迷い込んだ凶鳥   作:ゲット虚無

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今回は前半が過去話です。


恋の行方

 

 夕焼けが演習場の片隅を金色に染めていた。空は橙から深紅へと移ろい、静かな熱を帯びた風が草を揺らす。その中で、訓練を終えたモビルスーツたちが一機、また一機と格納庫へと収まっていく。

 

 リョウガは演習場の端に設置された古びたベンチに腰を下ろしていた。首筋に流れた汗を手の甲でぬぐい、息を整えると、ふと空を見上げる。

 

「……はぁ……」

 

 そのため息は、肉体的な疲れから来るものではなかった。胸の内に沈殿していた何かが形にならず、思考の底で音もなく揺れていた。

 

「おいおい、なんだよリョウガ。ため息なんかつきやがって」

 

 馴染んだ声が後ろから届いた。振り向かずとも分かる、兜甲児だった。肩にジャケットを引っかけ、演習後とは思えないほどの爽やかな笑顔を浮かべながら、当然のように隣へ腰を下ろしてくる。

 

「さてはまた竜馬さんに“しごかれた”後か?」

 

 リョウガは返答せず、じとりとした目で甲児を睨むように見る。

 

「ん? な、なんだよその目」

 

 頭を押さえて小さくため息をもう一つ。やがて、ぽつりとこぼすように言った。

 

「なぁ、甲児」

 

「ん?」

 

「.......頼むから俺の目の前で、さやかさんとイチャついたり惚気たりすんな」

 

「はぁ!?」

 

 甲児は大げさに肩を仰け反らせ、目を見開いて叫ぶ。

 

「いやっ なんだよいきなり! なんかあったのか!?」

 

 リョウガは一度目を伏せ、それから空を見上げた。赤く染まった雲が、どこか寂しげに流れていく。

 

「……いや、別に。お前や凱さん、カミーユ、ジュドー、シンジ……みんな当然のように、近くにいてくれる人がいるよなぁ....って、ふと思っただけだよ」

 

 その声にはどこか空虚な音があった。笑っているようで、心は笑っていない。

 

「......俺には、いねぇからさ......そういう相手。今は戦いで手一杯ってのもあるけど……そういうのに触れる余裕、気づいたらずっとなかったんだよな」

 

 甲児は沈黙する。その顔には軽口も冗談も浮かんでいなかった。代わりに、そっとリョウガの肩に手を置き、押し込むように言葉を紡ぐ。

 

「……ま、そういうのってさ、タイミングだろ? 作ろうとして作るもんじゃねぇって、俺は思うぜ?」

 

「……言うなよ、それを彼女がいるヤツが言うのはなんか、煽られてる気がしてくる」

 

「なんだよっ!! 俺なりに励ましてるってのに!?」

 

 ふっと笑ったリョウガの表情に、ようやくほんの少しの明るさが戻る。

 

──その数時間後、日課の訓練が始まっていた。

 

 道場の床にリョウガが正座し、道着の前を整えている。夕日が差し込む窓辺には、鋭い目つきの男──流竜馬が立っていた。汗に濡れた髪を無造作にかきあげると、少しだけ口元が緩む。

 

「なぁ、リョウガ」

 

「はい?」

 

 いつもよりも幾分か柔らかい声音だった。竜馬は真っ直ぐな瞳でリョウガを見つめながら、ぽつりと呟く。

 

「俺さ、嫁さんができたんだよ」

 

「……は?」

 

 リョウガは聞き間違いかと思い、思わず眉を跳ね上げる。竜馬の人柄を知っているだけに、冗談とは思えない。

 

「マジですか.....」

 

「応。ウチの道場によく通ってたヤツでな……押しかけ女房ってやつだ。“貴方に一生ついて行く”って言われちまった」

 

 竜馬は照れたように頬をかきながら、どこか誇らしげな顔をする。まるで世界最強の格闘家が、唯一無敵になれなかった相手を語るような。

 

「……はぁ……」

 

 リョウガは何かを噛み締めるように虚空を見上げた。夕焼けはすっかり朱に染まり、影が長く延びている。

 

「どいつもこいつもオランダも……」

 

「ん? なんだ?」

 

「いえ、何でもありません」

 

 立ち上がり、リョウガは一礼。そして、真っ直ぐに竜馬を見据えた。

 

「竜馬さん……組み手、お願いします」

 

 先ほどまでの空虚さは消えていた。その瞳には、羨望と焦燥、そして、自分自身への挑戦が宿っていた。

 

 竜馬はニヤリと笑みを浮かべ、構えを取る。

 

「へへ……いい目になってきたじゃねぇか。かかって来い、リョウガ!!」

 

 拳がぶつかる音が、夕焼けに包まれた道場にこだました。

 

▼▼▼▼▼

 

 ページをめくる音と、ボールペンがノートの上を滑る乾いた音だけが部屋に響く。さっきまでのふざけた空気が嘘のように消えて、室内にはどこか穏やかな静けさが満ちていた。

 

 マチュは参考書の文字に目を落としながら、何度目か分からないため息をつき、ちらりと視線をリョウガに向けた。

 

(……なんか、リョウガって静かにしてるとちゃんと“大人の男の人”っぽいよね)

 

 普段からふざけたり、呆れたり、どこか抜けた感じもするけれど、今目の前にいる彼は確かにいつもとは違って見える。整った姿勢で、少し伏せ気味にノートにペンを走らせている姿が、とても落ち着いていて綺麗だった。

 

 思わずじっと見つめてしまうと、その長い睫毛がゆっくりと瞬きをする。その動きに、胸が少しだけくすぐったくなった。

 

