アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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6章 オープンハート
第21話


三月初旬。 季節の狭間で揺れる空は、あいにくの模様だった。

細く降り続く雨は図書館の窓を濡らし、その向こうに広がる灰色の景色を、優しくぼかしていた。

 

蔵馬は、そっと館内を歩いていた。

一階の自習スペース。窓際の席に目をやると、やはり、彼女はそこにいた。

 

(今日は、ここにいる気がしたんだ)

 

紺色の制服の背中が小さく丸まり、肩にかかる花色の髪が、雨の湿り気をまだ少しだけ帯びている。

葵が、少し前に到着したのがわかる。

そして気質上、雨の中でもきっと傘を差さないんだろうなと、彼は思った。

そもそも傘を持たない可能性が高い。

 

いつものように本を読んでいるのかと思ったが、どこか様子が違った。

ページをめくる気配が途絶えて、彼女の肩は微かに上下する。

その小さな動きは、眠気に抗えず沈んでいく、静かなリズムを刻んでいた。

呼吸の深まりが、ゆっくりと眠りに誘われていることを伝えていた。

 

(……やれやれ)

 

心の中で小さく微笑みながら、蔵馬は音もなく歩み寄った。

偶然にも、隣の椅子が空いている。

彼は近くの書棚から手近な洋書を一冊抜き取り、そっと腰を下ろした。

 

隣に座っても、葵は気づかない。

本を開くふりをしながら、蔵馬は彼女を横目にそっと見つめる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

うつらうつらしながら、ゆっくりと頭を傾けていく。

しぼんでいく花のように、少しずつ、力なく。

やがてその頬が腕に触れ、柔らかく沈むように眠りに落ちていった。

 

(ここでも無防備だな…)

 

図書館の中で、眠る彼女を見るのは初めてだった。

よほど疲れていたんだろうか。

安心しきったような表情に、この人は魔界でどうしているのだろうかという思いが過ぎる。

 

雨の音、古びた本の匂いに混ざる芳しい花の香り、そして隣で安らかに眠る人。

時間が止まったかのような、静謐な午後だった。

 

 

1時間ほど経って、彼はカバンの中から小さな紙を一枚取り出した。

ペンを走らせる手に迷いはなく、筆跡には微かな笑みがにじんでいた。

短い言葉を綴ると、蔵馬はそれを細く折りたたみ、そっと彼女の開かれた手のひらに忍ばせた。

葵が目覚めたとき、ふと気づくように。

 

そのあと数分、彼はそこにいた。何をするでもなく、ただ静かに。

閉館の時間が近づくと、彼は音もなく席を立ち、余韻だけをその場に残して、姿を消した。

帰り際、一瞥した眼差しは慈愛に満ちていた。

 

 

しばらくして。

閉館のアナウンスが穏やかに響く頃、葵はゆっくりと目を覚ました。

雨音はまだ続いている。 周囲では数人の学生たちが本を片付け、帰り支度をしていた。

 

(いつの間にか、眠ってしまっていたのね)

 

目を軽くこすりながら体を起こす。

読みたかった本は、2割も読めていない。

また明日来ようと思ったとき、手のひらに、何かが触れた。

 

折りたたまれた紙。

広げた瞬間、彼女の頬がそっと緩んだ。

 

 

『眠い時は、横になって休むこと』

 

 

見覚えのある筆跡。

飾り気のない中に優しさが見え隠れする文字に、誰だかすぐにわかった。

 

隣の椅子に目をやると、そこには誰もいない。しかし微かに残る気配があった。

余韻のように、暖かさだけを残していった彼の存在。

 

(ありがとう……、蔵馬)

 

葵はふわっと微笑んだ。

雨の音が、少し小さくなっていた。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

葵が図書館で居眠りをした数日後の午後のことだった。

穏やかな陽射しが差し込む室内に、控えめなノックの音が響いた。

蔵馬が窓を開けると、風を少しまとったような気配とともに、葵の姿があった。

 

「依頼の品を届けにきたわ」

 

そう言って差し出されたものよりも、蔵馬の視線は、彼女自身に自然と向かってしまう。

 

(……また、何かやってきたんだな)

 

ため息に似た息が、思わず漏れたが、それは呆れというより、安堵や微笑ましさに近い。

 

葵の髪には、細い枝葉がいくつか絡まっていて、乳白色の頬には薄く赤い引っかき傷。

腕にも小さな擦り傷がある。

怪我をしていることが気になるというよりも、どこか彼女らしくて、思わずふっと笑ってしまいそうになる。

 

