アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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5章は血液描写や傷の描写があります。大丈夫な方のみ、お読みください。


破魔の痛み、蔵馬の言葉が癒す

その瞬間――

 

ふわっ。

 

視界が、白く柔らかなものに覆われた。

蔵馬が、大きめの白いバスタオルを、彼女の頭から前胸部の方に掛けていた。

葵は少しだけそれをずらし、振り返る。

 

「……蔵馬?」

 

「使うといい。寒さもしのげるよ」

 

それだけ言って、視線を逸らす。

 

「……お気遣い、ありがとう」

 

さりげない心遣いが、胸に静かに沁みた。

葵はタオルで体の前を覆い、黙って身を預ける。

その背後で、魔界の薬草の香りが立ち上った。

 

「今から薬湯を使って、破魔の気を抜いていく。……痛むが、耐えてくれ」

 

「ええ」

 

蔵馬は、薬液を浸した布をそっと傷口に当てる。

拭うたび、青白い破魔の気が、煙のように立ち上って消えていく。

 

接触とは別に、焼けつくような痛みが、じわじわと葵の体を巡った。

それでも、彼女は声を上げない。

治るために、必要な痛みだと――よくわかっていた。

 

 

処置を続ける蔵馬の視界に、細かな変化が映る。

力の入った肩。背中に浮かぶ冷や汗。鳥肌。薬湯を当てるたび、わずかに走る震え。

その様子に、彼は一瞬手を止めた。

 

「……葵。大丈夫か」

 

「切られた時ほどじゃないから……耐えられるわ」

 

短く漏れるような返答。

吐く息がわずかに乱れている。

 

対魔傷の処置は、熟練の戦士でも歯を食いしばるほどの痛みを伴う。

それを、彼女は声を殺して受け止めている――その事実が、彼の胸の奥に引っかかった。

 

「無理は、しなくていい……。痛かったら、声を出してもかまわない。部屋の外には漏れないから」

 

柔らかい調子で言うと、葵は小さく頷いた。

 

 

薬湯を浸した布で、傷の半分を処置したところで――

蔵馬の脳裏に、ふと、()の人の傷跡がよぎる。

 

腕に残る消えきらない痕。

無意識に、指が止まった。

 

「……この傷、少し跡が残るかもしれない」

 

負傷してから時間が経過している上に、回復も遅い。

まして破魔の剣の傷なら、尚更だった。

 

「気にしないわ」

 

即答した声は、淡々としていた。

 

「……。」

 

蔵馬は何も返さず、再び布を動かす。

薬湯の青い匂いが、静かに部屋に満ちていった。

時計の針が進む音と、互いの呼吸の揺らぎが微かに重なっては離れる。

 

夜が、ゆっくりと深まっていく。

 

やがて処置を終えると、蔵馬は分厚いドクダミの葉を傷口に当てた。

 

「これで、摩擦による痛みを防げる」

 

「助かるわ」

 

新しいサラシを取り出すと、彼女は自分で巻き始めた。

ゆっくりと手際よく、上から下へ。

 

服を整え終えたころ、蔵馬は後ろで片付けを終える。

振り返り、これだけはと決めたことを口に出した。

 

「負傷したことを黙っていたことは、水に流しておく。ただし……今回限りだ」

 

理性的で冷静な声音だった。

約束というより、境界線を引くための言葉。

理性で彼女を尊重しながらも、心のどこかでは、例えようのない感情が押し込められないほどになっていた。

 

葵は振り返る。

蔵馬はいつもと変わらぬ表情で立っていたが、視線だけが、妙に真っ直ぐだった。

 

「……蔵馬。もしかして、根に持ってる?」

 

「……持つかもしれないな」

 

何とも言えない間が、一瞬部屋を支配する。

 

「……。」

 

「冗談だよ。もう少し、オレを頼ってほしかったというのが本音だけどね」

 

飄々と告げる。

この男の冗談は、冗談に聞こえないことが多い。

 

 

蔵馬は静かに歩み寄り、彼女の前に腰を下ろした。

座ると、自然と距離が縮まる。

視線の高さが近づく。

 

「……ただ、心配はした」

 

声のトーンが変わった。艶のある声から、少し低く繊細な響きに。

蔵馬はかつてないほど距離をつめて、彼女を見た。

お互いの髪の毛が触れそうで触れないほどに。

卓上の灯りと月光が、彼の長い髪と深い瞳を縁取る。

 

