アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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5章は血液描写や傷の描写があります。大丈夫な方のみ、お読みください。


5章 蔵馬の打ち明け
第18話


闇の力を使い、富を築いた裏社会の富豪や実力者たちが、よりすぐりの魔性最強メンバーを集めてバトルを繰り広げる史上最悪の格闘技戦がある。

それは、暗黒武術会と呼ばれていた。

この大会は、ゲストとして人間が招待される。

今回のゲストの中に、霊界探偵に協力した蔵馬も含まれていた。

 

2月中旬。

大会を一か月後に控え、蔵馬は特別訓練の指南役としての時間を増やしていた。

相手は桑原和真――共に出場する幽助のライバルにして、粗削りながら霊力の伸びしろが大きい男だ。

 

 

その日も、彼は桑原といた。

同じ頃、葵は飛影の依頼品を届けにいっていた。

待ち合わせ場所は、たいてい街から離れた林の中。

 

程なくして、疾風のように黒い影が現れた。

 

「それか」

 

手短にやりとりをして、差し出された包みを受け取る。

次の瞬間だった。

空気が変わる。あからさまな殺気が三つ。

 

林の奥から妖気が噴き上がった。

木々の影を裂いて、三体の妖怪が姿を現す。

いずれも飛影を狙っていた。

 

彼は跳躍して葵から離れると、即座に剣を抜いて向かって行った。

 

「飛影!」

 

思わず叫ぶ葵に、彼は振り返らず言い放つ。

 

「死にたくなければ、お前はよそへ行け!」

 

 

瞬く間に、刃と刃がぶつかり合う甲高い音が林に響いた。

一対三。

飛影は圧倒的な速度で間合いを詰め、かわし、斬りつける。

 

しかし敵もただの雑魚ではない。

三体のうち二体は、力量的に彼と拮抗しているように見えた。

 

葵は木の陰に身を潜め、息を殺す。

目で追うのがやっとの速度。

土がえぐられ、幹が裂け、妖気が火花のように散る。

 

――長い。

十分ほど経っても、決定打が出ない。

飛影の動きに、わずかな遅れが混じり始めた。

 

「飛影!」

 

刃がかすめる寸前の光景に、胸が強く脈打つ。

 

――このままでは、飛影が危ない。

そんな直感が葵の背筋を走り抜けた。

目が離せない攻防の中、彼女は決断する。

 

(これくらいしか、できないけど……)

 

妖気を一点に集め、両手で押し出す。

衝撃波が空気を震わせ、三体の妖怪を弾き飛ばした。

 

「余計なことを!」

 

苛立たしげに舌打ちをしながらも、その隙を逃さない。

体制を整えた飛影が、一体に斬り込み、致命傷を与えた。

俊敏な身のこなしと剣技は、蔵馬とは異なる強さを持っていた。

 

その格闘センスに感嘆していると、葵はある異変に気づいた。

飛影と対峙していた残り二体のうち、一体がいない。

 

(……どこにっ)

 

答えは言葉ではなく、体感でやってきた。

突如、ざしゅっと肉の裂ける鈍い音とともに、焼けつくような痛みが葵の背中に走った。

視界が白く霞み、鼻をつく焦げた血の匂いがした。

膝が崩れ、地面に倒れ込む。

 

 

【挿絵表示】

 

 

その背後に、一体の妖怪が大きな剣を構えて、にやりと嗤いながら立っていた。

青白く光る刃から、赤い雫が滴り落ちる。

満足そうに鼻をならすと、妖怪は再び飛影に向かって行った。

 

(……だから言ったんだっ)

 

応戦しながら横目で見ていた飛影は、舌打ちをした。

 

 

葵の背中は、異様に熱かった。

ただ切られたにしては、何かがおかしい。

 

「っう……」

 

妖気が抜けていき、中から分解されていくようだった。

呼吸が荒くなり、力が抜ける。

視界に映る、指先が透けていく。

 

(このままでは、体がもたない……)

 

焼けつくような衝撃と虚脱感に、立ち上がることができなかった。

それでも。

 