「また、どこかの掃除でもしてきたの?」

 

「シロサギの頭の後ろの毛が強風で乱れていて、それを直してあげたの。そしたらねぐらを見せてくれたのよ」

 

ここまでの話で、おおよその結論が想像がついてしまった。

それでも蔵馬は彼女の言葉を聴きたくて、深い眼差しで見つめ返した。

内容よりも、彼女の語り口を味わいたくて。

 

「とても木が生い茂っている場所で、色々と引っかかったの。それでこのとおり」

 

葉っぱは取ってきたつもりなんだけどと、彼女は自分の頭に手を置いた。

 

(君らしいな)

 

蔵馬は、一言声をかけて彼女の後ろに回る。

花のように柔らかな髪に指を滑らせると、絡まった細い枝葉を指先で掴んだ。

 

「取れてないよ」

 

口から出た声は、思いのほか穏やかで、彼女の存在自体を喜んでいるようだった。

こんな風に話せるのかと、内心で驚きつつも面白がっている自分がいた。

取った枝葉を見せると、蔵馬は鏡を渡した。

葵が鏡をのぞき込みながら髪を整える姿を、横目に眺める時間すら心地よい。

 

彼女は、計算では動かない。論理よりも感性で生きている。

だからこそ、蔵馬には見えない風景を、至極当然のように持ち帰ってくる。

 

 

「ところで、葵は人間界では、普段どこにいるの?」

 

ふと、以前からの素朴な疑問を口にする。

 

「あなたの住んでる街の隣にある、洞窟を拠点としているわ。静かで、居心地がいいの」

 

蔵馬は頭の中で、その一帯の地図を描く。

先住妖怪との縄張り争いの心配はなさそうだ。

きっとその場所も直感で選んでいるのだろうが、戦いとは縁遠い彼女らしい選択だと思った。

 

「一度だけ、迷ってかなり遠くまで行ったことがあるの。その場所、話す言葉がちょっと変わってたのよ。訛りって言うのかしら?語尾に『やねん』ってつくの」

 

「……それ、西の方まで行ったんだね」

 

そこまで歩いて行ったのか、亜空間移動の能力で行ったのか。それについて問わなかった。

彼女の話は、目的よりもズレや偶然にこそ、味がある。

想像するだけで、微笑ましい気持ちになる。

蔵馬は無意識に口元に手を置いて、愛しさを包み隠す。

 

「……まったく。君は本当に、しょうがないな」

 

その声は先ほどと同じ穏やかなもので、抑揚があって包み込むような音。

突飛な行動、予測不能なエピソードもすべてひっくるめて、彼女らしさを肯定する言葉だった。

その眼差しは、葵が葵であることを、そのまま見つめ、楽しみ慈しむ色だった。

 

これからも、この人を見守り続けたい。

そばで、静かに。

 

自然と恋が育つ方向に心をゆだねていた。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

蔵馬は夢を見ていた。

 

中学二年生のある晩。

両親が寝静まった深夜に、音もなく二階の窓を開けた。

 

短く整えられた髪。少しだけ成長の兆しを見せ始めた体。

時は十分に満ちていた。妖怪である自分の居場所は、ここではない。

 

彼らが寝ている部屋は、階段の下。

その安心しきった寝息を背に、屋根を伝い、人の気配のない細道へと降り立つ。

夜の闇は、彼を歓迎しているようだった。

 

(やっとこれで、サヨナラできる…)

 

表面上では安堵を装うが、心の奥には拭いきれない違和感が妙に重たく、胸を引きつらせた。

 

(気のせいだ。これは最善の、いや、唯一の決断なんだ……)

 

そう、懸命に自分に言い聞かせることで、彼は何かを振り切るように歩き続けた。

それは、人間としての柔弱な自分を否定し、甘い『家族』という幻想を、自ら封じ込める行為だった。

 

 

その夜は、ひときわ大きな満月が空に浮かんでいた。

仰ぎ見るそれは、彼を煌々と照らす。

 

 

【挿絵表示】

 

 

光の中、一瞬母の傷痕がちらついた。

その記憶が、人間として経験した感傷的な気分にさせる。

満月を見る蔵馬の顔が、切なく揺らぐ。

 

 

「蔵馬。どこに行くの?」

 

「…!?」

 

背後から聞こえた声は、穏やかな潤いを含んでいた。

まっすぐ、彼の心の奥底を揺らす響き。

 

振り返ると、葵が静かに立っていた。

3分袖の淡藤(あわふじ)色の上着に、ゆったりとした白地のパンツ。そして、いつも通りの紺色の足袋型スニーカーが月明かりに照らされている。

 

