婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる 作:こういうのがお好き?
領主館の応接室。分厚い資料が積まれたテーブルを囲み、ルイーゼは腕を組み、冷静な声で語った。
「孤児院と並行して、初等教育も拡充するべきですわ。読み書きができる子どもが増えれば、それだけ将来の選択肢も広がります。識字率の向上は、領民全体の生活水準を底上げする礎となるでしょう」
理路整然とした言葉に、俺は思わず頷いていた。
「確かに、そうだと思う……俺が貧民街から抜け出せたのも、文字を覚えたからだった」
あの頃を思い出す。誰にも教わらず、捨てられた紙切れや壊れた看板の文字を見様見真似で覚えた日々。
「……それにしては、あなたの字、まるで芋を潰して貼り付けたような字面ですけれど?」
ルイーゼが口元をゆるめた。褒めているのか、貶しているのか分からない表情だ。
「……す、すみません」
「まあ、努力の跡だけは認めて差し上げますわ。解読には相応の覚悟が要りますけれど」
どうにも、褒められている気がしない。
「ところで、リゼ。あなたは、どうやって読み書きを覚えたのかしら?」
ルイーゼがふと視線を横に向ける。
「エリオット様に、教えていただきました」
いつも通りの無表情で、リゼは淡々と答える。
「その割には、随分と上手ね」
「教えるのが、上手いんです、俺」
「教わるのが、上手いんです、私」
ぴたりと息を合わせたリゼの即答に、思わず吹き出しそうになる。
「それで、あなたの会社では? 従業員の教育は、どうしているのかしら」
「外部から、読み書きができる人を雇って教えてます。今のところ、それが一番手っ取り早くて……」
「ふむ。会社と領民では、人数規模がまるで違いますわ。有識者の方と、ぜひ話がしてみたいですわね」
その目はすでに、次の一手を描いていた。
*
そして数日後――領主館に現れたのは、白衣を纏った一人の修道女だった。
「ごきげんよう。お招きいただき、光栄ですわ。主のお導きに感謝いたします」
ふんわりとした笑みをたたえた女性。けれどその瞳は、まるで静かに燃えるロウソクのように澄んで鋭い。
「あなたが、教育を担当なさっている方……ですの?」
ルイーゼが、やや戸惑いの色を浮かべながら尋ねる。
「はい、エマと申します。王都の教会学校で十余年勤めた後、この地方で巡回指導を任されております。神様のご意思でしょうか、こうして志ある方々にお会いできるとは」
落ち着いた口調で応えるその姿に、ルイーゼの眉がぴくりと動く。
「……エリオット、なぜ事前にそう説明なさらなかったのです?」
「えっ……いや、特に問題ないかと……」
「問題ないと、思ったのですか?」
ルイーゼの声がピシャリと空気を裂いた。
「もう少しまともな報告ができないのですか? こういう場に女性を呼ぶのであれば、せめて一言くらい知らせる配慮があって然るべきでしょうに」
「ご、ごめん……」
「まあまあ。ルイーゼ様。殿方に気づきを求めるのは、天に咲く花に実を求めるようなものでございますよ」
シスターエマはにこやかに微笑みながら、柔らかく皮肉を差し込んだ。
「え?」
「つまり、見た目は咲いていても、実りには時間がかかるということでございます……もっとも、時には咲かぬまま散ることもありますけれど」
……怖ぇよ、この人。
「以前、教会学校におりました頃にもおりましたの。重要な式典の前日に高熱を出される先生が……あら、原因は飲みすぎだったかしら。名前は、たしか“エリオット”様と同じだったような……不思議なご縁ですわねぇ」
「…………」
冗談めかしているが、地味にグサグサくる。
「でも、きっと神様が気づきを促しておられるのでしょう。“己の愚かさにまず気づけ”と……これは愛の鞭、でございますね?」
天の裁きが、こんなにも優しく皮肉をまぶして降ってくるとは思わなかった。
「それにしても、ルイーゼ様の言葉の切れ味。まるで十字架に打ち込む釘のよう。お見事ですわ。お育ちの良さが滲み出ております」
「まあ。シスター様の婉曲な“断罪”も、なかなか信仰深い味わいがございますわね」
にこやかに交わされる二人の言葉の応酬が、氷のように冷たい。
そして、次の瞬間――
「エリオット様、あなたには“報告”という言葉の意味から学んでいただくべきかと。記憶力が鶏未満の方が領主とは、神もさぞお嘆きでしょう」
「うっ……」
「でもまあ、神様は寛容ですから……たまに雷を落とされますけれど」
もうダメだ。地味にジワジワくるこの感じ。逃げ場がない。
「エリオットは、努力家でいらっしゃいますもの。少しずつ、文字も、言葉も、そして常識も、覚えていかれるでしょう……ええ、きっと」
その笑顔が、まるで“試練は続く”と告げているようで――俺は、乾いた笑いを漏らした。
「こうして見ていると、あなた方、本当に息がぴったりだな……」
「ええ、主の導きでしょうか」
シスターが天井を見上げ、静かに胸の前で手を組む。
「共に歩む者とは、試練を乗り越えるために現れるものです……この方と同じ方向を向けるというのも、なかなか、素晴らしい巡り合わせかもしれませんね?」
それは果たして“素晴らしい”のか……いや、“逃れられない”のほうが正しい気がする。
ただ――この罵倒の波状攻撃の中でも、確かに得るものはある。
「……でも、この調子なら、教育改革もうまくいきそうだな」
俺はふと、そんな確信めいた感情に包まれていた。
この領地は、変わろうとしている。美しく、恐ろしく、容赦のない理想によって。
「……ですが、問題は人員と資金ですわね」
