婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる 作:こういうのがお好き?
「やった……!」
俺は、王宮から届いた一通の書簡を胸に抱え、屋敷を駆け抜ける。
文字通り、喜びが体から噴き出すような感覚だった。
執務室のドアを開けると、ルイーゼがいつもの椅子に腰掛けて、紅茶を優雅に啜っている。
その姿を見た瞬間、自然と背筋が伸びた。
「ルイーゼ、新規事業――通った! 王宮から正式に認可が下りた!」
「……そう」
ルイーゼは、ちらりと俺に視線を向けただけで、特に驚いた様子も見せない。
まあ、想定内ってことか。こっちは内心、小躍りしたいくらいなのに。
「これで資金も動かせる。人材も調達できる。プロジェクト、ようやく本格的に立ち上げられるよ!」
俺がそう言っても、ルイーゼは「ふぅん」と素っ気なく返すだけ。
けど、それでいい。俺の目的は、ただの報告じゃない。
「なぁ、ルイーゼ。もしこの事業が成功したら……この屋敷、出ようと思ってる」
「出る?」
「今よりもっと広くて、日当たりのいい場所に引っ越すんだ。使用人も増やして、設備も整えて、立派な書斎や執務室もちゃんとつけて……ルイーゼ、お前には、もっといい暮らしをしてほしい」
「……は?」
ルイーゼが紅茶を置き、俺を真正面から見据えた。
その目に、わずかな揺れがあった気がした。
「犬には犬小屋……いいえ、豚には豚小屋がお似合いよ」
「……確かに、俺にはそうかもしれないけど。ルイーゼのことを考えると、そういうわけにはいかないんだろ?」
ルイーゼはわずかにまばたきをして、紅茶のカップを置いた。
「……ふん。言いたいことは、それで終わりかしら」
視線は俺の顔じゃなく、壁のどこかを見ていた。
頬のあたりが、わずかに赤い。
「そんなことを言って……自分が何様のつもりなのかしら。まるで……主の生活を整えるのが自分の義務みたいに――」
言葉が続かなくなったのか、ルイーゼは軽く咳払いをして椅子から立ち上がった。
「……っ、調子に乗るんじゃありませんわよ!」
バシィンッ!!
机の端に鞭が叩きつけられる音が部屋に響いた。
その音には、怒りよりも――焦りと照れが混じっている気がした。
「うわっ……な、なんだよ、びっくりした……!」
「黙りなさいっ! わたくしは、下僕の施しで喜ぶような女ではありませんの!」
顔が、ほんのり赤かった。
いや、たぶん――かなり赤かった。
(……え、ガチで照れてんの?)
言葉に出す勇気はなかった。
言ったらもう一本飛んできそうだったし。
リゼが、いつの間にかドアのそばに立っていた。
「お嬢様……お顔、赤いですね」
「赤くなんてありませんわ!」
即答だった。けど声が一段高くて、やっぱり赤かった。
俺はなんだかくすぐったいような、落ち着かないような気持ちで笑った。
「ま、犬でも豚でも、屋敷はちゃんとしたのがいいと思うぞ」
「黙りなさいと言ってますのに!」
「はいはい」
「聞いてませんわねっ!? 鞭、もう一発差し上げますわよ!?」
(ぶひ、が……こぼれそうだ)
けど、なんとか耐えた。俺はもう、“言えば勝ち”みたいな犬じゃない。
……たぶん。
ルイーゼは俺からぷいと顔を背けたまま、言う。
「……勝手に計画を進めて、わたくしの生活環境を勝手に決めて、勝手に……喜んで……」
「ルイーゼ」
「な、なによ」
「……ありがとうな」
「……っ、意味がわかりませんわよ!」
鞭がまた空を裂いたけど、
そのあとで、ほんの少しだけ――ルイーゼが微笑んだ気がした。
リゼが、書類を整えながらぽつりと言った。
「新邸は、豚小屋よりも防音を強化しておいたほうが良さそうですね」
「おま、何気にひどくね!?」
「私は事実を述べただけです。ぶひ、は漏れますので」
「漏らしてない!」
(ギリギリでこらえてる! 俺、今、犬の誇りを守ってる!!)
