「希。こっち」
既にイヴァー達を見失ったというのに、飴宮の足取りにはまるで迷いが無かった。辿り着いたのは小さな小屋だった。
中に入る。ベッド、椅子、テーブル位しかなかったが、彼女の全身から噴き出した肉塊が部屋内を這いまわり、霧藤は小さく悲鳴を上げた。
「怠美ちゃん。何しているの?」
「拓海の痕跡がある。そんなに時間は経っていない」
肉塊が体に引っ込むと、彼女の掌には幾つかの髪の毛があった。その中には赤毛の物もある。
「なんでわかったの? 発信機でも付けているとか?」
「勘だよ」
飴宮の言う勘とは偶然やそう言った物ではなく、彼女の中にある超常的な存在による感知能力か何かだろう。時間が経っていないなら幸い。と、霧藤も直ぐに出発しようとした所で止められた。
「怠美ちゃん?」
「と思ったけれど、疲れたから一休みしよう」
思えば。学園で奇襲されたことから始まり、今まで戦い続け、そのまま追跡までしているのだから疲れていない訳がない。霧藤も椅子に腰掛けた。
暫し、2人の間に沈黙が流れる。やはり、間に拓海を挟まないと気まずさを感じてしまう。
「怠美ちゃん。澄野君を取り戻したとして、どうなるのかな」
「お? もう、取り戻した算段で話する? こういう時だから、捕らぬ狸の皮算用でもプラスに考えて行かないとね」
普段はネガティブな彼女が励ましに回っている。と言うことから、事態の重さが伺えた。彼女の優しさをくみ取りながら、続ける。
「学園に連れて帰ったら、それこそ皆の執着心でどうなるか分からない。でも、このまま不在の状態だったら、遠からず特防隊は瓦解する」
「進むも地獄、引くも地獄ってね。別のTLに逃げるにも、そこが安全って決まっている訳じゃないしね」
もしかしたら、別のTLも荒れ果てているかもしれないし、自分達と似たような状況になっているかもしれない。あまりに博打要素が強かった。
「怠美ちゃんはどうするつもり?」
「連れ戻す。……やっぱり、怠美達には拓海がいないとダメなんだよ。1度、壊しちゃっているのにね。希はどうするつもり?」
後悔、自責、諦観。それでも縋らざるを得ない。
かく思っている自分も、彼がいた穏やかな時間を思い出すと、やはり戻って来て欲しい気持ちは強まるばかりだった。
「澄野君に決めて欲しいと思っている。……責任を放り出すみたいだけれど」
「そう言われると厳しいなぁ。希が頼み込めば、もしかしてって思ったけれど」
「これ以上、澄野君を縛りたくはないから」
きっと、お人よしの彼のことだ。誰かが頼み込めばズルズルと残ってくれる気はする。それでは駄目だ。何処に消えた彼にも申し訳が立たない。
そうして、話し込んでいる間に緊張が緩んだのだろうか。眠気が訪れた。そもそも、今は深夜だ。
「希は休んでなよ。怠美が表で見張りをしておくからさ」
バタンと扉を閉めて出て行った。幾ら高揚していたとしても疲れが飛ぶ訳もない。彼女の厚意に感謝しながら、霧藤はベッドに潜り込んだ。
――
【好き好き】TL。廃人化していた【修羅場】TLの拓海を介護し始めてから、数日が経っていた。
主に霧藤とイヴァーが担当し、合間に特防隊メンバーが様子を見に来たり、話し掛けたりしていると、変化は起きた。
「澄野。おはよう」
返事が返って来ないとしても。毎朝かけ続けている言葉だった。イヴァーが檻の中に入り、彼に朝食を食べさせようとした時。聞こえた。
「お、は……よ、う」
「……え?」
彼の顔を見る。無表情の中に、僅かながらの感情が浮かんでいた。声が弱弱しいのは、暫く発声していなかった為だろう。不意に彼女の瞳に涙が浮かんだ。
「うん。おはよう。ねぼすけさん」
だけど、口元は綻んでいた。釣られて、拓海も笑っていた。お互いに忘れていた優しい時間が流れていた。
