婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる 作:こういうのがお好き?
「そちらのパンをひとつ、包んでくださる?」
穏やかな声が市場に響いた。
振り返れば、そこには金髪に紺の外套をまとった、一人の美しい少女の姿。
ルイーゼ・ロザリンド。
元侯爵令嬢。王子との婚約を破棄され、社交界から爪弾きにされた“高慢な悪役令嬢”。
……のはずなのに、彼女を見た店主は顔をほころばせた。
「ルイーゼ様、いつもありがとうございます。こちら、焼き立てですよ」
「まぁ、嬉しいですわ。ご配慮に感謝いたしますわね」
彼女は丁寧に礼を述べ、受け取った紙袋を腕に抱える。
通りすがりの子どもに「おはようございます」と微笑み、頭を撫でてやる姿は、まさに理想の上級貴族令嬢そのものだった。
「ルイーゼ様って、お噂と違って素敵なお方よね」
「うちの坊主なんか、あの方が来ると喜ぶのよ。お菓子くれるって」
……うん、わかる。
わかるけどさ。
それ、俺には一ミリも向けられたことないんだけど!?
いやマジで、俺が知ってるルイーゼ様、乗馬鞭と冷笑と人格否定の三種盛りなんだが?
「なんで……なんで俺のときだけあんなに高圧的なんだ……」
俺はルイーゼの買い物袋を抱えながら、誰にも言えない疑問を抱えていた。
*
「あなた、それが貴族の屋敷に上がる者の姿勢かしら?」
帰宅して三秒後。
靴を脱ぎかけた俺に、ぴしりと鋭い声が飛んできた。
「えっ、今ちゃんと脱ごうとしてたじゃん……!?」
「今朝、あなたが残した泥の跡、掃除にどれほど手間がかかったと思っていまして?」
ソファに座るルイーゼは、いつのまにか右手に乗馬鞭を携えていた。
もはや鞄の代わりに常備してるんじゃないか?
「ちょ、ちょっと待とう? さっき街ではあんなに優しくしてたのに!? 子どもにパンあげてたじゃん!? “素敵なご令嬢”って評判だったじゃん!?」
「可愛げがあるからですわ。あなたには、残念ながら存在しないのですもの」
ぴしっ。
空気を裂く音とともに、鞭の先が床に落ちた塵を払うように舞った。
俺の背筋が条件反射でゾクつく。
「では、本日の罰を申し渡します。右足、差し上げますわ。舐めていいですわよ?」
「……ッはぁ!?」
「ずいぶん戸惑ってらして。まさか、期待していたのではなくて?」
「してません! したことにされても困るんですが!」
「ふふ。では正直に申し上げましょうか?」
ルイーゼは脚を組み、あの目元――あの、泣きぼくろのある艶やかな目で、じっとこちらを見下ろしてくる。
「あなたってば、わたくしに叱られるとき、耳が真っ赤になるんですのよ? そのくせ目は潤んで、口元が緩む。まるで、叱られるのが快感みたいに」
「……な、なるかぁッ!」
「なら、なぜ震えてるのかしら? 鞭を見て、嬉しそうにしていたわよね?」
「見てない見てない! 俺は正常な感覚の持ち主です!」
「ふふっ。そんなに必死に否定するなんて、ほんとうに恥ずかしい人。よろしい、では今日は舐めなくても結構。代わりに――」
すっ、と足先が俺の肩に触れた。
「“わたくしの脚を磨く”という名目で、今夜一晩中こちらの靴を拭き続けなさい」
「なにその処刑めいたお仕事……!」
「ご褒美ですわよ?」
なんだこれ。
なにこの扱い。
他の人間には礼儀正しく、優雅で完璧な貴族令嬢。
でも――俺にだけは、高慢で毒舌で、Sっ気全開な“悪役”の顔を見せてくる。
俺にだけ。
俺だけに……この性格の悪さが向けられてる。
……これって、もしかして――
ご褒美なんじゃね?
