加賀が迎えた「終戦」の物語。

※本作は「pixiv」にも投稿しています。

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もう一度、生きるために

 

【挿絵表示】

 

 

 昭和二〇年。

 八月一五日。

 佐世保鎮守府。

 何もかもが疲弊しきった軍港に、容赦なく真夏の日差しが降り注いでいた。

 

 

*

 

 

 岸壁に一隻の軍艦が係留されている。その姿は、まるで傷つき痩せさらばえた猟犬を思わせた。他の残された小さな艦艇に比べて、あまりにも大きな彼女。全長二四七メートル、基準排水量三八二〇〇トン。大正一〇年進水、昭和三年竣工。戦艦として生まれるはずだった船体に飛行甲板を与えられ、故郷の佐世保で改修を受け、太平洋を駆け巡った航空母艦。

 ――加賀。

 いくつかの数奇な運命――奇跡、と言ってもいい――をたどり、彼女はぼろぼろになりながらも佐世保で終戦を迎えた。

 ミッドウェー海戦では、かろうじて合衆国の攻撃を避けきった彼女を飛龍の航空隊が逃がした。

 マリアナ沖海戦では、翔鶴と大鳳の最期を見届け、第二艦隊とともに撤収した。

 エンガノ岬沖海戦では、搭載する航空機もないまま囮として出撃し、瑞鶴の乗組員を救助し――彼女だけが帰還した。

 死に場所はいくらでもあった。だが、加賀は生き残った。本土で合衆国軍の空襲を受けてもなお、彼女は海の上に在り続けた。

 

 

*

 

 

 穴だらけになった航空甲板、錆さえ浮かんでいるような船体。がらんどうの格納庫。

 そんな加賀を、岸壁から見上げる人物がいた。軍港には不似合いな、女性の姿。肩までの黒髪を左で一本結びにし、巫女装束のような服を着ている。白衣はそのままだが、巫女と違って丈の詰められた青い袴をはいている。手脚は長く、肌は白い。少しきつそうな瞳で加賀の艦橋構造物(アイランド)を見つめていた。

