アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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第37話

昼を過ぎて、陽の光を浴びながら、二人はリビングのソファに並んで腰かけている。

葵の髪は、陽を浴びるごとに象牙色の中に淡い桃色を帯び、花弁がほどけるように輝いている。

蔵馬はその移ろいを何気なく目で追いながら、ふと口を開いた。

 

「……やっぱり、葵は光合成してるんだね」

 

「そうなの?」

 

「君が食事摂取をあまり必要としないと聞いたときから、そう思ってたんだ。この家に君がいると、空気が澄んでるんだ」

 

光合成をすることで、植物は自ら栄養を生産することができる。

おそらく、葵の体の中にもそれと似た機構があるのだろう。

顕微鏡で彼女の細胞を覗いたら、蔵馬とは異なる美しい葉緑体のようなものが息づいているかもしれない。

 

(妖怪の中でも、特異的な体だな)

 

 

魔界の植物は、光がわずかでも光合成ができる発達した葉緑体を持っている。

太陽の光があまり届かない魔界で、人間界の植物とは異なる独自の進化を遂げている。

 

葵の場合、太陽の光が注ぐ人間界は、魔界よりもエネルギーを作りやすいということになる。後は肉体の維持を効率的にする工夫をすれば、今までのように姿が不安定になることも減ってくるだろう。そんな仮説が彼の頭に浮かぶ。

 

「自分のことって、本当によくわからないのよね。あなたに言われて、気づくことが多いわ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

葵はそう呟き、自分の手のひらをそっと見つめた。

光合成をしているかどうかなど、肌で感じ取れるものではない。

それでも彼女は、自分の中に潜む未知を確認するように、指を開き、光にかざしている。

 

「水と光と二酸化炭素があれば、自力で栄養を作れるから、意識するといい。それと、人間界で肉体の維持をしたいなら、少しでいいから食べることだね」

 

言っている途中で、蔵馬は何かを閃いた。

それは、葵の体質を効率的に維持するための、さらに具体的な方法。

過去の文献や自身の経験が瞬時に結びつき、更にある仮説が優れた知能の中で明確な形を結んだ。

 

「……そうだ。葵、ちょっと口を開けてくれないか」

 

「こう……?」

 

おずおずと口唇を開く葵。

彼女の微かな警戒心を察し、蔵馬はそっと微笑む。

 

「もう少し」

 

「……目的を聞いても、いいかしら?」

 

理性的で無垢な問い。

自分に近づいてまじまじと口の中をみる蔵馬に、直感的に何かを感じとった。

絶対的な信頼はしているし、この流れで彼に何か良からぬ意図がある気配もない。

でも、なにかを感じたからには、素直に言葉にしたい。

 

「歯の確認をしたいんだ。体質の参考になると思う」

 

「そう……わかったわ」

 

淡々と話す彼に、葵は大人しく従った。

その無垢な信頼に、蔵馬の胸の奥で、ある感情が微かに波打った。同時に、まだ誰も知らない彼女の体の神秘に触れることへの、知的な興奮も覚える。

「……ああ、やっぱり。犬歯がないね」

 

「犬歯?」

 

「歯には、臼歯(きゅうし)、切歯(せっし)、犬歯と3種類あるんだ。犬歯は肉を食べるのに適した歯と言われているんだけど、葵には無い。草食動物や穀物食の生き物に多い特徴だ」

 

説明しながら、葵の歯並びと、その柔らかく開かれた口元をさりげなく観察する。

どこまでも無垢で、肉食の影を宿さない存在。

 

彼女の場合、犬歯の代わりに切歯が生えている。

歯の本数から、野菜果物を3:穀物5の割合で食べると良いということになる。

きっと光合成ができる彼女の細胞には、細胞壁をもつものもあるだろうから、植物由来の食べ物の吸収率も高そうだ。

 

「穀物と野菜や果物を中心にすると、きっと調子が整うよ。……あ、昨日の米も、合ってただろう?」

 

近づけていた顔を離し、蔵馬は自分の仮説が検証できたことに満足した。

 

「ええ。ほんとに美味しかったわ。食事をとるときに、目安にしたらいいのね。蔵馬は、本当に博識ね」

 

(一瞬感じた何かは、気のせいだったのね)

 

葵は心から感謝を伝えた。彼の深い知識とスキルに、何度も支えられ助けられてきた。

今までのことが自然と思い出されて、胸がいっぱいになる。

 

 

すると、蔵馬が含みのある笑顔で、距離をぐっと近づけてきた。

なんだろう。今朝、洗面所で見た笑顔と、同じに見える。

 

「……葵。オレに、何かされると思った?」

 

「……一瞬よぎったわ。蔵馬は、突然何をするか、わからないことがあるから」

 

的確な指摘。まったくその通りだ。前科がいくつもある。

爽やかな南野秀一の顔の奥に、妖狐蔵馬の経験と好戦的な性格を忍ばせていている。

 

