婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる 作:こういうのがお好き?
「姉様ってば、ずるいですわ。こんな面白い子、ひとりじめしてたなんて」
その声がしたとき、俺は、背中に寒気が走った。
ぱっつん気味の前髪と、無邪気な笑顔。
けれど、その笑顔の奥には、どこか底知れぬものが潜んでいる。
俺の前に立ち、まじまじと顔をのぞき込んできた。
「わ……本当に綺麗な顔してるんですね。びっくりしました。なんだか、お人形さんみたい」
「え、えっと……お、俺は……」
「え? 喋れるんだ……うふふ、ごめんなさいね、あんまり綺麗だから、黙ってたら飾り物かと思っちゃった」
「な、なにを……っ」
「姉様が言っておりました。“変わった子”だって……ほんとに面白い反応するのですね〜」
けらけらと笑いながら、その子は俺の周りをくるくる回る。
ルイーゼの妹――フィオナ。
小柄な体に、真珠のような銀髪を揺らしながら、すっと現れた。
その無邪気さは、遊びというにはあまりに本質を突いている。
「……おやめなさい」
ルイーゼの声が、低く落ちた。
「妹とはいえ、わたくしの“犬”に勝手に構うことは許しませんわ」
「構っておりませんよ? でも、見ているだけですわ」
「……その“面白がる”感性が、あなたの悪癖ですわね」
ルイーゼの声は低く抑えられていたが、その一言で空気が引き締まった。
俺はその横で、ぶひ寸前の理性を必死で保っている。
(まずい……このままじゃまた鳴いてしまう……いや、違う……俺は、豚じゃない……犬だ。俺は、犬。せめて、犬には……)
震える俺を見たフィオナが、にっこりと笑う。
「……あ、わかりましたわ。鳴きたくないのですね。“ぶひ”じゃなくて、“ワン”って鳴きたいのですか?」
「――っ!?」
完全に、読まれていた。
「そうですか、では、わたしの“ワンちゃん”ですね?」
「や、やめ……」
「え? 嫌なのですか? でも、お顔赤いですわよ? あ、もしかして、嬉しかったのですか? ふふっ、かわいい〜」
その瞬間、ルイーゼの表情が、ほんのわずかに動いた。
「フィオナ。あなた、用件はそれだけ?」
「ううん。でも、姉様の“ワンちゃん”がかわいすぎて、つい。ねぇ、このワンちゃんて、ちょっと女の子みたいな顔ですわね?」
「なっ……」
ドクンと心臓が跳ねる。そんなこと、今まで言われたことなかった。
「照れたー! ほんとに照れましたー! やばい、かわいい! ちょっと、こっち向いて?」
「フィオナ――いい加減になさい」
ルイーゼの声が、ひんやりと響く。
鞭は振るわずとも、その威圧感は十分すぎるほどだった。
「姉様……ちょっと褒めただけなのに〜。でも、本当にかわいい子拾いましたわね」
「下がりなさい。わたくしの許可なく、この屋敷で好き勝手は許しませんわ」
フィオナは肩をすくめて、くるりと踵を返した。
「じゃあ、また“ワンちゃん”に遊びに来ますわね。姉様の大事な子って本当か、もっとよく見てみたいですわ」
扉の向こうに消えると同時に、
ルイーゼの背中から、じんわりと静かな緊張が立ち上がる。
俺は――
何も言えず、ただ正座して、うっすら尻尾を引きずるような気持ちで、頭を下げた。
*
「“可愛い”なんて。あの子が、よりによってあの子が……」
ルイーゼは、窓辺で紅茶のカップを持ったまま立ち尽くしていた。
銀髪の小さな妹――フィオナ。その無邪気な一言が、脳裏から離れない。
エリオットが可愛い、だなんて。
あの無防備な顔を見て、あの子が笑った瞬間。
(なぜ、心がざわつくのかしら。あんな顔、何度も見てきたのに)
けれど――
(わたくしが褒めたとき、あんな顔はしなかった)
紅茶のカップがカチンと小さく鳴る。ルイーゼは無言で机に戻り、椅子に腰かけた。
*
その頃の俺はといえば、ソファの端で正座していた。
ルイーゼの機嫌が、午後からずっと悪いのは気づいている。ピリピリを超えて、刺々しい。
フィオナ――銀髪で、小さくて、無邪気で、怖い子。
その妹に俺が「かわいい」と言われたのが、どうやらルイーゼの癇に触れたらしい。
まずい。なんか、今日のルイーゼ、圧がすごい。
そんなことを思っていたとき、彼女は俺を一瞥した。
「……エリオット。こちらへいらっしゃい」
「は、はいっ!」
つい敬語になってしまうほどの気迫に従い、近づくと――彼女は、膝の上にクッションを置いた。
「ここに、頭を乗せなさい」
「は……?」
「何度も言わせないで……これは、“ご褒美”ですわ」
頬をほんのり染めながら目を逸らすその姿に、俺の思考はフリーズした。
え、うそ……膝枕? ご褒美? ルイーゼから……? いつぶりだ?
