アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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3章は、R15範囲内の描写(血液描写)があります。そちらが大丈夫な方のみ、お進みください。


第13話

授業を終えた蔵馬は、部活を休んで早々に帰宅した。

霊界から戻って、20時間以上。葵の容態がどの程度回復したか、気になっていた。

 

彼女の言葉を思い出しながら、玄関から無言で階段を上る。

魔界以外で肉体を維持するのには、限度があることがわかった。

なるべく早く、無理なく魔界に帰すほうが安全と考え、彼は数日で回復するように治療計画を組んでいた。

 

 

部屋の前に立つと、扉越しに彼女の気配が微かに感じられた。

静かな呼吸音からは、まだ眠っているようだった。

 

音もなくドアを開け、そっと部屋に入る。

そこには、自分のベッドに静かに横たわる葵の姿があった。

まだ少し呼吸は浅いものの、昨夜に比べて明らかに規則正しい音だった。

 

(これでもう大丈夫だな)

 

胸の奥が、ふっと和らいだ。

 

首を絞められた傷の内出血は、包帯で覆った範囲を超えて拡大していた。

新たな出血ではなく、生理的に時間を追って表面化するものだった。

それでも、顎から鎖骨の近くまで青紫色に変色している様子が、痛々しかった。

まるで薄墨を垂らしたように広がる色に、蔵馬は無意識に目を細めた。

 

視線を移すと、ピッチャーの中身が半分に減っていることを確認した。

それは、水が飲めるところまで回復した証。

薬を煎じて、体内から治療する手筈はこれで整った。

 

鞄を机において、中身の整理をする。

明日までの課題を手早くすませて一息ついていると、蔵馬は右側から視線を感じて、そちらを向いた。

目が合った瞬間、穏やかな表情になった自分に気づく。

 

「…おかえりなさい」

 

ベッドの上から、葵の細い声が聞こえた。

まだ少しかすれていたが、その響きには、昨日無かった柔らかさが宿っていた。

 

横になりながら彼を見上げる双眸は、少し伏し目がちで、目覚めた直後の余韻を残していた。

頬の腫れはまだ残るものの、いつもの優しい表情の葵だった。

 

「…起こしてしまったかな」

 

蔵馬は声を落とし、そっと歩み寄った。

気遣うように彼女を見つめるその目には、隠しきれない安堵がにじんでいた。

 

彼女はゆっくりと、上半身を起こした。

肩からさらりとこぼれた髪が、陽に透けて柔らかく揺れる。

その姿は、痛みの中にありながらも、楚々とした美しさと儚さを同時に感じさせた。

 

彼は、空気が微かに震えた気がした。

 

「だいぶ回復したわ。あなたのおかげよ」

 

その言葉に、蔵馬はわずかに目を細めた。

 

「オレの予想より、良くなっているようだね」

 

返答の代わりに、葵は微笑んだ。そして白いローテーブルに視線を移した。

彼もそれを追った。

 

「花、置いてくれてありがとう。妖気が回復したわ」

 

「サイネリアといって、冬でも育つんだ」

 

「可憐な花ね…。でも、芯が強い」

 

彼女の背中側から西日が入り、花びらと葵の顔を夕焼け色に染める。

朝に比べて、葵からは妖気を感じ取れるようになった。

彼の予測では、もう一日養生すれば魔界に戻れるほど回復する。

 

(あらかじめ念を押さないと、明日朝にでも魔界に戻ると言いだしかねないな)

 

彼女は、自分の体の状態に対してやや無頓着だから。

 

「もう一日、休んでいったらいいよ」

 

「家族もいるんでしょう?」

 

「そこは心配しなくて大丈夫だ。工夫してある」

 

蔵馬は軽く微笑んだ。

決して心配や遠慮を煽らぬよう、淡々と、確信をもって。

 

「…あなたの寝床を占領していることに、気が引けるの」

 

「オレは別の部屋で休むから大丈夫だよ。今の妖力じゃ、亜空間の移動も円滑にいかないんじゃないか?」

 

彼の言葉は、冷静で的確だった。

それは理屈ではなく、彼女を守るための最も穏やかな説得だった。

この脆弱な状態で外に出れば、人間界や魔界で、ほかの妖怪の格好の餌食になる可能性が高い。

 

葵は力のない瞳で、まっすぐ彼を見つめた。

誠意ある真摯な眼差しが、彼女を迎える。言葉を介さなくても、彼の想いは伝わった。

彼女はふっと小さく笑った。

 

「主治医の言うことに、従います」

 

(言って正解だったな)

 