この二つの顔を巧みに使い分ける彼を、彼女は見抜いている。

この変幻自在な気質は、本当に例えようがない。

それが蔵馬という男の魅力でもあるのだが。

 

「そんなに希望があるなら、言ってくれたらよかったのに」

 

今度はにこにこと麗しい笑顔を浮かべる蔵馬に、やっぱりそうなのかという顔をする葵。

先ほどの洗面所の時と同様、確信犯のように至極楽しそうな声だ。

 

「希望はしてなっ」

 

言いかけた言葉が最後まで出る前に、ふわりと体が宙に浮いた。

一瞬の浮遊感に心臓が跳ね、思わず息を呑む。

 

「……っ!」

 

次に訪れたのは、すとんとした彼の膝の上への着地。

彼の腕がしっかりと体を支えていることに気づくと、驚きは瞬時に安心へと変わる。

 

向かい合って座る形になり、彼女は思わず彼の肩に手を置いた。

その触れ方さえ、彼の理性を優しくくすぐる。

 

(こうして座らせると、本当に軽い……。肉体の密度も普通の妖怪とは違うのか)

 

観察と愛情、分析と慈しみ。種類の異なる思考と感情が、彼の内で穏やかに交差する。

 

静かにそう心で思いながら、蔵馬は葵を見上げた。

魔の色を含んだ微笑と共に、彼女の全てを包み込むように。

 

この一瞬も、彼の計算の内。

しかし、そこに確かにある本気の愛しさまでは、計算で隠しきれなかった。

 

(……やっぱり、こうしていると落ち着くな)

 

 

葵の眼下に広がるのは、満足そうに目を細めている彼の顔。

この人の顔を見ていると、これくらいならと思ってしまう。彼の愛情表現から逃げたことは、一度もない。

彼女はふわっと微笑んだ。

 

「こうやって、あなたを見るのは、ちょっと新鮮ね」

 

「それはよかった」

 

静かに返しながら、彼女の腰に片手を回し、もう一方の手で淡く色づいた髪をそっと撫でる。

さらりとした感触が指先を流れ、やわらかな陽光を含んだ安息の香りがふわりと立つ。

 

(……本当に、どうしようもないな、オレは)

 

半ば呆れて自分を観察しながらも、そんな側面を面白いと感じる。

彼は計算高いのに、葵に対してはどこまでも誠実だった。

この柔らかな体温を腕に抱く時だけは、打算も策略も消え失せる。

胸にあるのは、ただ、彼女の顔を見ていたいという、それだけだ。

 

 

「蔵馬は……どうしてこんなに親身になってくれるの?」

 

葵にとっては、素朴な疑問だった。

霊界で瀕死の重傷を負ってからというもの、人間界で肉体を維持するために彼の知略知慮を存分に発揮して助けてくれている。

十全な対応に、感謝してもしきれない。

 

「……そうだな。理由は色々とあるけど。一番は……ほっとけないからかな」

 

「危なっかしいってことかしら?」

 

「まあ……それもあるね」

 

明るい陽ざしと共に、リビングに温かい風が入り、レースのカーテンが揺れる。

二人の髪も緩やかに風に乗る。

 

蔵馬は万感の想いを込めて、言葉を紡いだ。声のトーンが、少し低く繊細になる。

 

「オレは……葵をかまうのが好きなんだ」

 

全て自分の意志で、したくてやっている。

どこで覚えたのか、理屈も意味も超えた無償の愛情表現ができるようになっていた。

 

「それは、今の状況を見て納得するわ」

 

蔵馬はふっと笑うと、彼女の背中に指を滑らせて、そっと抱き寄せた。

密着する感覚が心地よくて、彼女の匂いに心が喜んでいる。

なめらかな葵の髪が、自分の首筋を撫でるようにかかるのも、愛おしくて。

 

(……触れるたびに、もっと近づきたくなる。だけど今は、これくらいで我慢しておくよ)

 

「うん…。好きなんだ……」

 

彼の艶のある声が、耳元から体の奥に響く。

蔵馬の言葉は誠実で温かい。

優しく降る光のなか、二人の間に静かな時間が満ちていく。

 

 

(あなたは、こうやって私を包み込んでくれるのね…)

 

葵は彼の首に手を回して、目を閉じた。好意に寄りかかるように。

その小さな仕草に、蔵馬の胸の奥がまた微かに波打つ。

 

 

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(……こうしていると、君がまるで根を張る花のように思える。何も言わなくても、心で通じる)

 

そよぐ風が二人の間をすり抜ける。

心地よい沈黙。微かな鼓動と、肌に触れる温もり。

無言の優しい会話がしばらく続いた。

 




次回で8章終了です。

南野家での1泊の日常は、書いていてとても楽しかったです。

幽遊白書好きの方、蔵馬が好きな方に楽しんでいただければ幸いです。
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