アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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最後のあたりに、あの方に友情出演していただいてます。


第38話

そのとき。

突然電話がなった。

 

その無機質な電子音は、この穏やかな時間を終わらせる異質な存在のようだった。

数回コールがなっても蔵馬は動こうとしない。

 

もう少し、このままこの人を腕の中に閉じ込めていたい。

そんな彼のささやかな抵抗だった。

 

(……まだ、手放したくない)

 

けれど、葵がそっと体を起こし、彼を見上げた。

 

「蔵っ…」

 

 

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蔵馬は迷わず、言葉と共に口唇を奪った。

短く、甘く。まるで別れ際に花弁をそっと摘むように。

 

口唇が離れて、彼はふっと笑う。

その笑みは、彼の深い満足と、別れを惜しむ微かな名残惜しさが混じり合ったものだった。

 

少し驚いている葵を、軽やかな身のこなしでソファへとそっと降ろす。

そして、ようやく電話の方へと歩き出したのだった。

 

 

「……あと1時間ほどで帰ってくるそうだ」

 

何事もなかったように、蔵馬は受話器を置いて彼女を見た。

その視線には、まだ冷めやらぬ熱がわずかに残っていた。

 

夢の終わりのような余韻。

もうそろそろ、お互いの日常に戻る時間だった。

 

 

「蔵馬、この服は洗って返すわ」

 

普段の服装に着替えた葵が、たたんだベージュのトレーナーとジーンズをそっと膝に乗せたとき、蔵馬はゆるやかに微笑んだ。

 

「持ってていいよ。今度また来るときに、着てきて」

 

彼の言葉は、無理のない自然な響きだった。まるで最初から彼女のものだったかのように。

 

「あなたに頂いてばかりだけど、大丈夫かしら?頂きすぎは申し訳なくて」

 

「オレがしたくてしてるから、素直に受け取ってくれたらいいよ」

 

蔵馬は葵の視線をそっと受け止めた。声にわずかな温度を含ませる。

 

「それに、お返しなんて考えなくていいから」

 

彼女の胸の内にある「受け取ることへの遠慮」を察して、その一歩先にある言葉を届ける。

そんな彼らしい返し方だった。

 

「その服、どうだった?」

 

「やわらかくて、動きやすくて。……最初に着たときは、自分に馴染んでいないようで落ち着かなかったけれど、今は好きよ」

 

「良かった。君の雰囲気に合うと思ったんだ」

 

蔵馬の眼差しは、葵の顔から手元の服へと滑っていく。

自分が選んだものが、彼女の一部になったという喜びが、胸の奥に静かに積もる。

 

「蔵馬は、元々何かを贈るのが好きな方なの?」

 

ふとした問いに、彼は目を伏せて小さく笑った。

 

「そうでもない。……ただ、以前君に言われた言葉が、良い意味で響いているのかもしれないな」

 

「私、何か言ったかしら?」

 

あれは数か月前。

葵の知らないところで、暗黒鏡を使って母親を助けるために命をかけた。そのことへの謝罪と、今までの感謝として、昔に蓄えた財を彼女に渡そうとした。

しかし、彼女はその意図を見抜き、受け取らなかった。

そのあと再会した折に、こう告げた。

 

「今後はこういう贈り物の仕方はなし」

 

それは一方的に贈るのではない、間接的に渡さない、換金性物品を贈らないなど、多様な意味が込められていると蔵馬は受け取った。

確かに、あの行動はらしくなかった。

 

「…そんなこともあったわね。随分と昔のことのよう」

 

「オレは葵に、大事なことを教えてもらってるよ」

 

「教えているつもりはないのだけど。もしそうなら、私たちお互い様ね」

 

「うん。それにね、葵にはわからないかもしれないけど……オレは、君からたくさんもらってるんだ。見えない形で」

 

葵の反応ひとつひとつ。

無垢な驚き、考え込む横顔、ふとした微笑み、柔らかな花髪、そして安息の酔芙蓉の香り。

それらがどれほど蔵馬の内側を満たしているか、当の本人は気づいていないだろう。

 

「だから、贈りたいと思う。自然と、ね」

 

その言葉に、葵は小さく頷き、目を伏せた。

 

 

「……ありがとう」

 

蔵馬はその表情を静かに見つめた。

心の中にある温かな満足感。与えることも、受け取ることも、どちらも自然で心地よい関係。

 

しばし沈黙が流れ、レースのカーテン越しにやわらかな風が二人の間を通り抜けた。

その穏やかな間合いの中、ふと思い出したように葵が顔を上げる。

 

 

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「そういえば、蔵馬はどうして旅行に行かなかったの?」

 

帰り際の何気ない問い。

蔵馬は軽く身を乗り出し、彼女との距離をわずかに詰めた。

いたずらを含んだ、けれど誠実な光をたたえた目で。

 

「オレは……大切な用があったんです」

 

「……このために?」

 

含みのある言い方に、葵は少し目を丸くした。

柔らかく笑う蔵馬の表情は、南野秀一としての青年らしい無邪気さと、妖狐蔵馬としての深い思慮が入り混じっていた。

 

「たまには、こういうのもいいだろう?」

 

 

今後母が再婚し、新たな生活が始まろうとしている。

昨日今日のような静かで親密な時間は、そう多くは望めない。

 

だからこそ、彼は迷わなかった。今ここで、葵とのこの時間を選ぶことに。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

