婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる 作:こういうのがお好き?
「――つまり、商業区の再整備によって、物流と交易が活性化する。市場を広げ、周囲の村との物の流れを増やせば、税収の増加にもつながるはずだ」
壁に貼った地図を指しながら、俺は提案の説明を終えた。
応接室のテーブルには、ルイーゼ、リゼ、そして俺。
今日の議題は経済施策――だった、はずだった。
「市場だけでなく、職人街も近くに配置したい。加工と流通が一体化すれば効率も上がる」
「で、風紀は?」
唐突に、リゼが割り込む。
「……風紀?」
「人と物が集まるなら、金も欲も集まります。市場ができれば、自然と“ああいった施設”も現れる。そういう予測はしていますか?」
「娼館……とか?」
「言い方はともかく、実態はそうです」
リゼは冷静に頷き、ノートをめくる。
「雇用と納税の観点から見れば、娼館は経済に寄与します。ただし、治安や倫理のリスク管理も必要です」
「そして何より問われますのは――領主様、つまりエリオットの風紀意識ですわ」
ルイーゼ様が紅茶を置いて、微笑んだ。
「……いや、その……」
「快楽の管理を民に委ねるというのは、自身がそれを制御できている者の特権です。あなた、ちゃんとご自分を“管理”できておりますの?」
「ちょっと待って! 俺は別に……」
「ご自身に甘い方が、他人の欲を律することなどできます?」
ルイーゼ様が優雅に一歩前へ出た。
その足取りが、軽くも確実に俺を追い詰めていく。
「経済が回れば、領民の暮らしも豊かになる。それを俺は……」
「物と金が回れば、ですって?」
ルイーゼ様がふっと扇子を広げる。
「では、“知恵が回らない者”は、そのままで?」
「自分の脳が止まっていることに、どうしてそこまで寛容なんでしょう」
リゼがさらりと続ける。
「ちょ、待ってくれってば……!」
「謝るのは早いですね。でも、頭の回転は遅すぎです」
「謝罪は回るのに、思考は停止。便利な構造ですね、あなたの脳」
完全に詰められてる。
「……市場を、整備するという意味で……」
「本当に、市場だけですの?」
ルイーゼ様の視線が、静かに腰元へと落ちた。
その瞬間、冷たい声が追い打ちをかける。
「小さいくせに、大口を叩きますね」
「なんだよ、突然!」
「事実の列挙ですが?」
「小さいって……ちょっと待て、何が小さいって言ってんだよ……」
「私が赤面しながら、そちらの話題を出すとでも?」
「わ、悪かったってば……!」
リザがぼそっとつぶやく。
「小さいのは、エリオット様の男性器と、器と、度量です」
「そこまで言えとは言ってない!!」
俺は椅子に沈みかけた。
ただ、すでに魂が抜けかけていた気もする。
「……昔は、“許可を出す側”だったんだ。事業では判断を任されて、周囲に指示して、回して……でも今は」
「ええ、今のあなたは、“求める側”」
ルイーゼがすっと俺の前に立ち、見下ろす。
「自分の欲望すら制御できず、鍵も預けたままの――従順な犬ですもの」
「鍵って……いや、あの、それは……」
「でしたら、吠えてくださいな。躾けた通りに」
その声音は、穏やかで、残酷だった。
「……ワン」
無意識に出た。
心も身体も、もう逆らう余地など残っていなかった。
「さて――娼館の導入についてですが」
ルイーゼ様が軽く扇子を返す。
「“試験的運用”という形も、戦略としてあり得ますわね。たとえば、一匹だけ差し出して、使い物になるかどうか、様子を見る――など」
言葉こそ穏やかだが、視線は冷たかった。
「じゃあ、俺がその……試験対象でいいよ。いっそ、最初に笑われる方がマシだろ」
沈黙。
「言いましたね?」
リゼがノートを閉じる。
「去勢のご覚悟が整ったようで、感心です」
「そうですね。去勢すれば、性欲くらい管理はできるのではなくて? ようやく犬に“昇格”したというのに、また豚に戻りたがるとは。進化とは儚いものですわね」
「やっぱ取り消し! 今のナシで!!」
「記録は残ります。永遠に」
ルイーゼ様は、胸元のペンダントに指を添える。
銀鎖に揺れる、小さな錠前――
その中に、俺の“貞操の鍵”が眠っている。
「娼館を許すかどうか、それは戦略ですわ。でもまずは、領主たる者、自らの快楽を律するところから」
「いや……俺は、ちゃんと……」
「鍵は、わたくしが持っております」
微笑が浮かぶ。
「あなたが何を“管理されている”か、忘れたとは言わせませんわよ?」
「娼館の件、慎重に検討します……」
「その“慎重”が、“先延ばし”にならないといいですね」
リゼが静かに言う。
「検討と放置は違いますから」
「領主が風紀を語るなら、ご自身の貞操管理が第一でしょう」
「俺、ちゃんと管理されてるってば……鍵、ルイーゼが持ってるし……!」
「……ワン、と鳴かない限り、説得力がありませんわ」
ルイーゼ様が、すっと扇子を口元にあてる。
