婚約破棄された悪役令嬢を拾って人生勝ち組になろうとしたら、ドS過ぎて逆に飼われてる 作:こういうのがお好き?
屋敷の書斎。
大理石の床に、仄かにミントの香りが漂う。
三人の視線が一点に集中していた。
机の上に並べられた帳簿、納品記録、事業収支表。
沈黙を破ったのは、もちろんルイーゼだった。
「――これ、本当にあなたが管理していたの?」
その言葉のトーンは優雅だったが、音には棘があった。
「は、はいっ……一応、報告はリゼがまとめていて……俺は現場の指揮というか、主に交渉や、雑務を――」
「まあ、つまり。あなたは“現場の犬”だったということですわね。」
「っ……」
「リゼ、訂正して?」
「いえ、合ってます。交渉は全てテンプレで、私が書いたものを彼が読んでました」
「まあ、なんて素直な使用人……拾われておきながら、飼い主の機能を果たしていたなんて、立派ですこと」
「ご、ごめん、ルイーゼ……」
「謝る必要はありませんわ。犬が吠えるのも、生きるのも、主のため。あなたの役目は、最初から“走って戻って、しっぽを振る”だけですものね?」
「……!」
ぶひぃ――
……こぼれた。
あろうことか、口から。
顔が熱くなって、息が詰まる。
この部屋の空気が、すべて俺を見下ろしている。
「出ましたね、鳴き声」
リゼが、ページをめくる手を止めずに言った。
「や、やっ……違、います今のは、反射で――」
「反射で悦ぶなんて、生き物としてだいぶ終わってますわね。でもまあ、調教の進捗としては上々ですわ」
ルイーゼ様は椅子から立ち上がり、机の端に軽く手を置く。
「リゼ、事業構造の再編案、今出せるかしら?」
「はい。こちらに。現行の組織図を入れ替えて、ルイーゼ様がブレーン、私が中核、エリオット様が現場犬という運用で最適化可能です」
「ええ、完璧。ですが、“エリオット様”なんて呼ぶ必要、もうありませんわよ。下の名で十分ですわ。“エリオット”。呼び捨てで、ね」
「了解しました。エリオット……呼びやすいですね。彼のレベルに合っていて」
「……!」
口を開きたかった。
でも、何も言えなかった。
言った瞬間、また“こぼれ”そうで。
「これからは、あなたが“支配する側”に回ることなどありません。あなたは従属して、命令されて、悦ぶことで生きていくのです。わたくしの屋敷において、主は、わたくしひとり」
「……はい」
「もう一度?」
「はい、ルイーゼ様……!」
「ふふ……ずいぶん素直になりましたわね。でも、それでは足りません。あなたの“悦び”が、どれだけ命令に染められているか――証明して見せなさい。言葉で、きちんと。自分の意志で」
俺は、喉を鳴らした。
震える手を膝の上で握って、ただ、絞り出す。
「俺は……ルイーゼ様の命令がないと、もう……悦べません……」
「もう一度」
「ルイーゼ様の命令が……俺の、いちばんの、ご褒美です……」
「結構。なら、次からは黙っていても、鞭を振れば悦んでいただけますわね?」
「は、はいっ……!」
「リゼ、覚えておいて。この犬、“ぶひ”と鳴くのは、仕上がった証ですわ……これからもっと、調教を強化いたしましょう」
「承知しました。吠えさせます」
エリオット。
それが、俺の名前。
でも今や、それは飼い犬の首輪についた名札と同じ意味になった。
部屋を出るルイーゼ様の背に、何も言えずに頭を垂れた。
そしてその後ろに従うリゼが、最後にだけ、小さく口元を緩めた気がした。
“ぶひ”と漏れた一言で、俺はまた、階段をひとつ――下へ降りた。
★★★★★
屋敷の応接間に、柔らかな足音が響く。
入ってきたのは、ミレーヌ――俺の幼馴染だ。
控えめなロングドレスに、上品な微笑み。
柔らかな栗色の髪と、優しげな瞳。
けれど今日は、どこか様子が違った。
「ごきげんよう、エリオット。元気そうで何よりね」
「ミレーヌ……どうして……」
「だって最近、あまり構ってくれないから。それに、あなたが“誰に飼われてるか”確認しに来たの」
その瞬間、扉が音もなく開く。
「確認するまでもないのでは? あなたが触れもしなかったものを、わたくしが“正しく”扱っているだけですわ」
ルイーゼだった。
完璧な立ち居振る舞い。
威厳に満ちたその存在に、ミレーヌは一礼する――が、すぐに目を細めた。
「ルイーゼ様、あなた……随分とこの子を可愛がっていらっしゃるみたいね」
「ええ、当然でしょう? 自分では気づいていなかった悦びを、教えてあげたのですもの。“主がいることの幸福”を」
「……そう。じゃあ、どちらが“ご主人様”にふさわしいか、試してみません?」
あれ? ミレーヌ、雰囲気変わってる……?