「ここにいたのか」

 女性に呼びかける青年がいた。真っ白な第二種軍装を着こなした海軍士官だった。肩には少佐の肩章が縫い付けられている。

 呼びかけられた女性は視線を少佐に移す。美しい顔が、ほんの少しだけ表情を緩ませたように見えた。

「終わったよ」

 主語も目的語も省いた少佐のことば。女性は「そう」とだけ答え、小さく頷いた。

「……君は生き残れたな、加賀」

 女性の隣に並び、航空母艦の船体を見上げた少佐。その航空母艦と同じ名で呼ばれた女性は、再び視線を上げた。

「そうね。いつ沈んでもおかしくなかったけれど……生き残ってしまったわ」

 彼女は加賀と呼ばれていた。

 戦時中、加賀のように、(ふね)の化身が突然現れることがあった。戦艦から駆逐艦、潜水艦、補給艦、帝国陸軍の特殊船に至るまで。

 それは、女性の姿で現れた船霊(ふなだま)だった。数多の人々の想いが、彼女たちを呼び起こした。

 彼女たちは艦娘と呼ばれた。彼女たちは艦と、それに乗り込んだ人々を守護し続けた。

「これからどうなるんだろうな」

 少佐の声には、悔しさと、わずかばかりの安堵があった。加賀は視線を動かさず、自らの船体を見上げ続けている。

 少しの時間が流れた。蝉の鳴き声だけが聞こえる。軍港は静まりかえっていた。彼女たち以外に、動く人影もない。

「少佐」

 加賀の美しい顔が、いつしか少佐を向いていた。

「何のために戦ってきたか、あなたは考えたことがある?」

「唐突だな」

 少佐は微苦笑を浮かべていた。戦う理由はあった。だが、戦争が終わったことによって、負けたことによって、それらは霧散してしまったのだろう。

「……君をこの佐世保まで連れ帰る。そのために戦ったと思えば、少しは救われるかな」

「そう……」

 加賀は少し前のことを思い出していた。天一号作戦。沖縄を救うために出撃した大和と、最後の第二水雷戦隊。燃料さえあれば、加賀も囮として出動しているはずだった。

 だが、そうはならなかった。佐世保に帰還した駆逐艦・雪風、初霜、涼月、そして冬月。彼女たちの姿を見て、加賀はこう思った。

 ――わたしは、また生き残ってしまった。何のために。

「わたしは何のために戦って、何のために生き残ったのかしらね」

 加賀は、自分がかすかに涙を浮かべていることに気づいていなかった。真珠湾攻撃は何だったのか、ミッドウェー海戦は何だったのか。

 赤城、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴はなぜ沈んでいったのか。

「まだ、やることが残っているんじゃないかな」

 少佐は、静かにそう答えた。

「俺たち軍人とは違う、何か君にしかできないこと。それがあるんじゃないのかな」

 為すべきこと。彼女が為すべきこと。加賀は、そんなものがあるのだろうかと思った。

 これから、彼女を待ち受ける運命を想像すれば――そんなものは無いと言えた。

 

 

*

 

 九月二日。

 日本政府全権重光葵、降伏文書に調印。

 即時発効され、太平洋戦争はこの時点をもって完全に終結した。

 

 

*

 

 

 生き残った帝国海軍の艦艇は、例外なく合衆国に接収された。

 艦娘の憑依したものがほとんどであった。

 

 

*

 

 

 昭和二一年。

 一月二〇日。

 かつて士官用の官舎として使われていた、佐世保鎮守府内の小さな建物。その一室に加賀の姿があった。

 電球の灯り。ストーブのコークスが燃えるかすかな音。その中で、加賀は小さなアルバムを見つめていた。

 そこには、戦時中に撮られた写真が何枚も収められていた。彼女が守護した艦の甲板を写したもの。そこに居た人々。飴色の翼を持つ艦載機。

 それらを、ひどく懐かしいと感じている加賀がいた。終戦から、わずかな時間しか経っていないというのに。

 誰かがドアをノックした。どうぞ、と声をかける加賀。控えめにドアが開けられ、階級章も何もかも剥ぎ取られた、背広代わりの第三種軍装を着た男が姿を見せた。少佐だった。

「加賀」

 少佐は口をつぐんだ。加賀は、自らがどうなるのか、その様子から察した。

「解体、さもなければ海没処分……といったところね」

「……そうだ。君の解体が決まった」

 沈黙が訪れた。痛みをともなうような沈黙。それを、加賀の静かな声が破った。

「みんなも、同じなのかしら」

 長門、高雄、妙高、鹿島、北上、潮、響――そのほかにも生き残った多くの艦がいた。彼女たちも、解体が決まったとのことだった。

 不思議と、加賀のこころは落ち着いていた。諦めていた、と言った方がよかったかもしれない。

「すまない、救ってやれなくて」

「謝らないで」

 加賀はアルバムをテーブルの上に置いた。少佐の顔を見つめ、そして、薄く微笑んだ。

「きっと、わたしたちが処分されないよう、奔走してくれていたのでしょう?」

 少佐は何も答えなかった。肯定していると加賀は思った。

「だったら、それだけでいいわ」

 加賀も、少佐も、それ以上、ことばは出てこなかった。

 

 

*

 

 

「あっ、加賀さん! 恐縮です!」

 その日の午後、加賀を訪ねてきた者がもう一人いた。犬の尻尾のように髪を結び、この世のあらゆることに興味があって仕方ない、というような瞳の女性。重巡洋艦・青葉。彼女はそう呼ばれていた。