葵は残った妖気を、すべて集める。

指先が震える。一か八かだった。

 

その直後。

飛影が最後の一体を斬り伏せたとき――

そこに葵の姿はなかった。

 

地面に残るのは、彼女の出血の名残と、踏み乱された足跡だけだった。

 

「……。」

 

林に一陣の風が吹き込み、木々がうごめく。

飛影は無言で剣を鞘に収めると、額のサラシを取り去った。

 

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

その翌日。

蔵馬が高校から戻り、自室の戸を閉めたその直後だった。

 

空気がわずかに揺れ、疾風のような気配。

反射的に窓辺を向くと、すでに黒い影が立っていた。

蔵馬は、静かに窓を開ける。

 

「飛影。どうしたんだ?」

 

机の上に鞄を置きながら、彼は平静と問いかけた。

飛影は開け放たれた窓際に立つと、彼の予想しない一言を発した。

 

「お前が最後に、葵を見たのはいつだ?」

 

低く、少しずつ発せられる声に、一瞬思考が止まる。

 

「……1週間ほど前だ。彼女がどうかしたのか?」

 

喉の奥で、彼は声を選ぶ。

含みのある言い方に、嫌な予感がする。

 

飛影はすぐに答えなかった。

沈黙が、部屋の中に沈殿する。

その間だけで、十分だった。

 

(ただの確認じゃない)

 

飛影の性格上、必要がなければ訪問することはない。

そして口から出たのは、葵の名前。

胸の奥で、ひと月前の記憶がゆっくりと鎌首を持ち上げる。

蔵馬は、心が急速に凍りついていくのを感じた。

 

やや間があって、飛影は遠くの空へ視線を向けた。

 

「あいつ……負傷した体で魔界に帰ったのか」

 

「……どういうことだ?」

 

中性的で繊細な声が、いつもより低く出た。

感情を削ぎ落としたその音に、自分でもわずかな違和感を覚える。

 

飛影は淡々と語った。

林での襲撃。

三体の妖怪。

そして、戦闘の最中に葵が受けた一撃。

 

情報を受け取るたびに、蔵馬は頭の中を整理していく。

同時に、胸の奥に広がっていく得体の知れない感情を、ただ黙って受け止めていた。

 

「オレが奴らを片付けた時、葵はもういなかった」

 

そう言って、飛影は外套の内から一本の剣を取り出し、蔵馬に投げた。

手に掴んだ瞬間、金属音と重みが伝わる。

 

「これは……破魔の剣か」

 

「そうだ」

 

霊界三大秘宝――降魔の剣と対をなす、対魔専用の武器。

この刃にかかった妖怪は、消滅するか、深手を負う。妖力を封じられることもあると聞く。

おそらく、飛影と対峙した妖怪が霊界から盗み出したのだろう。

 

飛影の話によると、彼女の傷は致命傷ではなかった。

しかしこの剣で切られたことが厄介だった。

思考が自然と、最悪と最善のケースを同時に描き始める。

 

(魔界に戻れているかもわからない。亜空間移動の途中で、空間のひずみに飲み込まれていなければいいが……。それよりも、負傷した上に妖力まで封じられていれば……)

 

言葉にしないまま、胸の奥が軋む。

感情は、理屈の手綱をするりと抜け出していく。

 

飛影はさらに続けた。

 

「邪眼で追ったが……今、あいつは人間界にはいない」

 

邪眼とは、飛影の額にある第三の眼のこと。

その能力は、千里眼、透視、妖力増強など多岐に渡る。

 

「……そうか」

 

蔵馬の中の何かが、すっと冷え切っていく。

 

(……生きていてくれ)

 

想いは、音にならなかった。

 

 

それからの日々、蔵馬は彼女を待った。

霊界と彼の依頼の期日が過ぎても、葵は現れなかった。

それでも、彼は待った。

理由はない。

計算でもない。

 

ただ、そうだと知っている感覚に近い。

 

その確信と、胸を締めつけるような焦燥は、矛盾したまま共存していた。

気づけば窓辺に立ち、空を見上げる時間が増えていた。

遠くにあるはずの気配へ、無意識に視線を送る。

 

