婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる   作:こういうのがお好き?

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第33話 さようならではありません。ですがこれは、明確な区切りですわ

 

屋敷に戻ると、リゼが入口で俺を出迎えた。無表情の中に、どこか含みのある目をしている。

 

「お帰りなさいませ……お嬢様が、応接室でお待ちです。なるべく早く――とのことです」

 

 妙に静かな声だった。

 

 怒ってる? いや、今日に限ってはそれじゃない気がする。嫌な予感が背中を走った。

 

 俺は軽く身なりを整えてから、応接室の扉の前に立つ。ノックを打つ拳が、自分でも分かるくらい固かった。

 

「……入るよ」

 

 扉を開けた瞬間、空気が違っていた。

 

 昼下がりの窓辺。ルイーゼはひとり、紅茶を傍らに置いて座っていた。レース越しの光が彼女の金髪を照らし、そこだけ切り取ればまるで絵画のようだった。

 

 だけど、違うのは“気配”だった。

 

 そこにいたのは、俺の“主”じゃない。侯爵令嬢――ロザリンド家の娘としての、あの人だった。

 

「おかえりなさいませ、エリオット。お疲れでしょうに、急に呼びつけてしまってごめんなさいね」

「……なんか、珍しく優しいな」

「ふふ。そうかもしれませんわね」

 

 ひとつ呼吸を置いて、彼女は言う。

 

「わたくしは、侯爵家に戻ることになりました」

 

 その一言は、まるで宣告のようだった。

 

「父が、わたくしを正式に“ロザリンド家の令嬢”として復帰させる意向を示しましたの。社交界への再登場に向け、準備が始まっています」

 

話すルイーゼの表情に、迷いはない。けれど――どこか、ひどく静かだった。

 

「そして……それに伴って、縁談の話も舞い込みましたの。お相手は、公爵家の次男。とは言っても、年齢はわたくしより二回りほど上、前妻とは死別されております。ご子息もいらっしゃいます」

 

淡々と語られるその言葉に、俺の胸の奥がざらつく。

 

「妾扱いになる可能性も否めませんわ。けれど、形式としては申し分のない家格同士の結びつき。わたくしにとっても――復権の象徴となります」

 

形式――また、形式。

 

その言葉に、思わず脳裏をよぎったのは、ミレーヌのあのときの囁きだった。

 

『契約は紙でできてるけど……絆って、そうじゃないよね』

 

あのときの紅茶の香り。目の前にいた彼女のぬくもり。

“本気で俺を欲しがった”目。

 

今、目の前のルイーゼは、そんなものをすべて――切り離そうとしていた。

 

彼女はペンダントを外し、銀の鍵を取り出す。

 

「こちらを、お返しいたします」

 

手渡されたそれは、俺の“首輪”の鍵だった。

長く、彼女の胸元にあったもの。冗談みたいな話の象徴だ。

 

けれど今、それは何より重い。

 

「あなたを縛る理由は、もうありません……あなたは自由ですわ。わたくしではなく、あなたを“実際に”必要とする方を、お選びなさい」

 

笑顔だった。いつもの、余裕に満ちた微笑み。

 

でも、それがどれだけ“強がり”か、今の俺には分かる気がする。

 

形式に囚われた女。

本音を決して見せない女。

誇り高く、美しく、それでいて、どこか寂しげで――。

 

「あなたには、フィオナが婚約を望んでおります……あの子なりに、真剣ですわ」

「……」

「そして、ミレーヌ嬢の件も承知しています。あなたに好意を寄せているのは、誰の目にも明らかですもの」

「どっちを選んでもいいってこと……?」

「ええ。わたくしは、あなたの選択に干渉しません。もともと、わたくしとあなたの関係は――形式的なものだったでしょう?」

 

その言葉に、胸が鈍く痛む。

 

形式的――それは、たしかにそうだ。

 

でも、そう思い込もうとしていたのは、彼女の方じゃないのか。

 

「領地経営については、引き続き関与します。距離は離れますが、あれはあなたと、わたくしの共同作業でしたから」

 

ルイーゼは、スカートの裾を整え、すっと立ち上がった。

 

「さようならではありません。ですが……これは、明確な区切りですわ」

 

