アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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4章 冬の暖かさ
第15話


蔵馬の母親の病気が発覚する少し前のこと。

ある日、葵は頼まれていた品を届けに訪れた。

 

窓の外からは、彼が女性と親しげに話している姿が目に入った。

その女性は、彼よりもふた回り以上年上に見えた。

 

女性が部屋から出ると、蔵馬は窓を開けた。簡単な挨拶をした後、葵に説明した。

彼としては、何の感情も混ぜないで選んだ言葉だった。

 

「あの人が、人間界でのオレの仮の母親なんだ」

 

告げられたその言葉に、しばらく黙った後、葵は口を開いた。

 

「蔵馬のこの肉体は…人間界でのあなたのお父さんとお母さんからもらって、二人のDNAが流れているんでしょう?だから仮ではなく、本当の親子なんじゃないかしら?」

 

「……っ?」

 

息が詰まるような感覚。

思いがけない角度から、言葉が飛んできて、蔵馬は、ほんのわずかの間、呼吸を忘れた。

そのまま、流すような話題だと思っていたのに。

 

(なぜ……彼女の言葉は、こんなにも真っ直ぐに響くんだ)

 

そして、心が反応している自分に驚いていた。

 

「私にはそれがないから、少し羨ましいわ」

 

そう語った口ぶりに、羨望(せんぼう)や、寂しさ、そして誰にも見せたことのない静かな孤独を感じ取った。

 

 

そのとき言われた言葉を、当時は素直に受け止めることができなかったかもしれない。

しかし、母が病気で倒れた時に、葵の言葉がよみがえった。

そしてその真意に気づき、思い知らされた。

 

 

(オレはあの人を、母として心から慕っている…)

 

 

 

 

「……。」

 

蔵馬は静かに目を覚ました。いつもの自分の部屋だった。

妖怪にとってはごく最近のこと。人間にとっては数か月前の記憶が、鮮明に夢で再現された。

今なお心に残る、教訓のようなものだった。

 

窓越しに映った、自分と母の姿。

当時、葵がどんな表情でそれを見ていたのか、気づけなかった。

いま夢の中で見た彼女の表情が、胸に刻まれた。

 

(葵には、本質的なことを教えられてばかりだな)

 

それも夢の中にまで。

彼女は自分の「核」に、そっと触れてくる。

まるで、何もかも見透かしているように。

 

 

午前6時。

今頃魔界にいるであろう彼女に、蔵馬は想いを馳せた。

 

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

 

「あら。あなた、前に秀一と一緒にいた子ね」

 

「え?」

 

気配を消して、葵は庭の木の上で蔵馬を待っていた。

思いがけない人に声をかけられて、下を見た。

 

 

【挿絵表示】

 

 

声の主は、彼の人間界での母親、南野志保利だった。

おっとりとした優しそうな面立ちで、彼女を見上げていた。

 

「秀一も、小さいころによく登っていたのよ。ふふ……なんだか懐かしいわね。ごめんなさいね。あの子が帰るまで、もう2時間ほどだと思うの。良かったら、家に入って待ってて。ちょうどアップルパイを作るところだったの」

 

どこか包み込むような、女性らしい温かみのある声だった。

よく見ると、表情や容貌が蔵馬と同じだ。

 

 

葵は少し考えた。

蔵馬と自分が一緒にいたところを見ていたことも疑問だったが、一度それは脇に置く。

 

彼のことを考慮して、出直す選択もある。

ただ玄関の扉を開けて、ウェルカムモードの南野母の厚意を断る必要性を感じなかった。

何よりも、もう見られてしまっている以上、なかったことにもできない。

 

そして今この瞬間、彼女は人間としての蔵馬を育てた母親と話してみたいと思った。

葵はなるべく人間らしい仕草で、木から静かに降りた。

 

「お邪魔します」

 

 

 

 

 

「………。」

 

玄関先で呆気に取られている蔵馬に、葵はそっと視線を送って、心の中で小さく謝った。

 

(ごめんなさい、蔵馬)

 

普段より少し遅く学校から帰宅すると、玄関には見慣れた足袋型のスニーカー。

そして母と葵がリビングからでてきた。

 

耳の良い彼は、彼女がいて母と話していることを、家に入る前に気付いていた。

しかし、実際にその光景を目の当たりにすると、やはり驚きを隠せなかった。

 

(今朝の夢は、ある意味予知夢だったのかもしれないな)

 

部屋に漂う、母お手製の甘酸っぱいお菓子と紅茶の匂い。

そして母の嬉しそうに話す顔に、おおよそのことを察した。

 

「秀一を待っている間、たくさんお話ししてたのよ」

 

「母さんが、楽しそうで良かったよ」

 

それから三人で、ソファーに座りながら、しばらく和やかに話していた。

葵とは図書館で知り合ったこと、時々一緒に勉強をしていること、別の高校に通っていることなどを、蔵馬が言葉巧みに説明した。

 

(蔵馬の穏やかで人当たりの良い性格は、母親譲りなのね)

 

親子のやりとりから、彼の息子としての一面に触れることができた。

彼の母が嬉しそうに笑い、彼がその笑顔に静かに応える。

言葉にせずとも、視線や間の取り方で通じ合うような雰囲気に、彼が南野秀一として育ってきた時間の尊さを感じた。

 

葵の目には、とても美しく映っていた。

 

(家族って、このような温かいものなのね)

 

