アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

45 / 90
洞窟の夜、愛の痛みを知る

蔵馬は淡黄色の戦闘着に身を包んでいた。

東洋的なデザインで、流れるようなシルエットがしなやかな彼に合っていた。

 

彼の歩みは迷いなく、夜の闇に包まれても足音一つ立てない。

そんな中でも、彼女の負傷した足を労わりながら、速度を合わせて進み、葵を人里離れた山奥へと導いた。

 

やがて街の灯りも遠ざかり、二人の周囲には、夜の森のざわめきと、川のせせらぎだけが響くようになった。

 

辿り着いたのは、小さな川の流れる洞窟だった。

奥に進むと、淡く光を放つアカル草がいくつか咲いている。

その柔らかな白い光は、洞窟の壁に二人の影を揺らし、外界の喧騒とは無縁の、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

湿り気を帯びた土の一部には、ひっそりと苔や野草が根を張っていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

かつて蔵馬が妖狐だったころ、時々使っていた隠れ家だった。

空気は澄み、しばらく過ごすには十分な環境だった。

 

 

葵は洞窟内を歩き回り、ひんやりとした岩肌にそっと触れてみたり、根を張った草の柔らかさを確かめたりしていた。

その静かな気配を背に感じながら、蔵馬は外の様子を探るため洞窟の入り口へと戻った。

周囲の安全を慎重に確かめる。

夜は深く、風もほとんどない。しかし彼は、ほんのかすかな気配にも注意を怠らなかった。

 

ほどなくして彼が戻ってくると、二人は岩場に腰を下ろし、明日までの過ごし方について静かに言葉を交わした。

 

しばらく無言の空間が広がる。

洞窟内に流れる小さな川の音が、静かに響いていた。

 

その時。

葵は視線を宙に漂わせるようにして、思いつくまま呟いた。

 

「蔵馬は……妖狐になる前の姿も銀色の狐だったの?」

 

「そうだよ」

 

(……また、いきなりだな)

 

そう思いながらも、彼は微笑みながら応じる。

 

「その姿は、自然界ではかなり目立ったんじゃないかしら?」

 

一般的に白い動物は野生では目立ち、外敵から狙われやすくなる。

葵の声には、理知的な分析よりも、どこか遠くを懐かしむような柔らかさがあった。

まるで、目の前にその美しい銀色の妖狐の姿が浮かんでいるかのように。

 

「能力で化けたり、幻影を見せたり、身を隠すことはできたから、それほど不自由しなかったよ」

 

「妖狐になる前から、それはできたの?」

 

「うん」

 

「あなたは、特殊能力が優れているのね」

 

そう言って、葵は少し微笑んだ。

その笑みに、蔵馬はふっと息を漏らす。

 

「オレからすれば、君の亜空間移動や、見えざるものの声を拾う方が、かなり特化した能力だよ」

 

「ふふ。みな、自分にないものを優れていると感じるのね」

 

蔵馬は、話を合わせながらも、不思議に思った。

 

(葵は、どうしてこのような話を……?)

 

いつもの好奇心とも、無邪気な問いかけとも違う。無論、先の見えない不安から言葉を紡いでいるようにも見えない。

何か、別の想いが込められているように感じた。

 

 

「銀色の毛皮のあなたは……美しい姿だったんでしょうね」

 

遠くを見るような眼差しで、彼女は言った。

わずかな灯りしかない洞窟の中でも、その瞳は星の輝きを宿していた。

 

「……どうだろうね」

 

蔵馬は視線をそらし、苦笑するように言う。

 

「一つの生涯で、3つの姿を生きるあなたは、稀有な存在ね」

 

「……そんなことを言うのは、君くらいだよ」

 

そう答えると、蔵馬は洞窟の壁に手を添え、隠し扉を開けた。

そこには、非常用品も含め、武器防具、種など色々なものが保管されていた。

長い歳月が流れているはずだが、手入れが行き届いていたのか、状態は悪くない。

彼は一つひとつ確かめながら、必要なものを手に取っていた。

 