俺は、静かにうなだれた。
「……ワンッ!」
★★★★★★★★★★
午後の静かな空気の中、俺は屋敷の書斎の片隅でうなだれていた。
ソファに体重を預け、天井を仰ぐ、誰にも見られたくないような情けない姿勢。けれど、身体が持ち上がらない。
会議ではリゼに論破され、ルイーゼには去勢を宣言され、情けなくも嬉しく思いながら最後は「ワン」と鳴いて締め。
それが、俺の最新の実績。
「……何やってんだ、俺……」
自分でつぶやいて、誰より先に傷ついた。
「――やる気が出ませんの?」
その声は、扉を開ける音よりも先に届いた。
ルイーゼ。
思わず姿勢を正しそうになって――無理だった。今は、立ち上がる気力がなかった。
「エリオットが静かだと、屋敷も落ち着いてよろしいのですけれど……そう長く拗ねられても、わたくし、対応に困りますわ」
そう言って彼女は、同じソファの隣に腰を下ろした。
いつものように優雅で、いつものように、怖い。
「……俺、駄目だったな」
「ふふ。ようやく自己認識を持てましたのね……それで? 何が“駄目”でしたの?」
「……全部」
本気で答える気も起きずに、ぼそりと返す。
だが彼女は、そこで笑わなかった。
「“全部”などという言葉で済ませるところが、あなたの悪い癖ですわ。あなたの部下が報告書に“全体的にダメ”などと書いていたら、怒りますでしょう?」
「……確かに」
「ええ、ですから、わたくしも今から、あなたの“ダメでない部分”を挙げて差し上げます」
え、と顔を上げると、ルイーゼの視線が、正面から俺をとらえていた。
その瞳に、いつもの冷たさはない。
「市場の配置には無駄が多かったですけれど、それでも周辺集落との導線を意識していた点は、評価に値しますわ」
「……」
「孤児院の教育改革も、よく堪えて調整なさいました。結果として、孤児たちの識字率は明確に上がっている。これは、事実です」
俺の口から、何も出てこなかった。
「農村の区画整理――あなたが“非効率では”と先に気づいて改善したこと……あれは、わたくしが口を挟むまでもなく、正しい判断でした」
評価されている。
信じられなかった。
俺のやってきたことを、ちゃんと見ていた人がいたなんて。
「あなたは――無力でも、愚かでも、それでも手を伸ばす方です。見捨てずに、拾い上げようとする。あのときのわたくしに、そうしてくださったように……ありがとう。拾ってくれて」
自然に出た言葉だった。
ルイーゼは、一瞬だけ目を伏せ――それから、ゆっくりと微笑んだ。
「……感謝など、今後一切いたしませんけれど?」
けれどその声色は、明らかに照れていた。
そしてそのまま、彼女はすっと脚を組み替え――
「おいでなさい。情けない顔を見ていると、さすがのわたくしも気が滅入りますの」
そう言って、膝をぽんと叩いた。
冗談じゃないと思った。
けれど、逆らえなかった。
俺は静かに身を預け、彼女の膝に頭を置いた。
温もりと柔らかさと、うっすらとした香水の匂いが、鼻に届く。
以前も何度か膝枕をしてもらった。
でも、あの時よりも、優しい気がする。
「……お行儀の悪い頭ですこと」
そう言いながらも、指先は優しかった。
前髪を撫で、額をなぞり、こめかみをなでるようにさすってくる。
くすぐったくて、でも……心がほどけていくようで。
「あなた、時々……犬としては優秀なのに、人間としては本当に手間のかかる方ですわ」
そんなことを言いながら、彼女の指は耳の近くへ滑っていく。
そして――ふと、ぴたりと手が止まった。上半身が、ゆっくりと屈んでくる気配。
顔が近づいてくる。何が起こるのか、理解するよりも先に――
ふっ、と。
彼女の吐息が、耳の縁をなぞった。
皮膚が跳ねた。
触れていないのに、心臓が跳ねる。
その直後――
ぬるり。
耳たぶに、舌の温もりが貼りついた。
体が震える。思考が凍る。
そして、そっと――カリ、と。
歯が、軽く、俺の耳たぶを甘噛みする。
音にならない声が、喉の奥で破裂する。
空気が震える。
背筋を駆け上がった何かが、頭の奥で弾ける。
熱が、腰に集まる。
吐息が、耳の内側へ染み込んでくる。
唇が、耳の裏に吸いついてくるたびに、神経が焼かれる。
世界から音が消える。
あるのは、彼女の吐息と、歯の感触と、舌の濡れた動きだけ。
そして――
耳の奥へ、囁き声が落ちてきた。
「わたくしの犬が、こんなにも素直になるだなんて……あぁ、気持ち悪い。ふふ、でも――今日は、愛でてやりたい気分ですの」
耳の奥に、落ちてきた言葉。
頭の芯が、蕩けた。
何かが、完全に崩れた気がした。
彼女は姿勢を戻し、俺の頭をもう一度撫でる。
まるで、褒美のように。
いや、たぶん本当に――それは褒美だった。
けれど、彼女は最後に優しく、こう言った。
「まったく……あなたのような犬を飼っていることが、わたくしの人生最大の黒歴史ですわね」
罵倒だ。
完璧な、罵倒だった。
なのに――俺は今、世界で一番、幸せな犬だった。