アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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第16話

考えさせられるような一言のあとに、まるで何事もなかったように葵は続ける。

それが彼女のいいところでもあり、蔵馬が時々静かに身構えるところでもある。

 

「人間界の食べ物って、美味しいのね」

 

「気に入ってもらえて、何よりだよ」

 

「私、食物から栄養をとらなくても大丈夫な方だから。とても面白いわ」

 

「君の体質を考えると、少しは食べたほうがいいよ」

 

先日の霊界での一件で、葵は人間界に長くとどまると、肉体の維持が難しく体が透けてしまう体質だとわかった。

透明化を防ぐために、食物の栄養を口からとることが一つの対策だと蔵馬は考えていた。

特に人間界では、人間界の食物を食べると効果が高いだろう。

 

「ちょうど良かった。君にこれを渡したかったんだ」

 

蔵馬は合わさった二枚貝を差し出した。

肌色に近い薄桃色の貝は、彼女の手のひら半分の大きさ。

 

「これは?」

 

「開けてみて」

 

中をひらくと、想像を裏切るような色と匂いが広がった。

彼が渡したものの正体は、「練薬(ねりやく)」だった。

練薬の藻色(もいろ)は深く、得体のしれない強烈な香りが鼻腔を刺激する。

自然とまばたきが増え、目頭が熱くなった。

 

「……なんだか、すごい匂いがするわ。とても目に刺激的」

 

 

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「良い薬ほど、えてして個性的なんだよ」

 

期待通りの反応に、目の前の男は口元を緩めた。少し楽しそうな余裕の表情だった。

 

「以前、君にとってきてもらった魔界のサクラガイの内層には、気を補い、滋養強壮の薬効があるんだ。薬草で作った練薬との相乗効果で、君の体質の補強ができる。これで、人間界に長く滞在できるだろう」

 

葵は驚いて蔵馬を見た。

彼がこれほど親身になって、自分の体のことを考えてくれているとは思わなかった。

体の透明化については、どうしようもない体質だと割り切っていた。

 

そして、魔界のサクラガイを手に入れてほしいと頼まれたときは、彼の研究の一環かと思っていたけど。

今、それが自分のためだったと知った。

葵はふわっと微笑んだ。

 

「…ありがとう。こんなにしてもらって、もったいないくらいだわ」

 

「どういたしまして」

 

「練薬ってことは、飲むのよね?」

 

「もちろん。1回量は指に薄くつけるくらいだ。一日1回で効果はある」

 

薬指に練薬を付けて、葵はそれを軽く口に含んだ。

しばらくして、軽く眉を寄せる。

 

「……苦いけど、匂いほど飲みにくくはないわ」

 

「それならよかった。試作品だから、使ってみて体の具合を教えてほしい。配合の調整をしよう」

 

「ええ。ただ…。さっきの火傷の所に滲みるわ」

 

「はは。口の中の火傷にも効果的だよ」

 

(そういえば、さっき火傷したんだったな)

 

蔵馬は、自然な動作で口元を軽く押さえた。

まるで計ったような絶妙に良いタイミング。

こういう予想を軽やかに超える彼女の言動が、蔵馬の琴線に触れる。

 

「この目に刺激的なのは、改善できる?」

 

「紫唐辛子の配合を変えると、効果が薄まるよ?」

 

蔵馬は微笑んでこちらを見た。

からかうように楽しげな眼差しは、大人の余裕と、少年の茶目っ気が同居していた。

 

「…わかったわ。刺激を避けて、飲む工夫をするわ」

 

彼の言葉の真意まではわからないが、彼女は一旦交渉を諦めた。

 

 

 

「葵」

 

突然、彼の声の調子が変わった。

少し高めの普段のトーンから、落ち着いた低音で彼女の名を呼んだ。

 

「もう体は大丈夫?」

 

2週間前に、霊界でかなりの重傷を負ったばかりだった。

魔界に戻ってから、どうしているかと案じていた。

 