「久しぶりね、青葉。あなたが佐世保に来ているとは知らなかったけど」

「あー、色々事情がありまして」

 窓際に駆け寄った青葉は、水蒸気で曇ったガラスをハンカチで拭い、軍港を加賀に見せた。確かに、昨日までは無かったはずの重巡のシルエットがそこにあった。

 この子もここで解体されるのね。加賀はそう察した。

「呉からここに連れてこられちゃいまして。で、加賀さんがいると聞いて思わず伺った次第なんですよ」

 屈託無く笑う青葉。戦時中はいつも彼女の首から提げられていたライカのカメラが消えていることに、加賀は気付いた。

「あなた、カメラはどうしたの?」

「あー、(むこう)でお世話になった方がいまして、昨日の出航前にあげちゃいました」

 やはり――この子も解体されることを知っているのだ。加賀はどんな顔をしたらいいかわからなかった。

「で、その前に撮った写真がこれなんですよー」

 青葉は小さな鞄から写真を取り出した。合衆国軍からフィルムを手に入れられたのか、カラーで現像された写真だった。

 そこには、艦娘たちが写っていた。榛名、伊勢、日向、利根、大淀――皆、笑顔を浮かべている。

「いい写真でしょ? みんなよく生き残ったなー、って感じで。冬じゃなかったらもっと青空がきれいなんですけどねー」

 じっと加賀は写真を見つめた。皆、解体される運命を知っているだろうに。なのに、こんな晴れ晴れとした笑顔を浮かべている。

 涙がこぼれそうになった。なぜ生まれたのか、なぜ生きてきたのか。そんな問いかけを思い出してしまいそうだった。

「加賀さん……?」

 青葉に問いかけられ、加賀は(かぶり)を振った。もう諦めたはずなのに。もう一度頭を振る。

 わたしも、少佐に何か贈り物をしておいた方がよかったかしら。不意に、加賀はそう思った。

 

 

*

 

 

 四月九日。

 少し冷えた潮風が顔をなでる夕刻。加賀は船渠で自身の船体を見つめていた。

 こうして自分を見上げるのは何度目になるだろう。加賀の船体は(ドライ)ドックに入り、解体を待っている。

 船体が解体されれば、艦娘である彼女も存在を維持できなくなる。消える。そのことに恐怖がないわけではない。ただ、彼女はその感情を表にすることができないだけだった。

 どれほど自分を見つめていただろうか。彼女は、自分に近づく足音に気付いていなかった。

「すまない、急に呼び出して」

 少佐がいた。海軍が解体されて軍装を着ることが許されなくなったせいか、灰色の背広姿だった。

「いいのよ。暇を持て余していたところだし」

「そうか」

 少佐は加賀を向いたまま、しばらくことばを発しなかった。何かを躊躇っているようにも見える。見たこともない彼の様子に、加賀は小さく首をかしげた。

「加賀」

 思い切ったように、少佐は白い包みを取り出した。包み紙をほどくと、小さな箱がそこにあった。少佐の手が箱を開ける。

 小さな箱の中に、白金(プラチナ)色の輝き。指輪だった。

「官給品ですまないが、受け取ってくれるか」

 その指輪には、小さく錨の紋章が彫られている。海軍が試作し、終戦までに間に合わなかった艦娘のための装備。まさか、指輪の形をしているとは加賀も思わなかった。

 もしかしたら、こんな装備ではなくて、本物の指輪を少佐は渡したかったのかもしれない。だが、今の日本でそれを手に入れることは難しい。

「どうしても、これを渡しておきたくて」

 飾り気のない指輪。それでも――胸の高鳴りを加賀は覚えた。だが、それを表情に出せない。素直に嬉しいと言えない。

「いいのかしら。一緒に、海へ消えてしまうのだけれど」

「それでも構わないさ。君が、その……俺のことを憶えていてくれれば」

 少佐の顔が赤く見えたのは、夕日のせいではなかっただろう。

 表情を変えず、加賀は左手を差し出した。少佐は嬉しそうに笑顔を浮かべ、不器用な手つきで指輪を加賀の指にはめた。左手の薬指。加賀はじっと指輪を見つめた。

「迷惑か?」

「……いいえ」

 加賀は少佐の顔を見て、静かに微笑を浮かべた。そっと、指輪をはめた薬指を護るように右手を添える。

 持っていこう。自分が消えるときに、この指輪だけ持っていこう。

「わたし、これでも今……とっても幸せなのですけれど」

 それは、加賀にとって、精いっぱいの強がりだったかもしれない。

 

