アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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後半、蔵馬と葵は屋根の上で静かに語り合う。
新月の夜の下、交わされた言葉と指先が伝えた想い。
それは、ふたりの関係を変えていく。

「今の自分も気に入っている」

蔵馬がふと漏らしたその言葉に、読者のあなたは何を感じますか。


第30話

暗黒武術会中、葵は2度、見知らぬ者に尾行を受けていた。

妖怪ではなく霊気を感じたところから、霊界の依頼の報告も兼ねて、コエンマに相談しに来ていた。

彼の見解を聞いてから、蔵馬に伝えるつもりだった。

 

(…つけられている)

 

肌を粟立たせるような、冷たい視線。

いつものように会議室で待ち合わせだったが、道すがら、背筋に刺さるような気配が別々の方向から複数、まとわりついてくる。

一人になっては危険だと、直感が警鐘をならす。

時間には遅れるが、葵は敢えて人通りのある図書館を経由した。

 

広大な書架が連なるその館内は、計ったように誰もいない。静寂に包まれていた。

ひっそりとした空気は、逆に気配を探る者には好都合だったかもしれない。

葵は死角を避けながら静かに歩を進めていると、書物の並ぶ棚の隙間から、ひんやりとした空気が流れ込んできた。

 

「妖怪がここに何のようだ?」

 

背後から伸びてきた影が、不意に肩を掴む。

低く、獲物を追い詰めるような鋭い声。

冷たく見下ろす長身の男が1人と、離れた所に見定めるかのようにこちらを見ている気配が2人。

彼らの霊気は、どこか澱んだような違和感があった。

 

「私は葵。霊界からの仕事をこなしている者よ。この図書館の入館許可ももらっているわ」

 

彼女は、冷静に許可証を提示した。

 

「霊界が調査依頼をしている妖怪がいると聞いたが、それがお前か…」

 

男は口元を歪めて笑みを浮かべ、彼女に近づいた。後方にいる二つの気配も同様に、じりじりと詰め寄る。

葵はいつでも逃げれるように身構えた。

 

 

「おー、葵!探したぞ」

 

凍りついていた空気が、まるで熱湯を注がれたかのように、一瞬で熱を帯び、男たちの動きが目に見えて硬直した。

ひときわ目立つその声の主は、霊界で知らないものはいない。

青い制服に、同色の大きな帽子をかぶり、口元にはおしゃぶりをくわえた幼児の外見。

統治者の一人、コエンマだった。

 

「コエンマ。すみません、少し遅れてしまって」

 

「かまわん。向こうで話を聞こうかの。……で?なんじゃお前らは。彼女に何か用でもあるのか?」

 

「……いえ。なんでもありません」

 

一瞬の沈黙の後、男は静かに礼をすると、仲間と共に素早くその場を去って行った。

去り際、葵は彼らの瞳の奥に、獲物を取り逃がした悔しさと、次なる機会を伺うような執念を見た気がした。

 

 

 

コエンマは、いつもと違う会議室へ彼女を案内した。

白い長机と椅子以外何もない部屋は、窓もなかった。密室であるその空間は、重要な話をするには最適だった。

 

 

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「いつからじゃ?」

 

言葉を発するたびに、コエンマの口元のおしゃぶりが軽く揺れる。

 

「暗黒武術会の開催中、人間界では先ほどの霊気の者に2回尾行されていたわ。直接対面したのは、今日が初めてでした」

 

「やつらは、霊界の中でも選ばれしエリート集団。そして、枉鵬と関わりがあるものたちだ。この一件、正聖神党が絡んでおるのかもしれん……」

 

2か月前の記憶がよみがえる。

確か枉鵬は、正聖神党という霊界の宗教団体に所属していた。

 

「正聖神党は、妖怪をも利用し、独自に霊界、人間界、そして魔界に影響を及ぼそうとしておる。お主の特殊な能力を、彼らが危険視しているか、あるいは利用しようとしているのかもしれぬな」

 

葵が狙われる理由はまだわからないが、命を狙うというよりも、捕獲しようとしているようにコエンマには見えた。

 

「お主は、しばらく魔界に戻っていた方がいい」

 

「魔界でも何度か軽い襲撃を受けたり、尾行されていたの」

 

