婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる 作:こういうのがお好き?
昼下がりの執務室に、ふわりと甘い香りが漂った。
「エリオット、久しぶり……頑張ってるって聞いたから、会いに来ちゃった」
ミレーヌだった。栗色の髪を巻いて、ふんわりとしたドレス姿で現れたその姿は、どこか絵本の中のお姫様を思わせた。だがその瞳に宿る光は、相変わらずのドSそのものだった。
「え、なんでここに……?」
「んふふ。来ちゃダメだった?」
俺が後ずさろうとした瞬間、彼女はすっと距離を詰めてきた。
そして――
「……えらいえらい、よしよし」
ぽん、と頭を撫でてきた。
「こ、このっ……!」
「なあに、照れてるの? 顔真っ赤よ? ふふ……可愛い」
甘やかしにも似た口調。しかし、その指先に宿るのは明らかな支配の意志だ。
「ミレーヌ、いま俺、すごい真面目に働いてるんだよ?」
「知ってるわ。だから言ってるの……幼い頃と変わらないもの。あなたの“頑張ると、調子に乗って壊れる”癖」
「癖て」
「だからこうして来たの。たまには誰かに甘えないと、壊れちゃうでしょ?」
耳元で囁かれるような声。背筋がぞくりとした。
そしてそのとき、ふと思った。
(……ミレーヌ、これ教師に向いてるんじゃないか?)
――え?
(いや、あれだけ人を掌で転がすのが上手いし、子どもに対しても“甘い罠”で導けるなら、案外ありなのでは?)
新しいモデルが脳裏をよぎった。リゼの“恐怖教育”と、ミレーヌの“蕩け教育”。この両軸がそろえば、教育改革に幅が出るかもしれない。
*
その夜、執務室にて。
「……というわけで、思いついたんだ。ミレーヌも教師として加えれば、教育に多様性が――」
「足りない頭で必死に考えた結果が、それですか?」
即答で斬り捨てたのはリゼだった。冷静かつ殺意のない瞳が、逆に怖い。
「わたくしも、同意見ですわ」
ルイーゼも眉をぴくりと動かしていた。
「あなたの中で“甘やかすこと”と“教育”が同義になっていません? それはただの放任主義ですわよ?」
「いや、違うんだ! ミレーヌって、なんというか、包容力があって、でもちゃんと叱るときは叱るし……あの、やっぱ向いてると思って――」
「つまり、“叱ってくれるドS”なら誰でも教師に向いてると」
「ち、ちが……」
「とはいえ、発想の奇抜さだけは評価できますね。低空飛行のままどこかに墜落する危うさがありますが」
なんだこの罵倒会議。
「そういえば」
ルイーゼがぽつりと口を開いた。
「ミレーヌ嬢のご実家――確か、商業系の中流貴族でしたわね? エリオット、お詳しいのではなくて?」
「いや……あの家には、昔拾ってもらったんだ。まだ俺が小さくて、飢えて、雨に濡れてたときに、パンをくれたのがミレーヌの母親だった」
「なるほど。であれば、協力者としての検討余地はありますわ」
「……ほんとに?」
「ええ。教育というのは、教えることと同時に、“支える力”が必要です。教本の印刷、教室の増設、教師の育成……これらすべてを、あなたの事業利益だけで賄おうとした場合――軌道に乗るまでに、五十年はかかりますわ」
「五十年!? 孫の孫が教育を受ける頃じゃないか!」
「……あら、珍しく的確なツッコミですこと。これこそ、教育の賜物ですわね」
ルイーゼがにこりと笑う。その笑顔がなぜか一番怖かった。
「……ミレーヌに話、通しておくよ。協力してもらえるように」
「それは構いません。彼女の性格が問題でなければ」
「性格は……問題しかない気がする」
「ええ。ですが、あの方には“資金と人脈”がある。貴族社会で生き残るために必要なのは、“格式”ではなく“機能”ですわ」
「ミレーヌ様は、いわゆる“使えるバブみドSママ”ですね」
リゼがあっさり言い放った。
にしても、“バブみ”って……そんな言葉どこで覚えたんだよ。
「教育者としての適性は未知数ですが、“支援者”としての可能性は高い。個人的には、教育者よりスポンサーとして迎える方が建設的かと」
