藤丸立香との生活【9】、楽しんでお読みください。
全ての授業が終わり、私は縁側でとある人を待っている。手紙は使い魔の烏に持たせたので、大丈夫だ。今頃、こちらに向かっている頃だろう。私はお茶とカステラを用意して、外に咲いている紫陽花の花を眺めいた。
湯飲みに淡い緑色が注がれる。カステラは食堂で焼いたものを持参した。出来には自信がある。それにしても、授業がここまで、長引くとは思いもしなかった。他の上級生達は授業中である。
リン達は自由行動で余暇時間を満喫しているだろう。メイはおそらく図書室。リンは自室で勉強をしているのだろう。葵は……?うーん。何しているのかわからない。
「あ、お待たせ!タチエ!」
縁側からとある人物が歩み寄ってきた。藤丸立香が隣に腰をかける。
「大丈夫です、藤丸。ちょうど来たところですから」
「そっか、それならいいんだ」
「あ!」と藤丸は何か思い出すと彼は浅くお辞儀をした。
「お茶会をお招きありがとうございます」
「え、いや、こちらこそ、ありがとうございます」
私も藤丸に頭を下げた。私たちは、ほぼ同時に頭を下げ合い、思わずくすっと笑ってしまう。
「……相変わらず、礼儀正しいね、タチエは」
「それは藤丸も、です」
そう言いながら、私は湯飲みをそっと藤丸の前に差し出す。緑茶のほのかな香りが、初夏の風に混じって鼻先をくすぐった。
「ありがとう。いい香りだなあ……あ、このカステラも、タチエの手作り?」
「はい。食堂の道具を借りて焼きました。少し甘めですが……お口に合うといいのですが」
藤丸はにっこりと笑って、ひとくちカステラを口に含む。
「……うん、美味しい。しっとりしてるし、ちゃんと卵の甘みが活きてる。どことなく懐かしい味がするな」
「懐かしい、ですか?」
「うん。前に、カルデアの休憩所でね……君が焼いてくれたお菓子を思い出したんだ」
私の手がふと止まる。
「……覚えていて、くれたんですね」
「もちろん。あの頃のことは、今でもちゃんと……覚えてるよ。たとえ、世界が変わっても、君がこうしてここにいてくれるなら、忘れられるわけがない」
藤丸は、真っ直ぐに私を見つめてそう言った。そのまなざしは変わらない。どこか不器用で、でも、どこまでも誠実で。
私は、紫陽花に視線を落とす。
「私は……今のこの世界で、ようやく落ち着いたと思っていたのに。ふと、思い出してしまうんです。カルデアでの日々を。あなたのことも、Aチームのことも、そして……彼のことも」
「……カドックのこと?」
小さく、私は頷く。
「彼とはあまり言葉を交わせなかった。でも、彼の背負っていたものを、私はもっと知ろうとするべきだったかもしれません」
藤丸はそっと湯飲みを置いて、小さく息を吐いた。
「カドックも、タチエも……みんな、あの場所で懸命に生きてた。それだけで十分だと思う。あの時言えなかったことがあっても、きっと——今、ここからでも、間に合うよ」
私は、言葉の重みを胸に抱きしめながら、再び紫陽花を見つめた。
「この花の色……」
「ん?」
「……薄い水色が、彼の瞳の色に似てるなって、ふと思ったんです」
藤丸は少し驚いた顔をしたあと、静かに笑った。
「タチエ、君は本当に、優しいね」
私は返事をせずに、お茶をすする。
たぶん、この静かな午後のひとときは——
誰かのために、記憶のために。
そして、自分の明日のために、必要な時間だったのだ。
「それでね……少しだけ、悩みがあるんだ……」
「悩み、ですか?」
「うん……」
それは、ある雨の日のことだった。
藤丸はいつも通り、事務員として作業をしていた。
そのとき、ふと窓の外に目をやると、雨の中に一人の女性が立っていた。
「ここは関係者以外、立ち入り禁止ですよ」
思わず声をかけた藤丸。
その女性は、ゆっくりと顔を上げた。
憂いを含んだ表情。そして――雨に濡れていないことに、藤丸は気づいた。
「まさか……幽霊?」
「そう。幽霊だったんだ」
「その幽霊は……どうなったんですか?」
「近づいてきて、こう言ったんだ。“探して”って」
「探して……?」
「“私の想い人を、探して”って」
藤丸の声は、わずかに震えていた。
けれどそれは恐怖ではなく、戸惑いに近いものだった。
「その姿はぼんやりしていて……でも、声だけは、はっきり聞こえた。雨音に紛れることもなく、心に直接響くような声だったんだ」
私はそっと湯飲みを置いて、藤丸の言葉に耳を傾けた。
「名前は……?」
「言わなかった。ただ“想い人を探してる”って。それだけ。でも、立ち去る前にもう一つ言ったんだ。“あの人はまだ、生きている”って」