今日葵を目にしたときから、蔵馬は体の様子を細かく観察していた。

痩せていた顔はふっくらと戻っていて、動く様子にも問題はなさそうだ。

後は本人の口から確認するだけ。

 

慈愛に満ちた深い眼差しを、彼女は正面から受け止めた。

 

「ええ。あなたのおかげで早く回復したわ。ありがとう」

 

ふわっと花が開くように微笑む葵に、蔵馬も同じように微笑み返した。

その花笑(はなえ)む頬は、ほんのりと紅く色づいていた。

 

 

 

 

彼女が帰った後、南野家では夕食の支度をしながら、このような会話が続いていた。

 

「葵さんは見慣れない格好をしているけど、武道でもしているのかしら?」

 

魔界の住人の服は、人間界のものと異なる。

彼女の装いは、動きやすい道着タイプの和装が基本だ。

 

「…そういえば、そんなこと言ってたな」

 

「まぁ。そしたら秀一のこと、守ってもらえそうね。安心だわ」

 

「…そうだね」

 

彼は何とも言えない表情で笑いながら、嬉しそうな母親の話をしばらく聞いていた。

 

「あなたが友達の前であんな風に笑うの、初めて見たわ」

 

母の言うことに、蔵馬自身も気づいていた。

葵の前では、南野秀一としての自分と、妖怪蔵馬としての自分という意識がない。

自然体で、今の自分でいることができている。

それは彼の仲間である幽助、桑原、飛影といるときと少し似ていた。

 

頭の中で考察していると、思ってもみなかった方向から、再び彼女の話題が出た。

 

「葵さん、私の体調のことを気遣って、優しく聞いてくれたの」

 

時が止まったような一瞬。

蔵馬はゆっくりと顔を上げた。

 

「秀一が、葵さんに話していたのね」

 

「…うん、そうだね」

 

彼の母が退院して、数週間経過した。

先日の検診で、検査データも体力的にも問題ない。

病後の回復にしては、「こんなに早い患者さんは初めてです!」と、医師に驚かれたところだった。

 

暗黒鏡の力で、母の体は完全に治癒して元の状態に戻っていた。

体力の低下もなく、もうすっかりいつもの日常生活を送っている。

 

葵のさりげない配慮が、蔵馬は嬉しかった。

それが、こんなにも心を温かくするものだとは。

 

彼は静かに微笑み、心の中で彼女に感謝した。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

乾いた夕方の風が、森を撫でるように吹き抜けていた。

 

葵は一本の木の枝に腰を下ろし、地上を見下ろしていた。

風は少し冷たいが、木漏れ日がまだ枝葉の隙間からこぼれている。

 

手のひらには、昨日蔵馬からもらった薄桃色の二枚貝。

練薬の匂いがかすかに漏れ、風に乗って鼻をつく。

彼女はそっと蓋を開けて、指先でごく薄く中身をすくった。

 

「本当に……」

 

風に消えるような声で、ぽつりと呟いた。

彼の言葉、配慮、優しさ。

思い返すと、ひとつひとつが細やかで。それは昨日に限らず、今までもそうだった。

何もかもを当然のように背負わず、静かに寄り添うその在り方に、葵の胸はふわりと温まる。

 

「ありがとう、蔵馬」

 

誰にも聞こえない高さで、微笑みながら言った。

 

薬指を口元に運び、そっと練薬を舐め取る。

やっぱり苦い。けれど、昨日よりもずっと飲みやすく感じた。

昨日火傷した口の中は、自分で治したからもう沁みない。

 

 

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小さく息をついて、空を見上げる。 冬の夕暮れが空を深い青色に染めはじめていた。

 

貝を閉じようとして、ふと瞼のあたりに痒みを感じた。

葵は無意識に、練薬のついた手で目元をこすった。

 

徐々に広がる違和感。

 

「……っ」

 