「ねぇ……」

 

 無意識に唇から零れた言葉が静かな空間を揺らす。

 

「ん?」

 

 リョウガはペンを持ったまま、軽く顔を上げて視線をマチュに向けた。予想外に真剣な眼差しを向けられてしまい、マチュは一瞬だけ躊躇したが、もう言葉は口を離れていた。

 

「リョウガってさ……誰かと付き合ったこととか、ある?」

 

 その一瞬で、部屋の中の空気が完全に停止したようだった。時間が固まり、ペン先もノートも、すべてが動きを止めた。

 

 リョウガはまるで質問の意味を理解しようとしているように、一度宙を見つめ、やがてゆっくり眉間に皺を寄せた。

 

 マチュの鼓動が、急速に高まっていくのを自覚する。

 

「えっ...いや、な、なんとなくさ? ほら、その……気になっただけで……!」

 

 慌てて言葉を紡ぎ直すも、すでに顔は熱くなっている。マチュは自分の頬が赤く染まっていることを必死で誤魔化そうとした。

 

 リョウガはしばらく黙ったまま、小さく息を吐いた。

 

「あ~~~」

 

 その呻くような呟きには、明らかな照れが滲んでいる。そして視線を逸らし、どこか諦めたような表情で再び口を開いた。

 

「……0だよ」

 

「えっ?」

 

 聞き返すと、リョウガはゆっくりと顔をこちらに向け直した。あきらかに居心地の悪さを感じているように、唇を小さく噛み締めている。

 

「だから。恋人がいたことなんて、これまで一度もなかったんだって……ほらよ、これで満足かよ」

 

 照れ隠しに口調は少し強めだが、耳元まで赤くなっているのがマチュにも分かる。

 

(ああもう、なんでそんな照れた顔して答えるかな……)

 

 ドキドキと鼓動が耳元でうるさいほど響く。目を合わせるのが急に恥ずかしくなり、無意識に手元のペンを強く握りしめた。

 

「……ふ、ふーん……そっか」

 

 ぎこちなく言ったが、胸はどこか安堵すらしている。

 

(そんな言い方されたら、こっちが逆に恥いじゃん……)

 

 リョウガはそんなマチュの様子を横目で見つつ、小さく舌打ちをして顔を逸らした。

 

「ったく……からかうならもうちょっと優しくしろよな……」

 

 そう小声で呟くリョウガの口元は、でも微かに緩んでいるようだった。

 

 二人の間に流れる空気が、少しだけ変化した気がする。お互い気づかぬふりをしながら、でも確かにそこには、今までなかった特別な何かがあった。

 

 窓を揺らす微かな風の音が、そんな静かな時間に優しく溶け込んでいた。

 

△△△△△

 

 時計の針が、深夜0時を静かに回っていた。

部屋の照明はすでに落とされ、窓にかけたカーテンの隙間から、コロニーの人工星光がぼんやりと差し込んでいる。

淡く青白いその光は、まるで夜の空気そのものが呼吸しているかのような、やさしい静けさをまとっていた。

 

 マチュはベッドの中で、もぞもぞと何度も寝返りを打っていた。

 掛け布団を頭まで被ったかと思えば、顔だけ出して再びゴロン。じっとしていられず、両脚でシーツを押しのけるようにバタつかせる。

 

 脳裏には、さっき聞いたばかりの言葉がリフレインのように繰り返されていた。

 

『……だから恋人がいたことなんて、これまで一度もなかったんだっての』

『“これで満足かよ”』

 

(なんなんだよもう~~~ッ!!)

 

 思わず顔を枕に押し付け、声にならないうめき声を吐き出す。

 身体を縮めるようにうずくまりながら、マチュの胸の中では、自分でも扱いきれない“なにか”がくすぶっていた。

 

(つまり……今はいないってことだよね? 過去にも、誰かとそういう関係になったこともない……)

 

 そして、気づけば――

 

「もしかして……チャンス……ある……?」

 

 ぽつりと、口からこぼれたその言葉。

 それがあまりにストレートすぎて、自分でも驚いてしまう。

 

「~~~ッ!!」

 

 慌てて枕を抱きしめ、顔を深く埋めた。

 頬が熱くて、息も苦しい。心臓がうるさいほど高鳴っていた。

 

(ばっ、ばっかじゃないの……!? なに“ある?”って! なに勝手に期待してんの!?)

 

 思い切り枕をバフバフと叩く。

 しかし、それで気持ちが落ち着くわけもなかった。

 

――あの時の、リョウガの照れた顔。

 

 無理に強がっているような表情。素直じゃない口調。

 けれど、確かにあの一瞬だけは、ふだんとは違う“素の顔”だった。

 

(あんなの……ズルいよ)

 

 真面目で、不器用で、でも優しくて。

 ちょっと頼りないようで、でも大事なところではちゃんと守ってくれる。

 そんな彼のことを、マチュは知っているつもりだった。けれど。

 

(……あんな顔、誰にでも見せてるわけじゃない……よね?)

 

 その問いに答えられないまま、マチュは再び寝返りを打った。

 まぶたを閉じても、その横顔ばかりが瞼の裏に浮かんで離れない。

 

「……はぁ……寝れない……」

 

 小さくため息をつきながら、枕をぎゅっと抱きしめる。

 

 コロニーの静寂が、部屋を柔らかく包み込む。

 

 思春期の夜は、妙に長くて、妙に甘くて――そして、どうしようもなく、静かだった。




ちなみに周りがカップルしかいない中、ボス、ヌケ、ヌチャは彼にとって救いだったそうです。
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