婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる 作:こういうのがお好き?
「それで? 収穫量は?」
ルイーゼの問いに、屋敷の応接間がぴしりと静まる。
話題は、領地の最重要課題の一つ――食糧事情。
教育改革が始まったばかりのこの地では、文字の読めない子供たちに教えを施すにも限界がある。
だが、いくら知識を与えても、腹が減っては始まらない。
飢えは、すべての思考を破壊する。
それを誰よりも理解しているものが、目の前に立つ――
「農業管理責任者、シエラ。報告いたします」
日焼けした少女。
野良着に見えないよう微調整された地味な服、腕には収穫記録を束ねたノート。
だがその口調は、街の役人顔負けだ。
「畑の収穫量、前年同月比で一割増しです。輪作の成果が出ています」
「土壌の酸性値は?」
「許容範囲内。ただし北区画の水利偏りで変動の兆しがあります」
「備蓄は?」
「倉庫が旧式。三ヶ月後に湿気由来の腐敗が出ると予想されます」
俺は唖然としていた。
なんだこの子。デキすぎでは?
「ご立派ですわ」
ルイーゼが言う。
声に刺はない。だが、明らかに温度が足りない。
「農業という分野、わたくし、詳しくはありませんけれど……こうして数値で語られると、まるで統計の神様でも降臨したかのようですわね」
「恐縮です」
シエラが微笑む。威圧でも謙遜でもない、まっすぐな受け答え。
……やばい。
ルイーゼ、完全に機嫌を損ねてる。でも、攻撃はしない。
この人、有能な相手には絶対に手を出さない主義だ。
ということは――誰が地雷を踏むか、答えは一つ。
「エリオット。何かご提案でも?」
来た。
「え、あの、えっと……食料問題について、ですか?」
「ええ。責任者として、何か一つくらい閃くこともあるのでしょう?」
「一応……農具の共有とか、そういう仕組みを整えて、使ってもらえば……」
「まぁ。語彙が、“一応”“とか”“そういう”……貧弱にも程がありますわね。まるで、鍬を持って畑を耕す前に、ぬかるみに沈んで足を取られる人みたい」
「た、例えが厳しい……」
「あなたの頭から搾り出される知恵の総量、麦より軽そうですわ」
「それは……もうちょっと、いい言い方なかったですか……?」
「なかったのでしょうね、あなたの脳では」
※八つ当たり:通常運転
そこへ、シエラがまた口を開く。
「農具の貸与は良い案ですが、それを“決めるだけ”で終わっては失敗します」
「えっ、でも使ってもらえれば――」
「“使ってもらえれば”というのは、“誰かがうまくやってくれるだろう”という他力本願です。責任者の名において、それは不適切です」
「……」
「道具を貸す以上、使用後の回収、状態確認、破損時の弁済規定……運用ルールの整備は義務です」
俺はその場で思考を止めかけた。
だが、シエラは止まらない。
「け、検討は……」
「意思決定に時間をかけている間に、種は腐ります。“検討する”という言葉の裏には、“今は何もしない”という怠慢が潜んでいます。貴族の方にしてはお詳しいですね、と言ってほしいのなら、現場に三日座ってください。そうでないなら、せめて“即決か撤回か”の判断はしていただかないと、現場が混乱します」
ぎ、ぎりぎり耐えた。
でも、ちょっと待て……この理屈の塊みたいな口調――
(ここまでの流れ……誰よりもドSなの、もしかしてシエラじゃないか?)
俺の心に、薄ら寒い風が吹いた。
シエラが続ける。
「農具の配分も、信用度に応じて差をつけるべきです。真面目に耕している家と、そうでない家に、同じものを与えても無駄です」
リゼが、静かにノートを閉じた。
「つまり、“従う者に与え、逆らう者には干渉しない”……」
彼女はすっと微笑んで、
「なるほど……“支配”の始まりですわね」
……こわっ。怖すぎるでしょこの人たち。
「あなたはどう思われますの? エリオット」
また来た。
「え、あの、えっと……その、皆の幸せのために……」
「“皆”って、誰のことですか?」
シエラが首をかしげる。だがその声は、容赦がない。
「“皆が望んでいる”という主語のない理屈は、一番始末が悪い。あなたの中に“皆”が見えているなら、人数、家族構成、作物の種類……出せますよね?」
「……」
「あなたの“優しさ”は、誰の責任で成立しているんですか? あなたの“曖昧”は、誰が後始末してるか、考えたことあります?」
「す、すみませんでしたぁっ!!」
※エリオット、全方位論破により完全敗北。
ルイーゼは黙って紅茶を啜っていた。
視線はシエラにも向かない。むしろ、それが不気味だった。
でも、俺への罵倒もなかった。
それが逆に、怖かった。
*
応接間を後にして、俺は廊下を歩いていた。
足取りが重い。いや、精神的に削られた。
リゼの皮肉もルイーゼ様の八つ当たりも経験済みだったが――
シエラ。お前は何者だ。
論理で殴られ、現場知識で潰され、優しさを踏みにじられ――
“優秀”の言葉で片づけてはいけない、なにかがあった。
屋敷に戻ってしばらく経った頃。
俺は自室で帳簿の整理をしていた。疲労困憊で、椅子に沈み込む。
そのとき、後ろから扉が開く音がした。
「……あら。ずいぶんと憔悴しておられますわね?」
声の方に振り向くと、ルイーゼが立っている。
薄い笑みを浮かべ、扇子を手にした姿。
だが、その目にだけ、静かな翳りがあった。
「いえ……なんか、今日は全体的に、こう、色々と……」
「まぁ。あれしきで疲れていては、冬を越せませんわよ?」
「冬じゃなくて、もう内政が吹雪みたいなもので……」
「ふふ。あなたが拾ったお嬢様たちですもの。仕方ありませんわ。責任はすべて、あなたにございます」
「なんか、ひどく納得感のある罵倒ですね……」
ルイーゼは、音もなく歩み寄ってくると、俺の正面に立った。
「……ひとつ、確認してもよろしいかしら?」
「は、はい……なんでしょう」
「わたくし以外の女性に、今日、心を奪われました?」
「ぶっ!?」
「口に出す前に、反応で分かってしまいますわね。あの農村の娘に、論理的に責められて悦んでおられた顔――忘れませんことよ?」
「ち、ちがっ……」
「違わない。あなた、顔に出すぎですもの。まぁ、そうでなければ、こんな躾け甲斐のある犬に育ちませんでしたけれど」
そう言いながら、彼女は俺の顎にそっと指を添えた。
「見なさい。わたくしを」
「……はい」
「わたくしだけを、ですわよ」
「……はい、ルイーゼ様」
ほんの一瞬、指先が俺の頬を撫でた。
まるで、確認するように。あるいは“戻ってきたか”と問いかけるように。
「あなたの主は誰?」
「ルイーゼです……」
「ならば、吠えてごらんなさい。昨日のように」
「……ワン」
「もう一度?」
「ワンッ!」
「ふふ。良い子ですわ」
その一言で、全身に電流が走る。
ああ、やっぱり。
この人にだけは、敵わない。
ご主人様。主。女王様。