婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる 作:こういうのがお好き?
「――で、何で俺がここにいるんでしょうか」
朝一番、屋敷の応接間。俺は革張りの椅子に腰かけながら、誰にともなく呟いた。
向かいのソファには三人の女性。
左から、メモ帳をぺらぺらと捲るリゼ。
中央で優雅に紅茶を飲むルイーゼ。
そして右端、穏やかな微笑みをたたえたまま、一切の妥協を許さないシスター・エマ。
俺はこの三人に、囲まれている。
「本日より、教育方針の見直し会議を行います」
シスターが静かに言った。柔らかな声なのに、空気が重い。
「対象は……これまで授業を行った方々。順に、リゼ様、ミレーヌ様、フィオナ様、そして……ルイーゼ様」
最後だけ、わずかに間が空いた。シスターの敬意と慎重さが滲み出ていた。
「……まず、昨日の授業についてですが」
「まあ、わたくしの講義に何か問題でも?」
ルイーゼが、おほほ、と笑う。その口元は微笑だが、目だけはまるで戦場。
「問題というより、“検討”でございます」
それでもシスターは怯まない。まるで神の加護でも受けているように、静かに続ける。
「拝見しました。非常に気品あるお振る舞いでした。ですが、子供たちが内容を理解していたかというと……疑問が残ります」
「理解しておりましたわ。少なくとも、“言うことを聞こう”という姿勢は整っておりましたもの」
(いや、それ“威圧”って言うんじゃ……)
俺が心の中でツッコんでいると、シスターは一段と穏やかに――それでいて厳かに告げた。
「恐怖で従わせるのは、教育ではなく……脅迫です」
その言葉に、ルイーゼ様のカップがぴたりと止まった。
「子供たちは、神の御心に照らされた魂です。萎縮ではなく、自ら学びを欲する姿勢を育まねばなりません」
一瞬の沈黙。思わず俺は、空気を和ませようと口を開いた。
「で、でも、ルイーゼ様の熱意は本物で……子供たちもちゃんと聞いてましたし……? 方針を柔軟に変えるのはありなのでは?」
バチッ、と音はしないのに、三方向から視線が突き刺さった。
「熱意で子供は育ちませんわ」
ルイーゼが微笑んだまま一言。柔らかく、だが凍てつくような声。いや、フォローのつもりで言ったんだけど?
「思いつきで方針を変えるのは、ただの衝動です」
リゼの冷徹な指摘。余裕もなければ慈悲もない。
「神の御名を借りて申しますが――あなた様の“熱意”は、ただの自己満足に過ぎません」
シスターの最後の一刺しが、見事に急所へ。
なにこれ? 俺、この会議の生贄なの?
「では、これまでの授業内容の検証を」
リゼが淡々とメモをめくる。
「私の授業は、読み書きと算術。軍の初等教練を参考に、厳格に」
……子供たち、泣いてたな。いや、あれはもはや戦だった。
「ミレーヌ様の授業は、甘やかしの極み。しかし情緒面の安定という点では有効」
「フィオナ様は、無許可で講壇に。人格診断のような内容でしたが……」
「愚妹ながら、独自性は評価できますわ。子供たちが震えていたというのは、真剣さゆえでしょう」
ルイーゼ、怖いから。普通に怖いから。
「そのうえで、本日最も検討すべきは――」
「わたくしの講義ですわね?」
ルイーゼが笑顔で先回りした。完全に流れを掌握している口ぶり。
「はい。気迫と威厳に満ちた授業でした」
「“でした”?」
「惜しむらくは、“内容”と“継続性”です。毎回同じようにできるかが問われます」
「わたくし、何事も全力でございますもの」
(いや、それが問題なんだって……)
またしても空気が沈むのを感じ、俺は口を開く。
「でも、どの授業にも良いところはあったと思うんですよ。ミレーヌは安心感、フィオナは集中力、ルイーゼは……」
「恐怖?」
リゼの突っ込みが速すぎて、俺の心臓も止まるかと思った。
「そう、恐怖! じゃなくて! えっと……印象、です!」
「なるほど、“印象”で教育を語ると。薄っぺらいですね」
リゼが冷たく切り捨てる。
「おかわいそうに。脳の皺が、すべて伸びてしまったのでしょうか?」
ルイーゼが、優雅に微笑みながら追い打ちをかける。
「神の名において申します。印象は教育の土台にはなりません」
シスターの声は、柔らかいのに容赦がない。
三連撃。俺の心が、ミシッと音を立てた。
「では今後の体制として、基礎カリキュラムを定めるべきです」
リゼが切り替えた。
「私が監修いたします。“誰が教えるか”より、“何を教えるか”が大切ですから」
「よろしいですわ。わたくしも、その案に従いましょう」
「神の御前にて、すべての子供に平等な学びを――それが望ましい姿です」
珍しく意見が一致した三人。俺は、ようやく安堵の息を――つきかけた。
「では、この方針で進めていきましょうか……ね?」
何気なくそう言った俺の一言で、またもや全視線が集中する。
「……方針も何も、あなたに決定権はありませんわ」
