アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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7章 想いが実を結ぶ
刹那の邂逅ー妖狐と孤島に降りた花ー


夕刻前の商店街は、買い物客と学生たちのざわめきで活気に満ちていた。

オレンジ色の街灯が灯り始め、アスファルトには影が長く伸びる。

 

制服姿の葵は、その喧騒の中を静かに歩いていた。

ここ数日、彼女の視界には奇妙な存在が映っていた。

数匹の小妖怪が、特定の人物、蔵馬の母、南野志保利の周囲を、付かず離れずうろついている。

彼らは使い魔のように見えるが、その目的は不明だった。

 

 

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蔵馬は暗黒武術会へ赴き、春休みいっぱい、いや、それ以上は帰ってこないだろう。

頼まれたわけではないが、彼女は自身の意志に従い、彼の母を見守ることに決めていた。

 

ちょうど、スーパーの出口で志保利の姿を見つける。

葵は、いつもどおりの笑顔を浮かべて、その隣に並んだ。

 

「秀一君のお母さん」

 

「あら。葵ちゃんもお買物?」

 

「今日は時間があって、こちらまで来たの。私、荷物持ちます」

 

そう言って微笑むと、彼の母は軽く頷いて、葵に紙袋を預けた。

並んで歩きながら、ゆっくりと買い物を楽しんだ。

会話は穏やかに、そして温かく流れていく。

 

その後、南野家に招かれ、リビングのソファーで紅茶とお菓子を頂くことに。

窓から差し込む夕日が部屋を染め、心地よい甘い香りが満ちる。

何度か訪れたことのあるこの場所は、不思議と懐かしい気持ちにさせる。

 

「秀一がいない間に、こっそり見せようと思ってたの」

 

そう話しながら持ってきたのは、蔵馬の子供のころのアルバムだった。

表紙は少し色あせていて、年月を感じさせる。

本当に見ていいのかと思っていると、彼の母がページをゆっくりと開いた。

一枚、また一枚と現れるのは、幼い頃の蔵馬、南野秀一の姿だった。

 

リビングにも彼の幼少期の写真がいくつか置いてあって、今が初めてじゃないから許されるだろう。少し戸惑いつつも、そう葵は片付けることにした。

 

「本人に言ったら気にするかもしれないけど、本当に可愛らしい。面影があるわ」

 

運動会の一コマや、動物園で動物を眺めている様子、入学式など。

葵が知らなかった蔵馬の表情が、日常の断片として丁寧に、愛情深く残されていた。

 

「そうなの。自分で言うのもなんだけど、反抗期もなく本当に手がかからなくて、親としては出来すぎた子なの。秀一は必要最低限のことしか言わない子だったけど、最近はお友達と出かけたり、葵ちゃんが家に来るようになって、自分のことを話すようになったわ」

 

(蔵馬にも、心境の変化があったのね)

 

彼の母が話すのを、葵は静かに聞いていた。

妖怪である蔵馬が、人間として過ごしてきた道のり。

彼女の知らない南野秀一としての姿がそこにあった。

息子と母のそれぞれの想いが同時に感じられるようで、心が温かくなった。

 

 

アルバムをめくるうちに、ふとある時期の彼の表情が、どこか複雑で物憂げなものが多いことに気づいた。

小さな秀一が、何か深い悩みを抱えているかのような、影のある眼差し。

そんな彼女の様子に、勘のいい母親は話し始めた。

 

「この頃ね、ちょっと難しい顔しているのよね。私のこの傷のこと、気にしていたんでしょうね」

 

まくった袖から見える両腕の外側には、薄くケロイド状に残る傷跡があった。

それは、彼女の穏やかな笑顔からは想像もつかないものだった。

 

「あの子が棚から物を取ろうとして、落ちそうになったところを支えた時…。上から落ちてきた皿が床で割れて、それで切ってしまって。申し訳ないことをしたわ」

 

「…そうだったんですね」

 

