。

 

笑顔。姿勢。言葉遣い。

そして、実績。

 

「タチエは翻訳が得意でしょう? あとは、怪我人の治療を積極的にやれば、信頼を得られるんじゃない?」

 

翻訳と、治療。

 

図書室の洋書を訳す。

保健委員として、傷の手当てをする。

 

問題は委員会は忍者の仕事。

そうと決まれば、私は保健委員長に直談判する必要がある。

 

「懐かしいわ、お母さんも初めて町に来たときは苦労したわ」

「そのときはどうしたの?」

 

母は懐かしむように目を細める。

そして、ひと呼吸おいて、静かに語った。私は母を見つめる。

 

「そうね、コミュニケーション、積極的に町の人に話しかけたわ」

「やっぱり、そこか……」

 

コミュニケーション。つまり、会話力も試されるようだ。お世辞にもコミュ症である私にはレベルが高い。

 

あまりの無理難題に柳のように項垂れる。

 

小さく息を吐き、紅茶を口に運ぶ。

 

温かくて、ほっとする味。でも、胸に奥に残った苦味は、どうしても消えなかった。

 

静かなお茶会は、まだ終わらない。

 

お茶会がつつがなく続くなか、私は腕を組み、思考に耽る。どうすれば、忍術学園の生徒と心を通わせられるのか。

 

温くなった紅茶を飲みながら、思考の海に深く沈みこむ。カルデアの頃はマシュや藤丸、サーヴァントのフォローがあったから、仲良くなれた。

 

(今は違う。頼れる仲間はいない)

 

もう、誰も助けてくれない。だからこそーー自分で切り開かなければいけない。

 

(でも、どうすれば……)

 

カルデアでの記憶を遡り、忍術学園でのヒントを探す。頭の中の資料室を総動員して情報を整理する。

 

思い返せば、私はずっとマシュと藤丸に頼りきりだった。もしかすると、そのツケが回ってきたのかもしれない。

 

(皆と仲良くなる方法……)

 

そういえば、昔ジャンヌ・ダルク・オルタに文字を教えていたことがある。勉強を教えるのは、人と仲良くなる手段になり得るかもしれない。

 

幸い記憶力は前世の頃から良いほうだ。大学範囲の知識も覚えているし、レポートも書ける。座学ならなんとかなるかもしれない。

 

ふと、琥珀色の水面がゆらゆらと揺れるのを見つめる。

 

そういえば、カルデアでもサーヴァントと仲良くなるためにお茶会を開いていた。

 

『おい、菓子はまだか?待ちきれぬぞ!』

 

茨木童子がよく急かして私を困らせたが、彼女がお菓子を頬張る姿が可愛くて、つい作りすぎてしまったこともあった。

 

(よし、いける)

 

時代劇では、忍者や権力者が情報交換のためにお茶会を開くことが多い。忍術学園でも同じかもしれない。

 

美味しい茶菓子とお茶を用意して、お茶会を開き、交流の場を作る。

 

「お母さん、もしお茶会をするなら、どんなお茶がいい?」

「そうねぇ……無難な緑茶はどうかしら?でも……」

「でも?」

 

母は毛糸を編みながら、続ける。

 

「ハーブティーがあったら、嬉しいわ」

「ハーブティー……」

「あなたお茶の淹れ方にはうるさいものね」

「もう、お母さんったら……」

「ふふ」

 

母の言葉に私は口を尖らせる。

そうだ、仲良くなったら、ハーブティーも淹れよう。ジャーマンカモミールやラベンダー、クロモジ……リラックスできるものを選ぶのもいい。

 

「お茶菓子は何がいいかな?」 「和菓子もいいけど、南蛮菓子もいいわね」  

「なるほど……。南蛮菓子か」

 

町には美味しいタルトを売っている店がある。南蛮菓子は珍しく、きっと喜ばれるはずだ。

 

だが、冷静に考えると、いきなりお茶会に誘っても警戒されるかもしれない。

 

魔術師や育った環境が違うため価値観のズレもあり得る。

 