 

*

 

 

 帝国海軍の艦はすべて解体される――かつて帝国海軍に籍を置いていた者たちは皆悔やんだ。彼女たちを、ただの鉄屑に変えてしまうのかと。

 だが。

 合衆国は彼女たちを解体しなかった。

 解体を決定しておきながら、彼女たちを整備し続けた。着底した艦はすべて浮揚され、横須賀で大破状態のまま係留されていた長門に至っては大規模な修理が始められた。

 そして、接収されてU.S.S.ユージンと改称されたドイツの重巡洋艦プリンツ・オイゲンが日本まで回航され、果ては除籍されたはずのU.S.S.サラトガが呉湾に姿を現した。

 ――これから何が起きるのか、合衆国は知っていたのだ。

 

 

*

 

 

 昭和二三年。

 二月五日。

 太平洋と大西洋に異変が起きて、数ヶ月が経っていた。

 函館を出航した一隻の艦が、その巨大な船体で冷たい空気を裂きながら進んでいる。

 彼女の名は航空母艦加賀――いや、警備艦<かが>。

 二か月前に急遽編成された保安庁海上警備隊。かつて帝国海軍に所属していた多くの将兵と、艦娘に憑依された艦艇が再び集められたのである。

 名目上は赤い海軍(ソヴィエト)を迎え撃つため。だが、実情は違った。

 人ではない「敵」と戦うために、彼女たちは再編成されたのだ。

 合成風に髪を押さえながら、加賀はまっすぐ前を見つめている。その瞳には光があった。彼女は、生き残った意味を見いだしていた。

「オナガよりツバメ。加賀、聞こえるか?」

「こちらツバメ。感度良好」

 加賀は瞳を伏せた。通信の一言一句を聞き逃さないように。

「状況は説明があったと思うが、再度確認する。今、石狩湾から無理矢理上陸しようとしている『ヤツら』の舟艇を警察予備隊が食い止めている。だが、それもいつまでもつかわからない。君の任務は、石狩湾に展開する『ヤツら』を可及的速やかに排除することにある」

 一等海上保安正となっていた少佐からの通信が入る。加賀は伏せていた瞳を開け、静かに海を見据えた。

「やれるか?」

「鎧袖一触よ。心配いらないわ」

 カタパルトを搭載し装甲化された甲板。明るい灰色に磨き上げられた船体。日の丸がステンシルされたF8F(ベアキャット)AD-1(スカイレイダー)でいっぱいの格納庫。

 冬の硬く青黒い海を進む警備艦という名の航空母艦。その艦橋構造物の上に立つ彼女の船霊。船霊の、艦娘の守護があってこそ、「ヤツら」――深海棲艦と戦うことができる。

「まもなく<かつらぎ>と<じゅんよう>が合流する。全力で『ヤツら』を吹き飛ばせ。それと……合衆国と警備救難監の許可が出た。以後、君たちを第一航空戦隊と呼称する」

 加賀は口元に薄く笑みを浮かべた。その呼び名に恥じぬよう、もう一度生き抜こうと思った。左手の薬指にある輝きを裏切らぬよう、もう一度生き抜こうと思った。

「海上警備隊、第一航空戦隊、警備艦<かが>。――征きます」

 

 

 後に深海戦争と呼ばれる長い戦いは、まだ始まったばかりであった。


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