 

飛影が現れて3日後。

夜が深まり、時刻は22時を回っていた。

桑原との訓練を終えて、自室で過ごしているときだった。

 

蔵馬は慣れ親しんだ気配を感じた。

心が確かに震えた。

窓をみると、カーテン越しに淡い人影が浮かんでいる。

見間違えるはずもない。

 

(葵っ……)

 

言葉にならない想いに突き動かされる。

立ち上がって、蔵馬はカーテンと窓を開けた。

卓上ライトだけが灯る室内に、静かで奥深い上弦の月の青白い光が差し込む。

その光の中で、彼女の輪郭は、壊れそうなほど儚かった。

 

 

「……蔵馬」

 

名を呼ばれて、彼の指先が暗闇の中で微動した。それもほんのひと時だけ。

 

窓辺に立つ葵は、わずかに目を見開いていた。

驚きと安堵が入り混じった姿が、灯りの下で揺れる。

 

その生きた表情を目にした瞬間、彼の胸の奥でいくつもの感情が同時に立ち上がった。

静かに室内に入ってきた葵に、歩み寄る。

 

「ごめんなさい……。来るのが遅くなって」

 

いつもの彼女なら、もっと澄んだ声を出す。

だが今は、語尾がかすかに沈んでいた。

 

「いや、かまわないよ。それより……何か、あったのか?」

 

問いは淡々としていたが、深い視線はすでに彼女を捉えている。

 

「ええ、少し……。後で話すわ」

 

短く言って、視線を伏せた。

 

「……。」

 

蔵馬は追及しなかった。

今ここで言葉を重ねれば、彼女はさらに言い淀むだろう。

 

――今は、聞く時じゃない。

彼女がここにいる。

その事実だけで、胸の奥の均衡が、かろうじて保たれていた。

 

しかし、観察眼は別だった。

近づくにつれ、違和感は確信に変わる。

妖気が薄く、いつもの半分にも満たない。

肌の色は青白く、首元には細かな汗がにじみ、呼吸は浅く、不規則だった。

 

(……この状態で、亜空間を移動してきたのか)

 

無理を通した、と判断するには十分すぎる情報だった。

 

葵が話す声には張りがなく、腹に力も入っていない。

怪我のことを、隠そうとしているつもりはないのだろう。

しかし、こちらが聞かなければ、おそらくこのままやり過ごす。

 

見逃すことはできる。

知らないふりをして、穏やかな会話を重ねることも。

しかし、その姿があまりにも痛々しく、あまりにも静かで。

その選択肢は、地に落ちた花びらのように、自然と消えていた。

 

(もう、黙ってはいられないっ……)

 

蔵馬は自然な動作を装いながらも、意図的に距離を詰めた。

葵が依頼の品を取り出そうとした瞬間、抱きしめるように、向かい合う彼女の背中にそっと手を伸ばす。

彼女がまだ口にしていない真実に、彼は先に触れる必要があった。

 

「……っ!?」

 

触れた途端、体がわずかに強張った。

力を込めたわけではない。

それでも、服越しにはっきりと伝わる異様な熱。

 

――ただの体温じゃない。

 

傷ついた肉体が放つ、危うい熱。

破魔の剣による炎症の余波が、いまだ葵を苦しめていた。

蔵馬の心配は、的中した。

息をのむのは彼女の方だったのに、胸を締めつけられたのは蔵馬だった。

 

「……やっぱり怪我してるんだね」

 

囁くような声。

低く、抑えられたその響きに、わずかな痛みが混じる。

 

「……ぁ…」

 

葵は目を見開いた。

蔵馬がすべてを見透かしていたこと。

それでも、責めるのではなく、ただ触れて確かめる心配りに、言葉を失う。

 

「背中をかばう仕草が多い。呼吸も浅い。……気づくよ」

 

視線を逸らさず、冷静に続ける。

 

「隠そうとしているものに、気づくのは得意なんだ……。本業は盗賊だからね」

 

 

