拓海が目を覚ましたのは翌日のことだった。というのも、どうやら跳んだ直後に何かをされたらしく、意識が飛んでいたからだ。
ここは最終防衛学園であるようだが、どうにも自分の部屋ではないらしい。部屋の調度品や壁の色から見て、この部屋が誰の物であるかは直ぐに分かった。
「(銀崎の部屋か?)」
変なDVDも無ければ、トレーニング機器も無い。銀崎が集めていた動物関連のグッズには、薄っすらと埃が積もっていた。
自らの体を触ってみる。胸は出ているし、股間にあるべき物はない。どうやら、昨日の出来事は全て現実だったらしい。
「(腹減ったな)」
昨日の朝食から何も食べていない。食堂へと向かう為に外へ出ると、怒声が聞こえて来た。
「他所の澄野君を攫って来るなんて、こんなの絶対おかしいよ!」
「だから、何なのよ! これ以上、澄野が居ない生活に堪えられないのよ! 銀崎の奴が余計なことをしなければ……」
あまりの剣幕に拓海が言葉を失っていると、2人は部屋から出て来た彼女の存在に気付いた。すると、大鈴木が直ぐに抱き着いて来た。
「澄野! 起きたんだ! 大丈夫? 怪我はない?」
「いや、その。怪我とかは無いんだけど」
チラリと霧藤に視線を向けようとしたら、グイと大鈴木の方に顔を向けさせられた。
「今、アタシと話しているんだけど? なんで、希の方を見たの? アタシと話すの嫌? 面倒臭い?」
「い、いや。そんなことは思っていないけど」
自分が知っている大鈴木はもう少しカラッとしていたクソ映画好きの少女だったが、この大鈴木は滅茶苦茶ジットリしていた。
「そうよね! 澄野がそんなこと言う訳ないからね。朝食、まだでしょ? カレーを用意してあるから、アタシの部屋に来なさい」
断る理由も無いのでホイホイ付いて行こうとしたら、もう片方の腕が掴まれていた。見れば、今馬と過子が2人掛かりで掴んでいた。
「あ、すいません。澄野先輩は、自分達と一緒に朝食をとる約束していたんで、手ェ放して貰えます?」
「は? アンタらみたいな貧民のバカ舌に付き合わせたら、澄野の味覚がおかしくなるでしょ。いつもみたいに2人でゲロみたいな餌食ってれば?」
明らかに空気が違う。自分が知っている限りでは、特防隊メンバー間では憎まれ口の叩き合いはあれど、ギリギリでラインを守っている感じはあった。
相手のどうしようもない境遇などのパーソナリティに託けた侮蔑は暴言と言う外ない。拓海が大鈴木に詰め寄った。
「大鈴木、言い過ぎだ」
口喧嘩になってでも止める気でいたが、意外なことに大鈴木は言い返すことも無く硬直していた。
「……大鈴木?」
フラフラとした足取りで屋上の手すりを掴み、乗り上げようとしたので拓海は慌てて止めに入った。
「何しようとしてんだよ!?」
「嫌われ……アタシ、嫌われ……」
トマトの被り物の下からたれて来ているのが涙か、鼻水か、泡なのかは分からないが、拓海は身を乗り出そうとしている彼女を全力で引き留め、先程まで黙っていた霧藤も同じ様に必死に止めていた。
「くららちゃん! メンタルヘラったら、もっと困っちゃうから! 今馬君! 過子ちゃんも手伝って!」
「ッチ。どうせ生き返るし、面倒臭いからさっさと死んで欲しいんっすけど」
「ちょうど、被り物のトマトが完熟しちゃうね」
「頼む! 手伝って!!」
今馬も過子も見殺しにする気MAXだったが、拓海からの要請ならば聞いてくれるらしい。その際も大鈴木を直接引き上げるのではなく、拓海に抱き着いていたが。
「先輩、いつに増しても何か良い匂いがしますね!」
「すごーい! やわらかーい!」
言っている場合か!! と叫ぶ暇も無かった。辛うじて、大鈴木の引き上げに成功したが、マスクを脱がしてみれば泡を吹いで失神していた。
ひとまず、大鈴木を部屋に運んで寝かせた後、霧藤の部屋に上げて貰って事情説明を求めた。九十九兄妹が極自然に一緒に居るのが気になったが。
「昨日、雫原さんが連れて帰って来たって聞いた時はビックリしたよ。もう、別のTLに移動して帰って来ないと思ったから」
「その言い方だと、逃げ出す様なことをされていたのか……」
ここのTLの拓海も2周目だったかもしれないが、少なくとも1周目の経験で特防隊メンバーとの間に結ばれた関係がある限りは、見捨てるような真似はしないハズで。つまり、それを上回る何かがあったのだろう。
「自分達と霧藤先輩以外の奴らは、皆イカレているんっす。これは間違いない。もう全員死んで欲しいっす」
「さっきのブスは特に死んで欲しいかな……」
澄野です。最終防衛学園の空気が最悪です……。どうやら、自分がいるTLとは違って、特防隊メンバーは自分と霧藤以外、全員が全員と仲が悪いらしい。
そして、もう一つ。気になることがあった。どうして、自分は自室で寝ていなかったのか。銀崎の部屋で寝ていたのか。
「銀崎の奴は、中庭に監禁されているとか。だよな?」
淡い希望に掛けてみたが、霧藤は苦々しい顔をしていた。一方、今馬はサラッと述べた。
