婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる 作:こういうのがお好き?
「この施設……冗談ではありませんわね」
ルイーゼの声が、静かに響いた。
工場の喧騒の中、その言葉だけがやけに透き通っていた。
俺は慌てて彼女の隣に立ったけれど、目の前の光景に言葉を失う。
床は油で滑りそうだし、空気は重くて息苦しい。
作業員たちは皆、覇気がない顔で黙々と作業をしていた。
「……ひどい環境だな。これじゃ、従業員の健康にも……」
そう口にした俺に、ルイーゼは視線をよこし、言った。
「それだけではありません。労働時間、衛生、設備――どれを取っても最低水準以下ですわ。このような工場が“事業の柱”になるなど、到底容認できません」
その目は静かに怒っていた。
俺は言葉に詰まりつつ、ふと胸の中の本音がこぼれる。
「でも……環境改善となると、かなりコストがかかるかもしれない。利益も落ちるだろうし、大きな屋敷も買えなくなるかも……」
現実的な話だと思っていた。
だけど、ルイーゼは、真っすぐ俺を見て、はっきりと言い放った。
「人の命がかかっていますのよ? 従業員を大切にしない事業に、将来はありませんわ」
その言葉が、胸に刺さった。
彼女はドSで、俺を豚呼ばわりすることに余念がない。
でも、こうして“誰かの未来”を守ろうとする気高さがあるから――俺は、共にいたいと思ってしまうのだ。
「改善命令、出しましょう。エリオット、あなたが責任者として立案を」
「……はいっ」
ビシッと敬礼したくなるくらい、その言葉は重く響いた。
いつもの“豚”呼ばわりより、数倍怖い。けど、それ以上に――誇らしかった。
「民草あっての貴族社会。働く人間の尊厳を踏みにじるような経営など――わたくしは断固として許しません」
その瞬間、彼女の横顔は、まるで正義を掲げる騎士みたいだった。
*
夕方になり、俺たちは宿へと戻った。
旅人向けの広めの部屋に通されて、ようやく緊張の糸が切れた。
「ふぅ……やっと落ち着けるな」
そう言いながら、椅子に腰を――
「……あなた。何を勘違いしているのかしら?」
背中に突き刺さる冷気。あ、やばい。
振り返る前に、鞭の気配がした。
「あなたの今日の態度、民草に対して申し訳ないと思わなかったの?」
「え、ええっ……? お、俺……その……」
「歩き方がふらふら、説明は噛み噛み、視線も定まらない。まるで“躾けられた犬”が人前に出たみたいでしたわ」
「ち、違っ……あれは緊張してて……」
「民草はあなたの言動で“上”を見るのよ。そんな“豚”のような態度では――社会が腐りますわ!」
バシィッ!!
壁際に乗馬鞭が叩きつけられた音で、俺の魂が一回天井を突き抜けた。
「し、しかし、ルイーゼ……人前では、あんなに優雅に……」
「外では“優雅な令嬢”、内では“容赦なき躾け”――これが“上”のあるべき姿ですわ!」
「ぶ、ぶひぃっ……!」
完全に条件反射だった。
口からこぼれ落ちた音に、自分でも絶望する。
「その鳴き声、恥ずかしいと思いなさいな。あなたはまだ“犬”にすら戻れてない。躾け直す必要がありますわね」
「ひっ……」
もはや俺の心は正座待機モード。
逃げることもできず、ただただ彼女の言葉に従うしかない。
「まずは正座。そして、目を閉じて、反省のポーズ。いいえ、それは“媚びた顔”ね。もっと誠意を込めなさい」
俺は床に座り、正座しながら、己の存在意義を見つめなおした。
ああ、なぜ俺はここにいるのか……なぜ生まれたのか……
って考えてたら――
「ふふ……その顔、ようやく“しつけ甲斐”がありますわ。今夜はたっぷり――お仕置きですわよ」
部屋の隅で控えていたリゼが、ぽつりとつぶやいた。
「……ここ、防音、大丈夫かしら」
扉がぴたりと閉じられた音が、やけに大きく響いた。
ああ――
“お仕置き”の始まりだった。
★★★★★
朝、静かな空気が流れていた。
昨夜の“お仕置き”は凄まじかった。背筋にまだ鞭の風圧が残っている気がする。
俺は朝食のテーブルに座りながら、昨晩の記憶を思い出すたびに膝を閉じてしまう。
そんな俺の前に、ルイーゼが座った。
「……どうしたのかしら? 今朝はやけに静かですわね」
「い、いえ……別に……」
「あらそう。では、質問を変えましょう」
ルイーゼは紅茶のカップを手に取り、ほんのり微笑んだ。
「“ご褒美”、欲しいかしら?」
一瞬、脳がバグった。
「え……?」
「あなた、最近よく頑張ってるでしょう? 改善案もちゃんと出して、労働環境の視察もこなして、民草の前ではぎこちないながらも言葉を尽くした……豚にしては、上出来ですわ」
「そ、それは……あの……ありがとうございます……?」
「ええ。だから、欲しいのなら――言ってみなさい。“ご褒美が欲しい”って、自分の口で」
吐きそうになった。嬉しさと羞恥で。
「ちょ、ちょっと待ってください、それは……」
「ふふ。あら、言えないのかしら? いいのよ、私は優しいから。何も言わずに、ただ膝をついて、こちらを見上げるだけでも構いませんわ。それだけで、“どれほど欲しいのか”分かりますもの」
や、やばい。なんだこのルイーゼ。やたら余裕のあるお姉さんムーブが……刺さる。
「顔が赤いわよ、エリオット……そんなに、撫でてほしいの?」
「な……っ」
「じゃあ、ぶひ、って鳴いて。鳴いたら、頭を撫でてあげる。ね? わたくし、そういうご褒美も嫌いではなくてよ?」
し、死ぬ。これは死ぬ。
だけど……鳴けない。いや、鳴きたくない。いや、鳴きたいけど鳴けない……!!
「……ふふ。鳴けないの? じゃあ――撫でてあげるわ。はい、いい子ね、よしよし……」
ルイーゼ様が手を伸ばしてきた。
だが――直前で止まり、冷たく笑った。
「気が変わりましたわ。よく考えたら、豚に“ご褒美”なんて必要ありませんもの」
ビキィッと音を立てて、空気が変わった。
「甘えるのもいい加減にしなさい。私は“慈悲深い聖女”ではなく、“貴族”ですわ。そしてあなたは、ただの“豚”。勘違いするには、早すぎますわね」
「ひ、ひぃ……っ」
「言えなかったこと、恥じなさい。ぶひ、とも鳴けなかったことを、悔やみなさい。せめてもの情けで、今日のお仕置きは……鞭三発から始めてあげましょうか」
「ル、ルイーゼ様……っ」
「ご褒美が欲しい? 欲しいのなら――地面に額をつけて、尻尾を振りながら言いなさいな。“豚らしく”。あなたの言葉で」
背筋がぶるっと震えた。今朝のルイーゼ様、やばい。やばすぎる。
と、そのとき。
扉が開いて、リゼが無表情で入ってきた。
「……また、豚の懇願タイムですか。お疲れさまです、お嬢様……感性が鋭いぶん、調教も難しいですね」
「ふふ、そうでしょう? でも、根は単純な豚ですわ。仕上げるのに、もう少し時間がかかるだけですの」
「なるほど……。では、豚さん。ご褒美はまたの機会に――鳴かない豚に、“甘さ”は不要ですから」
俺は、紅茶のカップすら持てぬまま、ただ静かに――心の中で、ぶひ、と呟いた。