まずは、誰から巻き込むか。

 

温くなった紅茶を一口飲み、考えを巡らせる。

 

まずは同性のくノ一から誘おう。ユキ、おシゲ、トモミあたりなら気兼ねなく会話も弾むかもしれない。美容やファッションの話題を出せば、興味を持ってもらえるかも。

 

忍たま達は、善法寺伊作から誘ってみよう。それから、同室の食満留三郎を巻き込めばいい。

 

(ごめんね、善法寺君) 

 

心の中で謝る。お人好しな彼には申し訳ないが、上級生たちとの架け橋になってもらうしかない。

 

落ち着かない私は部屋を見渡した。浮かんでくるアイデアにワクワクが止まらない。  

 

(英雄潭もいけるか?)

 

伝説や神話、伝承もマシュと一緒に読んで学んだ。アーサー王伝説、ギリシャ神話、北欧、ケルト……円卓の騎士の話は興味を持たれそうだけれど……。

 

(でも、騎士の話、日本では馴染みがないよね) 

 

騎士なんて西洋のものは、彼らに通じるかどうか、それだけが不安だ。

 

(次に開催場所)

 

開催場所は学園内で開催するのが好ましい。

庭で縁側に座りながら、お茶を飲む。

 

(なんにせよ、やるしかない)

 

何事にもトライアンドエラー。とりあえず試してみよう。

 

(あ、そうだ) 

 

保健委員に入れば、保健委員の皆にお茶を振る舞うこともできる。善法寺伊作もいるし、信頼関係も築けて一石二鳥だ。

 

それから、一人でお茶会を開き、偶然通りかかった人を誘うのもいいかもしれない。

 

お茶は暖かい空間を作ってくれる。私が心を癒やされたように、誰かを癒やすことができるかもしれない。

 

ふと、窓を見るとすでに空は夕焼け色に染まっている。この時間帯なら、子供達は家に帰っている時間帯だ。母は立ち上がり、夕食の準備し始めた。私もカップを洗うため、母と台所に向かう。

 

「お母さん、忍術学園楽しみだね」

「そうね」

 

ああ、本当に楽しみだ。

これから起こる忍術学園での日常はどんなものか。失敗してしまうかもしれないけど、やってみよう。

 

桜が咲くまで、あと少し。

 

(忍術学園の生活がいいものでありますように)

 

私は胸に期待を膨らませて、皿洗いに取りかかる。

 

◆◇◆

 

チュンチュンと雀の鳴き声が、眠りを揺り起こす。

 

柔らかな布団に包まれながら、重たい瞼をゆっくりと開けた。まるで全身の細胞がストライキを起こしているかのように、体が動かない。

 

朝の光がほんのりと差し込み、薄暗い部屋を静かに照らしていた。

鉛のように動かない体をなんとか起こし、ぬくもりを帯びた布団を跳ね除ける。まだ春とはいえ、部屋の中はまるで冷蔵庫のように冷えていた。

 

「うう……さっ、寒い」

 

思わず口をついて出た呟きに、吐く息が白く混じる。それでも、起きなければいけない。今日は――

 

忍術学園・入学日。

 

人生のターニングポイントともいえる、大切な日。そして誕生日のように、特別な一日でもある。

 

その事実を思い出すだけで、鼓動が高鳴り、次第に意識が冴えていく。

布団を丁寧に畳み、部屋の隅へと置く。障子を開ければ、冷たい朝の空気が肌を刺した。

 

朝日は眩しくて、少しだけあたたかい。

庭の草花には朝露が光り、小さな水滴が陽の光に反射して、キラキラと輝いている。

深く息を吸い込み、肺いっぱいに冷たい空気を取り込む。そして、障子を閉じ、自室を後にした。

 

 

顔を洗い、服に着替え、身支度を整えてから居間へ向かう。

 

そこにはすでに両親がいて、朝食の準備を終えていた。

白いご飯、湯気の立つ味噌汁、そして香ばしく焼けた魚。いつもの朝。けれど、どこか少し違う。

 

