婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる 作:こういうのがお好き?
その日は、いくぶん空が明るかった。
まるで、教育の門出を祝福しているかのように――と、俺は思いたかった。
孤児院の敷地内に設けられた仮設教室。木材を打ちつけて急造された小屋だったが、中には椅子と机が並び、黒板と石筆、読み書きの教本まできちんと揃っている。
準備は整った。資金は俺が出した。肉体労働はしていない。けど、心は尽くしたつもりだ。
教師を任されたのは、リゼ。
開校当日の朝。教室の片隅で、リゼは不満げに腕を組んでいた。
「……どうして私が“教師”なんですか。意味が分かりません」
「……いや、俺に言われても……決めたのはルイーゼだし」
「“あなた以外には任せられませんわ”って……笑顔で……っ、あの笑顔」
リゼがわずかに眉をひそめる。
「“断ったら、どうなるか”を、すごく優しく伝えてくださいました。あれ、もはや威圧です」
「つまり、逆らえなかった?」
「逆らえるなら逆らってます。私にも命はありますので」
その瞬間、俺は悟った。
――ドSにも、ヒエラルキーが存在する。
「でも……まあ、リゼなら、きっとやれると思うよ」
「根拠は?」
「字も綺麗だし、頭もいいし、子どもたちにとってきっといい先生になる……かも」
「言ってて自分でおかしいと思いません?」
「……少し」
教室の扉が開き、小さな足音がばらばらと入ってきた。おそらく十人ほどの孤児たち。みな不安げに、だがどこか目を輝かせながら席に着いていく。
「ふむ。整列していない。騒がしい。口が開いている。論外ですね」
リゼが淡々と黒板の前に立ち、静かに口を開いた。
「これから、あなたたちは“ものを知る”ための訓練を受けます。“知らない”ということが、どれだけ弱いか。どれだけ搾取されるか……わかっていないのなら、今日から教えます。まずは、黙って、聞きなさい」
ピシャリと、黒板を指し棒で打つ音が響いた。
──授業、開始。
五分後、ひとり泣いた。
十分後、ふたり目が泣いた。
十五分後、誰もが呼吸をひそめていた。
「“あいうえお”を覚えてから来てくださいと言いましたが、理解できなかったのでしょうか? なら、泣いても許します……ただし、許されるのは今日だけです」
「リゼ……ちょっと怖すぎるよ」
外で見学していた俺が思わず教室に入ると、リゼはさ冷たい眼差しを向けて口を開いた。
「エリオット様。教育の場に“現場で調教されてきた失敗例”を連れ込む理由は何ですか?」
「失敗例て!」
「泣き声と鳴き声は、教材として混同されかねません。退室を」
「はい……すみません……」
しばらくして、別の足音が響く。
「ふむ。視察に参りましたわ」
ルイーゼだった。堂々たる足取りで教室に入り、子どもたち一人一人に視線を向ける。彼女の登場に空気がさらに凍りついた。
「ふむ。良い傾向ですわね」
「怖がってるのが……?」
「人間、恐怖の中でこそ学習効率が高まるものです……あなたを見れば、それがよく分かりますわ、エリオット」
「俺で実証すんなよ!」
「あなたのように、“罵倒”によってここまで人間らしく育つ例は稀ですわ……いえ、育ってはおりませんでしたわね。失礼」
「どっちでも傷つくやつ……」
「お嬢様」
リゼがすっと振り返った。
「私は、間違っていますか?」
「いえ。やりすぎの範囲で、正しいと思いますわ」
「ならば、続けます」
リゼが再び子どもたちに向き直る。
「この世には、“知らなかったから”では済まされないことがあるのです。学べなかった者は、売られます。利用されます。名前さえ失います……私は、そういう目に遭った者を、もう見たくありません」
その目には、はじめて“感情”のようなものが揺れていた。
*
授業後、教室に残ったリゼと、俺は二人きりになった。
「……どうだった、今日の授業」
「泣かせました。ほぼ全員」
「うん、まあ……見てた。ていうか、俺も引いた」
「でも、弱い子ほど泣くのです……そして、泣くと売られるのです。女も、男も」
淡々と語られた言葉が、石のように胸に落ちた。
「だから私は、厳しくする……感情は、教え方には含まれていません」
「でも、子どもたちに伝わったと思うよ。リゼの思いも、ちゃんと」
「……だといいですね。伝えたかったのは、“私の気持ち”ではなく、“生き延びる方法”ですが」
「十分すぎるくらい伝わってたよ。まあ、俺が教材扱いされたせいで、トラウマになってる可能性もあるけど」
「それは……副教材ですね。実物資料としては貴重です」
「そんなとこで役に立ちたくなかった!」
「でも、あなたのように“ぶひっ”と鳴く男が、生徒に混ざっていないだけで安心しました。教育の成果です」
「なんの教育だよ……」
リゼの背は、小さくも大きく見えた。子どもたちの前では、あんなにも冷たかった彼女が、今ここでは、静かに祈っているように見える。
――この場所に、翼はない。
でも、這いつくばる者にとって、教室はたしかに“天”に近い場所だった。
そして俺は、今日も犬として、その天の床を這っている。
「ぶひっ……」
「はい、今日も順調ですね」
教師リゼの授業は、始まったばかりだ。