その時。

彼の背後からふわりとした声が、洞窟の中と蔵馬の心に溶け込むように、やわらかく、深く響いた。

 

 

「私は……あなたに巡り合えて、本当に仕合わせだわ」

 

感謝とも違う。喜びとも少し違う。

もっと、心の奥底から生まれた、彼女の真実の想い。

蔵馬は思わず手を止めた。

 

(そうか……。突然話題が変わったのは、君の深い気持ちの伝え方だったんだな…)

 

静かに目を伏せた蔵馬の頬に、涼やかな洞窟の空気がそっと触れた。

岩壁にこもる冷気と土の匂い。過ぎ去った時の名残りと、今、隣にいる彼女の温かい気配。

それらが静かに交錯するこの場所で、彼は目元を緩めた。

 

突然のことだった。

トン、と控えめな音。続いて、彼の背にふわりとした重みがのしかかる。

柔らかな頬、葵だ。どこか懐かしい酔芙蓉の香りが濃くなる。

 

「……っ。葵?」

 

思わず名を呼んだ声は、いつもよりわずかに吐息が混じり、驚きを隠せなかった。

けれどすぐに、胸の奥にじんわりと広がってゆく温かさに気づく。

背中越しに伝わる彼女の体温。小さく、柔らかく、心地よい。

 

(……自分から触れてくるなんて)

 

滅多にないことだった。彼女のほうから、迷いなく、素直に甘えてくることなど。

心にひっそりと芽生えた嬉しさが、背骨を伝う。

 

触れ合う肌から気配が伝導し、境界が溶け合うような感覚を覚える。

肉体という枠を越えて、気も、想いも、静かに融け合っていく。

そんな不思議な錯覚。

 

忘れていた。こんな安心を、こんな温もりを。

 

「あなたの音は……耳に優しいわ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

背中に響いた葵の囁きは、かすかに震えて、それでも芯のある柔らかな声だった。

葵が聴いているのは、蔵馬の胸の音。

 

鼓動が、彼女の耳に届くことを意識した瞬間、ふと彼の心に湧き上がったのは、淡い期待と微かな疑問の芽だった。

 

この胸の音は、彼女の耳にどのように聞こえているんだろう。

早鐘のような、ときめきの音か。

それとも、静かに波打つ安心のリズムか。

 

(この鼓動に、想いは乗るのだろうか……)

 

ここから、自分の想いが言葉を超えて伝わればいい。

どれだけ、この人を想っているか、どれだけ失いたくないか。

 

言葉にしなくても、伝わるのなら。それがこんなにも優しい方法ならば。

 

 

蔵馬の柔らかく波打つ髪が、葵の頬に触れる。

少しくすぐったくて、繊細な感触が、彼女を包む。

 

その広い背中からは、彼の優しい匂いがする。静かに心をくすぐる涼やかな匂いに、深い安らぎが広がり、葵はゆっくりと息を吸い込んだ。

 

(ありがとう…という言葉が足りないわ……)

 

蔵馬の気配に包まれることで、こんなにも安心する自分に、葵自身も静かに驚いていた。

こうしているだけで、心の深いところがほどけていく。

彼もまた、そっとその変化を感じ取っていた。

 

(葵なりに、甘えてくれているんだな……)

 

これだと抱きしめることができなくて、蔵馬は少しもどかしい。

もっと触れたくて、触れてほしくて。でもそのもどかしさも、今は愛おしい。

 

控えめで、静かで、確かに伝わる小さな愛情表現。

信頼して、安心して寄り添う彼女を、蔵馬は抱きしめ返したくなった。

 

 

静かに時が流れていく。

蔵馬はそっと後ろにある葵の手を取り、その細い指を自分の腰に導いた。

驚くほど小さな手だった。

この手を、護りたい、そう想った。

 

彼女の手の上に、自分の手を重ねて、優しく抱きしめた。

お互いの手の温かさに、安堵感がさらに体を駆け巡る。

 