瞳に唐辛子の刺激が走り、思わず木の上で身をすくめる。

目尻が熱く、涙があふれそうになる。

魔界の紫唐辛子は、人間界のものよりもはるかに刺激が強い。

 

 

(……昨日、学んだはずなのに……)

 

痛む目元を袖でぬぐいながら、葵は呟いた。

 

「……本当に、目に刺激的だったわね……」

 

彼女は木から降りて、水が出る場所を探しに行った。

 

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

2月中旬。人間界では休日の穏やかな午後のことだった。

 

「この前、秀一の帰りが遅かったから勉強できなかったでしょ?今度お休みのときに、改めて遊びにきてね」

 

南野母のさりげない招待に応えて、葵は久しぶりに制服姿で南野家に来た。

 

「やぁ。いらっしゃい」

 

玄関の扉を開けてくれたのは、蔵馬だった。

普段葵は、2階の彼の部屋から出入りしている。

正面玄関からというのが、また不思議だった。

お互い顔を見合わせて、ふっと笑い合った。

 

リビングで、彼女は歴史書について蔵馬と話したり、地学を教えてもらった。

時々彼の母親も話しに加わりながら、穏やかに流れる時間の中で、3人は心地よい距離で交わり、笑いあった。

時間はあっという間に過ぎていった。

 

「落ち着いて」とゆっくり食べるよう蔵馬に促されながら、葵は手作りのお菓子を堪能した。

このひとときがあまりにも自然で、まるで昔から家族としていたように感じるほどだった。

 

 

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♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

♢おまけ

 

練薬をもらった後日、蔵馬の部屋にて。

 

「薬の効果はどう?」

 

「使うと、妖気が整う気がするの。人間界に1週間滞在しているけど、体が透けることがなく経過しているわ」

 

 

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葵は落ち着いた声で答えながらも、どこか嬉しそうに見えた。

透けないという事実は、彼女にとっても安心材料だった。

 

「飲めているみたいだね。少し配合を調整しよう」

 

「ありがとう」

 

蔵馬は棚から道具、薬草、サクラガイを取り出した。

そのとき、ふと頭に過ぎったことを口に出した。

 

「……練薬を飲んだ手で、目をこすらないようにね」

 

その声色は穏やかで、何気ない忠告のようだった。

ぴくっと葵のまつ毛がわずかに揺れる。

 

「……ええ」

 

何も言わず、彼女はすっと視線を逸らした。

ほんの少しだけ首を傾けて、まるでなかったことにするかのように、静かに。

 

しかし、その挙動だけで、すべてが伝わってしまう。

 

蔵馬は、そのさざ波のような感情のゆらぎを拾い上げていると、軽く口元に手を添える。

肩を揺らすほどでもなく、そっと、こちらも静かに。

 

声を立てず、余裕たっぷりに笑いを飲み込むその仕草は、ただのからかいではなかった。

むしろ、愛しさを包み隠すための、ささやかな礼儀のようだった。

 

彼女のことを深く読み取るのは、簡単ではない。

その存在にはどこか神秘があり、誰も触れたことのない感性を持っている。

けれど、時折こうして、ぽろりと隙をこぼす。

それが微笑ましく、くすぐったい気持ちになるのだ。

 

「……どうしてわかったの?」

 

葵は反らしていた視線を、蔵馬に向けた。

彼は少しだけ首を傾げて、目元を緩めている。

 

「…うん。ちょっと冗談のつもりで言ったんだけど、君、わかりやすいから」

 

「……蔵馬は、本当にいい性格しているわ」

 

彼は言葉を返さなかった。

代わりに、ただひとつ、心の奥でそっと応えた。

 

(そう言ってくれる君が、ずるいくらいだよ……)

 

数日後、新しく配合された練薬が彼女に手渡される。

唐辛子の刺激は控えめに調整されていた。

彼女の反応を、思い浮かべながら。

 

言葉ではなく、行動と沈黙の中で想いを語るのが、この男らしい表現だった。

 

 

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