婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる 作:こういうのがお好き?
「行ってまいりますわ。くれぐれも――書類を汚さないように。鼻水や涙、汗などで」
「それ、涙はともかく……汗と鼻水ってどんな読まれ方前提!?」
「あなたが何をしでかすかは想像の外にございますので」
そう言い残し、ルイーゼ様は優雅に馬車へ乗り込んだ。
ギルドの幹部たちとの会合に出向くとかで、今日は丸一日外出。
俺は屋敷で事業計画書のブラッシュアップ、いわゆる留守番である。
……地獄か。
静まり返る応接間。ぴくりとも動かない時計の針。カサカサと鳴る書類の束。
「……やばい。すでに罵倒が恋しい」
心の支柱である鞭とヒールが存在しない空間は、恐ろしいまでに自由で……不安だ。
「なあリゼ、俺って、ルイーゼ様にとって何なんだろうな」
応接間の片隅、静かに茶を運んでいたリゼが無表情で答える。
「何って、飼い主と犬でしょう」
「いやいやいや! もうちょい人間扱いして!? 俺、一応婚約者でしょう!」
「形式上の、ですね」
「やめて!? その切り捨て力、氷の剣士かよ……!」
「事実を述べただけです。あなたがご自身を婚約者と自認できるほどの知性と自尊があれば、書類の誤字も減るでしょうに」
「いてぇぇぇ!! その指摘、マジで刺さるからやめて!!」
リゼは一歩前へ出て、俺の机の上の書類をちらりと眺めた。
「……エリオット様」
「な、なんだよ……?」
「さきほどから明らかに集中力が乱れております。お嬢様がいないだけでこの乱れ……まるで番犬の“主ロス”ですね」
「主ロス言うな! 主ロスだけど言うな!」
俺は机に突っ伏す。もうダメだ。罵倒が、足りない。
このままでは何も書けずに一日が終わる。
「なあリゼ……ちょっとでいいから、罵倒してくれないか?」
「……やはり、そういう性癖ですか」
「そういうってなんだよ!? お願いだってば、頼むよリゼ!」
「わかりました。では、業務の一環として」
彼女は一歩近づき、俺の頭の上に茶をそっと置いて、微笑まずに言った。
「あなたのような生物が書類を扱っていることが、紙にとっての最大の侮辱です」
「ありがとうッ!! 今の、めっちゃ効いた!!」
「……ではもう一つ。あなたの存在は、クラリモンド領の経済的マイナスです」
「ふぅっ!! キタキタキターッ!!」
「……あなたの知性、犬というより寄生虫ですね」
「ぅひゃあああああああ!!」
思わず声を上げてしまう。けれど、その一撃があまりにも鮮やかで、つい頬が緩む。
「喜ばないでください。これは本来、侮辱です」
冷たい口調のまま、リゼはカップを口に運んだ。
だが、俺はそこでふと立ち止まる。
「あれ……おかしいな。普通、侮辱って……こんなに気持ちいいもんだったっけ……?」
「それはもう病気の域です」
返ってきた言葉に、一瞬で我に返る。けど、やっぱりおかしい。
「いやでもさ、最近ずっと貞操帯つけられてるし。夢にブーツ出てくるし……俺の性欲って、どうなってんのかな……」
そこまで言ったとき、リゼの手がぴたりと止まった。
「……その件で、思い出したことがあります」
彼女はゆっくりと目線を逸らした。
「私は孤児院の育ちで、貧しさのあまり、いずれは街娼として食いつなぐしかないと本気で考えていました」
「ああ、そうだったな」
俺との出会いは決して、幸せな状況であったとはいいがたい。
でも、その辛い過去を、リゼが思い出すなんて……。
「実際、その日。人生で初めて、客を取ろうとしていたんです。男を知らない身体のまま――覚悟を決めて。それが、“性”というものの最初の接点になるはずでした。なのに、あなたが現れた。何も求めず、ただ衣食住を与えてくれて」
「ああ、そうだったな」
思えば、ルイーゼを拾った時と、リゼを拾った時。
邪な考えがあったのは事実だけれど、それを抜きにすれば状況としては似ているか。
「リゼ、どうしたんだ? 急に過去の話なんてして」
「いえ、あの時、私は思ったのです。エリオットは様には性欲なんてないんだな、と」
!?
「ちょ、ちょっと待って!? なんかすごい誤解されてない!?」
「それが今では、貞操帯で性欲コントロールされたまま、夢にブーツが出てくる変態ですものね。想定外も甚だしいです」
「まじでごめん……」
あれ、今俺が謝る流れだった?
「……ちなみに、あなたが初めて“捕まえた男”です」
「それはちょっと嬉しい……かも?」
「この先、誰にも言いませんけどね」
「……」
……俺、どこかで間違えたのかな。
「……なんで俺の周り、ドSしかいないの……?」
「あなたがドMだからです。常に需要と供給の関係があります。あなたが求めるから、私は仕方なく演じているんです。少なくとも私の場合、Sとは、サービスのSです」
「……それ、ルイーゼも?」
「お嬢様は天賦の才です。その星の下に生まれたのです」
「天才かよ……」
その瞬間、扉が開いた。
「ただいま戻りましたわ」
「ルイーゼ様!? は、早くない!?」
「ええ。会議が早く終わりましたの……で、留守番の成果は?」
「は、はい。完全に犬に戻りました……!」
「よろしい」
こうして俺は――
今日も、堂々と犬に成り下がったのだった。