婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる 作:こういうのがお好き?
「――よく来てくださいました、エリオット様」
ロザリンド侯爵家の屋敷、応接間に通された俺。
紅茶の香りと共に、フィオナが微笑む。
その無垢な顔に浮かぶのは、いつもの人懐っこさではない。
どこか、勝者の余裕にも似た気配を漂わせていた。
「本当はお姉さまがここにいてほしかったんですけどね。だって、“手に入れられなかったもの”を見せてあげたかったんですもの」
フィオナはスプーンをひと混ぜすると、それを静かに置き、真っ直ぐこちらを見た。
「……婚約のことか」
「ええ、そうですわ」
その言い切りに、一切のためらいはない。
「私は、望んだものをすべて手に入れてきましたの。可愛いドレスも、美味しいお菓子も、社交界の注目も。だから――エリオット様、あなたも、手に入れます。」
そう言って、彼女はそっと懐から小さなケースを取り出した。
赤いビロード。その中に収められていたのは――ひとつの首輪。
「贈り物ですわ」
俺が反応するより早く、彼女はさらりと続けた。
「これは――エンゲージメントリングという名の、首輪ですの」
「……っ」
「あなたの首に、きっとよく似合いますわ。指には愛を、首には忠誠を。貴族の装いって、そういうものでしょう?」
冗談のような口ぶり。けれど、その瞳は笑っていない。
いや、むしろ――この瞬間のために、ずっと笑っていたようにさえ思えた。
「お母さまが反対するでしょうって? ええ、分かっておりますわ」
フィオナは紅茶に口をつけながら、軽やかに言った。
「でも、どうでもよろしいのです」
「……ロザリンド侯爵家にとって、俺は……釣り合わないはずだ」
悔しいが、この論理でしか反論できない。
「ええ。だからこそ、お姉さまは“傷物”として、王子に婚約を破棄されたあとの縁談を、なんとか繕おうとしている――公爵家との縁談は、家格を戻す最後のチャンス……お母さまが、そう思うのも分かりますわ」
彼女は笑う。
「でも、わたくしはもう家の未来になんて、何ひとつ期待していませんの。政争に敗れたこの家が、これから上がることなんてない。砂の城は、どう飾っても崩れますもの」
「じゃあ、なぜ俺を……」
「簡単ですわ」
フィオナは、真っ直ぐに見据えて言う。
「あなたは、美しいから。顔立ちも、所作も、振る舞いも――でもそれだけじゃない。誰かのために泥をかぶって、平気な顔をして、それでも笑っていられるその心が――何より、美しいのです。不器用で、報われなくて、でも諦めないあなたが、とてもいとおしい。そんな人間が、この世に存在するなら――わたくしが手に入れなくて、誰が手に入れますの?」
その言葉に、俺の胸が強く脈打つ。
「爵位なんて、もはや飾りですわ。誰より美しいものを、誰より先に手に入れる――それこそが、女としての“勝利”ですの。そして今、わたくしにとって最も美しいものは……」
彼女は指輪――否、首輪を見下ろしながら、ゆっくりと視線を上げた。
「あなたですわ、エリオット様」
ごくりと生唾を飲む。
「……ねぇ、エリオット様。椅子、深く腰かけてくださる?」
彼女が立ち上がり、俺の前へと回り込んできた。
「わたくし、こういうの、憧れてたんですの。でも、お姫様抱っこしてもらうのじゃなくて――“お膝の上で、好きなように抱きつく”方。」
そう言ってフィオナは、ふわりとスカートを揺らしながら、俺の膝の上に腰を下ろす。
足を揃えたまま、お嬢様のような優雅な姿勢で。
そして、次の瞬間、俺の首に両腕を回してきた。
「……フィオナ……?」
「ええ、これですわ。この距離。この拘束感。あなたが逃げられないようにして――まるで、飼い犬を可愛がるみたいな気分ですの」
彼女の指が俺の喉元をなぞり、顎を持ち上げ、顔を覗き込む。
「あなた、こういうふうにされるの――嫌いじゃないのでしょう?」
人差し指が、そっと、俺の唇に触れる。
「……言えないなら、仕方ありませんわね。じゃあ代わりに――この指、舐めてくださる? わたくしの犬に、ちゃんとなった印。あなたの舌で、忠誠を示して?」
冗談とは思えないその声音に、全身が凍りつく。
「怖がらなくて大丈夫。犬なんですから、主人の指くらい、舐めて当然でしょう?」
鼓動が高鳴る。
どうしても目を逸らせない。
