アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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3章は、R15範囲内の描写(血液描写)があります。そちらが大丈夫な方のみ、お進みください。


『頼ってほしい』と『信頼している』の距離

翌朝、5時半。

蔵馬はふと目を開けた。静まり返った家の中、隣室にかすかな気配を感じる。

布団の中で耳を澄ませば、やわらかな足音が床を鳴らす音が聞こえた。

起きて自室のドアの前に立つと、中から小さく声がかかった。

 

「蔵馬。ちょうどよかったわ。聞きたいことがあるの。入って」

 

葵の声のかすれが無くなり、張りも出てきた。体がだいぶ回復してきている証だった。

彼は静かにドアを開けた。

部屋に差し込む朝の光が、白く清らかに空間を照らしていた。

 

「早いね。昨日はよく眠れた……?」

 

言い終わる前に、蔵馬の動きがほんの一瞬止まった。そして静かに鼓動が速まった。

 

ベッドの端に座っていた葵が振り向いた。その姿に、目が自然と引き寄せられたのだ。

男物のパジャマの上着だけを羽織り、裾からすらりと伸びた膝下の素足が、朝の光に透けるように白く浮かんで見えた。

露出はそこそこだったが、そこに宿る無防備さと、彼女の飾らない自然体が、逆に彼の心にそっと波紋を広げた。

 

(全部脱いでなくてよかった…)

 

そう思ってしまった自分を、心のどこかで笑う。

おかげで足の傷が塞がっていることが確認できて、とりあえず手間は省けたとしよう。

 

彼を真っ直ぐに見る葵の瞳は、まるで昨日の発熱などなかったかのように澄んでいて、無邪気なほどにまっすぐだった。

蔵馬はその透明なまなざしを受け止めながらも、内心で冷静さを保つ。

 

「おはよう。今着替えるところで、あなたから借りていた服をどこに置いたらいいかしら?」

 

(どうして、こうも無防備なんだ…)

 

けれど、それを責める気持ちはまるで湧かなかった。

葵だからあり得るし、しょうがない。

その一瞬の動揺を表に出すことなく、蔵馬はごく自然に歩み寄る。

 

「……葵。とりあえずストップ」

 

静かにしかし確実に、上着にも手をかけていた彼女の腕を、彼はそっと制した。

 

これは、治療として触れた体とは違う。

ましてや、そういう「意味」を持たせてはいけない。人間として生きてきた倫理観がそれを止めた。心の奥から、言葉にならない線引きが浮かんでくる。

 

予想はしていた。

花も恥じらうような微笑みをする葵は、やはり恥ずかしいという概念が薄い。

しかしどうしてこのタイミングで、それに気づくことになるのか。

 

 

「どうしたの?」

 

それはこっちの台詞だ。

そう思いながらも、蔵馬は冷静さを保ち続けた。

彼女は全く悪気がなく、彼の理性を試してくる。

おまけに葵が着ているのは、自分のもので、それさえも絶妙なスパイスとして、今を演出している。

この試練は、いきなりハードモードだった。

 

彼女の瞳は、どこまでも透明で、無邪気で、真っ直ぐだった。

その絶対的信頼の眼差しに、逃げ場を失ったような気持ちになる。

 

「……着替えるなら、お湯で体を拭いたらいいよ。準備してくるから、とりあえずこのまま5分ほど待っててくれ。着替えは……持ってるみたいだね」

 

ベッドの上に畳まれた浴衣が見えた。

蔵馬は手近にあった自分の服を取り、「風邪ひかないように」と、さりげなく彼女の膝の上にかけた。

 

葵は彼の提案に納得して、上着を脱ごうとしていた手を下ろした。

 

「気が利いて助かるわ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

その微笑みをわずかな時間だけ受け取って、何事もなかったように部屋を出た。

静かに一歩一歩、階段を下りる。まるで足元に注意を払うように、ゆっくりと。

 

 

1階でお湯とタオルを準備しながら、蔵馬は口元に手を当てた。

思わず、こみ上げてきた笑いをかみ殺す。

 

(どうして……突然、子供のようになるんだっ)

 

それでいて、嫌じゃない。

むしろ、自分の奥深くにある、誰にも触れられなかった場所に、そっと手を差し伸べられたような、懐かしい温かさがあった。

 

たまに垣間見せる、葵の子供のような顔。その素の一瞬が、どうしようもなく心に刺さる。

今この瞬間すらも、彼女に試されている気がする。

 

