婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる 作:こういうのがお好き?
玄関の扉が、静かに開いた。
冷たい風とともに現れたのは――濃い紺の髪を一つに結い、無駄のない動作でトランクを転がす少女。
黒のロングブーツと機能的な外套、そして油断のない眼差し。
俺に仕える唯一のメイド、リゼ。
「……ただいま戻りました」
その声に、俺は反射的に立ち上がった。
「……リゼ。帰ったか」
「ええ。まあ、一週間も空けていれば、それなりの変化はあるだろうと思っていましたが……」
玄関先で、彼女の視線が屋敷の内装を舐めるように一巡する。
「まさか、“拾い物”まで増えているとは」
「そ、それは――」
「おや、違いましたか?」
わずかに口角を上げながら、リゼが一歩踏み込む。
「では確認しますが。私の部屋と契約、それにこの屋敷の主従関係は――まだ残っているのですよね?」
言葉こそ穏やかだが、その声音はしっかりと刺してくる。
俺が言葉を詰まらせたそのときだった。
「ご機嫌よう。どなたかしら、この騒がしい物音の主は」
階段の上から、真紅のドレスをまとった悪役令嬢が現れた。
ルイーゼ。優雅で、冷たいその声は、刃よりも鋭い。
リゼは、ルイーゼの姿をひと目見ただけで察した。
完敗だ、と。
礼儀作法、存在感、言葉の圧。どれを取っても、戦う前から勝負はついている。
そして――リゼは迷わなかった。
「申し遅れました。私、この屋敷で使用人を務めております。リゼと申します」
一瞬の沈黙ののち、ルイーゼが微笑む。
「ええ。あなたが、あの犬の世話をしているのですね?」
「はい、お嬢様」
自然だった。まるで昔からそう呼んでいたかのように、リゼは“お嬢様”と口にした。
「察しがいいのね。素直な子は、好きよ」
「強者に仕えることに、ためらいはありません……それに、犬の躾役は、得意ですので」
「ふふ。気に入りましたわ」
ルイーゼはゆるやかにリビングへと向かう。
「エリオット。お風呂は?」
「え? あ、まだ……まだ焚いてます!」
俺がそう答えた瞬間、ルイーゼはわずかに眉をひそめ、ため息をついた。
「わたくしの話ではありませんの……“不潔な犬”の話です」
心臓が止まりかけた。
「さすが、お嬢様。即死の一撃、容赦がありませんね」
すぐにリゼが続ける。
「この様子ですと……この犬はまだ、お嬢様好みの躾は、されていないようですね。放し飼いですか?」
「“わたくし”の犬ですもの。躾は、これからですわ」
「では、まずは言葉を理解させるところから始めるのはいかがでしょう? “座れ”、“伏せ”、“貢げ”など」
その冷静すぎる提案に、ルイーゼが愉しげに笑う。
「どれも似合いそうで、困りますわね」
まだ何も言ってないのに、どんどん話が進んでいく。
俺が口を開こうとすると、リゼがとどめを刺すように言い放った。
「ちなみにエリオット様は、“賢いフリ”はできますが、“賢さ”は持ち合わせておりませんので」
「忠誠心と欲望だけで生きているのですから。実に管理しがいがありますわ」
ルイーゼの頬に、優雅な笑みが浮かぶ。
俺はもう何も言えなかった。
というより、下手に言い返したら“躾強化週間”に突入しそうで、余計なことは一言も喋れない。
ドMモードになってしまう。
リゼが静かに手を合わせた。
「帰ってきて、安心しました――屋敷が以前より“楽園”に近づいていて」
「“犬にとっての”楽園、でしょう?」
「はい。主従の秩序が確立された、正しい世界です」
ルイーゼがくすりと笑い、ティーカップを置いた。