「……っ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

葵は、目を逸らせなかった。

湖の底のような瞳の奥が、何かを秘めたまま、こちらを見ている。

 

「心配した」という言葉に込めたのは、理性の最後の砦だった。

しかし、葵の純粋無垢な瞳を前に、彼はそれまで保っていた距離を自ら越える決断をした。

 

――もう、今夜ばかりは……黙っている理由が見つからない。

 

 

床に置かれていた葵の右手に、いつの間にか蔵馬の左手が重なっていた。

熱を帯びた手のひらが、逃げ道を塞ぐように――けれど、力は込められていない。

それでも、葵は指一本動かせずにいた。

 

(なんて熱い手………)

 

乾いた夜の空気の中で、その温度だけが異質だった。

 

蔵馬は葵の瞳をとらえたまま、言葉を選ぶように間を置いた。

彼女の指先に触れた感触を、確かめながら。

 

「命にかかわることで……黙っているのは、お互いなしだ」

 

声音は、いつも通り落ち着いている。

だが、語尾に微かな揺れがあった。

 

葵は小さく眼を開いた。

彼の表情は変わらない――それでも、視線だけが違う。

その奥に、隠された何かを感じた。

 

「……わかったわ」

 

短く答えながら、胸の奥がトンと音を立てた。

慎重な蔵馬だからこそ、意図して口にする「心配」という言葉が、遅れて効いてくる。

 

彼は一度、目を伏せる。

淡い灯りの中、まつ毛が頬に影を宿す。

 

「オレたちは妖怪だ。戦いの中で命を落とすこともある。ただ、不測の事態以外で、あらかじめ伝えることはできるだろう」

 

静かに事実を確認するように続けながら、その手は彼女から離れなかった。

 

「何も知らないで、サヨナラするのは仕方のないことと……割り切ることは可能だ。しかし……」

 

言葉が、そこで止まる。

ほんのわずか、距離が詰まった。

視線と視線が重なり、夜の静けさがさらに深くなる。

 

蔵馬は、自分の行動を観察するように、内側で一拍止まった。

――今、言葉にすれば、後戻りはできない。

それでも。

 

「今のオレは……それを望まない」

 

彼の手が、そっと彼女の手を包む。

衝動ではない。

だが、ためらいがなかったわけでもない。

 

一線を越えるかどうかの判断。

もう一歩踏み込まなければ、何かがすり抜けてしまいそうだった。

だから蔵馬は、言葉で伝えた。

 

「オレは……葵に、生きていてほしい」

 

この想いを、彼女がどう受け取るかはわからない。

でも今日だけは、この場で伏せる選択肢は、もうなかった。

 

「……っ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

葵が息をのんだ。

瞳が揺れ、やがて静かに澄んでいく。

この男にここまで言わせるのは、滅多にないことだった。

 

誰かに、生きていてほしいと言われたのは初めてだった。

その言葉が、彼女の中でゆっくりと沈み、根を張っていく。

棘のある薔薇のように優しく、痛みを伴って。

 

(私は……、生きることを望まれているのね)

 

彼女は、静かに目を伏せた。

 

「……蔵馬。ありがとう」

 

その一言に込めたのは、ただの感謝ではなかった。

命をつなぎとめてくれたこと、自分を想ってくれたこと、そしてその想いが届いたという証だった。

 

(まさか、あなたの口からそんな言葉が聞けるなんて……)

 

一年前、拳を突き出しながら、彼に向かって感情をぶつけたことを思い出す。

蔵馬と自分との距離は、あの頃に比べて大きく変わっていた。

 

穏やかな眼差しで、葵は目の前の男を見上げた。

冷えた手は、彼のおかげで温かさを取り戻した。

 

 

蔵馬は、ほんのわずかに肩の力が抜けるのを感じた。

予想外だったのは、彼女の反応だけでなく、それを聞いた自分の内側の反応も。

 

「……礼を言われるようなことだった?」

 

「なんだか嬉しかったの。あなたの心の奥から出た言葉……ちゃんと受け取ったわ」

 

間近にある表情が、ふっと緩む。

蔵馬は視線を逸らし、息を整えた。

飛影から話を聞いたときの冷えた感覚が、ようやく遠のいていく。

 

(礼を言うのは、オレのほうだよ……)

 

妖怪である己が、人間として生きてきたからこその、感情が乗った言動が増えた。

そんな自分自身に戸惑うこともあるが、悪くない。

 