「なにっ?……奴らが、妖怪を雇ってさせているのか?」

 

「それはわからない。でも魔界に戻っても事態はかわらないと思うの」

 

コエンマはしばらく黙り込んだ。小さく眉根を寄せ、その丸い頬に影が落ちる。

霊界の中に紛れている正聖神党の影響を、垣間見た気がした。

これを無かったことにするのは、霊界の統治者として許されない。しかし大っぴらに調査をすることも難しい問題だった。

 

「…ワシが責任をもって秘密裏に調査する。少しの間、このことは他言無用にできるか?」

 

「わかったわ」

 

コエンマの立場も考慮し、葵はこのことを蔵馬に言わなかった。

 

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

 

霊界から戻った夜。

葵は静かに、蔵馬の家の一階の屋根に腰掛けていた。

その場所は、彼の部屋の東側、通りから見えない位置にある。

 

22時前の空は、どこまでも澄んで高く、春の夜風が乾いて頬をなでる。

目を閉じれば、星々のかすかな囁きに混じり、遥かな宙の奥から「案ずるな」という声が意識の底に響いてきた。

霊界での出来事も、これから起こることも、流れに任せていい。そう告げるように。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「葵。来ていたのか」

 

ふいに聞こえた、少し高い艶のある声。

振り返ると、蔵馬が二階の自室の窓を越え、音もなく隣に降り立っていた。

月明かりも届かない夜、就寝前のラフな格好の姿は闇の中で淡く輝いている。

 

そっと彼女の隣に腰を下ろす。

肩が触れそうで触れない、互いの存在を確かめ合うような絶妙な距離。

その間には、柔らかな夜風が、二人の吐息をそっと運ぶように流れていた。

 

「今日は月が見えない夜だから、星が一段ときれいに見えるの」

 

「葵は、星を見るのが好きなんだね」

 

「ええ。人間界の空は不思議ね。魔界では、星空は見えないもの」

 

魔界の空は、基本的に厚い雲に覆われていて、雷が轟いている。

もちろん氷河の国のように、年中雪と氷に閉ざされた土地に行けば、空の景色はその土地特有のものになる。

しかしどこに行っても、まるで地の底のように星は見えない。

太陽の光さえ、ほんのわずかしか差し込まない。

 

魔界の構造が深淵に沈んでいるせいかもしれないが、はっきりとした理由は、誰にもわからない。

 

「今も、何か音を聞いてるように見えたね」

 

「ええ。蔵馬も聞いてみる?」

 

「……できるの?」

 

「手を出して」

 

葵は小さく微笑んで、彼の左手をそっと取る。

小さな指先が、彼の手のひらに文字を描きはじめた。

ゆるやかに、慎重に、まるで祝詞を紡ぐように。

 

皮膚をなぞるその感覚は、淡く、くすぐったくて、切ない。

蔵馬は静かに息を吸い、その動きを見つめた。

 

(これは……古代文字か……?)

 

盗賊時代の経験から暗号解読ができる彼は、どこかで覚えのある綴りを思い出していた。

読み解こうとする意識の奥で、彼の聴覚が、いや五感を超えた領域が、微かな音の震えを捉えた。

それは、遠い海の波のように繰り返される、宇宙の呼吸のような、限りなく優しく、懐かしい波動だった。

 

「…これが君が聞こえている世界……か。繊細で柔らかい、不思議な音だね」

 

初めて触れた葵の音の世界。

それは、彼が何千年と生きてきた中で、一度も知覚したことのない領域。

蔵馬は、彼女の世界に一歩深く踏み入れた気がして、魂が喜ぶように、胸がふわりと温かくなった。

 

 

「葵は……古代呪文を知ってるんだね」

 

「少しね」

 

ふと彼の手のひらが白く光る。

彼女の指がなぞった跡、かすかに輝く軌跡が消えていく。

ぬくもりだけが、そこに静かに残っていた。

蔵馬はそっと指を閉じ、しばらくその感触を心にとどめた。

 

「ねえ、少し聞いてもいい?」

 

「うん」

 

彼は隣の想い人を見た。葵の瞳は、今の星空よりも深い輝きを放っていた。

その瞳の奥を、もっと近くで見つめたくなる。

 