けど、次の鞭が飛んでくる気配に、またしても“ぶひ”が喉の奥を暴れだした。
――屋敷を出られる日は、まだ先になりそうだ。
★★★★★
正直、社交界なんて俺には縁のない場所だと思っていた。
でも、新規事業の成功で立場が変わり始めた今、そうも言っていられない。
「ひとりで行くなど、言語道断ですわ」
ルイーゼが言ったその一言で、同行が決まった。
屋敷を出る前、ドレスに身を包んだ彼女を見て、思わず見惚れた。
他の誰よりも美しいと思った。けれど、その美しさが、彼女を孤独にしていた。
社交界の会場では、光が乱反射し、人々の視線が飛び交っている。
俺は、いくつもの視線を感じていた。
経済力目当ての令嬢たちが、入れ替わり立ち替わり声をかけてくる。
「エリオット様、踊ってくださる?」
「あなたの事業に、とても興味があって……」
「将来有望な方と、お近づきになれればと」
一方で、ルイーゼは――誰からも声をかけられない。
彼女がかつて侯爵令嬢だったことを知る者はいても、いまは家の名も地位もない。
見目麗しく、傲慢で、誇り高い“元・悪役令嬢”。
それだけだった。
それでも彼女は、誰にも媚びることなく、壁際で一人立ち、グラスを手に、背筋を伸ばしていた。
俺は思った。
だからこそ、俺が誘わなくてどうするって。
「ルイーゼ。踊ろう」
「……は?」
「ほら、俺、踊り方わからないから。教えてくれよ。こっそり、俺だけに」
彼女はほんの一瞬、目を見開いたけど、すぐにそっぽを向いて言った。
「……踊れもしないくせに、この私を誘ったの? まったく……言葉を失いますわ。仕方ありませんわね。見苦しくない程度には導いて差し上げます」
それが、俺たちのはじまりだった。
ステップはぎこちなく、手の位置も何度も間違えた。
でも、ルイーゼが小声で囁いてくれるたびに、俺の動きは少しずつ形になった。
「右足。そこは滑らせて」
「手のひらが硬すぎますわ。もっと、優しく」
「……顔。笑いなさいな。わたくしが隣にいるのよ?」
彼女は俺のメンツを守ってくれた。
完璧な仮面で、誰よりも高貴な表情で。
でも――その背筋は、ほんの少しだけ、俺に預けられていた。
*
……帰り道は、静かだった。
屋敷に戻った瞬間、沈黙が破られた。
「――っ、愚か者っ!」
ヒールの音と同時に、ルイーゼの鞭が空気を裂いた。
「な、なんで怒って……っ、びっくりしたっ!? ルイーゼ!?」
「貞操観念も礼節も、どこに置いてきたのですの!? 令嬢どもに鼻の下を伸ばして……っ! この、下劣な豚!!」
「お、おい! 鼻なんて伸ばしてないって……!」
「ええ、確かに外では上手く振る舞っていたわね。でもね、あなたの目は、“誰でもいい”って言ってましたのよ」
「そんなつもりは――」
「黙りなさい。黙って、這いつくばりなさい。今すぐ」
俺は、反射的に膝をついていた。
足元に、ルイーゼの黒いハイヒール。
その踵が、俺の手の甲に、無言で乗せられた。
「誰の犬ですの? 誰に鍵を預けていると思って?」
彼女は、胸元のペンダントを指先でなぞった。
あの中には、俺の貞操帯の鍵がある。
この瞬間だけで、ぶひが……こぼれそうになった。
「見せつけて歩きたかったの? 貞操帯つけたまま、令嬢と踊るつもりだったの? それとも、あの中から鍵を出して、他の女に献上するおつもりだったのかしら?」
「そ、そんなことするわけ……!」
「もう、“豚”じゃ足りませんわね。あなたには、鼻輪でも通して差し上げましょうか? 次の舞踏会には、それをつけて“だれのものか”をアピールしてもらいますわ」
バシィィィンッ!!!
鞭が、床を跳ねた。
目の前で、小さな破片が散った。
床……割れた?
「ぶ、ぶひ……」
喉の奥で、声がこぼれた。
あ……こぼれた。ついに、出ちゃった。
ルイーゼは、冷たく微笑んだ。
「ようやく素直になりましたわね。ええ、犬ではなく、豚。その自覚があるのなら結構。でも――わたくしが飼っているのですから、ちゃんと“上品な豚”になりなさい」
横で、リゼが紅茶を注ぎながら言った。
「お嬢様。ちなみに“上品な豚”とは、具体的にどのようなものを想定されてますか?」
「そうですわね……他人の膝に乗っても騒がず、鳴くときは控えめに、テーブルマナーも覚えるくらいの豚でしょうか」
「では、現状は“躾けの甘い家畜”ですね」
「ぶひぃっ……」
リゼは紅茶のカップをルイーゼに差し出しながら言った。
「次の舞踏会用に、“鼻輪・アクセサリー兼用型”のカタログを取り寄せておきました。こちら、“豚に真珠”モデルなど如何でしょう?」
「名前が酷すぎるだろ!!」
「ご安心を。真珠は人工ですので、コストも抑えられています」
「ちがっ……そうじゃない!」
「それとも、いっそ“スマート鼻輪”にします? GPS機能付きで、迷子防止にもなりますし」
「豚扱い+電子管理とかやめて!? 俺まだ人間だからな!?(たぶん)」
「“ぶひっ”と鳴いた直後にそのセリフを吐く時点で、説得力は皆無ですね。現実を受け入れてください」
横で、機嫌を直したルイーゼ様が耐えられず、くすりと笑った。
「ふふ……それ、良い案ですわね。迷子になるたび“ぶひ”と通知が来るなんて、可愛くて便利ですもの」
「通知来るたび俺の尊厳が死ぬ!!」
――屋敷の中に、再び鳴き声が響いた。
今夜はリゼに救われた。
俺の尊厳は救われなかったけど。