軽い調子を装いながらも、腕は彼女を離さない。

小さな背中が、脈打つように熱を放っているのを、手のひらは感じ取っていた。

憂いを帯びた目で見つめながら、飛影から詳細を聞いていることも付け加えると。

葵は観念したように下を向いて、小さく息を吐いた。

 

「……来れなかったの」

 

彼の胸元で、声が小さく震える。

 

「切られた直後、妖力が大幅に落ちて……体が、透明になっていった。だから、残った妖力で魔界に戻るしかなかったの」

 

蔵馬は、そっと手と心を置き続けた。

この熱も、この胸の重さも、彼女がここにいる証だった。

 

「……そうだと思っていたよ」

 

飛影からの情報で、おおよそのことは察していた。

しかし、実際に腕の中にある存在は、想像以上に軽く、儚い。

 

――失う可能性を、はっきりと突きつけられた気がした。

蔵馬は視線を落とし、己に問う。

ここから先、どうあるべきか。

 

(葵なりの考えがあっての行動だ……。オレの方は、少し大人げないか……)

 

今度は蔵馬が、ひとつ深く息を吐いた。

感情を吐き出すようでいて、実際には胸の奥に沈めるための呼吸だった。

 

言いたいことは色々とある。

だが今最優先すべきは、彼女の体だ。

 

「傷を診せて。……その様子だと、まだ半分も治ってないだろう」

 

わずかに低く押し込めながらも、声の芯は力強く響いた。

腕の中で、葵の体が小さく跳ねる。

次の瞬間、顔を上げた彼女の目が、蔵馬のそれとまっすぐに重なった。

 

月光を含んだその深い瞳には、痛みと憂いを帯びている。

それ以上に――あふれ出しそうなほどの、優しさがあった。

 

葵の時間が、そこで一度、止まった。

 

 

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自分の判断を後悔していない。命を守るためには、あの選択しかなかった。

それでも。

この冷静な男が、心から心配してくれていたと。

感情を表に出さない蔵馬の奥深さを、今になってようやく理解する。

 

(私は、この人に……このような顔をさせていたのね…)

 

彼女の中で、何かがふっと緩んだ。

ずっと自分一人で、背負いすぎていたのかもしれない。

 

そして気づいた。

きっとこの人は、「yes」というまでこの腕を離さない。

無理に奪わず、静かに、向き合い続ける。

 

その確信が、葵の背を押した。

 

「……主治医に、従います」

 

水が小さく震えるような静けさで、告げる。

蔵馬は一瞬だけ目を伏せて、それから、そっと腕の力を緩めた。

 

腕が離れた瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、彼女の体がわずかに揺らぐ。

支えられていたのだ。

体も、心も。

 

 

葵は彼に背中を向けて、ベッドの前に腰を下ろした。

傷口に触れないように、ゆっくりと上着と肌着を脱ぎ、上半身を露わにした。

夜更けの静寂の中に、サラシをほどく、衣擦れの音だけが響いた。

 

白い素肌に現れたのは、右の肩甲骨から腰へと走る、斜めの刀傷。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「……っ」

 

蔵馬は息をのんだ。

 

(この傷を、やり過ごしていたのか……)

 

想像していたよりも、深く、広い。

破魔の剣による傷は青白く光を帯び、妖力の流れをいまだ少し封じていた。

 

一瞬、指先が震えた。

蔵馬はそれを悟られぬよう、拳を作って握りしめる。

 

「……対魔傷(たいましょう)専用の布だな」

 

視線を落とし、淡々と告げる。

 

「ええ。これと、あなたからもらった練薬で対応していたの。傷口に使ってみたら、痛みが少しましになったわ」

 

「……そうか。対魔傷の手当てには、ちょっとしたコツがいるんだ」

 

蔵馬は、改めて傷の状態を把握する。

表面は塞がり始めているが、内部はまだ追いついていない。

サラシに滲む浸出液が、無理を重ねた時間を物語っていた。

静かに立ち上がると、彼は処置の準備を始める。

 

その動きで生じた空気が、葵の背をふわりと撫でた。

寒くはないのに、彼女は小さく肩をすくめた。

 

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