「おはようございます」

 

いつもと同じ調子で、落ち着いた声で挨拶する。両親も気づいてそれぞれ返事を返した。

 

「おはようさん」

「おはよう、タチエ」

 

母は私の名前を呼び、やわらかく微笑む。まるで試すかのように、ゆっくりと口を開いた。

 

「今日はいい天気ね」

 

それに続いて、私も練習していた通りのセリフを返す。

 

「入学日和ですね」

 

自分でも驚くほど、声ははっきりしていた。昨晩、何度も繰り返した言い回し、語尾の抑揚――体はちゃんと覚えていた。

 

母は満足そうにうなずき、父は黙って湯呑みを口に運ぶ。

その静かな仕草一つで、今日という日の重みが伝わってくる。

 

黙々と朝食をとるあいだ、部屋の空気には、普段とは少し違う緊張が流れていた。

 

 

食事を終え、風呂敷に荷物を詰め、玄関へと向かう。

そこには、すでに両親が並んで立っていた。

 

「ん」

 

父が無言で小指を目の前に差し出してくる。私は首をかしげた。

 

「え? なに? 指相撲?」

「違うわ! 指切りげんまん!」

 

痺れを切らしたように、父が口を開いた。

そのまま父の小指に自分の小指を絡ませる。

 

「無茶はするなよ」

「……努力するよ」

 

約束の証として、小指を結んだあと、母がそっと私の頬を撫でながら言う。

 

「辛くなったら、逃げて帰ってくるのよ」

「え、そこは逃げる前提なの?」

「逃げるが勝ちって言うでしょ?」

「はあ……。とりあえず、いってきます!」

 

 

母の言葉に心がほぐれた。

苦笑しながら、私は玄関を開ける。

 

そして一歩、力強く踏み出した。

 

「いざっ! 出陣!」

 

これから始まる、忍術学園での新しい日々へ。

 

あぜ道にはたんぽぽやオオイヌノフグリが咲いている。 

暖かい春の日差しに誘われて、私はそっと背伸びをした。

 

「今日は平和だな〜」

 

花々を眺めながら、これまでの記憶が胸に蘇ってくる。

 

五歳のとき、高熱にうなされながら思い出した前世の記憶。

室町時代の戦を目にし、恐怖で眠れなくなったあの夜。

父から「忍術学園」の話を聞き、自ら決めた道。

無茶をしてしまい、両親の優しさに気づかされた静かな夜

 

そして、今日はーー。

 

「ここが……。忍術学園……」

 

城壁のようにそびえる立派な門構えが見えてきた。

門の上には忍術学園の紋章が掲げられている。

 

とりあえず夏休みまで、正体を隠して過ごさなければならない。

まるで、スパイ映画の主人公のように。

 

正直なところ怖い。けれど……。

それと同時にワクワクした。

 

「このスリル他じゃ味わえないね……。」

 

思わず口角が上がる。何が起こるのかわからないけど、やってみるしかない。

 

ーー人生はスリル、ショック、サスペンス

 

私は一歩前へ踏み入れたが……。

 

(いやいやいや!無理無理無理!)

 

プレッシャーのあまりに突然の胃痛にしゃがみこむ。

 

なぜよりによって、バッドエンドとデッドエンドしかない場所で青春生活を送らなければいけないのか。

 

グッドエンドもいい。ハッピーエンドも悪くない。トゥルーエンドも好ましい。けれど……。

 

(流石に難易度が高いって!

乙女ゲームも真っ青だよ!)

 

「大丈夫?君」

「すみません……え?」

 

脳が混乱している。姿は彼だとわかるのに、現実が追いつかない。だけど、間違いない。

濡羽色の髪に日本人にしては珍しい青色の瞳。そしてなにより、カルデアの頃から聞いたことがある爽やかな声。

 

(なんで藤丸立香がここに!?)

 

心臓がドクンと跳ね、頭が追いつかずに真っ白になる。

 

姿は藤丸だと理解しているはずなのに、脳が理解できない。本当に、本当に彼なのか?