「葵…。どうして君がここにいるんだ?」

 

変声期をまもなく迎えるその声は、まだ幼さを残していた。

口から出た音は、心を反映したように少し震えていた。

 

「あなたの心が、泣いているような気がしたの」

 

「……。」

 

その言葉は、月の光と共に冷えた夜気を貫くかのように、そっと蔵馬の核の部分に差し込んだ。

凍てついた心の奥底に、微かな温もりが触れたような感覚だった。

 

 

葵は一歩ずつ歩み寄る。

満月の光に包まれたその姿は、この世のものとは思えないほどの幻想的な美しさを放っていた。

彼女自身が、光を発しているように見えた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

蔵馬が微かに身構えた瞬間、葵の手がそっと彼の手に触れた。

驚いた彼は、その手のぬくもりに心を揺らす。

 

(目線が、近い…)

 

中学二年生の自分と、彼女の背丈はほとんど変わらない。

深い星のような輝きの双眸に、見透かされているようだった。

 

「想っていることと、行動が分離していると、心が痛むわ…」

 

図星だった。

その言葉に、心の奥に押し込めていたものが、少しだけ軋んだ。

 

「…葵、オレは…。」

 

「ええ。あなたの言葉で、聞かせて」

 

蔵馬は口唇を開いた。

しかしその声は遠くて、自分でも何を言っているのかわからなかった。

 

それでも、葵は彼の言葉を受けて微笑んでいた。

この夜の痛みさえも、その微笑みに包まれて、景色が少しずつ、夢の中から遠ざかっていく。

 

 

 

「……。」

 

意識が静かに現実に戻ってきた。

まるで水面の底から、ゆっくりと浮上するように、蔵馬は薄く瞼を開けた。

 

室内に灯りはなく、見慣れた深夜の闇が広がっている。

時計は、午前二時を指していた。

 

呼吸は落ち着いている。だが、胸の奥には、まだ夢の痕跡が微かに残っていた。

数年前の中学二年の頃。

何度も家を出ようとして、できなかった自分と対峙した。

 

(あれは…オレの深層に残っていた未昇華の記憶か)

 

そう理解してみても、すぐには片づけられない何かがあった。

 

夢の中に、葵が現れた。

あの夜に、あの場所に、当然いるはずのない彼女が。

なのに、まるで元々そこにいたかのように自然で、穏やかだった。

 

彼女は夢の中でも優しくて、妖怪らしからぬ掴みどころのない存在だった。

 

(また随分と、リアルな夢だったな…)

 

蔵馬はベッドに横たわったまま、そっと手を持ち上げ、自分の手のひらを見つめた。

葵に手を握られた感触が残っている。

温かくて、優しくて、不思議なほど現実味を持っていた。

存在そのものは、儚いのに。

 

彼は目を閉じた。

それは逃避でも、拒絶でもない。静かに自分の内側へと戻るために。

 

彼女が夢に出てくると、近々会う兆しだろうか。それは願ってもないことだ。

 

夢は夢だ。しかし、夢であっても、そこに真実を見出すことがある。

 

胸の奥に、ひとつだけ、確かな温もりが残っていた。

葵が手を握った、あの一瞬の夢のかけら。

 

それは蔵馬にとって赦しだった。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

その日の夕食後のことだった。食器を片づけていた母が、ふと手を止めて言った。

 

「秀一。葵ちゃんって、どこか良いところのお嬢さんなんじゃないかしら?」

 

「急に、どうしたの?」

 

「とてもきれいな子だし、物腰柔らかで不思議な魅力のある子だから。最初に会った時、まるで異国の物語から現れた人みたいで、ドキッとしたの」

 

(……それはオレも、思ったな)

 

夢の中で、満月の光を浴びながら立っていた葵の姿が脳裏をよぎる。

あのときの彼女は、現実よりもずっと光に溶け込むような存在だった。

今ここで母が語る葵の印象は、夢と重なっていた。

 

「ああ、そういうことか。たしか、葵は一般家庭の生まれだったよ」

 

妖怪である彼女に、人間界の住まいは無い。

母にそれは言えないため、蔵馬は当り障りのない言葉で説明した。

魔界で身分の高い家柄の令嬢という話は聞いていないから、嘘はついていない。

 

「そうなのね。きっと学校でも人気があるんでしょうね」

 

「そうだね」

 

会話はそこまでだったが、母の何気ない言葉の数々が、蔵馬の心に小さな波紋を広げた。

 

 




初心者がAI画像生成をすると髪型が一定にならないです。。。
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