そのとき、葵の胸にあの言葉がよみがえった。

破魔の剣で負傷し、治療を受けていたとき。

蔵馬が葵に向けた、どこか憂いを帯びた視線と声。

あれは、自分だけでなく、母親の傷の記憶と、それが残した痛みも重ねていたのかもしれない。

彼の深い慈愛と、人としての複雑な感情が、今葵の中で一つの線として繋がった。

 

彼の母は、懐かしむように窓の外へ視線をやった。その顔が薄く西日に染まる。

しばらく穏やかな無言の空間が広がった。

 

話を聞きながらも、葵は感覚を研ぎ澄まし、注意を払っていた。

南野家の敷地内には、妖怪の気配はしない。

 

 

「そんなこともあったなと、今では話せるくらいになったわ。不思議ね。葵ちゃんにはついプライベートなところまで話してしまうわね」

 

(そういえば、最近蔵馬にも似たようなことを言われたわね)

 

今頃武術会で戦っているであろう男との、先日のやりとりを思い出した。

さすがは親子、他者の観察ポイントが似ている。

 

「きっと秀一が、あなたのことをとても信頼しているからね。あんなに楽しそうに笑うあの子を見たの、初めてなの。葵ちゃんが良かったら、これからも秀一のことよろしくね」

 

「こちらこそ、秀一君にはいつもお世話になっています」

 

「今度、葵ちゃんの子供の時の写真も見せてね」

 

紅茶を飲んでいた手が、思わずとまった。

 

(あ、どうしよう)

 

生まれてからこの姿の彼女に、子供の頃の写真はなかった。

これはさすがに蔵馬に相談できなかった。

 

 

 

 

魔界に戻る予定を少しだけ先延ばしにして、葵は離れた所から彼の母親を見守っていた。

小さな妖怪たちは、変わらず南野志保利を尾行していたが、その間、葵自身もまた、別の視線に気づいていた。

 

相手からは妖気ではなく霊気を感じる。

殺気は無いが、静かに見定めるような、研ぎ澄まされた観察の視線が彼女の背に刺さっていた。

距離は常に一定以上。決して接触してこないその様子に、葵はあえて気づかぬふりを貫いた。

余計な波風を立てるべきではないと、彼女の直感が告げていたのだ。

 

 

そして数日後、南野母を尾行していた妖怪の気配が完全に消えたことを確認し、葵は魔界に戻っていった。

その霊気の持ち主の正体を知ることは、まだ先の話だった。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

 

暗黒武術会が佳境を迎える中、葵は霊界、飛影、蔵馬の依頼で魔界に戻っていた。

その用事が終わり、夕方には武術会が開催されている首くくり島に降り立った。

決勝戦の直前、飛影に依頼品の忌呪帯法(いじゅたいほう)に必要な物品一式を渡すためだった。

 

夕暮れの空の下、彼女の足元に広がるのは荒れた大地。

大きくえぐれた無数の地面は、拳一つで生み出された途方もない力の証だった。

その光景は、飛影の妖力の大幅な増加を物語っていて、葵は内心で感嘆していた。

 

「依頼の品はこれで全部。確認して」

 

飛影が荷物を受け取り、無言で頷く。

そのまま彼女が背を向けて、去ろうとした時だった。

 

「おい」

 

短い呼び声に、葵は振り返る。一つにまとめた花色の髪が揺れる。

 

「蔵馬はあっちにいるぞ」

 

唐突な一言に、足が完全に止まる。

 

「これで借りは返したぞ」

 

 

そう言い残し、飛影は風のように彼女の前から姿を消した。

 

(……迷ってたの、わかってたのね)

 

蔵馬に会いに行こうか、行かないか、答えを出せずにいた。

声をかけることが、戦いに集中している彼の妨げになるのではないかと思った。

 

しかし飛影に居場所まで教えられてしまい、流れが蔵馬のほうへ行くことになっていると感じた。

そして何よりも、飛影が借りを返したつもりでいる以上、行かないという選択肢はなくなった。

彼女の足は、吸い寄せられるように前へと進み始めた。

 