 

「藤丸……?」

 

涙が出そうになるのを堪えながら、震える唇でようやく彼の名前を呼ぶ。

 

「なんで……?俺の名前を?」

 

藤丸は怪訝そうな顔している。

私は喜びを噛み締めながら、自身の名前を言う。

 

「私だよ。タチエだよ」

 

「タチエ……?え?え?タチエ!?」

 

藤丸はようやく私がわかったのか、目を見開いた。それから、青い目は海のようにゆらゆらと揺れている。

 

「え?え?なんで……?マジか……。」

「それはこっちの台詞だよ」

 

彼のリアクションに私は笑ってしまった。それから、見間違えないように、お互いの顔を見合わせる。するとあの頃と変わらない笑顔で藤丸は言う。

 

「会えて良かったよ、タチエ」

「私も」

 

忍術学園の門の前で春の日差しを浴びながら、何がおかしいのか私達はクスリと笑い合う。

 

桜の雨が藤丸と私の再会を祝福しているようだった。

 

「はい、入門書」

「あ、はいはい」

 

藤丸は相変わらずの調子で入門書を渡してくる。私は入門書を書きながら、疑問に思ったことを聞いてみた。

 

「その様子だと藤丸はここの事務員?」

「うん、そうだよ」 

 

入門書に名前を書いて、藤丸に渡した。次に疑問に思ったことを投げた。

 

「小松田さんは?」

「まだ、いないみたい」

「そっか……」

 

どうやら、小松田さんがここに来るのはまだ先のようだ。彼と交流するのも楽しみの一つだったが、残念でならない。入学式まで、時間がある。少し藤丸と立ち話をしてもいいだろう。

 

「藤丸はどうしてここに?」

「給料が良いと聞いたので」

「なるほど……」

 

納得しかけたけど、普通におかしい。前世の頃は忍たま乱太郎のアニメを視聴したとき、小松田さんが仕事している場面を見て、藤丸と冷静にこの仕事は意外と危険なのでは?と話し合ったのを覚えている。だから、わざわざ危険を冒してまで、藤丸がここに就職する理由としては考えられにくい。

 

「本当に、それだけ?異世界(たぶん)で忍者養成学校の事務員として就職した理由はそれだけ?」

「だって、寮完備、食事付き

、手当充実、忍具支給って書いてあったからつい……」

「忍具支給……?」

 

 

小松田さんを見て、それなりの手厚いのは予想していたが、どこの世界の事務員の求人チラシに忍具支給があるのだろう。藤丸はそこに疑問に思わなかったのだろうか。

 

「しかもね」

「うん?」

「入社祝いに苦無十本と煙玉三つもらった」

「いや、おかしいでしょ!ここの職場!」

 

思わずツッコミをいれてしまった私を察してほしい。どこをどう就職先としてみたのか問い正したいところだ。というより、そんな武装した事務員、見たことない。カルデアでもパソコンを支給されるぐらいだったのに。まさか、小松田さんもあのとき武装していたのか?あの小松田さんが?

 

「どうして……また、こんな職場に……」

「うーん。だって、給料が安定して、寝食もできる場所を探していたら、ちょうど忍術学園の求人チラシが風で飛んできたから……」

「たぶん、それ、絶対に誰かが意図的に飛ばしたやつだよ。」

 

そんな運良く風のおかげで手厚い職場を見つけられるとは考えられにくい。藤丸を見て絶対に誰かが意図的に飛ばしたのだろう。後々、学園長にも問いたださなくては。それにしても、この時代に寝食ができて、手当ても充実している職場は珍しいほうだ。

 

「他に事件はあった?」

「うーん。特には……。あ、俺、亡霊なら見たよ。実は幽霊とか見えるんだよね」

「ありえざるものが見える……。」

 

浄眼か……。魔眼の一種で、見えざるものを見ることができる能力。前世で聞いた話によると退魔の一族によく出ると言う。

でも、藤丸がそんな一族の出身だったなんて聞いてない。

いや、そもそも、私も知らなかっただけ……?