蔵馬は、無意識に顔を少し近づけていた。

妖狐の本能が、彼女の光を求めて惹き寄せられる。

同時にその瞳は、人間としての蔵馬の心も震わせる。

理性と本能が、同じ方向を向く。そんな稀有な感覚だった。

 

「蔵馬は人間界で生きてきて、魔界と人間界の違いをどう感じていたの?」

 

「……そうだな」

 

彼は夜空を仰ぎ、言葉を選んだ。

 

「はじめは慣れないことも多かったけど、こちらも悪くないと思えるようになった。人間という生き物は不思議で…面白い。何より、人間界では様々な感情を体験できる」

 

静かに告げるその声に、葵はふわりと微笑んだ。喜びと、安心と、感謝がこもった笑顔。

その表情に、蔵馬の胸が一度だけ、大きく鳴る。

 

「あなたが人間としての人生を歩んだおかげで、私もいろんな感情を体験できている。妖怪として、生きる以上の学びだと思っているわ」

 

「君は……そう感じてくれているんだね」

 

「ええ。あなたと出会ってからの時間は、とても深く、濃くて……生きているって感じるわ」

 

それは蔵馬も同じだった。

この一年が何百年にも感じるほど、かけがえのない時間だった。

彼女と出会ってからの時間は、自分に確かな変化を与えてくれた。

 

 

葵が再び星空を見上げた。

その横顔が、淡い夜の光を浴びて、静かに輝く。

蔵馬の目に、その姿はひどく眩しく映った。

 

(オレは、こんなにも……)

 

胸が、切ないほど熱く満たされていく。

そっと握った指先に、自然と力がこもった。

 

葵の柔らかな横顔から、再び星空へと視線を移す。

その輝きは、彼の人生を彩った全ての出逢いを祝福しているかのようだった。

 

「少なくとも、オレは今の自分も気に入っている。妖狐だった頃では味わえない生き方を体験して、幽助や飛影、桑原君たち、そして君にも出会えた。この巡りあわせに感謝している」

 

(繊細で、優しい音ね…)

 

星空を見ながら耳に届いた蔵馬の言葉に、彼女の心の奥が震えた。

「今の自分も気に入っている」という、蔵馬ならではの表現に、長い歴史と深い経験と想いを感じた。

 

「この世界に偶然があるとしたら、それは偶然という名の必然よ。みんなと巡り合えて、あなたが感謝しているなら、望んでそれが必然だからそうなっているだけ。だから蔵馬…今のあなたを誇りに思って」

 

「……。」

 

蔵馬はわずかに目を見開いて、彼女を見た。

 

 

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葵の声は、彼の魂の根源に語りかけるようだった。

彼の心の奥底に染み入り、長年抱えていたであろう迷いや葛藤さえも溶かす。

何もかもが肯定されたような、絶対的な安らぎをもたらした。

 

「……そうだな。君には色々と教えられてばかりだな」

 

「あら、私たちお互い様ね」

 

柔らかな声でそう返し、葵はその深い双眸で蔵馬を見た。

 

「そうだね。今のも占断?」

 

「私の主観よ」

 

ふっと笑った葵に、蔵馬も微笑み返した。

再び夜空を見上げる二人。

 

二人の間に、静かな熱が灯る。

言葉にならない、けれど確かな想い。

 

 

夜は深まり、風が音を運ぶ。星々が囁くように煌めいていた。

 

蔵馬は、先ほどの左手に残る感触を思い出した。

甘く、螺旋を描くような指の軌跡。

柔らかくも確かなぬくもりは、まだ残っている。

 

蔵馬はその文字の意味を知っていた。だからこそ心と魂が揺り動かされる。

これも偶然という名の必然なのか、背中を押したのは葵の存在そのものだった。

 

(オレは……今の気持ちに正直でありたい)

 

 

胸の奥から湧き上がる想いは、堰を切った激流のように、もう抑えられない。

数千年生きた理性が警鐘を鳴らすも、その声は届かない。

 

 




次回は、二人の心が重なっていく一夜。
ぜひ、そっと寄り添う気持ちで読みに来てください。


枉鵬については、3章9話~をご参照ください。
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