「いや、殺されました。蒼月先輩がカッとなって殺っていましたね。しっかり、異血吸収されていました」
「嘘だろ?」
「本当だよ、私も見たから。そこまでヒートアップしたのは、その一件だけだったけれど……」
他のメンバーは生きていると言うことか。自分が居たTLと違って、このTLはストッパーが無い。好意にせよ、感情にせよ、暴力にせよ歯止めが利かないとなれば、果たして。無事でいられるだろうか。
そんなことを考えていた矢先である。部屋の扉が乱暴に叩かれた。施錠はしてあるが、霧藤と話していたことが知られたら、どうなるかは分からない。皆を手で制して、拓海が出た。凶鳥が居た。
「おぉ! やはり、澄野殿でござったか!」
有無も言わさずにハグをして来た。その際、全身を嗅がれたり、無遠慮に胸を揉まれたりした。もしかして、自分がこのTLの澄野で無いから嫌悪感でも抱かれるかと思ったが、凶鳥は口の端から涎を垂らしていた。
「拙者、胡蝶姉妹のコスを一緒にするのが……」
「なんか、昨日に聞いた気がする!!」
ジャンプ、侍系、2人でやる。と言ったら、どうもこの方向に思考が持って行かれやすいらしい。自分がTSしていることはあまり気にしていないらしい。
「所で。澄野殿、何故。希殿の部屋から?」
「色々と事情を聴いていたんだ。その、凶鳥も事情を知っているんだろ? オレはその。このTLの澄野じゃ……」
「え? 澄野殿でござろう?」
「あ、いや。澄野ではあるけれどさ、ここにいる皆と一緒に過ごした澄野じゃ」
「いや、澄野殿であったら同じでござる」
言葉は通じるが、会話が全く通じていない。彼女の頭が無惨なことになっている。もしかして、澄野ならばどれでも良いんだろうか。
「澄野先輩は今混乱しているんっすよ。アンタみたいな色情魔が来たら、更に混乱しちゃうんで、部屋に戻ってオナニーでもしといたらどうっすか?」
拓海の視線が彼女の左手に向かったのは決して偶然では無かった。音もなく、彼女は鯉口を切っていた。霧藤が目を見開き、過子と今馬が懐に手を入れた所で、拓海は凶鳥をハグしていた。
「ごめんな。今、ちょっと色々と話を聞いているからさ。また、後でな」
「澄野殿、胸が当たっているでござるよ……」
まさか、女子から聞く日が来るとは思っても居なかった。とは言え、この対応は正解だったらしく、張り詰めていた空気が解かれて、凶鳥も矛を収めてくれた。ただ、部屋から出て行くことは無かった。
「澄野君、対応が慣れているよね」
「慣れている訳じゃないけれど……」
現に今も部屋内の緊張感は高まって来ている。先程からアクシデントの連続で、それなりの負担にはなっているし、未だに何も食べられていないのでお腹も減っていた。
「なぁ、食堂から自動で持ってきてくれるドローンとかって」
「そんな便利な物はないよ?」
サラッと霧藤から否定された。自分が食事をする為には、どうしても食堂へと向かわなければならないらしい。
一瞬、霧藤に取って来て貰おうと考えたが、それは彼女が嫉妬の対象になりかねない。ひいては、彼女を危険にさらす行為と言えた。
「また、後で話を聞かせてくれよ。一旦、オレは食堂へ行くから」
「なら、拙者と向かうでござるよ。他の奴が何かして来たら、直ぐに切り捨てる故。そこな2人と一緒に行っても、碌でもない物を食わされるだけでござるからな」
普段、人に悪意を向けることがない凶鳥まで平然と悪態を吐くのは割とショックだった。
「凶鳥はそんなこと言わない」
「へ?」
「凶鳥はな。人のことを悪くなんて言わないし。炭治郎みたいに優しさと気遣いに溢れていないと駄目なんだ」
「ど、どうしたのでござるか。そんな、マキマ殿みたいな」
拓海は賭けた。ジャンプで学んだのは気に入らない敵を打ち倒す暴力や敵意ではないと。炭治郎の様に優しく、緑谷の様に手を差し伸べることが出来て、宮澤熹一の様になんでも受け止められるタフな心を学んでいることに。
「最後に何か混じった様な気がする」
過子が心中を読んで来たかのような発言をしたが、凶鳥も何とも言えない顔をしていた。どうやら、拓海何か言われるのが引っ掛かるらしい。
「う、うむ。そうでござるな。ウム……」
とは言え、マンガのネタを絡めたことがいくばくか緩衝材的な役割を果たしたのか、大鈴木の様な突飛な行動をとることは無く、一旦引いていた。……九十九兄妹に謝る真似はしなかったが。
「なんか。今日の澄野先輩、カッコいい……」
過子から向けられる眼差しがキラキラとした物になっていた。妹の恋愛対象については口うるさい、今馬も同じ様な視線を拓海に向けていた。
「先輩! 一緒に食堂行きましょうよ! さぁ、早く!」
今馬と過子に連れられて、拓海は部屋から出て行った。彼らを見送っていると、霧藤は背後に人の気配を感じた。
「なるほどね。どう殺ら、比留子ちゃんが連れて帰って来た澄野君は、相当揉まれて来たらしいね」
「面影君……」
何時からそこに? という、彼女の疑問を聞くことはなく、彼もまた食堂に足を進めていた。