婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる   作:こういうのがお好き?

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第30話 今日は、愛でてやりたい気分ですの

 

「――つまり、商業区の再整備によって、物流と交易が活性化する。市場を広げ、周囲の村との物の流れを増やせば、税収の増加にもつながるはずだ」

 

壁に貼った地図を指しながら、俺は提案の説明を終えた。

 

応接室のテーブルには、ルイーゼ、リゼ、そして俺。

 

今日の議題は経済施策――だった、はずだった。

 

「市場だけでなく、職人街も近くに配置したい。加工と流通が一体化すれば効率も上がる」

「で、風紀は?」

 

唐突に、リゼが割り込む。

 

「……風紀?」

「人と物が集まるなら、金も欲も集まります。市場ができれば、自然と“ああいった施設”も現れる。そういう予測はしていますか?」

「娼館……とか?」

「言い方はともかく、実態はそうです」

 

リゼは冷静に頷き、ノートをめくる。

 

「雇用と納税の観点から見れば、娼館は経済に寄与します。ただし、治安や倫理のリスク管理も必要です」

「そして何より問われますのは――領主様、つまりエリオットの風紀意識ですわ」

 

ルイーゼ様が紅茶を置いて、微笑んだ。

 

「……いや、その……」

「快楽の管理を民に委ねるというのは、自身がそれを制御できている者の特権です。あなた、ちゃんとご自分を“管理”できておりますの?」

「ちょっと待って! 俺は別に……」

「ご自身に甘い方が、他人の欲を律することなどできます?」

 

ルイーゼ様が優雅に一歩前へ出た。

その足取りが、軽くも確実に俺を追い詰めていく。

 

「経済が回れば、領民の暮らしも豊かになる。それを俺は……」

「物と金が回れば、ですって?」

 

ルイーゼ様がふっと扇子を広げる。

 

「では、“知恵が回らない者”は、そのままで?」

「自分の脳が止まっていることに、どうしてそこまで寛容なんでしょう」

 

リゼがさらりと続ける。

 

「ちょ、待ってくれってば……!」

「謝るのは早いですね。でも、頭の回転は遅すぎです」

「謝罪は回るのに、思考は停止。便利な構造ですね、あなたの脳」

 

完全に詰められてる。

 

「……市場を、整備するという意味で……」

「本当に、市場だけですの?」

 

ルイーゼ様の視線が、静かに腰元へと落ちた。

その瞬間、冷たい声が追い打ちをかける。

 

「小さいくせに、大口を叩きますね」

「なんだよ、突然!」

「事実の列挙ですが?」

「小さいって……ちょっと待て、何が小さいって言ってんだよ……」

「私が赤面しながら、そちらの話題を出すとでも?」

「わ、悪かったってば……!」

 

リザがぼそっとつぶやく。

 

「小さいのは、エリオット様の男性器と、器と、度量です」

「そこまで言えとは言ってない!!」

 

俺は椅子に沈みかけた。

ただ、すでに魂が抜けかけていた気もする。

 

「……昔は、“許可を出す側”だったんだ。事業では判断を任されて、周囲に指示して、回して……でも今は」

「ええ、今のあなたは、“求める側”」

 

ルイーゼがすっと俺の前に立ち、見下ろす。

 

「自分の欲望すら制御できず、鍵も預けたままの――従順な犬ですもの」

「鍵って……いや、あの、それは……」

「でしたら、吠えてくださいな。躾けた通りに」

 

その声音は、穏やかで、残酷だった。

 

「……ワン」

 

無意識に出た。

心も身体も、もう逆らう余地など残っていなかった。

 

「さて――娼館の導入についてですが」

 

ルイーゼ様が軽く扇子を返す。

 

「“試験的運用”という形も、戦略としてあり得ますわね。たとえば、一匹だけ差し出して、使い物になるかどうか、様子を見る――など」

言葉こそ穏やかだが、視線は冷たかった。

 

「じゃあ、俺がその……試験対象でいいよ。いっそ、最初に笑われる方がマシだろ」

 

沈黙。

 

「言いましたね?」

 

リゼがノートを閉じる。

 

「去勢のご覚悟が整ったようで、感心です」

「そうですね。去勢すれば、性欲くらい管理はできるのではなくて? ようやく犬に“昇格”したというのに、また豚に戻りたがるとは。進化とは儚いものですわね」

「やっぱ取り消し! 今のナシで!!」

「記録は残ります。永遠に」

 

ルイーゼ様は、胸元のペンダントに指を添える。

銀鎖に揺れる、小さな錠前――

その中に、俺の“貞操の鍵”が眠っている。

 

「娼館を許すかどうか、それは戦略ですわ。でもまずは、領主たる者、自らの快楽を律するところから」

「いや……俺は、ちゃんと……」

「鍵は、わたくしが持っております」

 

微笑が浮かぶ。

 

「あなたが何を“管理されている”か、忘れたとは言わせませんわよ?」

「娼館の件、慎重に検討します……」

「その“慎重”が、“先延ばし”にならないといいですね」

 

リゼが静かに言う。

 

「検討と放置は違いますから」

「領主が風紀を語るなら、ご自身の貞操管理が第一でしょう」

「俺、ちゃんと管理されてるってば……鍵、ルイーゼが持ってるし……!」

「……ワン、と鳴かない限り、説得力がありませんわ」

 

ルイーゼ様が、すっと扇子を口元にあてる。

 

俺は、静かにうなだれた。

 

「……ワンッ!」

 

 

★★★★★★★★★★

 

