アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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花髪を切るー儚い命と向き合うー

 

葵の荷物を取りに行った後、二人は蔵馬の部屋に来た。

窓から差し込む雲間からの光が、床に淡い影を落とし、漂う土と草が混じり合ったような薬草の香りと相まって、静かな空気を生み出している。

 

彼女の着替えが済むと、蔵馬は火傷の治療を始めた。

熱した瓦礫に挟まれた足の熱傷は、やはり深かった。

薬草を塗布した湿布を念入りに巻き、そっと包帯で覆った。

指先に伝わる微かな熱と、時折ぴくりと震える彼女の脚の軽さに、蔵馬の胸の奥が密かに反応する。

 

内面でそう感じながらも、その手つきは終始変わらない。

彼女の命のひとつひとつを繋ぎとめるように。

 

手早く作った軟膏を薄く塗り広げながら、ふと目にした背中の古傷。それは、数か月前よりもずっと目立たなくなっていた。

淡い傷跡から、彼女が黙って手入れを重ねてきたことがわかる。

それを見て、蔵馬の胸にまたひとつ小さな感情の波が立つ。

言葉にならない愛しさと、切なさだった。

 

 

「オレがやるよ」

 

道具を使うことが得意じゃない葵の器用さを考慮して、蔵馬は髪を整える役を引き受けた。

指先に伝わる、焼け焦げた毛先のざらつき。

それは、普段のなめらかな手触りの花髪とはちがった。

 

一房ずつ、慎重に櫛を滑らせ、縮れた毛先を静かに切り揃えていく。

サクッという軽いハサミの音と、はらりと切った髪がタオルに滑り落ちるかすかな音。

それが、彼の中で妙に鮮明で、胸に刺さった。

 

 

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椅子に座った葵の髪を手に取りながら、脳裏に浮かんだことがある。

 

(葵は……恐れを抱くことがあるのか?)

 

生まれたての赤子が死ぬことを考えないように、彼女は死に対する恐怖がないように感じる。本能のどこかが希薄なのだ。

 

今まで何度と重傷を負っても、彼女はどこか他人事のように、客観的に自分と自分に起こった出来事を見ている。

生き物の常識からすれば、常軌を逸していると言ってもいいほどだった。

加えて葵は脆弱な妖怪な上に、痛みの感知も鈍麻なほうだ。

 

それらが彼女の存在を、妖怪らしからぬつかみどころのないものとしていた。

 

だからこそ、蔵馬は琥珀を渡した。

共に生きるために、その根無し草のように儚く飛んでいきそうな命が、望んで根を下ろせるようにと。

 

生き抜くことよりも、瞬間瞬間を生きているような印象が、時に花そのもののように映る。

死から逆算して、生きているようにさえ感じることもある。

 

けれどその一方で、繊細で、限りなく澄んだ感性をもち、子供のように自由で鋭い。

自然と繋がるような純粋な知覚と直感は、妖怪の中でもかなり優れている。

それで、どうにか命をつなぐバランスが取れているようだった。

 

 

(この人は、本当に生き様まで花と生き写しなのか……)

 

蔵馬はふっと細く息を吐いた。

自分がいなければ、あの場面で葵は無事では済まなかった。

そんな現実が、彼の胸に冷たい影を落とした。

 

無意識にハサミを動かす手が止まる。

視線の先には、傷んだ髪と、その奥の無垢な後ろ姿。

焼けた毛先を切り落としながら、蔵馬の中にふと問いが生まれる。

この髪を手に取る行為は、まるで「枯れかけた花を手折る」ような生々しさと似ていた。

自分の手で彼女の命を摘み取っているように、無意識で感じていた。

(……オレは、何をしているんだ)

 

髪を整え、傷を癒やし、命を繋ぎ止めることが、果たして本当に彼女を守ることになるのか。

そんな問いが、胸の奥に重く沈んだ。

 