話が一段落すると、ルイーゼが指を組み直し、姿勢を正した。
「教師の確保、教本の用意、教室となる施設の確保……規模が広がれば、当然費用も嵩みます。従来の寄付ではまかないきれませんわ」
「その点については、教会としても支援の用意はございますわ」
シスターはおっとりとしながらも、芯のある声で返す。
「教本の複製については、王都の修道院より提供できる写本がありますし、教師に関しても、巡回型であれば何人か派遣できますわ。ただし……」
「ただし?」
「生徒側の受け入れ体制が整っていなければ、いかに教え手が優秀でも空回りしてしまいます。学ぶ意志がない者に教えるのは、石に水を吸わせるようなものですから」
ルイーゼがうん、と頷いた。
「つまり、最初に“目に見える成功例”を作る必要がありますわね」
「モデル校ですか?」
「ええ。まずは孤児院の子どもたちから。施設内に仮教室を設け、そこで読み書きと簡単な算術を学ばせます。成果が出れば、領民たちも興味を持つはずですわ」
「……それってつまり、俺に金を出せと?」
おずおずと口を挟んだ瞬間、同時に二つの視線が突き刺さった。
「エリオット様。それを“気づくまでに時間がかかる”とは、神様も予想外だったのでは?」
シスターが微笑む。
「本当に、感受性に乏しいにも程がありますわ……ああ、まさか、お金の話になるとは思いませんでしたか? 頭の中まで芋ですの? 豚ではなかったのですか?」
「ぶ、ぶひっ……」
リゼがすかさず指摘する。
「鳴きましたよね、今。ぶひって。しかも自然に。条件反射ですか?」
「い、いや違う、今のはその……!」
「問題ありません。犬も、豚も、鳴き声に個性があるものですから」
シスターまで便乗してきた。
「でもご安心くださいませ、エリオット様。神の慈悲は無限です……だからこそ、罰もまた深いのです」
「なんで笑顔でそんな怖いこと言うの……?」
情けない声が漏れる。だが、誰も同情してくれない。
「さて、話を戻しましょう」
ルイーゼがひとつ咳払いし、真剣な表情に戻る。
「孤児院での教育を軌道に乗せたあと、次に手を付けるのは領内の村でしょう。特に、街道沿いの宿場町には、今後人の往来も増えますし、読み書きができる子がいれば簡単な記録係も任せられる。教育と経済を並行して強化していく必要があります」
「ですが、家庭の事情で通わせられない子も出てきますね」
シスターが頷く。
「家の手伝いに追われ、学ぶ機会を失う。これは王都でもよくある問題ですわ……神様も“家事と学びの両立は、天秤の試練”と仰っておりますから」
「初耳ですが」
リゼが冷静に突っ込んだ。
「ええ、私が今、勝手に仰らせましたの。神様もご寛容ですから」
「まじかよ……」
「まずは週に数度、夕方に授業を開く形で様子を見るのが現実的ですわね」
ルイーゼが続けた。
「とはいえ、それを運営する人手が足りません。教会の支援だけでは限界があるでしょうし、いずれは領民の中から教師役を育てる必要もあります」
「……じゃあ、まず孤児院で“教えられる側”と“教える側”の両方を育てて、将来的には村々へ派遣する仕組みを作る?」
「それが一番妥当でしょうね。教える力を持つ者が育てば、自立した教育体制も整います」
「教育を施された民は、いずれ社会の礎となるでしょう。読み書きができる者は、“見えない扉”を開ける鍵を持つ者ですから」
シスターが、まるで説法のように柔らかく語る。
だが次の瞬間――
「……鍵を手に入れたら、まず最初に開けるのは“金庫”ではありませんように。ね? エリオット様」
「お、おれそんな発想しないよ!?」
「でも、お金が絡むと、突然早口になる傾向がございますよね?」
「確かに」
リゼが冷静に加勢する。
「語彙が“資金繰り”“利率”“運転資金”などに偏りすぎなんです。教会の子どもたちには、“はじめてのかねもうけ”なんて教本は配れませんからね?」
「そんな教本ないから! ないよね!?」
「現時点では、まだ、ないはずです」
リゼの目がキラリと光った。やめて。作らないで。
「ともあれ、領主として、あなたの役目は明白ですわ」
ルイーゼが最後に釘を刺す。
「教育のための資金援助。制度設計。そして――無様に鳴いて民の士気を高めること」
「三つ目の必要ある!? いや、なにその役割!?」
「名は体を表すと申しますもの。あなたの存在が“下の者でも努力すれば貴族になれる”という幻想を植え付けるのです。まるで、ぶた……いえ、犬に羽が生えたような」
「それどっちにしても飛べないやつだよね!?」
「でも、安心なさい」
シスターが、とても優しい声で言った。
「たとえ飛べなくても、地を這ってでも歩む姿を見せ続ければ、いずれ誰かが、“翼を授けよう”と思ってくれるかもしれません……気の毒に、という感情と共に」
「すっごい同情されてる……!?」
「励ましと哀れみは、紙一重でございますから」
俺は、疲労と羞恥にまみれながらも、頭の中で整理する。
孤児院の教室整備、教本の準備、教会からの巡回教師。最初はモデルケースとして成果を見せ、その後は村々に展開。すべて、俺の財力と根性と被虐性が前提で――
「……わかった。やろう。ここまで言われて、やらないって選択肢はないし」
椅子に深く座り直し、覚悟を決めて言った。
すると、リゼがぽつりと呟いた。
「やっと“犬”が吠えましたね」
「リゼ……お前さぁ……」
「いえ、失礼。“ワン”ですね。お嬢様の犬として」
教育改革――その第一歩は、まず俺の人格が完全に踏みにじられるところから始まるらしい。
神も仏も、そしてお嬢様も、容赦がない。