私は、少し眉をひそめる。
「幽霊が生者を探している……よくある未練の残留思念では説明がつかないですね」
「だよな……それが気になってて。普通の幽霊なら、その場に縛られるはずだろ? でもあの人は、自分の意志で“探すために”ここに来たように見えたんだ」
「まるで、生きているような……」
私は頭の中で思考を巡らせた。
亡霊現象、魂の執着、魔術的干渉、あるいは――“概念としての存在”。
「その幽霊、外見に何か特徴はありましたか?」
「そうだな……白い着物を着てた。髪は長くて……顔立ちは、どこか昔の時代の人って感じ。喋り方も古風だった。“わたくし”って言ってた」
「時代感……平安あたり、ですか?」
「そう、それくらいの雰囲気」
私は少し黙ってから、ぽつりと呟いた。
「……本当に“幽霊”だったのでしょうか?」
「どういう意味?」
「ただの直感です。でも、もしかしたら“幽霊を装った何か”かもしれません。たとえば――未来や過去から干渉してきた存在。あるいは、“記憶”だけが抜け出した概念的存在のような」
「……概念、って?」
「肉体はなくても、魂や目的だけがこの世に残り、形を持って現れるような存在です。想いが強すぎて、誰かに届こうとしている……そんなイメージです」
藤丸はしばらく黙ったまま、紫陽花の咲く庭に視線を落とした。
「……タチエは、どう思う? その人を、探してあげるべきだと思う?」
私は、すぐには答えられなかった。
けれど、そっと茶碗のぬくもりを両手で感じながら、静かに答える。
「その“想い”が、誰かを傷つけるものでないなら……私は、きっと――その人を探してあげたい、って思います」
藤丸は、ふっと優しく笑った。
「うん……そう言ってくれると思った」
その時、遠くで雷鳴がひとつ。
夏の雨の匂いが、湿った風に乗って縁側を通り過ぎていった。
やがて、ひとつの幽霊譚が――
静かに、しかし確かに、動き出そうとしていた。
まだ見ぬ“想い人”を巡る、ひそやかな探索の物語として。
それから、お茶会がお開きになろうとしていた頃、藤丸はふいに立ち上がった。
「君は……」
「藤丸?」
「彼女がいる」
「え?」
私は目を凝らして周囲を見渡した。けれど、どこにもそれらしい姿は見当たらない。それでも藤丸は、確かに“誰か”に話しかけていた。
「ねえ、君。名前は?どこから来たの?想い人の特徴は?……ごめんね、質問攻めだったね」
しばらく会話をしていたようだったが、藤丸はやがて私の方を見た。
「女の人は……何か言ってましたか?」
「ううん、ずっと無言だった……」
「そうですか……」
手がかりもなく想い人を探すのは至難の業だ。まるで、たった一つのコインを砂漠の中から見つけ出すようなもの。
私は静かに頷きながら、雨に濡れた石畳の先を見つめた。どこかにその“コイン”はきっと輝いているはずなのに、砂に埋もれていて見えない。
「それでも、藤丸は……助けたいんですね。その幽霊の願いを」
「……うん。助けを求めてきたなら、放っておけない。たとえそれが幽霊でも。きっと、そこには“理由”があると思うから」
彼の声には迷いがなかった。あのカルデアの記憶が脳裏に蘇る。彼はあの頃からずっと、誰に対しても真っ直ぐに手を差し伸べてきた。
「あなたは変わりませんね、藤丸」
「うん、たぶん。でも……タチエがいてくれるなら、きっと迷わずに済むと思った」
その言葉に、私は一瞬だけ目を見開き、そして思わず微笑んだ。
「……私も同じ気持ちです。あなたとなら、きっと辿り着ける気がする」
「ありがとう。……ねえ、タチエ。もう一度、あの場所に行ってみない?」
「雨が降っていた、というあの旧庁舎の裏ですね」
「うん。もしかしたら、彼女の“想い”が、まだそこに残っているかもしれない」
私は立ち上がり、符を一枚、指先に挟んだ。淡く光る符が風の流れをわずかに変える。
「……何か、います」
「幽霊か?」
「いいえ……これは、“彼女”ではありません。別の……“気配”です」
その瞬間、どこからか風鈴のような鈴の音が微かに響いた。冷たい風が頬をかすめる。
私は藤丸の肩に手をかけ、目で合図を送った。
「行きましょう。手がかりは、彼女だけじゃない。何かが、この世界の“縫い目”を揺らそうとしている」
雨の匂いが、また少し強くなった。まるで、これから始まる“探しもの”を、そっと告げているようだった。
私たちは静かに旧庁舎の裏手へと歩き出した。雨はすでに止みかけていたが、地面にはまだ雨粒の名残が残っていて、足音がぴちゃりと小さく響く。