それを試練と感じることすら、どこか面白いと感じている自分がいる。

それは、蔵馬にとって、最も抗いがたいものかもしれなかった。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

葵は洗面器の中の湯にタオルをつけて、まだ力が入らない手で軽く絞った。

そして包帯と湿布で覆われていない皮膚の汗や出血を丁寧に拭った。

傷の確認をすると、腫れはほぼ引いて7割が治癒していた。

 

出血が付着したシーツ類やパジャマは洗濯して返すと言うと、「まとめて洗うから大丈夫だよ」と蔵馬が全て持って行ってしまった。そして手際よく新しい寝具をセットした。

どこまでもスマートで有能だった。

 

「もう熱は大丈夫そうだね」

 

「ええ。一晩でかなり楽になったわ」

 

葵は薄い灰色の浴衣に着替えていた。

先ほどまで着ていたゆとりのあるパジャマに対して、浴衣は彼女の細くなった体の線を際立たせる。健康なときなら、美しいと思えただろう。

しかし今は、体のダメージのため、痩せた輪郭がただ痛々しく見える。

 

「まだ油断は禁物だから、もう一日休んでいくように」

 

「はい」

 

一番負傷の程度が重かった首元の包帯と薬草を交換しようと、蔵馬は準備していた。

必要な物品をローテーブルに置くと、彼女が座るベッドの横に彼も腰を下ろした。

 

「葵。首、見せてもらってもいいかな?」

 

「?」

 

「嫌だったら、言ってくれてかまわない。結構傷が深かったから」

 

彼は慎重に言葉を選んでいた。

首を執拗に責められたような跡があり、恐怖による心の傷になっていないかと、なるべく触れないようにしていた。

葵は一瞬だけ考え、そして肩の力を抜いた。

 

「大丈夫よ。神経は図太い方なの」

 

そう言いながら、彼が観察しやすいように、髪を片手で持ち上げた。

 

「……そうか」

 

蔵馬はそっと彼女の首元に手を運ぶと、包帯を外していった。

紫色の内出血は残るものの範囲は縮小して、傷はほぼ塞がっていた。

ただ、力任せに食い込ませた爪痕が深く、鋭く肌に刻まれていて、彼を何とも言えない気持ちにさせた。

 

他の傷の箇所よりも痛々しく感じるのは、顔の近くだからだろうか。

一瞬触れるのに躊躇した自分がいた。

 

(こんなにも…細い首だったんだな……)

 

すりつぶした薬草をガーゼに置いて、傷口へとゆっくり当てる。

その瞬間、葵が小さく息をついた。

 

「清涼感があって、気持ちがいいわ」

 

「まだ少し腫れているから、あまり動かさない方が早く治るよ」

 

「わかったわ」

 

首に、ゆっくりと包帯を巻いていく。

指に伝わるのは、透けるような肌の質感。触れれば壊れそうなほどの繊細な温度だった。

蔵馬は小さく呟いた。

 

「……少し、痩せたかな」

 

髪を上げたことにより、目立つ首筋の血管や鎖骨の浮き具合、目のくぼみ、こけた頬。

それらが、改めて彼女が受けた身体的、精神的ダメージを物語っていた。

 

彼の言葉は、彼女を見て気づいた変化だけでなく、守りきれなかった自分への悔しさのようでもあった。

 

「生きてるから、大丈夫よ」

 

「……。」

 

葵は淡々と言った。

確かにそういう状況なのはわかるが、彼の中では何かが腑に落ちなかった。

もう少し、自分の命の危機を感じた言動があってもいいはずだ。

生き急いでいるわけではないが、どこか諦めているような、他人事と捉えているように見える。

 

蔵馬は、心の中のどこかはっきりとしない想いを言葉に表した。

 

「……もう少し、オレを頼ってくれていいから」

 

「私は、あなたをとても信頼しているわよ?」

 

 

 

だが、それでは伝わらなかった。信頼と、寄りかかることは、似ているようで違うのだ。

蔵馬はそっと視線を落とし、言葉を探すように一拍置いた。

 

「……オレの言い方が足りなかったな。特別な用事がなくても、来てくれていいよ。もっと…気軽に」

 

その一言に、彼女は少し首を傾げて、目を細めた。

 

「まるで、本当の同級生みたいね」

 