彼女の手から、ゆっくりと手を離す。

距離を取るのは、拒絶ではない。

相手の呼吸を尊重するための、彼なりの配慮だった。

 

胸の奥に残る感覚を、今は結論づけないまま、共にあることを選ぶ。

 

夜は更け、窓の外の気配も静まり返っている。

気づけば日付が変わる時間になっていた。

 

 

 

 

「さて……。葵、今度は発熱の対処をしようか」

 

水面に静かに波紋が広がるような言葉だった。

 

「……え?」

 

意味を掴みきれず、葵は小さく首を傾げる。

蔵馬はいつもの穏やかな表情のまま、彼女を見ていた。

 

「やっぱり、気づいてなかったか」

 

ふっと息をついた。

盗賊としての経験と生まれながらの高い知性は、卓越した観察眼と分析力で彼女の異変を見抜いていた。

 

「首元が汗ばんでる。体の内側から、熱が上がってきてる証拠だよ」

 

「これは、処置の痛みに耐えて、冷や汗をかいたんじゃないのかしら?」

 

彼は葵の首筋に視線を落とした。

 

「それも確かにある。しかし、君が汗をかいていたのは、部屋に来た時からだ」

 

感情を挟まず、状況だけを静かに並べていく。

彼の言葉に、葵は少し前の自分の状態を思い出していると――。

 

「葵。少し、手を借りてもいい?」

 

「……ええ」

 

不思議そうに見上げる彼女の手を、蔵馬はそっと取った。

指先に添える力は最小限。導くように、彼女の首元へと運ぶ。

 

触れた瞬間、蔵馬の指に伝わる熱。

先ほどまで冷えていたはずの彼女の手も、今は温かい以上で。

首筋は、それよりもはっきりと熱を帯びていた。

 

彼は静かに指を離した。

 

「……本当ね。熱いわ。言われるまで、気づかなかったわ」

 

相変わらずの、のんびりとした発言に、蔵馬はかすかに口元を緩めた。

 

――やはり、彼女は自分の変調にうとい。

よくここまでたどり着いたものだと、胸の奥にさざ波が立った。

 

「薬草を煎じてくるから、君はここで休んでいること」

 

「……蔵馬?」

 

何を言われたのかわからない、という素直な表情。

彼は窓の外へ視線を向けた。

月明かりが、一層深く差し込んでいる。

 

「こんな夜更けに、そんな状態で帰すわけにはいかないよ。それとも……どこか行く宛があるのか?」

 

今度は彼女が黙る番だった。

言い淀むのではなく、何かに気づいた様子だった。

 

「……霊界は、明日でもいいかしら?」

 

「問題ない」

 

間髪入れず、涼やかに返す。

 

(オレの所に来てから、霊界へ向かうつもりだったのか……)

 

霊界の環境が彼女の体に与える負担を、即座に計算していた。

 

――もし、治療を受けずに向かっていたら。

先月、彼女が瀕死の状態になったことを思い出した。

蔵馬は思考の先を、意図的に切った。

 

「霊界より先に、オレの所へ来てくれて良かったよ」

 

何気ない言い方だったが、葵の胸のどこかが音を立てた。

彼は、彼女の事情も、純粋さも、すべて含めたうえで受け止めている。

その事実が、言葉以上に伝わってきた。

 

「じゃあ……ここで寝てるんだよ」

 

「また、あなたの寝床を占領してしまうけど……いいの?」

 

「主治医に従うんだろう?」

 

軽やかに返す声。

冗談めいているが、退路は用意されていない。

 

「……。」

 

葵は、何か言いかけて口を閉じた。

珍しく、言葉を探すような沈黙。

 

蔵馬は微笑んだまま、その視線を受け止める。

強く迫ることはしない。

だが、離す気もない――そんな、柔らかな囲い込み。

 

それが、今の彼なりの距離だった。

 

(私は……あなたの言葉に、寄りかかってもいいのね)

 

葵は目を伏せて、小さく息を吐いた。

 

「……わかったわ」

 

待っていた言葉を耳で受け取り、蔵馬は頷いた。

そして静かに立ち上がると、棚の奥から道具を取り出す。

部屋のドアへ向かいながら、振り返らずに言った。

 

「10分ほどで戻るから、着替えをして横になってるといい」

 

その背中には、多くを語らない優しさがあった。

戸が閉まる微かな音が、夜の余韻に混ざり、消えた。

 




このシーンの蔵馬の葵への語りが好きなんです。
幽遊白書の一ファンとして、彼の生き様を描けることが喜びです。
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