廃れた石造りの通路を進んでいくと、ぽつりと落ちる雫の音と、かすかな鈴の音が混じって聞こえてきた。風もないのに、どこかから音が響いてくるのだ。
「このあたり……?」
藤丸が囁くように言う。私は頷き、符をそっと空中にかざす。符はわずかに震えながら、淡い光を放ち、ゆっくりとひとつの場所を指し示した。
それは、古びた木の扉——かつて倉庫として使われていた小部屋の入口だった。
「ここ……何かが残っています。強い“感情”の痕跡です」
私は符を扉にかざすと、扉は軋んだ音を立てて、まるで導かれるようにゆっくりと開いた。中は薄暗く、かすかな埃と、懐かしい香水のような甘い香りが漂っていた。
「甘い……匂い……?」
「あ、あの!俺、藤丸立香です!あなたは?……小町さん?」
しばらく藤丸は誰もいない箇所で真剣に話していた。
「あ!待って!」
藤丸は手を伸ばして、何かを掴もうとしたけれど、それは虚空を掴むだけだった。
「……藤丸?」
「彼女の名前は小町さん。想い人の名前は思い出せないけど、生きているみたい……」
「うーん。わからずじまいですか……」
私は頭を捻りながら、考える。私は静かに部屋の中へ足を踏み入れた。埃っぽい空気が舞い上がるなか、確かに感じる“気配”がある。誰かがここで長く待っていた、そんな名残のようなもの。
「小町さん……その名前に聞き覚えはありますか?」
藤丸は少し俯きながら、ゆっくりと首を振った。
「ううん。初めて聞いた。でも、なぜか……話しかけなきゃって、心が動いた。姿も声もはっきりしないのに、名前だけが、ぽつんと頭の中に浮かんできたんだ」
「小町さん……これは聞き込み調査が必要ですね」
「うん、でも、俺。仕事が……」
「聞き込みなら、任せてください!私がやりますよ!」
「え、でも……。」
「大丈夫です!」
私はにっこりと笑って、ポンッと拳を自身の胸に叩いた。
「こう見えて、地道な調査は得意なんです!泥舟に乗ったつもりで、どん、と!」
すると、藤丸は呆れながら、笑いけれど、どこか安心したような表情をしていた。
「ありがとう、タチエ。俺も事務の合間に調べてみるよ」
「私も先輩方や保健委員の皆さんにも聞いてみますね!それから、他の痕跡がないか調べてみます」
「うん、頼りにしてるよ、タチエ」
「はいっ、任せてください!」
私は元気よく返事をして、改めて古びた部屋の中を見渡した。
残された香り、かすかな気配、そして——まだどこかにあるはずの“鍵”。
(想いの形は、いつだって目に見えない。でも、手がかりは残っている)
「まずは、記録と証言ですね。あと……魔術的な痕跡も、簡易術式で探っておきます」
「符、また使うの?」
「ええ。あれはただの紙じゃないですから。気配の強さや方向を“記録”するように細工しておいたので、後からでも辿れます」
藤丸は感心したように「へえ……」と唸る。
「すごいな、タチエって本当に魔術師なんだね」
「それは……極力、秘密にしておいてください」
私は少し照れながらも念を押す。
魔術師であることは、そう軽々しく口にしていい立場ではない。特に、忍術学園の中ではなおさらだ。
「わかってる、誰にも言わないよ」
藤丸は真面目な声で頷いたあと、ふと表情を緩める。
「でも、ちょっと嬉しいな。タチエが、今もそうやって誰かを助けるために動いてるのを見ると、あの頃のカルデアを思い出すよ」
私は思わず目を伏せた。
懐かしい記憶が胸の奥に灯る。過ぎ去った時間、もう戻らない仲間たち、そして——叶わなかった想い。
でも、今は前を向いて歩けている。
あのときとは違う場所で、違う誰かと、想いを繋ぐために。
「……じゃあ、調査を始めますね。まずは保健委員の方に聞き込みを。それから、資料室の古い名簿や記録も調べてみます。“小町”とか何か残っているかも」
「うん、俺も職員記録のほうを当たってみるよ。旧庁舎に関わった人の名簿とか、保存されてるはずだから」
そう言って、藤丸も立ち上がる。
外の空は、少しだけ晴れ間が覗きはじめていた。さっきまでの雨が嘘のように、光が縁側の端に差し込んでいる。
「じゃあ、また夕方に合流しましょうか。成果報告、しますから」
「うん、楽しみにしてる。……タチエ」
「はい?」
「こういう時の君って、ほんと頼もしいよ」
「えっ……」
私は一瞬、返す言葉に詰まり——
そのまま、顔を逸らした。
「も、もう、からかうのはやめてくださいっ!行きますよ、調査に!」
私はそう言って、くるりと背を向けた。
その背中に、藤丸のあたたかな笑い声が重なった。
——“想い”を辿る調査が、今、静かに始まった。
それは誰かを救うためであり、同時に、自分自身の心と向き合う旅でもあった。