「好きなだけ……こうしていたらいいよ」

 

彼女に言うように、自分に言うように、蔵馬の声は繊細で、穏やかで優しかった。

背中越しに、葵の微かな笑い声が聞こえた。

ふわっと、花がほころぶような、やさしい音。

 

「……ありがとう」

 

 

二人の間に流れる時間は、水のように静かに、緩やかに過ぎていく。

葵の呼吸は次第に落ち着き、手の力もすっと抜けていった。瞼の奥で、深い夢の淵へ誘われるような心地よさを感じていた。

 

指の隙間から伝わる温もりが、ほんのりと淡く、薄れていき、洞窟にたゆたう。

蔵馬の背中に寄り添う小さな体から、深い安心が伝わってくる。

 

(緊張が、やっとゆるんだか……)

 

今日の襲撃は、想像以上に彼女の体と心を削ったのだろう。無理もない。

無自覚なまま気を張っていたことに、彼女自身は気づいていない。

 

(このままでもいいが……)

 

これでは敵に襲撃を受けた時に、対応が遅れる。

眠るなら、せめて横になってもらったほうがいい。

蔵馬は静かに、背後の彼女にその艶のある声を届けた。

 

「葵」

 

反応は微かな吐息のような返事。意識は半分眠りに落ちかけていた。

 

「最近、寝てなかったんじゃないか?」

 

「……ええ」

 

蔵馬はゆっくりと振り返り、彼女の顔を覗き込んだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

その目元には、まだ抜けきらない疲労の影が差していた。

彼は手を伸ばし、そっと彼女の頬に触れる。

その頬に手を添えた指先が、ほんの少しだけ冷たくなっていた。

 

「休んでいいよ。オレが見張ってる」

 

安心して。

そう告げると、葵は小さく微笑んだ。

 

「……ありがとう」

 

蔵馬は植物が自生する柔らかな地面に、用意していた毛布を丁寧に広げた。

彼の静かな眼差しに促されて、葵は素直に体を横たえた。

 

丸まるように横になる姿は、まるで小さな子どものようだった。

無防備で、従順で。

護りたいと思う気持ちが、胸の内に熱く湧き上がる。

 

「起きたら、交代するわ」

 

「……起きれる?」

 

近くに座った蔵馬の声が、少し笑っている。

その様子に葵は何か言いかけたが、すぐにつぐんだ。

そしてしばらく、彼の顔を見つめながら考えた。

 

「……今夜は、あなたに甘えてもいい?」

 

その声に、蔵馬の微笑が深まる。

彼女にしか向けない、どこまでも静かで穏やかな声で抱きしめた。

 

「いいよ」

 

その声の包容を葵は素直に受け止めた。

ふわっと花がほころぶように笑うと、そのまま瞳を閉じた。

まもなく、規則正しい呼吸が聞こえてきた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

夜がさらに深く沈み、洞窟の天井近くに淡く灯るアカル草の光も、息をひそめるように揺れていた。

 

蔵馬は、自分が整えた花髪にそっと指を絡ませる。

夜も更けて、その髪は桃色がなくなり、象牙色の花へと姿を変えた。

 

愛してやまない彼女の髪が焼けたことにも胸が痛むが、再びこれほどの手負いの状態にさせてしまったことに、己を許せなかった。

 

今は近くにいるから守り切れる。

ただ魔界にいる間、彼女に何かあっても自分はどうする術もない。

 

火の中で葵を見つけたときの、あの胸を抉るような感覚。

それは拭い去れない影となって、彼の内に残り続けていた。

 

大切なものができるということは、生きる力となり、強さの原動力になる。

しかし同時に、失うことへの恐れが表裏一体になると思い知る。

 

(今の状況でこの感情だ……。オレは、葵を失ったら、耐えられるのか想像もつかない)

 

胸の奥を、じわりと冷たいものが満たしていく。

そんな思いを打ち消すように、蔵馬はそっと彼女の頬に触れた。

 