荒れた地面を踏みしめ、走っている途中、葵ははっと立ち止まった。

 

 

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肌が粟立つほどの圧倒的な妖気が、熱い膜のように全身を包み込んだのだ。

毛穴の奥から、意識が研ぎ澄まされるような感覚。

 

(すごいわ…。まさか)

 

直感でその妖気を頼りに、彼女は木々の茂る方へと足を向けた。

 

人気のない林の奥から、肌にびりびりとくる妖気を感じる。

葵は気配を殺し、静かにゆっくりと、目的の存在まで近づいた。

 

 

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木々の隙間から見えたのは、輝く銀色の髪をなびかせた妖狐が、そこに佇む姿だった。

その完璧なまでに洗練された造形、しなやかでありながら鋭く力強い妖気。

彼女にはわかっていた、あれが蔵馬の妖狐の姿だと。

 

胸に湧きあがる高揚感と静けさ。どういうわけか、葵はこれ以上近づこうという気持ちがなくなり、しばらく物陰から彼を見ていた。

 

「…いるんだろう?葵」

 

良く通る澄んだ声が、まっすぐ、迷いなく名を呼んだ。

心臓が一瞬どきりとした。

 

妖狐の状態では、鼻も耳も更に効く。

彼は葵が近くにいることをだいぶ前からわかっていた。

葵は物陰から、ゆっくりと歩いて出た。

 

「飛影からあなたのいるところを聞いて追ってきたんだけど、お取込み中だったみたいね。盗み見するつもりはなかったの」

 

「そうか」

 

冴える金色の瞳、それと対照的な銀色の髪、白装束の出で立ち、人間の肉体の蔵馬よりも明らかに発達した体格。

完成された芸術を見ているようだった。

 

「これが妖狐のあなたなのね。しなやかでいて鋭く力強い、そして涼やかな妖気ね」

 

2メートル以上ある妖狐の蔵馬をまっすぐ見上げる瞳に、一切の畏怖はない。

低級妖怪が、強大な妖力を持つ相手と偶然対峙した時のように(ひざまず)くわけではなく、命乞いをするわけでもない。

彼女はいつものように、対等にそこにあった。

 

「葵」

 

普段と違う声は、妖しく、荘厳で、圧倒的な存在感を含み、澄んだ水のように彼女の名を呼ぶ。

彼は音もなく一歩、また一歩と近づく。ビターで神秘的な匂いと共に。

その逞しく、しなやかな大きな手で、葵の腕を掴んだ。

 

袖のない和装からのぞく彼の腕は、ギリシャ彫刻のように鍛え抜かれ、完璧な造形をしていた。

全体的に恵まれた体躯だった。

触れた瞬間、ピリッと肌が痺れるような妖気が、皮膚の奥まで染みこむ感覚。

しかし、葵の心は不思議と揺らがなかった。

 

「思っていた反応と違うのが、興味深い」

 

「やっと、妖狐のあなたに会えたと思うと、嬉しいの」

 

葵の言葉に、蔵馬の目元がわずかに緩む。

空いた手が、彼女の頬に触れ、目元の近くを指が滑る。

その手つきは、なめらかな肌の感触を確かめるように優しく、情熱的だった。

 

「この姿、初めて見るはずなのに、お前の目は、懐かしそうにオレを見る。羨望や称賛でないことが好ましい…」

 

 

月華のように輝く瞳は、葵をゆっくりと見下ろす。

彼女の深い瞳は、それを歓迎するようにまっすぐ見上げる。

二人だけの、不思議な時間と空間がそこにはあった。

周りの音や匂いなどの、感覚的気配がなくなるような世界が広がった。

 

交錯する視線は、互いを想いあっていた。

蔵馬の熱い眼差しが、葵を言葉無く抱きしめる。

 

「とても、私では敵わないでしょうね」

 