ルイーゼも同じように感じたのか、ひとつ眉を上げた。
「いいでしょう。リゼ、判定役をお願い」
「了解です。わたくしの基準は、“より悦ばせたほう”です」
リゼは、静かに背後の壁に寄りかかり、ノートを開いた。
地獄の品評会が、始まった。
「エリオット、そんなにビクビクしないで」
ミレーヌはゆっくり近づいて、しゃがみ込んだ。
手を伸ばし、俺の頭をぽんぽんと撫でる。
「……でも、それだけじゃ足りないんでしょう?」
「えっ……?」
「頭を撫でられるだけじゃ、もう満足できないの? じゃあ、どこを撫でてほしいの? 言ってみて。ちゃんと、自分の口で」
「っ……」
声が出ない。
脳内に火が走る。息が乱れる。
「ねぇ、“躾けられるだけ”じゃなくて、“自分からお願いしたくなる”んでしょう?」
「や、やめ……ミレーヌ、それ以上は……!」
な、なんだこのバブみは……!?
ミレーヌに何があった!?
ぶひ……が、喉の奥で暴れる。
「もういいかしら?」
ルイーゼのヒールが、カツンと音を立てた。
「あなた、随分と“優しく”するのが得意なのね。でも、この犬に必要なのは、甘さではなく“従属”ですわ」
「従属……?」
「そう。この駄犬の悦びは、“命令されることそのもの”にある。たとえ撫でても、舐めても、褒めても……主の命がなければ、価値はゼロ」
ルイーゼは、俺の顎を軽くつかんだ。
「言いなさい。あなたの悦びは、誰の言葉に支配されているの?“ご主人様”は、誰?」
「…………」
「言わないと、鞭で教育し直しますわよ。さあ――悦んで。わたくしの“命令”で。」
ぶひっ――
言ってしまった。
止まらなかった。
反射でも、興奮でもない。
ただ、自然と、喉から溢れた。
「ふふ……」
ルイーゼの笑みは、勝者のそれだった。
「ぶひ、ですって? 最近のあなた、犬ですらありませんわね。“ぶひ”って……豚じゃありませんこと?」
「……!」
「ミレーヌ様。今回はわたくしの勝ちということで、よろしいかしら?」
「……ええ、悔しいけれど、完敗ですわ。でも、エリオットがあんな声出すなんて――ちょっと、可愛く見えちゃったのが悔しいわね」
ミレーヌはゆっくり立ち上がり、名残惜しそうに俺を見た。
そしてリゼに視線を送る。
「審判さん、判定は?」
「……“ぶひ”の時点で“豚”認定です。ルイーゼ様の勝利」
「わかりました。でもいい。次は負けません」
え、次あるの?
ミレーヌは軽く肩をすくめて退出していった。
ルイーゼは、俺の耳元でそっと囁く。
「わたくしの“命令”で悦んだのですもの。もう、“犬”では足りないわよね?」
「……はい、ご主人様……」
「ふふ、いい子。次は、どんな命令にも微笑んで応える“素直な身体”にして差し上げますわ」
それが褒美なのか罰なのかも、もう分からなかった。
ただ、俺は――
“ぶひ”を超えた何かになっていた
*
「さてお嬢様、豚の出荷は本日午後でよろしいでしょうか」
「ええ、構いませんことよ」
リゼは淡々とメモを取りながら、続ける。
「種別は“愛玩用”で処理しておきます。食用には――知性が残りすぎてますから」
「……ぶひっ(ぐすん)」
「鳴いた。はい、反応良好。精神状態はほぼ仕上がりですね。あとは“肉球の再生”くらいでしょうか」
「人間に肉球はないよね!?」
「それ、もう“人間です”って自己申告してる時点で虚偽申請ですけど」
「ふふ……リゼ、しばらくこの子の躾け、代行してみたら?」
「え? 私がですか?」
リゼは一瞬だけ眉を上げたあと、うっすら笑った。
「……では、まず“二足歩行の自粛”から始めましょうか。“ぶひぶひ”言いながら匍匐前進。様になりますよ?」
「ぶひぃぃいぃい……ッ!!」
「すごい、すでに反応が条件反射ですね。これはいけます。※なお、誇りは既に処分済みのようです」
「ええ、とても良い調教進捗ですわ。さすがはわたくしが選んだ犬――いえ、豚ですもの」
「ちなみにこの豚、課税区分はどうします?」
「嗜好品ですわ」
「高級嗜好品として登録。今後の管理は“贅沢品”として扱います」
「ぶひぃぃぃ(それ嬉しいのか……?)」