 

午後の静かな空気の中、俺は屋敷の書斎の片隅でうなだれていた。

ソファに体重を預け、天井を仰ぐ、誰にも見られたくないような情けない姿勢。けれど、身体が持ち上がらない。

 

会議ではリゼに論破され、ルイーゼには去勢を宣言され、情けなくも嬉しく思いながら最後は「ワン」と鳴いて締め。

それが、俺の最新の実績。

 

「……何やってんだ、俺……」

 

自分でつぶやいて、誰より先に傷ついた。

 

「――やる気が出ませんの?」

 

その声は、扉を開ける音よりも先に届いた。

ルイーゼ。

 

思わず姿勢を正しそうになって――無理だった。今は、立ち上がる気力がなかった。

 

「エリオットが静かだと、屋敷も落ち着いてよろしいのですけれど……そう長く拗ねられても、わたくし、対応に困りますわ」

 

そう言って彼女は、同じソファの隣に腰を下ろした。

 

いつものように優雅で、いつものように、怖い。

 

「……俺、駄目だったな」

「ふふ。ようやく自己認識を持てましたのね……それで? 何が“駄目”でしたの?」

「……全部」

 

本気で答える気も起きずに、ぼそりと返す。

だが彼女は、そこで笑わなかった。

 

「“全部”などという言葉で済ませるところが、あなたの悪い癖ですわ。あなたの部下が報告書に“全体的にダメ”などと書いていたら、怒りますでしょう?」

「……確かに」

「ええ、ですから、わたくしも今から、あなたの“ダメでない部分”を挙げて差し上げます」

 

え、と顔を上げると、ルイーゼの視線が、正面から俺をとらえていた。

その瞳に、いつもの冷たさはない。

 

「市場の配置には無駄が多かったですけれど、それでも周辺集落との導線を意識していた点は、評価に値しますわ」

「……」

「孤児院の教育改革も、よく堪えて調整なさいました。結果として、孤児たちの識字率は明確に上がっている。これは、事実です」

 

俺の口から、何も出てこなかった。

 

「農村の区画整理――あなたが“非効率では”と先に気づいて改善したこと……あれは、わたくしが口を挟むまでもなく、正しい判断でした」

 

評価されている。

信じられなかった。

俺のやってきたことを、ちゃんと見ていた人がいたなんて。

 

「あなたは――無力でも、愚かでも、それでも手を伸ばす方です。見捨てずに、拾い上げようとする。あのときのわたくしに、そうしてくださったように……ありがとう。拾ってくれて」

 

自然に出た言葉だった。

ルイーゼは、一瞬だけ目を伏せ――それから、ゆっくりと微笑んだ。

 

「……感謝など、今後一切いたしませんけれど?」

 

けれどその声色は、明らかに照れていた。

 

そしてそのまま、彼女はすっと脚を組み替え――

 

「おいでなさい。情けない顔を見ていると、さすがのわたくしも気が滅入りますの」

 

そう言って、膝をぽんと叩いた。

 

冗談じゃないと思った。

けれど、逆らえなかった。

 

俺は静かに身を預け、彼女の膝に頭を置いた。

 

温もりと柔らかさと、うっすらとした香水の匂いが、鼻に届く。

 

以前も何度か膝枕をしてもらった。

でも、あの時よりも、優しい気がする。

 

「……お行儀の悪い頭ですこと」

 

そう言いながらも、指先は優しかった。

前髪を撫で、額をなぞり、こめかみをなでるようにさすってくる。

くすぐったくて、でも……心がほどけていくようで。

 

「あなた、時々……犬としては優秀なのに、人間としては本当に手間のかかる方ですわ」

 

そんなことを言いながら、彼女の指は耳の近くへ滑っていく。

 

そして――ふと、ぴたりと手が止まった。上半身が、ゆっくりと屈んでくる気配。

 

顔が近づいてくる。何が起こるのか、理解するよりも先に――

 

ふっ、と。

彼女の吐息が、耳の縁をなぞった。

皮膚が跳ねた。

触れていないのに、心臓が跳ねる。

その直後――

 

ぬるり。

耳たぶに、舌の温もりが貼りついた。

体が震える。思考が凍る。

 

そして、そっと――カリ、と。

 

歯が、軽く、俺の耳たぶを甘噛みする。

音にならない声が、喉の奥で破裂する。

空気が震える。

背筋を駆け上がった何かが、頭の奥で弾ける。

 

熱が、腰に集まる。

吐息が、耳の内側へ染み込んでくる。

唇が、耳の裏に吸いついてくるたびに、神経が焼かれる。

世界から音が消える。

あるのは、彼女の吐息と、歯の感触と、舌の濡れた動きだけ。

 

そして――

耳の奥へ、囁き声が落ちてきた。

 

「わたくしの犬が、こんなにも素直になるだなんて……あぁ、気持ち悪い。ふふ、でも――今日は、愛でてやりたい気分ですの」

 

耳の奥に、落ちてきた言葉。

頭の芯が、蕩けた。

何かが、完全に崩れた気がした。

 

彼女は姿勢を戻し、俺の頭をもう一度撫でる。

まるで、褒美のように。

いや、たぶん本当に――それは褒美だった。

 

けれど、彼女は最後に優しく、こう言った。

 

「まったく……あなたのような犬を飼っていることが、わたくしの人生最大の黒歴史ですわね」

 

罵倒だ。

完璧な、罵倒だった。

 

なのに――俺は今、世界で一番、幸せな犬だった。

 

 

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