ルイーゼ様が扇子を閉じた。
「軽々しく“決める”などと。役割を弁えてください」
リゼがさらりと畳みかける。
「神の名において。黙って座っていることも、時に徳でございます」
シスターが祈るように微笑んだ。
再び三連撃。これはもう、教育ではなく処刑だった。
★★★★★★★★★★
「――あの方は、誰にでも優しいのですね」
帰り道、屋敷への坂道を歩いていたとき、ルイーゼがぽつりとつぶやいた。
その声は、まるで風が温度を失ったように、冷たく、寂しげだった。
原因は明らかだ。
さきほどの、シスター・エマによる“模範授業”。
慈愛と敬意、そして信仰に満ちたその授業で、子供たちはみるみるうちに心を開いていった。
言葉遣い一つ、間の取り方一つで、子供たちの注意を惹きつけ、自然と正しい言葉が口からこぼれるように導く。
まるで、神の祝福でも降っているかのような――まさに“理想”の授業。
だが、それはルイーゼ様の掲げる“支配の教育”とは、対極にあった。
「……子供たちの顔、見ました?」
「とても、楽しそうだったな……」
「そう。皆、あの方に懐いておりましたわね」
言いながら、ルイーゼ様の視線が一度もこちらを向かない。
その背筋はいつも通り凛としているのに、肩から漂う空気が――刺さる。
俺は、喉の奥がきゅうっと締まるような感覚を覚えながら、屋敷の扉を開けた。
*
屋敷に入った瞬間、空気が変わった。
何かが、明確に切り替わった。
背後から聞こえたのは、あの一言。
「お座りなさい、犬」
「……ワンっ!」
反射的に膝を折ると、視界の端にふわりとドレスの裾が揺れた。
いつの間にか、俺のすぐ目の前に、ルイーゼ様のつま先がある。
「“神の御心”ですって? 笑わせますわね」
そこから始まる声は、笑っているのに凍えるような冷たさだった。
「あの方は、誰にでも同じ顔をなさる――それの、どこが“特別”なのかしら?」
「俺は……別に、特別だとは……」
「黙りなさい」
ひとことで切られる。
声に熱はないのに、心臓が跳ねるほどの威圧感だった。
「お可哀想に。自分が“選ばれている”とでも思っているのかしら」
「……」
「誰にでも笑顔を見せる者の、どこに価値がありますの?」
ゆっくりと、ルイーゼは椅子へと腰を下ろした。
蔑むような目線が、こちらを一瞥する。
「わたくしだけを見なさい、犬」
ズルリ、と背筋に何かが這い降りてくる感覚。
重みのある視線。逃れられない、絶対の命令。
「よそ見をするなら、二度と目が合わぬよう、躾けて差し上げますわ」
「っ……」
「目を閉じて、生涯を終えなさいな」
俺の全身が震えた。
でもそれは、恐怖なんかじゃない。違う。
欲望のど真ん中を貫かれたような――圧倒的な快感だった。
「あなたの居場所は、どこか分かっているでしょう?」
ルイーゼが、足先で床をちょん、と軽く叩いた。
「……そこですわよ。早く、這っていらっしゃい?」
「……ワン!」
反射的に、俺はその場に伏せて四つん這いになった。
ああ、そうだ。
この場所、この姿勢、この主。
ぶひぃなんて鳴いてた頃と比べたら、だいぶマシだ。
いや、むしろ――格上げじゃないか?
「ワンッ!」
……そうだ、俺は今、犬だ。
人間に戻れなくても、せめて犬には戻りたかった。
そう思ってた――そして今、俺は昇格したんだ。
ルイーゼを拾った。
それが俺の“人生の成り上がり”だと思ってた。
でも……今のこの状況って――
……成り上がりって、そういう意味だったのかよ。
あ、いや違う。いや、違わない? え? 俺、自分で言ってて今、気づいた……?
なんだこれ……俺、拾ったつもりが躾けられて、豚に堕とされて、
今こうして犬に“昇格”させてもらって――
成り上がり、達成……!?
……なんか、すごく、納得してる自分がいるんだけど!? いいのか!? いや、いいんだ、きっと……!
「ふふ。良い子ですわね」
頭に、すっと手が添えられる。
その手は、撫でるためではない。確かめるための手。
「わたくしのもの」かどうか、再確認するための手だ。
「あなたはわたくしのもの。誰に媚びようと、誰に躾けられようと――」
喉元に、指が滑る。
まるで、見えない首輪の存在をなぞるように。
「その首輪は、決して外れませんわよ? さあ、吠えてごらんなさい?」
「ワン……! ワンワン……!」
情けない声だ。でも、なぜか心が満たされていく。
この声音に、意味がある。価値がある。
選ばれたことが、証明される。
「やはり、あなたには犬が似合いますわね」
ルイーゼが高笑いする。けれどその目は、鋭く、甘く、支配の色に染まっていた。
「この屋敷に、慈悲も祈りも存在しませんのよ。あるのは、命令と従属だけ――わたくしの世界ですもの」
「はい……ルイーゼ様……」
「わたくしだけを見なさい、エリオット。あの方のような“誰にでも優しい”女に、躾ける資格はありませんわ」
ああ、完全に地獄だ。
でも俺にとって、それは天国以上だった。