「面白くなりそうですわね――リゼ、これからもよろしくて?」
「はい、お嬢様。喜んで」
そして、二人の視線が揃って俺に向けられる。
まるで、獲物を前にした二匹の捕食者のように。
ああ――
これはもう、逃げられない。
この家は、もはや俺の“居場所”などではない。
俺に残されたのは、せいぜい“犬小屋”だけだ。
「……お帰り、リゼ」
泣きそうになりながら、俺はそう呟いた。
★★★★★
中庭のテラス。
昼下がりの柔らかな陽射しが、石畳に木漏れ日を落としていた。
白いテーブルクロスの上には、淹れたての紅茶と焼き菓子。
そしてその足元で、俺は――ルイーゼの靴を磨いていた。
「……エリオット?」
その声に振り向いた瞬間、俺は凍りついた。
ミレーヌ。
俺の幼馴染で、昔から優しくて、どこか儚げで、何より――
俺のことを真っ直ぐに見てくれていた、唯一の人間。
そんな彼女が、今――
貴族令嬢の足元で、しゃがみ込み、靴を磨く俺の姿を見ていた。
「えっと、その、これは……ッ!!」
慌てて立ち上がろうとしたが、石畳の上でバランスを崩し、膝をついたまま体勢を立て直せなかった。
もう、どう取り繕っても無駄だった。
「……元気そうで、なにより」
にこりと微笑むミレーヌ。
でも、その目の奥に――確かに、戸惑いの色が走る。
そりゃそうだ。
かつての幼馴染が、今や貴族令嬢の足元で、犬のように忠誠を誓っている姿。
誰だってドン引きする。
「ごきげんよう、ミレーヌ様」
テラスの椅子から、ルイーゼがゆるやかに立ち上がる。
完璧な笑み、優雅な所作。
まるでこの異常な光景が“日常”であるかのように。
ミレーヌは、少し笑みを深めながら応じた。
「……ごきげんよう、ルイーゼ様。エリオットとは、もうお暮らしなのですよね」
「ええ。“わたくしの犬”として、忠実に仕えておりますのよ」
ぐさぁっ!
“犬”という単語が、日差しの中でやけにクリアに響いた。
胸に刺さる。いや、刺されて悦ぶ俺の精神構造のほうが問題か。
「いや、そ、その……別に、そういう関係じゃなくて。あくまで、形式上の婚約というか……!」
そのときだった。背後から、氷のように冷えた声が落ちてきた。
「その割には、ガッツリ主従関係を結ばれてますね――“犬”として」
振り向くと、そこに立っていたのは、濃い紺の髪を揺らしながら静かに歩み寄る少女――リゼだった。
端正なメイド服の裾が揺れ、涼しげな目が俺を見下ろしていた。
「……リゼ! いつの間に……」
ルイーゼは小さく笑い、再び椅子に腰を下ろす。
「わたくしの犬が、昔の飼い主候補と再会して、少しばかり盛り上がっていただけですわ」
リゼは一礼し、ミレーヌへと視線を向ける。
「初めまして。私、この屋敷で働いております、リゼと申します」
その完璧な所作に、ミレーヌがわずかに目を見張った。
少し遅れて、柔らかな声が返ってくる。
「……ミレーヌと申します。エリオットの幼馴染で……今日は、様子を見に来ただけで」
「承知しました――ご趣味は、しつけでよろしいですか?」
「い、いえっ!? そんな……私は別にっ……!」
ミレーヌは大慌てで否定したが、耳の赤さが“証拠”となっていた。
リゼは冷静に観察を続ける。
「反応が素直で助かります……第一段階、突破ですね。ようこそこちら側へ」
「……っっっ!」
ミレーヌは何も言い返せず、ただ椅子のひじ掛けを両手で握りしめ、黙り込んだ。
ルイーゼは、そんな彼女を横目に紅茶を一口含む。
「ふふ。楽しくなってきましたわね」
そして、俺はというと――
心の奥で、何かがはじけた。
三人のドS女王に囲まれて、弄ばれる未来が――
現実味を帯びて、そこに迫っていた。