全身の毛穴が一斉に開いた。いや、開いた気がした。
落ち着け俺。これは罠だ。絶対罠だ。でも断ったらもっと怖い。どうする俺、どうする俺――
そんな葛藤の末、俺は静かに膝に頭を預けた。
その瞬間――ふわっと漂う紅茶と薔薇の香り。
柔らかくて、あたたかくて、程よい弾力。
ああこれ、夢だ。完全に夢。
「震えてますわよ? ……犬のくせに」
「い、犬、ですから……震えることも……!」
「うふふ、言い訳は結構ですわ」
ルイーゼの手が、そっと俺の髪を撫ではじめる。
だめだ……これ、もう本当にだめだ……!
その指は、いつもの鞭よりも残酷だった。
優しく、ゆっくりと、頭の先から首筋へと這うたびに、心臓が破裂しそうになる。
「ほんとに、あなたの顔って……よく見たら整ってますのね」
そう言いながら、指先が頬をなぞる。
そして――俺が少しだけ顔を動かしたその時、
頬に、柔らかいものが、ふわっと触れた。
……ッ! い、今のはまさか……おっぱ……いや、確認しちゃいけない、ダメだ、今のは幻覚!
全身がビクッと跳ねたのを、ルイーゼは気づいていないフリをしてくれた。
「……あの子が、あなたを“可愛い”と褒めたこと。わたくしには、到底、受け入れがたい現実でしたわ」
「えっ……?」
「だから、こうして、ちゃんと“わたくしの犬”として記憶に刻んでおく必要がありますの」
その言葉に、胸が熱くなった。
ルイーゼ様の顔が近づく。鼻先が、かすかに触れる距離。
「目を閉じて」
その一言で、思考が止まる。
瞼を下ろした瞬間、世界が静かになった。
彼女の息遣いが頬に当たる。
唇の気配が、俺のものに近づいて――
(くる……来る……来てしまうのか……!!)
そして、
「……キス、してもらえると思いましたの?」
「えっ……?」
耳元で、甘く、冷たくささやかれたその一言に、背筋がゾワゾワと痺れた。
「おめでたいですわね。忠犬のくせに」
次の瞬間、頭の下のクッションがふわりと引かれ、俺はそのままごろりとソファに転がった。
ルイーゼ様はすでに立ち上がっている。
「今日の“ご褒美”は、これでおしまいですわ。明日からは、また“躾”の続きをしましょう」
「……」
「この甘さが、ずっと続くと思ったのなら……犬としての資質を疑いますわ――ふふっ」
ぱたん、と部屋の扉が閉まる。
俺は、もう何も考えられなかった。
あれが……あれがご褒美……? いや、罰より効く……。
それでも。
心のどこかが、あたたかくて、苦しくて。
でもたぶん――幸せだった。
正座の姿勢を整え、俺はもう一度、頭を垂れた。
そのころ廊下の向こう――
ルイーゼは一人きりで立ち止まり、小さく吐息を漏らした。
「……犬でも、手放したくはないですわね」
彼女の頬は、わずかに赤らんでいた。