婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる 作:こういうのがお好き?
あれは、なかなかに愉快な茶番だった。
白亜の大広間、王宮主催の舞踏会。貴族たちがワイン片手に社交に勤しむ中、空気がぴしりと凍りついた。
「――この婚約は、破棄させていただく」
高らかに宣言したのは、第三王子レオンハルト殿下。
その真正面、まるで見世物のように立たされていたのが、侯爵令嬢ルイーゼ・ロザリンド。
……ああ、知ってる。
社交界では有名な“高飛車悪役令嬢”ってやつだ。
「……冗談、でして?」
「君の高慢な態度には、もはや耐えられない。今後はこのアメリア嬢と、正式に婚約を結ぶ」
殿下の隣に寄り添っていたのは、平民上がりの清楚系子爵令嬢。
はいはい、わかりやすい構図。
周囲の貴族たちは見て見ぬふりを決め込み、何人かはくすくすと笑っていた。
“ついに転落したな、ルイーゼ様”とでも言いたげに。
それでも、彼女は笑った。
「……あらあら、殿下。これで三人目の婚約破棄でございますわよ。次のお相手は、ちゃんと“飼い慣らせる”といいですわね?」
静まり返った空間に、毒のような声が響いた。
そして彼女はくるりと踵を返し、誰の助けも借りず、大広間をあとにした。
いや、正直ちょっと感心した。
あの捨てゼリフ、俺好みのブラックユーモアだった。
……で、だ。
その時、ふと思ったわけよ。
――これ、拾って育て直したら、俺、勝ち組になれるんじゃね?
ほら、よく言うじゃん。悪役令嬢って、実はすごく性格良くて、有能だって。
本当は事情があって意地悪な態度を取ってただけで、実際は努力家で、繊細で、ちょっと寂しがり屋で――みたいな。
俺もそれなりに読み物は嗜むし、最近じゃそういう話、めちゃくちゃ流行ってる。
だったら、目の前の転がり落ちた令嬢様も、実は“拾い物”かもしれないって思うだろ?
上手く懐柔できれば、貴族社会での足がかりになるし、なにより――俺が成り上がるための、最短ルートになるかもしれない。
なんて都合のいい妄想を、真顔で抱いてたんだよね。
この俺、エリオット・ハドー。
爵位を金で買ったしがない下級貴族で、できるかぎり努力はしたくないが、でものし上がりたい系男子です。
――まさか、拾った相手がマジで性悪だったとは、夢にも思わずに。
*
「……この部屋、まさか、わたくしに用意したとでも?」
ルイーゼ・ロザリンド嬢が、部屋の隅を鼻で笑った。
その目線の先には、下級貴族の屋敷にしては頑張って整えた四畳半――俺の元・寝室である。
「下級貴族の寝床などに、わたくしを寝かせるとは。ずいぶん、いい度胸ですこと」
「いや、ちょっと待って? 今の立場、むしろ俺のほうが“拾った側”なんだけど!?」
「拾って“いただいた”などとは、一言も申し上げていませんわ?」
そして、彼女は取り出した。
何故かしっかりと荷物に入っていた、黒革の乗馬鞭を。
しなやかに、艶やかな指で柄を撫でる彼女の仕草は、妙に熟れていて、見ているだけで喉が鳴る。
「さっそく、躾け直す必要がありそうですわね? そこの、“使えない飼い犬”さん」
ぴしっ――
空気が裂ける音がして、鞭の先が俺の足元をかすめた。
身体がびくん、と跳ねた。
「うわっ……ちょ、なにす――」
「おや。まだ一度も叩いてすらいないのに、もう震えていらして? まるで、躾けを待ちわびる仔犬のようですわね」
背筋に電流が走る。
笑顔は冷たいのに、声が妙に甘くて、脳が混乱する。
「い、いやいやいや、俺はあなたの保護者で、スポンサーで、えーと、同居人的な……!」
「そのわりに、目が蕩けておりますわね。もしかして、“叱られるのが好き”なのですか?」
「ちが――……っありがとうございます!!」
俺の脳が先に反応した。
なにこの感覚。
なぜか褒められた気がして、心臓が跳ねた。
「ふふっ……安心なさい。あなたのような駄犬、わたくしが一から教育して差し上げますわ」
――その瞬間、俺は気づいた。
この女に逆らっても無駄。
それどころか、“飼い慣らされる”という未来のほうが、なぜか輝いて見えた。
俺は今、人生でいちばん前向き。
理由はあまり大きな声では言えないけど。
★★★★★
翌朝。俺の人生が、音を立てて変わった。
「……どういう風の吹き回しですの?」
ルイーゼ・ロザリンド嬢が、サロンのドアを開けてすぐに言った。
朝の光を背に立つ彼女の姿は、いまさらながらに圧巻だった。
ウェーブのかかった金の髪、白磁のような肌。そして、切れ長の目元に浮かぶ艶めいた――泣きぼくろ。
俺が昨日拾った女は、噂通りの悪役令嬢であり、同時にため息が出るほど美しいドS女王様でもあった。
そのルイーゼの視線が、掃除された床、整えられたテーブル、そして朝食に向けられる。
「部屋も掃除済み、銀食器も磨かれている……あなたが、これを?」
「はい! エリオット・ハドー、本日より“叱られたい覚悟”でございますッ!」
「……まあ、努力は褒めてあげますわ」
彼女は微笑むと、すっと椅子に腰を下ろし、カップを持ち上げる。
「紅茶はまあまあ。パンは……合格。ですが――」
ぴしっ。
乗馬鞭が宙を裂いた。
その風圧が、俺の足元をかすめた瞬間、全身がびくっと跳ねる。
「ミルクの温度が……ぬるいですわね?」
その声は、甘やかでいて、氷のように冷たい。
ぞくり、と背筋を走る悪寒と快感が、思わずクセになりそうだった。
「申し訳ございませんでしたあああッ!! ただちに沸かし直してまいりますぅぅッ!!」
キッチンへ猛ダッシュしながら、俺は自分の中で何かが変わっているのを感じていた。
なにこれ、怒られてるのに――心がめちゃくちゃ満たされてる……!
*
「……合格。今度はちょうどよい温度ですわ」
ミルクを一口含んだルイーゼは、音もなく微笑む。
その瞳が細められ、まるで猫が獲物をからかうような光を宿した。
「ふふ。あなた、まるで“褒められるためだけ”に生きてるみたいね」
「……はいッ!!」
「ふふ……自覚しているのね?」
ルイーゼはそっと身を乗り出し、泣きぼくろのある目元で俺を見上げる。
その視線だけで、背筋がゾクリと震えた。
「叱られて喜び、命令に従い、ミルクの温度ひとつで全力を出す……あなた、ほんとうに下等で、かわいらしい生き物ですわね」
その一言で、何かが決壊した。
「あ、ありがとうございますッ……ッ!!」
「よしよし。では次は、お尻にリボンでも付けて、朝食を運んでくださる?」
「よろこんでッ! あ、いや違っ……そ、それはちょっと……ッ」
「ふふっ。可愛い。まるで、叱られたい子犬みたいですわね?」
目の前の女は、元婚約者に見捨てられ、実家からも勘当され、いまは俺のもとに転がり込んでいる立場のはずだ。
――なのに。
なぜ俺が下僕のように扱われて、しかも喜んでるんだ?
しかも、それをちょっと誇らしく思ってる自分がいる。
……やばい。
この人生、案外悪くないかもしれない。