葵を守るという想いは、自分が戦うよりもずっと繊細だった。

言葉の裏や、言葉のない領域にまで気を配る。

それでも、彼女が笑ってくれたことが、何よりの答えだった。

 

 

一つ安心したのも束の間、蔵馬はあることに気づいた。

 

「…ちょっと、失礼するよ」

 

その声は、ほんのわずかに息を含ませながら紡がれ、柔らかく、慎重な音だった。

蔵馬の手が、そっと葵の額に触れたとき、指先から静かな熱が、心の奥にまで届いたような気がした。

 

比べるまでもなく、明らかに高い体温。しかし彼は、すぐに言葉にはしなかった。

葵の体質を思い出していたからだ。

生まれて間もない彼女は、寒さの自覚が乏しく、真冬にコートを着ずに過ごしていたのだった。

外気温の感覚だけでなく、体の感覚全般がまだ未発達のようだった。

 

「……やっぱり、熱があるね」

 

「…この体が少し熱いのは、発熱なの?私、初めて経験するわ」

 

葵の問いかけは、昨夜のようにどこか他人事で、それがまた蔵馬の胸に静かな波紋を広げた。

手のひらに感じる熱からして、間違いなく38度は超えている。

 

「あれだけの傷だ。昨日の今日で、生理的に出てもおかしくない。今はゆっくり休んだらいいよ」

 

顔が赤いと感じていたのは、夕日のせいではなかった。

蔵馬は、自分の無意識を少しだけ悔いた。

 

ちょうど薬を煎じるところだった。

傷の回復と貧血、発熱に対応した薬草を準備しようと、棚を開けた。

 

「何か食べれそう?」

 

「きっと…今は体が受け付けないわ」

 

腹部を強打された影響で、消化機能が衰えていた。

葵はゆっくりと息を吐きながら、時々こみ上げる出血混じりの唾液のことを、小さく付け加えた。

 

(腹部のダメージも強そうだな…)

 

「それじゃあ、胃に負担の少ない薬を用意するよ」

 

蔵馬は机の前に座ると、道具を並べ、薬草を手に取る。

その動きは正確で、美しいまでに無駄がなかった。

配合しながら、空で計算をしているようにも見える。

 

葵はベッドに体を横たえると、右側を向いて蔵馬の様子を静かに眺めていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

(頂きすぎるほど、良くしてもらってるわね)

 

一年前に、まさかこんな未来が来るとは予想していなかった。

出逢った時、彼の心は他者を寄せ付けない印象があった。

それが今はどうだろう。

彼の方から手を差し伸べるように、心の距離が縮まってきている。

 

(不思議な縁ね…)

 

少しぼんやりとする中、葵の意識は彼と出逢った冬を思い出していた。

短髪だった蔵馬と、今の蔵馬が重なって二重に見える。

 

 

「そんなに見つめられると、配合を間違えそうだよ?」

 

再び感じた右側からの視線に、蔵馬は横を向いた。

もちろん、この男が配合を間違えるようなことをするはずがない。

しかし、敢えてその言葉を使うのには、深い真意がいくつもある。

 

きっと、彼女はそれに気づかないだろう。

彼は、それでもかまわない。

 

「蔵馬の有能さに、見惚れていたの」

 

「……そんなに有能でもないさ」

 

いつもと雰囲気が違う葵に、少し戸惑っている自分に気づいた。

 

発熱のため上気した顔、やや虚ろな瞳。

安心して事態を任せている彼女は、とても無防備で、自分を信頼しきっている。

そしていつも以上に柔らかく、どこか頼りなさげに感じた。

もちろん、それを表面上に出さず、何食わぬ顔でいるのが彼らしい。

 

しばらくして、薬ができあがった頃には、葵は静かに眠っていた。

昨日のような苦しい顔ではなく、穏やかな寝息が聞こえている。

 

「……。」

 

起きて、薬を飲んでほしいところだが。

 

(もう少しだけ、このままでいてもいいだろう)

 

心の奥に生まれた、説明のつかない感情。それが蔵馬を椅子に留まらせていた。

決して乱れないように見える冷静沈着の心に、静かに、ゆっくりと、波紋が広がっていた。

 

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

蔵馬の薬のおかげで、葵は深夜近くまで眠っていた。

暗がりの中、様子を見にそっと部屋に入ると、彼女は起きていた。

 

部屋の中は月明かりに照らされ、静寂に包まれている。

窓の外には、澄んだ夜空に、何かが生まれる気配がする満月が浮かんでいた。

その光は、昨日よりもはっきりと彼女の輪郭を映し出していた。

 

「熱はどう?」

 

ベッドの上で体を起こしていた葵は、ゆっくりと顔を向けた。

 