それでも、蔵馬は手の動きを再開した。

淡い光の中、焼けた髪が少しずつ整っていく。

落ちた髪がタオルの上で散り、静かな午後の気配に、いつもとは違う彩りを与えていた。

 

 

 

「これでどうかな?」

 

蔵馬の手によって整えられた葵の髪は、焼ける前に肩の下まであった長さを失い、今は顎の少し下でふんわりと揺れる端正なラインに変わっていた。

焦げて縮れた部分はすべて取り除かれ、丸みを帯びたその形は、彼女の白い頬と優しい目元をやわらかく縁取っている。

 

葵は、渡された手鏡を見た。

短い髪が風に揺れる感触が、新鮮な気持ちを運んできた。

 

「きれいにしてくれて、ありがとう」

 

 

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振り向いた葵が微笑む。

無邪気で、澄んだその瞳に、蔵馬の胸が静かに音を立てた。

 

「君を坊主にはできないからね」

 

そう答えながら、彼女の肩にかけていたタオルを外すと、その手がふと止まった。

白いタオルの上に、淡い桃色と象牙色の髪の切れ端が静かに積もっている。

ほんのさっきまで彼女の一部だったもの。

風に散る花びらのように、もう二度と元には戻らない。

 

(……捨ててしまうのか、これを)

 

心の声と共に、体が躊躇した。

蔵馬はそっとタオルを畳み、その小さな別れを胸の奥に沈めた。

そんな彼の一連の動作を、葵は知らない。

 

 

「あなたはなんでもできるから、本当に器用ね」

 

椅子から立ち上がって、葵は軽くなった髪を触った。

その言動は、先ほど襲われた余韻をまるで感じさせない。

 

対して蔵馬の中には、未だ冷めやらぬ熱があった。

理屈では片付かない感情。言葉にできない胸の痛み。

理性の隙間からじわりと染み出す、抑えきれない衝動。

 

 

蔵馬はそっと葵の手を取った。

指先に、細くて柔らかい肌と骨の感触が伝わる。

伝わる温度に、心臓が静かに脈打つ。

その手のぬくもりが、ここに確かに「生きている」証。でも何かが足りない。

 

その深い湖の底のような双眸で、彼女の目を覗き込む。

目の前の人は、いつものようにまっすぐにこちらを見返してくる。

その純粋な様子に、蔵馬の心は細かく揺れる。

 

 

(だめだ………。オレは今、気持ちを抑えられないっ)

 

 

自分の中に渦巻く何かが、堰を切ったようにあふれ出すのを止められなかった。

蔵馬は、決して壊さぬように、葵の小さな体を腕の中に抱いた。

その命を確かめるように、熱傷の箇所を避けて、そっと腰に腕を回す。

もう片方の手は、彼女の頭に添えられた。

ほんの少し前まで火に焼かれていたその髪に、頬を埋める。

 

「……っ」

 

蔵馬の心の奥の葛藤が、吐息として漏れる。

どこか懐かしい安息の香りを深く吸い込む。

 

「…っ蔵馬」

 

 

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「……すごく、心配だったんだ……」

 

やっと絞り出した声は、かすれ、上ずっていた。

生きてくれてよかったという単純な想いじゃない。

もっとずっと深くて、切実で、例えようのないほどの何かだった。

 

抱きしめる腕は、理性と衝動のはざまで揺れていた。

ただ確認したかった。確かに、ここに生きていることを。

その事実が、彼には奇跡にさえ思えた。

 

その強くて揺るぎない抱擁と、彼の感情的に上ずったような声に、彼女は胸が押しつぶされるような感覚になった。

 

(いえ、この胸が押しつぶされるような気持ちは……私じゃなくて、蔵馬のものだわ)

 

葵は静かに目を閉じた。溢れてきたのは、彼の切ない感情の数々だった。

蔵馬が、どれほど自分を想ってくれていたのか。

改めてその真摯な気持ちが、波のように押し寄せて伝わってきた。

 