「……ふふ。本当に舐めようとしましたのね?」
その瞬間、フィオナはスッと指を引いた。
絶妙な距離で――寸止め。
「だめですわよ。そんなに簡単に舐められちゃ、つまらないですもの。せっかく焦らして、飼いならすところだったのに」
フィオナは自分のその指を、今度はちろりと舐めてみせる。
「ほら、ご主人様がしてあげるのと、どちらが良かったかしら?」
満足げに笑いながら、言った。
「残念。あなたは、まだご褒美に値しませんわ。でも、がっかりなさらずに。しっかり“躾けて”差し上げますから――気長に、ね?」
囁くようにそう言い残して、フィオナはにっこりと笑った。
間髪入れず、無機質な音が部屋に響き渡る。
コン、コン――
「……失礼いたします。フィオナ様、御当主様がお呼びです」
扉越しに、使用人の声音が届いた。
「……あら、パパが? タイミングの悪いお方ですこと」
フィオナは俺の首に絡めていた腕を、ゆっくりほどいた。
スカートが揺れ、残った体温が膝に焼きついて離れない。
「このまま続けていたら、きっと声を漏らしていましたわね。そうなれば、あなたのことを“忠実な犬”って認めてあげたのに。残念ですわ」
指先が、首筋から喉元へと這う。
最後にそっと胸元をなぞりながら、彼女は顔だけを振り向いた。
「……今度は、存分に舐めさせてあげますわね?」
艶のある声色とともに、彼女は何事もなかったかのように部屋を後にする。
音もなく、扉が閉まった。
静寂が、痛い。
俺は――ただその場に、放心したまま座り込んでいた。
*
呼吸が浅く、喉が焼けついている。
唇は熱を帯び、頭の芯がじんじんと痺れていた。
「その頬の赤み、唇の湿り、目の焦点の合わなさ……よほど美味しそうなものでも差し出されたんでしょうね? たとえば――指とか」
その声に、肩が跳ねた。
振り返ると、扉の陰から現れたのは――
「……リゼ……」
「はい、私です。まさかとは思いますけど、舐めさせられたり……していませんよね?」
「……っ」
「冗談です。でも、否定できない顔してますよ」
すたすたと歩み寄って、俺の正面に立つ。
「ほんと、情けない顔。お嬢様に罵倒されて悦んで、ミレーヌ様に甘やかされて悶えて、……フィオナ様には弄ばれて……エリオット様って、どこまでいけば満足するんですか? 三人のご令嬢に囲まれて、誰も拒めず、誰も選べず。常に“誰かの犬”になるのがお好きなんですね」
「……違……」
「違いません。しかも、それに気づかないふりをしてるのが、一番タチが悪いです」
「誰の手も取らず、でも誰の手も振り払わない。そんなの、優しさじゃなくて――ただの卑怯です……まったく、お嬢様がああいう性格になられたのは、育ちのせいだけじゃないということになぜ気がつかないのですか……」
「何が関係しているんだ……?」
リゼは軽く息を吐いて続ける。
めずらしく、言葉が熱を持っているようで、普段の冷静なリゼの声とは違ったように聞こえた。
「子どもの頃から“姉としての立場”を求められて、本音も自由に言えず、ずっと我慢を強いられてきたお嬢様が――ようやく“誰かを支配する側”に立てるようになった。それは当然の流れです。でも、その傍らに、フィオナ様のように、思ったことを素直に言って、愛嬌で人を惹きつける妹がいたら……姉として、歪まない方がどうかしてますそしてそこに、エリオット様のような曖昧な優しさが加わったら……それが何を引き起こすか、少しは想像してください――そんな優柔不断なエリオット様には、」
リゼは一歩だけ距離を詰めた。
「……私程度が、ちょうどいいのかもしれませんね」
静寂が落ちた。
けれど、彼女は視線を逸らさず、まっすぐに言いなおした。
「中途半端な場所で吠えてる犬には、中途半端な女でちょうどいいんじゃないですか……まあ。それでも、私は一回くらい――名前を呼んでもらえたら、それでよかったんですけど」
小さく、でも確かに落とされたその言葉に、胸が刺さる。
それが冗談でも、捨て台詞でもないことが、痛いほど伝わってくる。
言葉を紡ごうとした時。
「ロザリンド侯爵夫人が、リッチモンド領の状況に関して、面会をご希望です」
扉が静かに開かれ、気品と威圧感をまとった婦人が姿を現した。
「……屋敷に来られているとお聞きしました。急ですが、お時間、いただけますか?」
リゼは無言で一礼し、背後へと下がる。
俺は、ようやく立ち上がった。
そして――静かに、面会が始まった。