「なんだ、試したいのか?」

 

妖狐の蔵馬は、その好戦的な性質を隠さなかった。

葵の腕をぐいと引き、さらに距離を縮めた時、彼の動きが緩やかに止まった。

 

「残念だったな…。時間切れのようだ」

 

掴んでいた腕がゆっくりと離されたと思ったら、目の前の妖狐の姿の輪郭が、名残を惜しむように曖昧になっていく。

それはやがて、5,6歳の小さな子供になり、あっという間に成長するかのように徐々に大きくなり、見慣れた、いつもの蔵馬の姿に戻っていた。

 

 

「……。」

 

彼の顔には、少し照れたような困惑したような幾重にも折り重なった感情がにじんでいた。

妖狐としての野生的な本能と、人間としての理性がせめぎ合った末。

ふと見せたその表情は、彼自身の内面の葛藤と、葵に見られたことへの僅かな羞恥、そして満たされたような安堵が入り混じっていた。

普段なかなか見れない表情を見た瞬間、葵は思った。

 

(今の蔵馬は、人間としての蔵馬の人生も生きてきたのね)

 

少し長い空白。その静けさを破ったのは、蔵馬だった。

 

「…驚かせてしまったかな」

 

いつもの理知的で中性な声だった。

 

「いいえ。昔のあなたと今のあなたと同時にお会いできるなんて、光栄よ」

 

「…そうか」

 

葵の柔らかな微笑みを見て、蔵馬の表情もふっと和らいだ。

 

「決勝戦直前で、お邪魔だったかしら?」

 

「いや。君の顔が見れて良かったよ」

 

「あら、本当かしら?蔵馬は戦いに行くときに限って、私を魔界に行かせているようだけど」

 

霊界の暗黒鏡を盗み出した時、四聖獣との戦い、そして今回。

どうもこの男の隠れた意図があるような気がしてならない。

葵は彼の言葉の裏にある「隠された理由」を感じ取っていた。

 

「ただの偶然だよ」

 

蔵馬の言葉は、普段通りの飄々としたものだった。

 

「…やっぱりそうなのね」

 

「君は、こういう勘は鋭いね」

 

(前は、オレのことに深入りしないようにしていた。でも今は違う…)

 

蔵馬は、深く真摯な眼差しで葵を見た。

 

「もしオレに何かあったとき、その後のことをお願いできるのは君だ」

 

この言葉は、いくつかある理由のうちの一つで表向きのもの。

彼の言動は、視座を深めないとその真意が読み取れない。

しかし、その言葉に込めた、彼女への深い信頼と、ある種の覚悟は確かにそこに存在していた。

 

「……。」

 

葵はそれについて返答しなかった。

蔵馬には彼女が何を考えているのかわからなかった。その言葉を承諾しないからか、返す言葉を選んでいるからか、はたまた別の理由なのか。

 

ただ一つ、彼が確かに知っていることがある。

彼女は、何千年と生きてきた自分の経験値を超える言動をする。

そして今もそんな予感がした。

 

数分後、葵の口唇が動いた。

 

 

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「魔界の占断師として、予言します。蔵馬、あなたは死なない。無事に帰ってくる」

 

まっすぐな瞳はぶれることなく、感情のこもっていない声は、今まさに言葉をおろしたように彼に告げた。その予言は、疑う余地のない、確かな響きを持っていた。

 

「ありがとう、葵」

 

 

夜の帳が降りて、二人の間を孤島の強い風が流れた。

そろそろお互いの路へ戻る頃だ。

 

葵は歩み寄り、彼のそばに立つ。そして花がふわりと開くように微笑んだ。

 

「蔵馬。私も、あなたの顔が見れて良かったわ」

 

 




次回は、妖狐の蔵馬と葵の邂逅の蔵馬視点です。
妖狐の本能と理性のはざまで揺れる葵への想いの葛藤を描いています。
今回の内容と照らし合わせて、お読みいただければ嬉しいです。
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