その背中は、気高く、美しくて。

 

でも、あまりにも遠かった。

 

 

扉が閉まり、音を立てて静寂が戻る。

 

俺は、その場に立ち尽くしていた。

 

手の中には、鍵。

 

自由の象徴。解放の証。

 

だけど――どうしてだろう。これほど、苦しいのは。

 

ああ、俺は……

 

――また、首輪をつけてほしかったんだ。

 

もう一度、命じてくれよ。

「座りなさい」って。「伏せなさい」って。

お前に笑われて、罵倒されて、それでようやく――俺は俺でいられたのに。

 

けれど、もう。

その声は、帰ってこない。

 

形式の中で、彼女は生きていく。

 

形式の中で、俺は手放された。

 

……でも、俺が求めていたのは――本当に、それだったか?

 

『契約は紙でできてるけど……絆って、そうじゃないよね』

 

ミレーヌのあの言葉が、今になって胸を打つ。

 

俺は誰を選ぶ?

 

――形式じゃなく、実情を信じてくれる誰かを。

 

誰かを、選べるだけの男になれるのか。

 

その答えはまだ出せなかった。

けれど、確かなことがひとつだけある。

 

今の俺にはもう、首輪も飼い主もいない。

 

犬ですらない、ただの男として――俺は、これから何を守り、誰に跪くべきなのか。

 

静かな応接間の中、ひとりの男の人生が、静かに軋みを上げて動き出していた。

 

 

どれだけ経ったのか分からない。

 

扉も開けられず、ただ俺は応接室の真ん中で立ち尽くしていた。

 

それでも、いつか終わりは来る。

 

軽やかに、けれど遠慮のないノック音が響いた。

 

「……まだ突っ立っているんですか。まるで、主人を失った犬のよう」

 

扉が開くと、そこには当然のようにリゼがいた。

 

「……見てたのか」

「いいえ。聞こえただけです。声が途切れてから十数分、物音一つなかったので……さすがに心配になりました。ええ、“このまま床に伏して鳴き始めるのでは”と」

 

いつもの、冷ややかな声。俺の情けなさに、容赦など微塵もない。

 

でも、その言葉が妙に心地よくて、少しだけ笑ってしまった。

 

「なぁリゼ……俺って、自由になったんだよな?」

「ええ、見事に」

 

彼女はあっさりと頷いた。

 

「お嬢様は、あなたの鍵を手放し、名門との縁談へと歩みを進めました。あなたにはフィオナ様とミレーヌ様、どちらかを選ぶという豪華な未来がございます」

「……でもさ、どこにも命じてくれる人がいないと、どうすりゃいいか分からないんだよ」

「――気持ち悪いです」

「だよな……」

「いえ、想像以上に気持ち悪いです」

 

容赦なかった。

 

けれど、続く声は、少しだけ柔らかかった。

 

「ですが、それは当然です。あなたはずっと、“命じられること”に安心を覚えてきた。自分の意志で道を選ぶことを放棄していた。誰かに支配され、従うことは屈辱ではありますが、楽なことでもあります。なぜなら、自分の頭で考え、自分の頭で決断する必要がありませんから。そんな人間が突然“自由”を手にしても、途方に暮れるのは当然です」

「……」

「しかし、エリオット様」

 

リゼはすっと前に出て、俺の手のひらを見る。

 

「その鍵を手にした時点で、あなたは、何者にもなれるんです」

「……何者にも、なれる?」

「ええ。お嬢様の“犬”でいなくていい。誰かの所有物でいなくていい。あなたは、あなた自身の価値を、これから問われることになります」

「価値、か……」

 

そんなもの、あるのか? 今の俺に。

 

鍵一つ返されて、ぐらついて、情けないくらいに心がぐじゃぐじゃで。

 

でも、そんな俺を、リゼは冷静に見ていた。

 

「エリオット様。あなたはもう、“従うだけの犬”ではいられません」

 

その瞳は真っ直ぐだった。

 

「そろそろ、誰を主として選ぶか、考えるべき時です」

 

その視線に、俺は鍵を握りしめる。

震える手に、ほんの少しだけ力を込めて。

 

 

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