根無し草のような花は、蔵馬と言う大地に根ざした。

 

葵は花の妖怪でありながら、定まった場所に縛られない存在だった。

魔界、人間界、霊界と、時と場所を選ばずに行き来する彼女の姿は、風に舞う花びら、あるいは「根無し草」のよう。

どこにも深く根を下ろさず、流れるままに世界を渡り歩いてきた日々は、彼女にとっての「生」の形そのものだった。

その自由さの裏には、どこか漠然とした不安と、誰とも深く関わることのない微かな孤独が常に寄り添っていた。

 

しかし、そのあり方は大きく変わった。

蔵馬との出逢い、そして彼との関係が深まるにつれて、葵は「蔵馬という大地」に、ゆっくりと、確かに根を張っていった。

 

彼の深い理解と愛情、そして彼女の存在を丸ごと肯定する包容力は、葵が初めて安心して身を預けられる場所となった。

彼という大地から、人間としての感情や学びという豊かな養分を吸収し、彼女は「生きていると感じる」ほどの深い充実を得ていく。

 

それは、これまで見慣れていたはずの世界に、突然鮮やかな色がつき始めたような感覚だった。

五感がより研ぎ澄まされ、風の匂い、光の暖かさ、蔵馬の優しい声、その全てが以前にも増して鮮烈に心に響く。

自分の存在が、確かな意味と居場所を持った喜びが、体の奥底から湧き上がってくるのを感じた。

 

特定の場所に固執せずとも、彼女の精神が深い安定と成長を見出した証拠だった。

 

根無し草が大地に根ざすように、葵は蔵馬という存在によって、心の拠り所を得て、その生命をさらに豊かに花開かせていくだろう。

 

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

 

 

 

数週間後。

 

「あなたに言われてから、人間界ではなるべくご飯を食べるようにしているの」

 

「どこか行きつけでも見つけた?」

 

蔵馬は穏やかな声で問い返す。葵が食事に意識を向け始めたことが、素直に嬉しかった。

 

「とても親切なご夫婦がやっている食堂に、お世話になってるの」

 

「そうか。いいお店を見つけたんだね」

 

彼女のこうした変化もまた、成長の一端。蔵馬の胸に、静かな満足感が灯る。

 

 

 

葵によれば、夫婦で経営している町の食堂のようだった。

場所は、蔵馬の家からは二駅先。葵の要望に合わせてご飯多めに、おかず少な目のカスタマイズをしてくれるそうだ。

 

「へえ。何食べたの?」

 

「この前、閉店間際に行ったらハムカツをサービスしてもらったわ」

 

「今度、オレも行ってみたいな」

 

「ええ。案内するわ」

 

 

その時、蔵馬はまだ知らなかった。葵の行きつけの町食堂は、彼の友人の幼馴染の両親が経営する雪村食堂だった。

この事実を知った時、彼はどんな顔をするだろうか。

きっと、驚くと同時に、深い安堵と喜びが込み上げるに違いない。それはもう少し先の話。

 

 

「あのお嬢ちゃん、いつもご飯大盛りで、おかずはちょっとなんだよな」

 

食堂夫婦が微笑ましく見守る中、南野家以外に安心して食事をとれる場所を見つけた葵。

実は、彼女のことは、幽助たちの皿屋敷中学で噂になっていた。

 

 

「螢子、オメーのうちの常連で、ちょっと変わった注文の仕方する可愛いねーちゃんがいるって本当か?いつ行ったら会えるんだ?」

 

幽助は幼馴染に、雪村食堂に出没する噂の女子生徒についてたずねた。

 

「うちの母さんが、神出鬼没で決まった時間に来ることはないって言ってたわよ」

 

「……なんか妖怪みてぇだな」

 

知らずに核心を突く幽助の言葉に、気づくものはいなかった。

 

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

おまけ♢

 

葵が南野家に宿泊した翌週の高校にて。

 

「なぁ、南野。先週末に女の子と出かけていたって噂になってるけど、実際のところ、どうなんだ?」

 

「……へぇ、そうなんだ。人違いじゃないかな」

 

「でも見たって言ってる子いるみたいだぜ?」

 

「噂は尾ひれがつくものさ。他人の空似だよ」

 

生物部の同級生の問いに、蔵馬はいつも通りの微笑みでかわしていた。

ほんの少しだけ、嬉しそうに。

 

その微笑みの奥には、誰にも知られることなく、葵と過ごした密やかな時間への充足感。

そして彼女が人間界の日常に、確かな足跡を残し始めていることへの、静かな喜びが潜んでいた。

 




これで8章終了です。この後、短編が3話続きます。

短編3つ目の「葵とぼたんの霊界探訪記」は、少し長く前編後編となります。そこで、この短編更新期間のみ、更新頻度を増やします。

7/19㈯「その隠し事を君だけが見つけるー境界線にたつ蔵馬ー」、
7/20㈰「この愛は共鳴ー無垢な葵と理性の蔵馬ー」、
7/21㈪「葵とぼたんの霊界探訪記」前編、
7/23㈬「葵とぼたんの霊界探訪記」後編 を更新。

7/26㈯本編9章スタートとなります。この日より、通常更新頻度に戻ります。
詳しくは活動報告にて。

ぜひ短編もお楽しみ頂ければ嬉しいです。

短編URL:https://syosetu.org/novel/378019/
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