 

(もしかして……前世と関係しているのか……?)

「タチエ?」

「え?ああ、なに?藤丸」

「そろそろ、行かないと入学式に遅れるよ」

「え?ああ!ありがとう!それじゃあ、藤丸、また今度ね!」

 

私は大急ぎで入学式に向かった。

風が頬を撫でる。春の空気のなかに、微かに緊張と期待が混ざっていた。忍術学園の本棟に向かって足を早めながら、心の中ではさっきの会話が何度もリフレインする。

 

(藤丸の"浄眼"……。それに、あの求人チラシ。偶然にしては出来すぎてる。私の考え過ぎか……?)

 

忍術学園に入る決意をした時点で、ある程度の異常さは覚悟していたつもりだったけど、実際にその「異常」に触れてしまうと、やっぱり戸惑うものだ。

 

どこの世界に苦無十本と煙玉を入社祝いに渡す学校があるんだよ。あ、ここの学校では当たり前か。

納得しかけたが、やっぱりどこかおかしい。

 

けれど、今はとにかく式に遅れないことが先決。

 

本棟に辿り着くと、ちょうど教師の声が聞こえてきた。

 

「では、新入生の皆さん、これより入学式を執り行います!」

 

(あっぶな……ほんとにギリギリだった)

 

静かに列の後方に加わり、周囲を見渡す。知らない顔がほとんどだった。なかには、妙に目立つ外見の者もいて、やっぱりここが"普通"じゃない学校だと再認識する。

 

学園長の話はほんわかした調子で続いた。だけど私は、ふと背筋が寒くなるような視線を感じて、そっと周囲を見渡した。

 

(……誰かに見られてる?)

 

それはほんの一瞬のことで、すぐに視線は消えた。気のせいかもしれない。けれど、前世での経験が告げている。「気のせい」で片付けるのは早い、と。

 

(念のため、後で式が終わったら周辺を調べよう)

 

式は滞りなく進み、拍手とともに終了した。ざわざわと生徒達が動き始めるなか、私は立ち止まり、

もう一度あの視線を探すように周囲を見渡す。だが、誰も怪しい者はいない。

 

(おかしいな……。確かにいたのに……)

 

「ねぇ、君」

 

「ん?」

 

服の袖をぐいぐいと掴まれて、後ろを振り返る。掴む手は冷たく、何かを確かめるようだった。そこには黒髪のおさげの少女が立っていた。琥珀色の瞳が、まるで光を弾く硝子玉のようにこちらを見つめている。私は笑顔をつくる。

 

「なにか?」

 

「君、“普通”じゃないよね?」

 

その言葉に、心臓が一度、大きく脈打った。先ほどまでの笑顔が、凍りつくのを感じる。なぜ今、それを聞く?

この少女は今まで出会った誰とも違っていた。まるで私の胸の奥に隠していた秘密を、光の中へ引きずり出すかのような瞳。

まるで、預言者のような台詞を、当たり前のように口にする。私は動揺を隠しながら、微笑んでみせた。

 

「気のせいじゃないかな?」

 

「そっかー、そう見えたんだけどなあ」

 

少女は首をかしげ、うーん、と唸る。あれこれ考え込んでは、独り言をつぶやいている。いきなり現れた不思議な少女に、私は内心少し戸惑った。

心臓に悪い発言を、こんなにも自然にするなんて。思わず苦笑する。

 

やがて、彼女はくるりとこちらを向き直った。

 

「まあ、いいや。私、葵(あおい)。金森葵、よろしくね」

 

手を差し出す仕草は、ごく自然なものだった。私は一瞬だけ、その手を見つめてからーー

 

「薬茂タチエ。こちらこそ、よろしく」

 

そっと握り返す。その感触は、まるで握手というより、何かの契約に近いような奇妙な感覚を残した。

あらためて見ると、葵は落ち着いた雰囲気と天真爛漫さを同時に纏っている。矛盾しているのに、違和感はなかった。

むしろ、その矛盾が彼女の存在に深みを与えていた。

 

「ねえ君、何者? 見たところ、やっぱり“普通”じゃなさそう」

 

葵は好奇心に満ちた目でこちらを観察してくる。まるで学者のように。

その琥珀色の瞳が私を映す。私の赤い瞳もまた、彼女の中に何かを見出そうとしていた。

彼女は魔術師ではない。ただの一般人だ。それなのに、彼女の目は魔力を帯びているように感じられた。

ふと、猫のように瞳を細める。

 

「君、魔法使い?」

 

その瞬間、言葉が出てこなかった。

もしかして、さっき感じた視線の正体は……彼女だったのか?