――
「拓海クンが目を覚ましたって!?」
「行かなきゃ……(使命感)」
今朝の出来事を報告した瞬間。蒼月、銀崎と書いてバカと読む2人が吶喊しそうになったので雫原から力尽くで止められていた。
「アンタらは病み上がりに刺激が強すぎるからNGよ」
「アタイ達がサイワイの箱でどうにかしようと考えている間、イヴァーは愛の力で癒してみせるなんて! やっぱり、本物は違うってことね!」
喪白が感極まっている中、当てつけと受け取ったのか。川奈とヴェシネスがすごい顔をしていた。
「私が偽物ですって?」
「この偉大な姉より優れた妹がいないことを証明してやろう」
「これだからヒロイン(笑)共は」
今馬がたっぷりと溜息を吐いた所で川奈とヴェシネスから脛を蹴られた。残念ながらズボンの下に仕込んでいたレガース程度では役に立たなかった。
「事情聴取の方はイヴァーさんと面影君がするって」
「妥当な人員ね。信頼と実務能力の2人なら色々と聞けるでしょ。にしても、こんなに早く回復するだなんて」
大鈴木も驚いていた。介護を始めてから1週間も経っていないというのに、驚異的な回復力だ。あるいは、それだけ献身的な介護が功を奏したのか。
「どんなことを話しているのかな?」
過子はドアの隙間からチラチラと中を見ていた。彼女達がいるのは中庭に続く扉がある渡り廊下だった。早い話が全員で覗いていた。
――
「澄野君。ゆっくりと話そう。コチラでの生活はどうだったかな?」
極力ストレスを与えない様に、刺激しない様に細心の注意を払いながら面影がカウンセリングを行っていた。
イヴァーも介護の心得はあるが、心療内科に関する覚えは無かったので、彼を頼っていた。
「温かくて、優しい…」
「それは良かった。君が居たいのなら、幾らでもいてくれていい」
これは彼を安心させる意味もあったが、迂遠に元の世界に戻りたいか。と言うことも尋ねていた。拓海の顔が陰る。
「良いのかな」
「良いのよ。ここには拓海を傷付ける物は何も無いから」
と、イヴァーが彼を優しく抱きしめている傍ら、面影はチラリと入口の方を見た。
ドアの隙間から皆がチラチラと覗いている。拓海のプライバシーを傷付けまくっているアホ共がいる。何も見なかった。
「何か欲しい物やしたいことがあるなら言って欲しい。答えられる限りで応えてみせるから」
交渉や遣り取りに応じるだけの意思もあるかと言う確認だ。拓海は少し迷って、やはり彼も入り口側の気配に気づいたのか。視線を送った。
「銀崎に会えるか?」
「「え?」」
イヴァーと面影的にはアレに会いたいのか。と言う、心配あってのことだったが、拓海には別の意味に聞こえたのか。顔が真っ青になり掛けた所で、扉を開けた件の人物が現れた。
「お待たせ!」
胸を張って堂々の入室である。しかも、興奮しているのかTシャツの胸元に乳首が浮き出ていた。これにはイヴァーも面影もドン引きだった。
拓海も最初は何が起きているか分からず言葉を失って、暫くすると震え始めて、やがて声を上げた。
「なんだよ、その乳首。しなびた干し柿かよ。服、ピチピチ過ぎるだろ」
明らかに感情の色があった。安堵、喜色。そして、上手くできていないが笑おうとしている様子が伝わって来た。これには堪らず、皆も入室して来た。
「スミノ!! ようやく、回復したか! 偉大なる私が迎えに来たぞ!」
「お姉ちゃんも皆もはしゃぎすぎ! 澄野も困っているでしょう!」
ヴェシネスを始めとしてやいのやいのしているが、いずれも本気で憎み合ったりしている訳でなく、プロレスめいた様相を繰り広げている。
拓海がこの光景を見て何を思ったのかは言葉には出て来なかったが、笑顔と共に流した涙の意味を知る者は、この場には本人以外には誰もいなかった。