「……なるほどな」
「ただし、条件があります」
リゼが椅子から立ち上がり、すっと近づいてきた。
「ミレーヌ嬢が“あなたにだけ特別に甘い”という状況が、教育現場に持ち込まれた場合――わたくし、全力で排除しますから」
「脅しだよね、それ……」
「ええ、愛の鞭です」
「まあ、あなたにお似合いの“手綱”が増えたということですわね」
ルイーゼが皮肉げに笑う。
「領内の教育改革。たとえ志が正しくても、金と権力がなければ何も変えられません……使える者は使う。それが、現実の采配ですわ」
こうして、教育改革はまた一歩進んだ――ように見えて、俺の心と腰は、またひとつ、ドSの重圧に沈んでいった。
「ぶひっ」
「はい、条件反射も順調ですね」
※ミレーヌにはまだ、何も言ってない。
★★★★★
今日の教室は、なぜか甘い香りがしていた。
講師がミレーヌだと聞いたときから、嫌な予感はしていたが――これは予想以上だった。
「皆さん、集まりましたね? ……はい、とってもえらいですわよ」
優雅なドレスに、柔らかな微笑み。まるで王宮の舞踏会に現れた姫君のような風貌で、ミレーヌは教室の中央に立っていた。
子どもたちは明らかに困惑していた。昨日まではリゼの冷徹な指導。声を張り、間違えれば容赦ない添削。そして今、急に現れた“天使のような悪魔”。
「はい、あなたも。きちんと座れて偉いですね? よしよし」
撫でられた子どもは目を白黒させていた。
「……なにこれ?」
思わず漏らした俺の隣で、リゼが机に肘をついて小さく溜息を吐く。
「見れば分かりますよ。甘やかしによる混乱です」
その目は、完全に死んだ魚だった。
「では、今日は“ありがとう”の書き方を練習しましょうね? お手本はこれ。ゆっくり、丁寧に。上手に書けたら……ご褒美がありますわよ?」
「ご褒美って……」
俺がぼそりと呟くと、リゼが即答する。
「モチベーションの買収です」
しかし、子どもたちの様子は意外だった。ミレーヌの声に応えるように、一人、また一人と筆を取り出す。
「できました!」「ぼくも!」「……ちょっと失敗しちゃった……」
「まあまあ、でも挑戦したのは偉いですわ。ふふ、ここをこう直せばもっと素敵になりますわよ」
なんだろう。教室がほんのり温かく感じる。
子どもたちの顔に、昨日は見られなかった笑顔が咲いていた。
(……案外、アリなのか?)
「……教育とは、かくも変質するものなのですね」
「なんで諦めモードなんだよ、リゼ……」
授業の後半、ある男の子が突然机を立ち上がり――
「……ぶひっ」
「ちょっ、今ぶひって言った!?」
「言ってませんっ!」
ミレーヌがすかさず抱き寄せ、優しく頭を撫でる。
「無理しなくていいのよ? でも、鳴くのは夜だけにしてくださる?」
「え、なんの話……?」
「あなたも、ですよ?」
「俺!? 俺関係ある!?」
「ぶひっ」
「誰だ今ぶひっていったやつ!?」
授業が終わり、子どもたちが笑顔で退室していく。
静かになった教室に、ミレーヌの柔らかな声が響いた。
「ふふ……初日としては、上出来でしたわね」
リゼが目元を揉みながら返す。
「感想としては、“お菓子付きのお遊戯会”ですね」
「ですが、子どもたちの目は輝いていましたわ」
「目を輝かせるだけで教育になるなら、遊園地を校舎にすべきです」
「案外それ、支持されそうだよな……」
俺が苦笑すると、リゼが静かにこちらを向く。
「それは、あなたが“ぶひっ”と鳴いたからでは?」
「……その話は蒸し返すな」
「やっぱりあなたも鳴いたのですね」
一本取られた。
「にしても、ミレーヌって、なんであんなに母性強いんだ?」
「以前も申し上げましたが、需要と供給ですよ」
「ん?」
「エリオット様のように、“甘えたい成分”が周囲に強く放出されていると、自然と母性が引き寄せられるのです」
「俺、なんか出してんの?」
「ええ。夜道には、くれぐれもお気をつけください」
「こわっ!!」
ミレーヌはそのやり取りを楽しそうに見ていた。
「教育って、本当に奥が深いんですのね。ふふ……」