「少し下がったみたい。楽になったわ」

 

先ほどより彼女の表情はよく、呼吸も安定している。瞳にいつもの光が戻ってきた。

薬の効果で、深く休めたようだった。

 

「この水、日中に飲んだものと違う?」

 

そう言って、彼女は水を飲み干したグラスを見つめた。

 

「ああ。薬効の高い香草を入れておいたんだ」

 

花から生まれた彼女の体質と、相性が良さそうなものを考えた。

水に溶けた成分だけでなく、香りから彼女の妖気を整えることができるだろう。

抜け目がないだけでなく、蔵馬は配慮深かった。

 

「いい香り。美味しい」

 

その声には、心からの安堵と、どこか嬉しさが含まれていた。

自分のしたことに対して、素直な反応が返り、蔵馬は目を細めた。

 

「なんだか、至れり尽くせりでいいのかしら?」

 

「オレがしたくてやってるんだ。遠慮することはない。隣の部屋で休んでいるから、夜中でも何かあれば言うといい」

 

「それじゃあ、一つ」

 

葵はゆっくりとベッドに横になって、蔵馬を見上げた。

予想外に、柔らかくまた反応が返ってきた。

彼は静かに言葉を待った。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「…眠るまで、少し話したいの」

 

「疲れないかい?」

 

「ほんの少しの間だけ」

 

幾千の経験と知識を持つ彼でも、想像の域を超える申し出だった。

何かを求められるのは、思っていた以上に嬉しいことなのかもしれない。

それが何気ない会話でも、そこに自分を必要とする気配があるなら、尚更に。

 

蔵馬は少し驚きつつも、その願いを受け取った。

 

「…わかったよ」

 

葵はありがとうと笑った。

彼も、彼女に聞きたいことが色々とあったところだ。ベッドの横に腰を下ろすと、目線の高さが同じになった。

花のようなほのかに甘く柔らかい香りが強くなり、彼の心臓が一瞬反応した。

 

 

『蔵馬の植物を扱う能力って、生まれた時からあったの?』

 

『いや、妖狐になってからだよ』

 

『それから強くなった?』

 

『どうだろうな。ただ盗賊をやっていて、必然的に強くなっていた。魔界では、強さこそが全てだからな』

 

『私も、もう少し強くなれるかしら?』

 

『君はまだ生まれたばかりだから、未知の可能性を秘めている。努力次第で強くなれるさ』

 

『良かったわ』

 

『葵は、強くなりたいんだね』

 

『自分の能力的に、戦い向きじゃないことはわかるの。だから、できる範囲で、もう少し身を守れる力をつけたいわ』

 

『そうだな。オレもその方が安心だ』

 

『心配してたの?』

 

『今回のことがあったから、尚更だな』

 

『そう。ありがとう』

 

『この1年で、能力や体質に変化はあった?』

 

『前より体力が増えたのと、治癒もできるようになったわ。体質的なことは…、相変わらず感覚は鈍いのかしら?』

 

『うん……。そうかもしれない』

 

『これは、改善するの?』

 

『時間が解決するか…君の元々の体質や、気質かもしれないね』

 

『…蔵馬、今思い出し笑いしてるでしょ?』

 

『……そんなことないよ。そういえば気になっていたんだけど、葵は魔界でどうやって生活していたんだ?』

 

『私、占断ができるの。それで稼いで生活しているわ』

 

『それは知らなかったな。オレもみてもらおうかな』

 

『あなたには必要なさそうに見えるわ。でも、もしみるなら、現在、過去、未来のどれを見たい?』

 

『現在だ』

 

『…今のあなたは、あなたらしく深く生きているから、そのまま信じた道を生きて大丈夫よ』

 

『…そうか。そいつは心強いな』

 

『……やっぱり、蔵馬と話すの楽しいわ…』

 

 

彼の声は柔らかく、守られているような安心感があった。

彼女の口唇が、ゆっくりと微笑みにほどけていく。花色のまつ毛がゆっくりと瞬きを繰り返す。

それは、夜に咲く一輪の花のように静かで、美しかった。

その言葉を最後に、葵の瞼は閉じたままになった。

 

 

蔵馬は、花が静かに眠るような柔らかい寝顔をしばらく眺めていた。

同じ目線で交わす会話は、どこか夢のように静かで、心地よい時間だった。

この一刹那が、悠久の時のように感じた。

 

離れがたい、もう少し側にいたい。そんな素直な感情が、胸の奥から湧き上がる。

こんな気持ちになったのは、初めてだった。

 

 




AI画像では、湿布が反映されにくいようです。画像作成は奥深いです。
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