人間界の家族関係として、理想的なんだろう。

自分の胸に、温かく火が灯るような感覚がした。

その余韻をしばらく感じていると、ふと体の一部に違和感を覚えた。

 

口に手を置いて、不思議そうな顔をしている彼女の様子に、蔵馬が声をかけた。

 

「もしかして、焼きたてだったから、火傷してるんじゃないかな?」

 

「そういえば、一気に頬張ってたわね。熱かったでしょう。大丈夫?」

 

きっと紅茶も熱かったはずだ。

 

葵は口に手を当てたまま、静かに自分の口腔内の状況を改めて確認した。

そして、図星を突かれていたことに気づいた。

上あごの柔らかいところに、小さなヒリつきを感じた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「…私、やっぱり鈍いのかしら」

 

葵から出たのは、客観的に自分を見つめる淡々とした声。

蔵馬は、本日二度目の、呆気にとられた表情になった

 

「……。」

 

「…あら、そんなことないわよ!」

 

「ははっ」

 

口元を抑えながら、蔵馬は思わず笑った。

隣にいた母親は、息子が声を上げて笑う姿に驚いている。

 

「ちょっと秀一!笑っちゃ失礼よ!」

 

「ごめんごめん…っ」

 

(聡明でしっかりしてるけど、どこか大きく抜けているんだっ…)

 

口の中の火傷に気づかず、平然としていた葵。

蔵馬が思わず笑ってしまったのは、それよりも、彼女が自分を鈍いと口にした、その素直さだった。

 

一方の葵は、どうして蔵馬が笑っているのかわからなかった。

しかしそのあとに続いた、彼と母親の明るいやりとりを聞いているうちに、つられるように微笑んでいた。

 

不思議な心温まる空間、その中に自分がいることが葵は嬉しかった。

 

 

 

 

「またいらっしゃいね」

 

語尾に音符がつくような声音の母と、蔵馬は葵を玄関先で見送った。

そして彼が自室に戻ると、案の定、彼女は窓の外にいた。

手を合わせて、ぺこりと頭を下げている。

 

蔵馬はふっと笑うと、窓を開けて入るよう促した。

 

「そのうちに、こうなると予想していたよ」

 

「気配は隠していたんだけど、あなたのお母さん、すごいわね」

 

蔵馬の近くにいる母親は、きっと普通の人間よりも少し霊感があるのだろう。

 

南野母の話を聞いていると、蔵馬が人間としてどういう人生を歩んできたか、葵は知ることができた。それは、彼の心の奥にふれるような時間でもあり、同時に、人間界への関心をますます深めるきっかけにもなった。

 

そんなことを思っていると、前にいる男の視線がいつも以上に柔らかく、優しいことに気づいた。

 

「蔵馬、なんだか嬉しそうよ」

 

「そうかな。さっきの状況を思い出したら、色々と思うところがあってね」

 

(母さんの反応は想像できたけど、あんなに喜ぶのなら、もっと早く会わせたらよかったな)

 

彼の中で、母と葵を合わせる予定はあったようだ。

結果的に、それが自然な流れで実現した。

 

「あなたのお母さん、とても愛情深い人だわ。そのおかげで、南野秀一君が素直に育ったのね」

 

「それはどうも」

 

「あなたが彼女を大切に思う気持ち、少しわかった気がする。私には、母と呼べる人はいないけど、きっといたら、母とはあのような人なのかもしれないわね」

 

その言葉に、蔵馬は以前に聞いた彼女の出自を思い出した。

彼女は花から生まれて、その側に親と呼べる人がいなかったそうだ。

魔界を転々としながら、ほかの妖怪から学び、亜空間移動ができる能力に気づいた。

そして、人間界に来て蔵馬と出逢った。

 

その当時、指南役が必要と言ったことも頷ける。

見た目こそ大人びているが、まだ生まれて2年ほど。

人間界で2歳と言えば、まだ親が必要な発達段階だ。

 

(葵にとっても、母さんに会ったのは良かったみたいだな)

 

そう思ったちょうどその時。

葵がぱっと顔を上げて、指先を顎に添えながら言った。

 

「あ!私、今気づいたわ」

 

「ん?」

 

直感で、彼は心の中で身構えた。

これも葵との関係性の中で、身に着けたようなものだった。

 

 

「私は、あなたに育てられたんだわ」

 

(何を言い出すのかと思えば…)

 

蔵馬は少し面食らった。

 

「いや、葵……」

 

確かに人間界や魔界、霊界のことなど一般的な知識や、身の守り方など、教えたことは数え切れない。

しかし彼女を「育てている」という、特別な意識はなかった。

 

成り行きでそうなっているところは否めないが、彼女の問いに答えながら、自分自身もまた、彼女から何かを教えられてきた気がする。

これは育てたと言えるのだろうか。あるいは、共に育ってきたと言えるのか。

 

「これから蔵馬のこと、お父さんって読んだ方がいいのかしら?」

 

「……それは色々と説明が必要だから、やめておこうか」

 

 

予想通りの言葉に、今度は葵がふふと笑った。

聡明でどこか神秘的な彼女が、時折こうして不意に言葉の矢を放ってくる。

それが彼のペースを乱すのだ。

 

お互いにこの見た目で、彼女から「お父さん」と言われたら、ややこしいことこの上ないだろう。自分としても複雑な気持ちになる。

 

でも、そんなやり取りすらも、蔵馬にとってはどこか面白くて、葵らしいなと感じていた。

予測不能で、まっすぐで、どこか幼く、そして時に驚くほど深い。

 

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