「……ん」

 

小さく声が漏れた。

蔵馬の手が触れている頬が、わずかに動いた。

彼の思考は、停止した。

意識の波間を漂うように、彼女は夢の中で何かを感じ取ったのだろうか。

 

(考えすぎるのは、オレの勝手だな……)

 

ある程度、自分の胸の苦しみを自覚できた。これも、葵を想う故の葛藤だ。

愛するということは、時にこうして痛むということを、身をもって体験する。

 

 

そっと、火傷の痕が薄く残る頬を撫でる。

ようやく安心して眠れたのだろう。深い眠りの一歩手前で、花色のまつ毛が細かく震えている。

 

先ほど声を上げた時に、口唇が少し開いているのが目に留まった。

 

「……葵」

 

喉から漏れたのは、空気さえ震わすほどの繊細で、艶のある声。

目の前の人は、安心して眠り続けている。

 

しばらく、蔵馬は静かに彼女を見つめていた。

そして懐から、サクラガイの容器を取り出した。

中身は、彼女のために作った練薬。

それを指先に取り、舌でなじませると、顔を近づける。

 

そして吸い寄せられるように、その口唇に自分のものを重ねた。

少し空いた口から、舌をすべりこませて薬を塗る。

 

苦い。

けれど彼女の口腔内の温もりが、それを和らげる。

 

「……寝てるのに、すまない……」

 

この台詞は、口移しで薬を塗ったことに対してではなかった。

今この瞬間に湧き上がった感情の、行き場のない切なさと、募る想いへの祈りのようだった。

 

 

毛布から覗いた葵の小さな手に、自分の手を重ねる。指を絡め、もう一度口唇を合わせる。

繰り返しているうちに、練薬の苦みが薄らぐ。

代わりに彼女の甘い気配が、蔵馬の五感を満たしていく。

柔らかく、温かい。

 

目の前のこの存在が、どれほど尊く、壊れやすいものか、今さら痛いほどわかる。

 

この冷静沈着な男に恋をさせる葵は、深くなる口づけにも意識は眠りの中に置いている。

ただ、漏れる吐息は増える。

彼女の指先がぴくりと動き、口元が微かに緩む。

 

 

(こんな時も、君はオレを夢中にさせる……)

 

口唇をわずかに離すと、そこは濡れて光っていた。甘美な花唇は、いまだ彼を誘っている。

花から生まれた彼女は、ある意味罪深い。

それを本人は全く自覚していないから、尚更だ。

 

葵は深い眠りに沈んで、起きる気配はない。

もっと彼女を求めたくなる自分に戸惑いながらも、その花にまた吸い寄せられるように、蔵馬は近づく。

 

けれど、これ以上は……。

蔵馬は小さく息を吐いた。

 

そのとき。

ぴくっ。

彼の神経が一気に研ぎ澄まされた。

音ではない。空気の乱れ、気の流れ。そのわずかな歪みを捉えた。

 

(外に2人か……。命が惜しくないなら、来るがいいさ)

 

洞窟の外には見張り代わりの植物と、侵入者を捕縛する植物をいくつか配置している。

用意周到な彼に抜かりはない。

 

 

再び葵に深い瞳を向けた。

 

でももう少しだけ、蔵馬はこの寝顔を見ていたかった。

ようやく安息の眠りに入った彼女を、招かれざる客のために起こしたくなかった。

 

「……おやすみ。葵」

 

蔵馬は頬に添えた手と、その眼差しで慈しむように葵を抱きしめた。

 

 

(君が葵でいてくれるから……オレは蔵馬でいられる)

 

そして彼はゆっくりと立ち上がり、洞窟の外を睨んだ。

 

夜の静寂が、彼の背を押す。

 




PC故障のため、更新が滞って申し訳ありませんでした。
本日より復活しましたので、定期更新いたします。

蔵馬と葵の愛と成長の物語を、今後ともよろしくお願いいたします。

今回も蔵馬さんはぎりぎりです。さすが理性の男。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。