 

(……まずいな。この子、ただ者じゃない)

 

だが、ここで正体を知られるわけにはいかない。私はいつものように肩をすくめ、笑みを浮かべた。

 

「さあ?どうだろうね。そういうあなたこそ?」

 

「え?私?“普通”の人間だよ」

 

「どう見ても、普通には見えないけど」

 

「えー?嬉しいな、魔法使いさんに褒められるなんて!」

 

危うく、「魔法使いじゃない。魔術師だ」と言い返しそうになってしまった。すぐに訂正したくなるのは、私の悪い癖。

 

「あなたは、一体……」

 

「だから、“普通”の人だよ?」

 

その柔らかく、ふわふわした空気感。私はどこかでこの雰囲気を知っている。

そう――『ハリー・ポッター』に出てくるルーナ・ラブグッド。

あの不可思議な、でも嫌いになれない空気を持つ少女。

 

私は黙って彼女の顔を見つめた。あいまいな笑顔。あいまいな返事。だけど、それは計算されたものじゃない。

まるで風が葉を揺らすように、自然で、けれど確かに私の中の何かを揺らしてくる。

 

「……本当に“普通”の人なら、どうして私の正体を見抜けたの?」

 

気づけば、問い詰めるような口調になっていた。だが彼女は気にも留めず、くすくすと笑う。

 

「うーん、勘? あとは……目かな?」

 

「目?」

 

「うん。君の目、普通じゃない。目って、その人がどこから来たのか、何を抱えてるのか、ちょっとだけ見えるんだよ」

 

――なるほど、そういう“視え方”をするのか。

 

彼女の言葉には理屈がない。でも、なぜか否定できなかった。

 

「それにね、タチエ、背中がちょっと寂しそうだった。そういう人って、秘密があるでしょ?」

 

(背中が、寂しい……か)

 

その言葉が胸に残った。誰かにそう言われたのは、初めてだった。

あるいは、気づいていた人は過去にもいたのかもしれない。けれど、それを言葉にしてくれたのは、この子が初めてだった。

 

「君って、不思議な子だね」

 

「え?そうかな?」

 

満面の笑み。疑念も敵意もない、ただのまっすぐな好奇心。

子供のような、でも妙に大人びた雰囲気。まるで風のように、掴めそうで掴めない。でも、そこに確かに存在している。

 

「忍術学園って、変な子多いと思ってたけど……これはまた、別の意味で強敵かもしれない」

 

思わず呟くと、葵が目を輝かせた。

 

「えっ?敵役?やった!ライバルってこと?それとも、相棒?」

 

「……どっちでもない。今のところは、ね」

 

そう返すと、彼女は嬉しそうに笑った。

 

「じゃあ、これから決めていこうよ!」

 

まるで約束を交わすように、もう一度手を差し出してくる。今度は、私もためらいなく、その手をしっかり握った。

先ほどの奇妙な感覚は消えて、今はただ、ぬくもりだけがそこにあった。

 

「変わった子……でも、悪くない」

 

私の口元にも、自然と微笑が浮かぶ。

 

(さて。金森葵。君がどこまで私の秘密に触れてくるのか――楽しみにしてあげよう)

 

忍術学園の日常は、今日もやっぱり“普通”じゃない。

 

でも、そんな“普通じゃない日々”が、ほんの少しだけ愛おしいと感じた。

 

──この出会いが、私の運命を少しずつ狂わせていくなんて。今の私は、まだ知らない。

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