婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる 作:こういうのがお好き?
風が、丘をなでていた。
街が遠く霞み、屋敷の白壁も小さく見える高台。
そこに彼女はいた。
ルイーゼ――俺のすべてを狂わせた女が。
背を向けたまま、こちらを待っていたかのように。
「来ると思っていましたわ」
振り返った彼女は、いつものドレスではなく、外套を羽織っただけの、どこか旅立ちを思わせる姿だった。
「婚約の件、聞いたよ」
「ええ。ママからの伝言、届いているのなら話が早いですわね」
その瞳には、もう迷いはない。
でも、そこに浮かぶ微かな陰り――それが俺に、言葉を告げさせた。
「ルイーゼ……本気なのか?」
「ええ、本気ですわ。わたくし、もう決めましたの」
「どうしてだよ。あんなに自分勝手で、不器用で――人の顔色なんかうかがわない、強くて綺麗な女だったのに……」
「だから、なのですわ」
ルイーゼは、丘の草を一房、そっと摘むように視線を落とした。
「婚約を破棄されたとき、わたくしのせいで実家は立場を悪くしました。それでもママは、わたくしの幸せを優先してくださったのです」
「……」
「でも、今回の話を受ければ、少しでも家の名誉が回復する。家が、そしてママが笑えるなら――それで、いいと思いましたの」
風が止む。
まるで、彼女の言葉の重みに空も耳を澄ませるように。
「……でも、本当にそれだけか?」
「え?」
「ルイーゼ、お前――」
俺は一歩、踏み出した。
「俺を試してただろ? 今も、ここで」
「ふふっ……そう見えます?」
ルイーゼの口元に、悪戯っぽい笑みが浮かんだ。
「立派になったものですわね。以前はチワワだったのが、ポメラニアンくらいにはなったかしら?」
「どっちもちいせぇよ!」
「え、あなた、小さいじゃない。お似合いでしょ?」
その視線が、ふいに俺の下半身へと落ちる。
「……いざという時は大きくなる!」
「へぇ。童貞のくせに、いつどうやったら“大きく”なるのかしら?」
「うるせぇ! なるんだよ、気合で!」
「“気合”で大きくなるなんて……まるで犬ですわね? よしよしって言えば尻尾振って……」
「今だけ、お前の犬やめる。男として、俺、飛びつくから」
風の中、ふとルイーゼの笑みが、ほんの少しだけ揺れた。
「……甘えん坊のくせに、こういうときだけ強がりますのね」
「俺、犬だよ。ルイーゼを拾ったつもりが、逆に拾われて、調教されて、踏まれて、鳴かされて――それでも一度も、逃げたいなんて思わなかった。だから今だけ、牙を向けさせてくれ。男として、言わせてくれよ」
膝をつく。
手を、差し出す。
「ルイーゼ。俺は、お前が好きだ。形式なんて、家格なんて、爵位なんかどうだっていい。あの時のお前に声をかけたのは打算だった。でも、今は違う。俺は――ただ、お前の隣にいたいんだ。もしそういうのが必要だっていうなら、あとからなんとでもする。俺は今まで、そうやって生きてきた……これからも、そうやって生きていく。だから――俺を選んでくれ。俺だけの飼い主でいてくれ」
沈黙が落ちる。
差し出した手に、やわらかな指が、そっと触れる。
ルイーゼの掌が、俺の手の甲をなぞる。
それは、冷たくもなく、熱すぎることもない。
ただ、確かに“選ばれた”という感触だった。
そして――
彼女のもう一方の手が、俺の顎に添えられる。
一瞬だけ。
彼女の睫毛が、風に揺れたように震えた。
その奥に、ごくわずかな“迷い”が見えた気がした。
だが彼女はすぐに、いつもの笑みを浮かべる。
支配する者の、それでいて――許す者の微笑。
そのまま、顎を持ち上げられる。
視線がぶつかる。
拒絶も、憐れみも、ない。
唇が、ふれた。
風が止まった。
時間が止まった。
世界から音が消え、心音だけが残った。
短くなかった。
求めるような熱でも、慈しむような優しさでもない。
ただ真っ直ぐに、“意思”だけが伝わってきた。
あなたはわたくしのもの。
――それだけを伝える、決定的な一撃。
俺の胸の奥が、焼けるように熱かった。
呼吸が苦しい。
あまりに満たされすぎて、泣きそうだった。
唇が、静かに離れる。
彼女は何も言わなかった。
けれど、その目がすべてを物語っていた。
……俺は、選び、同時に、選ばれた。
それが、言葉なんかよりずっと重い“証明”だった。
「その顔、ほんとうに可愛いですわね。まるで、飼い主に褒められた犬のようですわ」
くす、と笑う気配。
だが、その声音には――どこか甘さが混じっていた。
「そんなに嬉しかったのですの? 口では強がっておいて、内心では“撫でてください”って顔に書いてありますわよ?」
「……うるせぇ。ちょっと感動しただけだよ」
「ふふ。いいえ、それでこそ、わたくしの犬ですわ」
そう言って、ルイーゼはすっと腰を引き、少し距離を取り、目だけで、俺を見下ろした。
「――ところで。鍵、返してくださる?」
「えっ……?」
咄嗟に何のことか分からず戸惑う。
だがすぐに思い出す。
あの、肌身離さず持ち歩いていた、小さな銀の鍵。
「そ、それは……」
「契約とは、そういうことでしょう? 小さなあなたが大きくなる時も、快楽の瞬間も、私が決めますわ」
ルイーゼの声が、やわらかく笑っていた。
「わたくしが拾って、飼って、躾けた犬。首輪の鍵を他人に預けたまま、ふらふらするような子犬では困りますもの」
「……返すよ。すぐに。誰にも渡してないし、守ってた。ちゃんと」
「ええ、信じていますわ。でも、貴方から“返したい”と申し出るのが礼儀というものでしょう?」
「…………ルイーゼ。鍵、返すよ。全部――お前に」
「……そう。よろしい。では、その鍵も、心も、すべてわたくしのものですわね」
目が細められる。
ああ、やっぱりこの女は――とんでもなく手強くて、美しい。
「さあ、帰りますわよ。わたくしの犬。今日からまた、貴方の寝床は、わたくしの足元ですわ」
「……」
「お返事は?」
「……ワン」
口から出てしまった。
情けないほど素直に、自然に。
でもそれでいいと思った。
この人の足元なら、俺は何度でも――吠えることができるから。
このタイミングのアクセス数爆増に、何があったのか驚きが隠しきれませんが、お読みいただきありがとうございます!