婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる   作:こういうのがお好き?

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第37話 殴られても蹴られても、笑って“もう一度お願いします”と言える。それが、私です

 

ロザリンド侯爵家の応接間。

 

「――報告はルイーゼからも聞いております」

 

重たく静かな声が、帳面をめくる音に重なった。

テーブル越しに座るロザリンド侯爵夫人は、書類から一切目を離さずに言葉を投げてくる。

 

「数字の上では、想定以上の成果……でも、貴方。これを“自分の実力”と錯覚してはいませんでしょうね?」

 

背筋にひやりとしたものが走る。

その声音に、怒気も苛立ちもない。ただ、静かに、心を折る圧があった。

 

「……いいえ。錯覚などしておりません」

 

即答した。けれど喉の奥に、じわりと苦い熱が滲む。

 

前にこの人と会ったときは、まだルイーゼが隣にいてくれた。

彼女の存在が、ほんのわずかでも空気を和らげていたんだと、今さら実感する。

今日の侯爵夫人は、あの時とはまるで違う。

娘のいない場で、完全に“家の人間”として俺を見ている。

 

冷徹な眼差し。

一切の感情を削ぎ落とした声音。

それが、家を守る者の姿なのだろう。

 

「少し成果を上げた程度で、自分を過大評価する若者は多い。貴方が、そうでないことを切に願います」

「……身を引き締めて、努めます」

「言葉だけなら、誰にでも言えますわ」

 

刃のような一言。

それでも、俺はなんとか顔を保つ。

 

リゼに何百回と突き刺された言葉のナイフを思い出せば、まだ耐えられる。

 

夫人は、鋭利な言葉を矢継ぎ早に繰り出す。

 

「貴方の出自についても、すでに調べは終わっています。貧民街の出、運よく貴族に拾われ、多少の教育を受けた“なんちゃって紳士”……そんな貴方が、侯爵家の娘に、ふさわしいと思っているとはまさか、ね?」

「思っておりません」

「まあ、それなら良いのですけれど――犬は、犬らしく吠えずに座っているのが一番ですから」

 

ぐっと拳に力が入った。

言い返したい。でも、今それをすれば即座に切られる。

まだ、その時ではない――。

 

「いくつか、他の土地も任せてみようかと考えています。もちろん、形式上の統括権は我が家にありますが……異論は?」

「ありません」

「忠実で結構。犬は、しつけと餌さえ与えておけば、よく働くものです」

 

やっぱり、この人は――本物だ。

 

この一言一言が、上から押しつけるだけの威圧ではなく、“選別”のための手段だと分かる。

 

ルイーゼの母親として、この国の貴族の一角として、目の前にいる俺を試し、値踏みしている。

けれど俺は、ここで怯んでいる場合じゃない。

 

「……一つ、申し上げても?」

「許可します。仰って?」

「他の土地を立て直すには、ルイーゼ様の力が必要です」

 

空気が変わる。

 

それまで書類から目を離さなかった彼女が、こちらをじっと見た。

 

「――その名をこの場で出すとは、随分と無神経ですね」

 

その一言。

まるで、呼吸ごと凍らされたような感覚。

 

「ルイーゼは、すでに新たな婚約話を受けています。公爵家という上位家門……今さら、貴方のような“名もなき者”が呼び戻せると思って?」

「思っていません。ですが、彼女を必要としている現場が、確かにここにあるのです」

「“必要とされている”ことが、本人の幸せと同義だと? おとぎ話は、サロンの中でどうぞ」

「では、伺います。ロザリンド侯爵家が、公爵家の庇護のもと、ただ従うだけの存在になることが、本当に“娘の幸せ”だと、言い切れますか?」

 

婦人の目が細められた。

葉は返ってこない。

 

その視線を受けながら、俺は思う。

――俺にルイーゼは、ふさわしくなんて、ない。

 

でも、どうしようもなく、彼女を失いたくなかった。

罵倒されても、傷つけられても、あの人が誰より美しいと感じた。

あの笑い方を、手放したくない。

あの、一度だけ見せた泣きそうな瞳を、守りたかった。

 

その想いは、もはや理屈なんかじゃない。

 

「……ほう。犬にしては、歯向かう舌を持っているようですね」

「ええ。噛まれても踏まれても、吠える舌はあります。殴られても蹴られても、笑って“もう一度お願いします”と言える――それが、私です」

「しぶとい性格ですね」

「しぶとさこそ、交渉の本質だと信じています。私は、ドMです。誇れる性格ではないかもしれませんが、それでここまで、誰より多くの契約を通してきました。貧民から爵位を買うまで、多くの困難を乗り越えてきた自負があります」

「ふふ……本当に、面白い」

 

一瞬だけ、彼女の睫毛が伏せられた。

それは、誰にも見せてはならぬ、“母”の顔だったのかもしれない。

 

「ルイーゼのみならず、フィオナまでもがどうして貴方に入れ込んだのか。少し分かった気がします。ルイーゼは今晩、この屋敷を出ます。公爵家のもとへ。話をするなら、それまでに」

「……この屋敷に?」

「さあ。お気に入りの丘にいるかもしれませんね――“犬”の嗅覚で、探してみたらどうです?」

 

それは皮肉であり、試しでもあり――通行許可でもあった。

 

息を吸い、もう一度、夫人の目をまっすぐに見据える。

 

「この土地は広く、復興には人手も資本も要ります。ヴァルガス子爵家の経済支援を取り付けることも可能ですし、私自身も――商会の資本を投じる覚悟があります。そのうえで申し上げます。ロザリンド侯爵家が、公爵家の庇護のもと、ただ従うだけの存在になるのか――それとも、私の商会を後ろ盾にして、自らの意志で力を取り戻すのか。この決断が下されるにあたって、ルイーゼ様のご意向を無視してはいけません」

 

沈黙が流れた。

やがて――

 

「……いいでしょう」

 

その唇が、静かに笑みを浮かべる。

 

「どこまで届くか、見せていただきますわ――“犬”の遠吠えとやらを」

 

ゆっくりと立ち上がる夫人。

その背が、扉の向こうへと消えていく。

 

そして、静かに――扉が閉まった。

 

それはまるで、吠えることを“許された”合図のようだった。

 

飼われるだけの犬なら、いくらでもいる。

 

だが――この声は、俺の意志で吠える声だ。

 

鎖の先に主がいようといまいと、それは変わらない。

 

俺は、立ち上がる。

 

あの丘へ行く。

 

今度こそ――この声で、吠えるために。

 

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