いや、これご褒美だわ。
★★★★★
「……こちらの数値、間違っておりますわよ」
ルイーゼの声は、今日もまた優雅で冷たい。
俺が朝から必死に計算して作った帳簿を、彼女は一瞥しただけで否定した。
「えっ、ちょっと待って? ちゃんと計算したんだけど! そっちの指摘、合ってる?」
「“合ってる”かどうか、ではなく。“間違っている”のですわよ」
彼女は指先で帳簿の数字をひとつ、トンと叩いた。
「この『512』、正しくは『521』。あなた、まさかですけれど――数字を並べる順番も怪しいのではなくて?」
「いやいやいや! そこまでひどくないって! たぶん!」
「“たぶん”でお金を動かされたら、事業経営はできませんわ……というより、あなたに経営の話は難しすぎますわね?」
ズキッ。
この女、いちいち痛いところを突いてくる。
知性での殴打はじんわり効く。
「で、でもほら! このレベルのミスならまだ修正できるし! 立ち直り可能っていうか!」
「ええ。あなたのような無能が、まだ“立ち直れる”と思っていること自体が滑稽でしてよ」
ズガーン。
あかん。これは効いた。
脳がちょっと揺れた。
「……っ、それでも……!」
思わず俺は、ぐっと拳を握りしめて立ち上がった。
机を挟んで彼女を見上げる。やられっぱなしじゃいられない。俺にも、誇りが……!
「踏まれても踏まれても立ち上がる俺は、たんぽぽだッ!!」
その瞬間、時間が止まった。
ルイーゼが、しばしの沈黙のあと――
「…………ふふっ」
くす、と笑った。
まるでそれが世界一面白い冗談であるかのように。
「雑草にしては、口だけは達者ですのね? あら失礼。雑草の分際で言葉を話せるなんてすごいですわ」
その笑顔は妖艶で、どこか残酷な天使のようだった。
「では今度は、“靴の裏”で――摘み取って差し上げましょうか?」
ズギュウウウン。
俺の背筋が砕けた。
なにそれ。美しい人に笑顔で殺される感覚。なんでこんなに心地いいの。
「ひ、ひとつだけ……! ひとつだけ確認させて!」
「何かしら?」
「“摘み取られる”って、それって……比喩? 実際に靴で俺を?」
「どちらがいいのですか?」
「比喩でも実でもいいですありがとうございます!!」
「ふふっ……雑草のような下級貴族に、選択肢なんてないと知りなさいませ?」
ルイーゼはわざとらしく脚を組み替え、革靴の先を俺の足元に近づけてくる。
その動きだけで、俺の膝が震える。
「ちなみに、わたくしが王子に婚約破棄された理由。気になります?」
「き、気になる!! というか、そもそもおかしくない? こんなに頭良くて綺麗で、完璧な貴族の令嬢なのに!」
「ええ。完璧すぎたのが、罪でしたのよ。王子は無能で甘やかされた子供。わたくしの進言が、“耳障り”だったのでしょうね」
彼女は窓の外に目をやりながら、言う。
「税制改革、国庫予算の再編、軍の再構成……何一つ通らなかった。でもあなたには感謝してますわよ?」
「え、俺に?」
「ええ。こうして、好き放題に罵倒しても逃げない雑用係がいること――思った以上に快適ですもの」
その目元。泣きぼくろの下から覗く笑み。
一滴の毒と蜜が混ざったような、美しさ。
「叱られて悦ぶ雑草さん? 次はちゃんと間違えずに帳簿、書けますわよね?」
「……かしこまりましたッ!!」
「ふふっ……ほんとうに、しつけ甲斐があってよろしいわ」
俺は今日も、彼女の言葉責めに心を折られ、
そして――そのたびに、立ち上がってしまう。
だって俺は、たんぽぽだから。
……いや、なんか違うな?
でもまぁ、いいや。
ルイーゼに踏まれてるなら、なんだっていい気がしてきた。