知らず涙が滲みそうになる。

葵は蔵馬の背中に手を回した。彼の胸と背中の両方から伝わる鼓動は、彼の中の激しさを如実に物語っていた。

 

「…私は、あなたを心配させてばかりね」

 

「……君は、何も悪くない。オレが、勝手に心配しているんだ…」

 

押し殺すような声が、彼女の髪に落ちた。

言葉では語りきれない想いが、二人の間に満ちていた。

 

(……君と出逢ってから、オレは…)

 

蔵馬は、心の奥で言葉にならない何かを強く握りしめていた。

これまでのどんな戦いよりも、危うく、脆く、そして、尊い。

 

この人が生きていること。

ただそれだけで、今の自分は、こんなにも揺れてしまう。

 

 

本当は、もっと自分を大切にしてほしいと伝えたい。

しかし葵自身、きっと自分を大切にしていないわけではない。

生まれて間もないため、妖怪として生きぬくという経験が浅いのだ。

 

蔵馬が説明しても、すぐに伝わるものではなくて。

それがもどかしくて、切ない。

 

だから抱きしめる腕に力がこもる。言葉で伝わらない自分の想いを刻もうとする。

彼女が生きている実感を得たくて、その温もりを感じ、鼓動を聞いて、蔵馬は安息の香りを肺に入れる。

 

 

(できることなら……君をこのまま(さら)って、誰にも触れさせたくない)

 

自分が陰に潜む全ての危険を摘み取るまで、外の世界から隔絶し、守り抜きたい。

その衝動が胸を満たし、理性をかき乱す。

 

けれど彼女がそれを望まないことも、知っている。

自由であること、風のように、花のように生きること、それが彼女の本質だから。

 

 

葵を抱きしめたまま、蔵馬はふっと小さく息を吐いた。

それは、自身の胸の奥に沈めていた真実を、いま彼女に告げるための、静かな決意の息だった。

 

「君を襲撃したのは……正聖神党の者だ」

 

低く、いつもよりも慎重な声だった。

コエンマから聞いた神託と依代の話、そしてその期間について伝えた。

 

葵は黙って聞いていた。驚くことはなく、怯える様子もなく、蔵馬の胸に身を預け、彼の言葉の一つひとつを、心の奥に沈めていた。

 

「……そう。あと一日、身を守ったらいいのね」

 

「……おそらく。だから明日まで、オレが葵を護る」

 

その言葉は、ただの約束ではなく、彼の静かで熱い宣言だった。

今この瞬間、彼の存在すべてが「護る」と告げていた。

 

「……ありがとう」

 

葵は静かに顔を上げた。

ほんのりとまつ毛が濡れる。

すぐ近くにある蔵馬の深い瞳に向けて、語りつくせない感謝と敬意の眼差しを返した。

 

 

二人の間の空気がふっと変わる。

時間の流れがゆるやかになり、世界が静かに色を変える。

心と心が重なり合っていた。

 

不意に、葵の胸の奥には、もう一つの静かな思いが浮かび上がってくる。

彼の家に身を寄せている以上、自分ひとりの問題ではない。

この場所には、蔵馬の大切な人がいる。彼の母親だ。

万が一、また敵の手が伸びてきたなら、巻き込んでしまうかもしれない。

 

葵はそっとまぶたを伏せ、微かに息を整えると、再び蔵馬を見上げた。

 

「……あなたの家にいると、お母さんに迷惑をかけるかもしれない。どこか場所を移してもいいかしら?」

 

彼女の意志表示はもっともだった。

今日の襲撃で、正聖神党がどのような手を使ってくるかわからない。

周りを気にせず対峙するために、人間が住んでいないような場所にいるのが望ましい。

 

「……一時的な隠れ場所がある。そこへ行こう」

 

蔵馬の返事は迷いのない即答だった。

心の中ではもうとっくに決めていた。

 

彼女のすべてを守る。そのためには、何ものも恐れはしない。

 

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