目の前の彼女が何気なく添えた一言に、蔵馬の手が一瞬止まった。

その言葉の裏にある「線引き」のようなものを、確かに感じ取った。

心にさざ波が立った。

 

(そうか……。そういうことだったのか)

 

蔵馬は静かに、至近距離にある葵をその深い瞳に映した。

もしかしたら、自分が思っている以上に、彼女は心の距離を詰めないようにしているのかもしれない。

自分の生活を邪魔しないという宣言を、律儀に守っているのか、ただ心理的距離を保つ傾向にあるのか。

 

そのことを、いま指摘する必要はない。

しかし、そんな葵だからこそ、もう少し自分を頼ってほしいという気持ちが、更に強く芽吹いた。

 

蔵馬は言葉と、言葉にならない領域に想いを込めた。

 

「葵は…しっかりしてるけど、妖怪にしては華奢なところがあるから、心配なんだ。特に、今回のことでそう感じた。オレは……君がベラドンナをもって霊界に行くことを、未然に防げなかった。それを後悔している……」

 

わずかに息を混ぜながら生まれた彼の声。

内に秘める想いが、静かな抑揚を伴って、繊細に響く。

 

物分かりのいい葵は、少し目を見開き、そして静かに頷いた。

 

「…そうね。確かに、今回はあなたにたくさん助けられた。これからは、もう少し気をつけるわ」

 

(今は……、これでいい)

 

きっと、「頼ってほしい、甘えてほしい」と言っても、彼女はまだその本当の意味がわからないから。

焦らずに、ゆっくりと。彼女の心が少しずつ、安らげる場所になっていけたらいい。

彼はそう思いながら、そっと最後の包帯の端を留めた。

 

「……。」

 

蔵馬の優しい指先が離れていくとき、葵は少しぽっかりと、何かが空いたような感覚になった。

膝に置いていた指先が、わずかに揺れた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

片づけを始めながら、「今日も大人しく寝てるんだよ」と彼が伝えた時だった。

 

「蔵馬」

 

クリアな声が、朝の部屋にすっと響いた。

たちまち、空気が澄んで開けるようだった。

 

「?」

 

「大人しく寝ているから、何か読むものはあるかしら?」

 

一瞬、彼の時間がまた止まった。それは、ほんの小さな変化。

でも蔵馬にとっては確かな手応えだった。

 

これほど早く、反応が返ってくるとは思っていなかった。

蔵馬は小さく笑うと、立ち上がって机の左側にある本棚に移動した。

 

「ここにあるもの、自由に読んだらいいよ」

 

こういう小さな反応が嬉しかった。

ささやかな一歩。だけど、それは確かに「前に進んだ」証だった。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

おまけ♢

 

後日、蔵馬は霊界にきていた。あの夜から数日。

葵の体調は落ち着いたが、彼の心にはまだ引っかかる棘が残っていた。

 

「枉鵬の件じゃがな」

 

コエンマによると、枉鵬は元霊界特防隊で、何十年も前に、人格不適任とされ降格になっていた。

もちろん蔵馬は、枉鵬が元霊界特防隊だと知っていた。

霊界特防隊は、通称ハンターという名前で通っている。

彼が人間になった理由は、このハンターに襲われ深手を負ったからだった。

 

枉鵬とは、昔の自分と多少の因縁があった。それに葵を間接的に巻き込むような形になったことが、蔵馬の中に後悔という名の鈍い痛みを灯していた。

 

「研究棟の隠し部屋にあったベラドンナは、回収して処分した。その後の被害の拡大はない。その用途は不明のまま、奴は留置していた部屋で死んでいた。状況から見て自殺とされているが、どうも腑に落ちぬ点が多い。外傷はないが……奇妙だった」

 

「…そうですか」

 

「ところで、葵はどこで静養しておる?」

 

蔵馬は、少し間を置いてから答えた。

 

「もう魔界に戻りましたよ」

 

「なんじゃ、せっかく手土産に高級メロンでも持って行こうと思ったんじゃが。また報告に来るときに、お詫びでもするかの」

 

コエンマは少し残念そうに目を細めた。

今はまだ、答えの出ない余韻だけが、蔵馬の中に静かに残っていた。

 




長めの3章がこれで終了です。
オリジナルキャラである葵を通した、蔵馬の二次創作を読んでいただけることが、とても嬉しいです。

蔵馬と葵の愛と成長の物語と世界観を、今後もお届けできればと思っています。

感想をいただけると励みになります。

ヘーゼル
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